第2話 エレノアとその中の人


 エレノア・コールマンは公爵令嬢である。

 父ダレンは公正でバランス感覚に優れ、兄カイルは若くしてその優秀さと秀麗な容姿で令嬢方の視線を集める。母レイアは他界しているが、その寂しさを感じさせないくらいに父と兄、使用人たちはエレノアを愛した。

 エレノアも神秘的な紫の瞳に銀の髪、美しさで社交界では幼い頃より注目を集めていた。

 何より彼女が注目の的となった理由はその膨大な魔力である。

 貴族の多くは属性魔法を使うことが出来る。庶民の多くも魔法を使えるがそれは生活魔法だ。

 貴族もほとんどの者は一属性のみだが、中には数種類の属性を持つ者がおり、その数だけ神や精霊に愛された証だと考えられている。

 一方、貴族が属性魔法を持つ者同士で婚姻を繰り返したからだという意見もあるが、どちらなのかは定かではない。

 エレノアは稀有なことに数種類の属性と膨大な魔力量がある。

 そのため、多くの貴族が彼女との婚姻を望んだ。


 貴族令嬢として十分な教育を受け、家族とも良好な関係を築き、その容姿と魔力で人々から羨望の眼差しを一身に受けた少女、それがエレノア・コールマンである。

 にもかかわらず、今、彼女の中にいる者は「詰んだ」と感じている。

 その理由は、エレノアが今、向かっている先にある。


「あぁ、見えてまいりましたよ。お嬢様」

「まぁ……本当ね」


 鬱蒼とした森を抜けると光が刺し、開けた場所に出る。

 小さな家々が並ぶ先に、大きな建物が見える。

 あそこがこれからエレノアが行く場所だ。


「聖リディ―ル正道院、これからお嬢様がお過ごしになる場所です」


 そう、転生したときはすでに遅かった。

 公爵令嬢エレノア・コールマンはその罪を償うために正道院へと送られる途中だったのだ。

 

「断罪済みであれば、何のための転生なんだろう。詰んだ」

「エレノアお嬢様? ……お気を強くお持ちください。カミラはずっとお嬢様と共におりますので」


 ガタガタと舗装のない道を進む馬車は揺れる。

 新たなエレノアは美しい紫の瞳で遠くを見つめながら、ぼんやりとこれまでの日々を振り返るのだった。


 

*****



 エレノアの中の人と言えばいいのか、新たにエレノア・コールマンになった者と言えばいいのか。彼女は俗にいう異世界転生をした。


 天海 ハル(あまみ はる)25歳、好きなことはお菓子作り。

 幼い頃から時間があるときはお菓子に関することに時間を使ってきた。作るのも好きだが、自身が作った菓子を喜んでくれる人が近くにいたからだ。

 祖父母は菓子作りが不慣れな頃から称賛し、認めてくれた。それはハルの自信に繋がり、天海家の笑顔にも繋がった。祖父母との三人暮らしではあったが、寂しさを感じずに育ってきたのは祖父母の愛情と周りの人々に恵まれていたからだろうとハルは思う。


 本当は製菓の道へと進みたかった彼女であるが、家庭の事情から高校卒業後、就職した。その時にはすでに祖父母は他界し、頼る者もいなかったのだ。

 だが、彼女の日々は充実していた。

 職場での人間関係も特に問題はなく、仕事のない週末はお菓子作りか食べ歩きをして過ごした。作った菓子や食べ歩いて気になったことはノートにメモをした。自分で工夫し、学んでいたのだ。

 頼る者もなく質素な生活、客観的に見れば他人より恵まれてはいないのかもしれない。だが、彼女一人の生活は穏やかで満ち足りたものだった。


 ある晩、ハルはお菓子を作って冷えるのを待っていた。

 焼いたのはコーヒー、チョコレート、プレーンの三色を混ぜ合わせたマーブルシフォンケーキだ。型を逆さにして置き、明日の朝には冷えているだろうとワクワクしながら布団に転がった。

 その後の記憶は一切ない。目覚めればガタガタと揺れる馬車の中、混在する二つの記憶に戸惑う彼女が気付いたのは、これが異世界転生ならば「詰んで」いる状況なのではという事だ。


 ハルはそれなりに異世界転生を知っている。

 そういった漫画や小説は最近よく見るし、そもそも転生するという考えや創作物は昔からあるものだ。

 ハルが最近読んだ漫画にも断罪された令嬢に転生するものがあった。

断罪される前に転生して、知恵やチートで断罪を阻止するのだ。

 だがエレノアは今、正道院へと向かっている。

 正道院は神への信仰に基づいて日々を過ごす研修士たちが過ごす場所だが、同時に貴族令嬢の謹慎の場である。

 つまりエレノアの処罰はもう確定しているのだ。それはエレノアとしての記憶がはっきりと覚えている。


 断罪後の異世界転生、これではもう出来ることは何もない。

 そしてハルがそう思う理由がもう一つある。

 エレノア・コールマンはその罪により、攻撃魔法を封じられているのだ。

 膨大な魔力を持ちながら、ハルは攻撃魔法を使えない。生活魔法ならば使えるだろうが、ハルが楽しんできた異世界転生とはそういうものではない。

 近付いてくる正道院をハルこと、エレノアは美しい紫色をした死んだ目で見つめるのだった。


 

 

 

 

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