62、最初の花釵と結論のお話
紺紺が目覚めた時、
「……おはようございます?」
「うん。おはよう。君はよく寝るね。妖力を枯渇させたからだろうか。三日も起きないので、少し心配していたよ」
「妖力……」
「……間違えた。霊力だ」
紺紺はずっと思っていた。
自分にあるのは人間の修行術者や神仙が使う「霊力」ではなく、妖魔が使う「妖力」だ。
けれど、霞幽はいつも「霊力」という言葉を選ぶ。
それはきっと、紺紺に「自分は妖狐よりも人間寄りだ」と思わせるためなのだろう。
「紺紺さん。この後のことだが、一度、西領に一緒に帰ろうか」
「わぁ。嬉しいです。帰りたいなと思っていたところでした」
おっとりと囁く霞幽の声は、日常の気配が濃い。
「こんな風に穏やかな時間が、明日も明後日も続くのだ」と思わせてくれる。
「紺紺さん。私は、君を幸せにしようと思うのだが」
「おおっ……? ありがとうございます」
「うん。なんというか、世の中を君の居心地がよいように変える権力は手に入れた。道半ばと言える状態だが、前回の人生と比べると人外の術師が珍しくなくなっていて、受け入れられている。君も私も、
「ありますよ、霞幽様。私は霞幽様の感情がわかりますよ」
紺紺は
揚げ芋は、
「それは私が作ったのだ」
「へっ」
びっくり。霞幽は揚げ芋を作れるらしい。料理をする姿がまったく想像できないが。
「美味しいです」
「それはなにより」
「あっ、嬉しそうですよ、霞幽様。ほら。感情があるじゃないですか」
霞幽を眺めながら食べる料理は、美味しい。
「霞幽様、当ててみせましょうか。今、ちょっと照れていらっしゃいますね」
「今は、『私の手作り料理を食べる君が可愛い』と思って鑑賞しているところだね」
可愛いだって。
照れることもなく、真顔で甘いことを言う。
「霞幽様。嬉しいことを言ってくださると、私は幸せな気分になります。ぜひ、もっと言ってください!」
「そうやって教えてくれるのはいいね。しかし、言えと言われて言うのではなく、私が純粋な感想として自主的に言うから価値があるのではないかな。命令で好意を口にしても、そんな言葉は薄っぺらく真心に欠けていて、価値などないのではないか」
「今ご自身に真心があると仰ってますね霞幽様。感情がありますね!」
「自分が情操教育を受けているような錯覚を覚えるのはなぜだろう」
情操教育とは、「自分で考える力」や「感受性」などを育てる教育のことだ。 通常は子どもに対して行われる……子どもといえば。
ふと思い出したことがあって、紺紺は箸を置いた。
そして、部屋の隅にあった私物入れを探った。西領から都に、そして後宮に持ってきた、いつも近くに持っておきたいお守りや思い出の品といった大切な私物だ。
「あ。あった」
そこには、十年前に贈られた
懐かしい思い出が蘇る。
「思い出してはいけない、捨てた」と自分に言い聞かせていたけど、胸の奥底に仕舞いこまれていて、捨てることはなかった公主時代の過去が。
『隣国の白 霞幽公子がお前に花釵を贈ってきたわ。そのうち縁談も申し込んできそう』
母がそう言って花釵をくれて、「強くなったみたい」と言ったら、笑われたのだ。
国を追われて逃げて、「過去を捨てる」と誓って白家に保護されて。
過去を捨てると言っても、髪に挿していた花釵はずっと持っていた。
……この花釵は、霞幽が贈ってくれたものだったのだ。
「花釵、持ってるじゃないか」
霞幽は目を細めた。嬉しそうに微笑んでいる――ほら、感情がある。
「霞幽様、霞幽様。つけてください」
「いいよ」
おねだりすると、近づいてきて花釵を手に取り、髪に挿してくれる。
「ありがとうございます」
ニコニコしていると、霞幽は髪を撫でてくれた。
無言のまま、その手が耳に触れ、頬を撫でて、首へと下がっていく。首に触れられるのは、ちょっと怖い。
けれど、霞幽は何かを探すような眼をしている。
彼がその何かを見つけることができるように、紺紺は言葉を待った。
薄い唇がひらいて何かを言うまで、それほどの時間はかからなかった。
「君が呼吸して生きているのが、よいことだと思う。鼓動が止まるのが嫌だと思う」
「それはよかったです」
つい、食い気味に返事をしてしまった。
うん、と相槌を打って、霞幽は紺紺の首から手を離してくれる。
「しかし、君はちょっとまっすぐに男を見つめすぎるのではないか。君は可愛いので、そんな風に見つめると世の中の男が全員、君に心惹かれてしまうのではないだろうか。心配な気がする」
「私を心配してくださるんですね、霞幽様」
「それに、純粋すぎると落ち着かない。あまり無垢でいられると、汚してはいけない気がするのだが」
「でも接吻しましたね、霞幽様?」
「考えてみたのだが、私の中には執着心や独占欲があるようだ。それらの外側を保護者としての建前が覆っているのだな」
真剣に自分の心を分析しているようだ。表情はあまり感情を表に出していないが。
「霞幽様! すごく人間っぽいです! もっとお心を分析してさらけ出してみましょう! あの、もっと直接的なお言葉でもいいんですよ。好きとか!」
「紺紺さん。幸せそうだね」
「幸せです。もっと幸せにしてください!」
満面の笑みでおねだりすると、願いをかなえてくれるようだった。
「私は君を大切に思っていて可愛らしいと思うし、守りたいと思うし、自分のやましさに罪悪感を覚える……つまり好きだと」
「霞幽様! すごく感情があるじゃないですか!
「君、なんだったか、その『どっかん』とやら。おまじないだったか」
「そうですよ?」
明るく、前向きに、元気になれるおまじないだ。
思い悩む時、俯きそうな時、顔をあげることができる言葉だ。
「君は明るくていいね。不憫な生い立ちで、不幸ぶろうと思えばいくらでも悲劇を嘆けるだろうに。いい子だ」
「ふふっ、霞幽様は私にいっぱい供物をくださったので、お返しにいっぱい唱えてあげましょう!」
仕方ありませんね、と笑って青年に抱き着くと、
水の中、泥に根を張り、長く伸びて水面に顔を出して咲く――そんな健気な香りだ。
「どっかん、どっかん。霞幽様は、いっぱい頑張って、偉かったです」
この青年は、昇仙するくらい、天に願ってくれた。情熱を注いでくれた。
自分の意見が国家を変えられるように白家の実権を掌握したり皇帝の寵臣となり、たくさんの先見をして、世の中を変えてくれた。本来死ぬはずだった悲運の人々を大勢救ってきた。超人的な術師たちに人の社会の守り手という地位を用意し、受け入れられるようにした。
「どっかん、どっかん。霞幽様は、感情があります。人間です。使命なんてなくっても、ずっと地上にいていいんです」
この青年は、誰も知らないもう一つの世界の歴史を知っている。
猫が死んで、桓温が死んで、妖狐が暴れて、大陸が大混乱に陥って、妹が死んで、紫玉が死んで。
語られなかった悲劇もたくさんあったことだろう。
彼の頭の中にしかなくて、誰も思い出を共有できなくて、その感情を本人も一度目の人生の最期に置いてきてしまった。
――それは、なんだかとっても、孤独な感じがした。
「私、ちょっとだけ夢に見たことがありますよ。私が死ぬときに、霞幽様は手を握ってくださいました。誓ってくださいました。私、霞ふにゅっ……」
言いかけた唇に、唇が押し当てられる。
霞幽はいつも言葉を遮る。紺紺は日常を感じながら目を閉じた。
あの夢と違って、今は眠くない。
「紺紺さん。……私は君をすごく愛していただろう?」
「過去形で仰らないでください?」
「そうだね。今も愛している」
嬉しいことを言ってくれる。
「どっかん、紺紺さん。私は天に還らず、地上を君が安心して暮らせる世の中にしよう。私の伴侶として幸せにおなり」
偉そうに言う声は自信があって、頼もしいのだ。
「
……ちぃ、ちぃ、ちちち。
遠くで鳥が鳴いている。
半・妖狐の紺紺は、耳がいい。
霞幽の腕の中で、彼に聞こえていない音を聞いている。
彼が特異なように、自分もまた特異な存在だ。
だけど「そんなことは大したことではない」と思えるようになった気がする。
石苞は王様になったし、母は西王母に仕える九尾の狐だし、めえこは
ついでにさんは暗殺者で、死んだ父は霊になって助けてくれて、
みんなみんな、個性的だ。ひとりひとり、特別だ。
たかが、半・妖狐。
たかが、元・公主。
「たかが、天仙」
「紺紺さん? 今、天仙を馬鹿にしたのかい」
「ふふっ」
霞幽は天仙という肩書きが気に入っているのだ。
清らかで、神聖で、偉そうで、……可愛い!
「どっかん、霞幽様。……私の旦那様は、可愛らしい方です!」
紺紺は愛情たっぷりに霞幽の頬に接吻を贈り、彼に人間らしい表情をさせることに成功したのだった。
――Happy End!
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
以上で、本編の完結です。
(需要が高かったり、商業化などの機会があれば、番外編や続編を追加することがあるかもしれません)
読んでくださった方のおかげでとても励みになり、頑張って最後まで書くことができました。本当にありがとうございました。
応援、感想、レビュー、フォローや、星、とっても励みになりますので、もし「創作活動を応援するよ」という優しい方いらっしゃいましたら、ぜひぜひよろしくお願いします(*ᴗˬᴗ)⁾⁾ぺこり
朱音ゆうひより
こんこん公主の後宮調査 ~彼女が幸せになる方法 朱音ゆうひ🐾 @rere_mina
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