2章

37、喧嘩するほど仲が良い延禧宮


 『彰鈴シャオリン妃が皇帝の寵愛を受けた』と記録されてから三日後――清明節の二十日前の朝。

 

 彰鈴シャオリン妃と侍女団は、東の延禧宮えんききゅうを訪ねた。 

 延禧宮えんききゅうは、四夫人のひとりである『ラン賢妃』桃瑚タオフー妃の宮殿だ。

 四大名家の一つである濫家らんけは植物や芸術を愛好する一族で、その気質は風雅な庭や各種装飾の植物柄の多さに出ている。

 

 二人の妃は、仲が良い。

 「宴に参加する妃同士、一緒に準備をしましょう」と決めて、今日から三日間、泊まり込みで詳しい打ち合わせに励むことになったのだ。

 

 なお、皇帝の夜伽は、お休みである。

 理由は、「先見密奏により、皇帝に『数日間の女人断ち』が決まった」と布告されている。霞幽の仕業だ。

 

「他の宮殿に集団でお泊りなんて、すっごく珍しい体験ですね?」

「ええ、前例がないことみたい。もしかしたら、後にも先にも私たちだけかも」

  

 おさげ髪を白い紐で結び、侍女服に身を包んだ紺紺は、雨萱ユイシェンと笑顔を交わした。宮殿の庭を彩る桃花の香りがする。

 

 雨萱ユイシェンは、まだ事件の傷を思わせる悲しげな表情を見せることが多い。

 紺紺は「環境を一時的に変えることで、悲しい事件の傷を癒せたらいいな」と思った。

 

 『転地効果』といい、日常いる場所と別の場所で過ごすと、環境の変化で五感が刺激され、心身に良い影響が出ることがある。

 もしかしたら彰鈴シャオリン妃も、そんな『転地効果』を狙ったのかもしれなかった。


「いらっしゃぁい。延禧宮えんききゅうは皆さんを歓迎しますわぁ」

 

 桃瑚タオフー妃は二十三歳。

 肌の色は、小麦色だ。高い位置で結いあげた髪には、大きな青玉をあしらった歩揺ほようが揺れている。

 眉が太く、唇はぽってりとしていて、目はニッコニコの垂れ目。

 藍蓮花の模様入りの襦裙じゅくんの上から、ヒョウ柄の毛皮の上衣をひっかけている姿は貫禄があった。

  

 彼女の腕には、二歳になる杏杏シンシン公主という女児がいる。

 丸い扇で母妃の顔を隠してイタズラっ子の顔で笑っている。可愛い。

 

「こぉら、杏杏シンシン、あかん。お母ちゃんのなけなしの威厳がなくなってしまう。ただでさえ、主上から贈られたかんざしどっかに落としてもぉたのに」

「きゃぁ♪ きゃぁ♪ かんじゃしー、しってう!」

   

 喋る言葉は、微妙に発音が東方訛りだ。この訛りは「猛虎弁」と呼ばれているらしい。

 

桃瑚タオフー妃、杏杏シンシン公主、ごきげんよう。お邪魔しますわ」


 彰鈴シャオリン妃は、薄黄色のじゅと向日葵色のくん姿。

 耳飾りの水晶が日差しを反射して、きらきらしていた。

 繊細に結い上げた髪に挿した簪は、真珠をふんだんにあしらっている。


「かんじゃし、かんじゃし」

 

 しゃらん、と揺れた簪が気に入ったのだろうか、杏杏シンシン公主があどけない声で繰り返す。

 幼い公主の声に、彰鈴シャオリン妃は目を細めた。

 

「ふふっ、杏杏シンシン公主。わたくしのかんざし、差し上げますわ。どうぞ」

「あぁ〜! あかんあかん。杏杏シンシン~、人のもの欲しがるのは悪女の始まりってお母ちゃん教えたやろ?」

「いいんですのよ」

「甘やかしたらあかん。普段から侍女に甘やかされてるんやからぁ」


 桃瑚タオフー妃は困り顔をしつつ、宮殿内を案内してくれた。

 

「ここが裁縫場。こっちは陶芸場で……」


 咸白宮かんはくきゅうには陶芸場はないから、新鮮だ。

 桃瑚タオフー妃は、陶芸職人の家に生まれた母を持ち、本人も陶芸をたしなむのだ。


 彰鈴シャオリン妃は、陶芸場がとても気に入ったようだった。

 

桃瑚タオフー妃からいただいた青花陶器は、咸白宮かんはくきゅうに飾っておりますわ。わたくしも作ってみたくなります」

「おお! そのつもりで材料準備しとった!」

「まあ! 言わずともわかっていてくださるなんて……あっ、こちらはわたくしのお手製の揚げ芋さんです。お土産ですの」

彰鈴シャオリン妃の揚げ芋さんは、うちの大好物や~♪」

 

 二人の妃は、普段からよく贈り物をしあっている仲らしい。

 

 お友だちなんだ~! 仲良し、いいな! と、紺紺が和んでいると。

 桃瑚タオフー妃は、紺紺を見つけて雰囲気を変えた。


「あの小娘ちゃんが可愛いからって宦官や妃にモテモテの子か? なんぞ主上にも気に入られてるって? ンン?」


 あれぇ? 嫌われてる……。

 

 紺紺は目を丸くした。

 

「しかも病弱で仕事がままならんって? 彰鈴シャオリン妃、前から言うてるやろぉ。桜綾ヨウリンみたいな子を甘やかすとな、無限に甘えるんよ。感謝もせえへん、贅沢で怠惰になっていくだけやねん」

 

 咸白宮かんはくきゅうでは誰もが話題にするのを避けている桜綾ヨウリンの名前を出されて、雨萱ユイシェンがサッと表情を曇らせた。

 彰鈴シャオリン妃は……スッと丸扇で顔を隠した。扇の陰では、むすりとしている。


彰鈴シャオリン妃。頑張らない子を『ええよ、サボり』って許すと、頑張ってる子らが報われへんって。全員が同じくらいの荷物背負って~全員で同じくらい休む~、それでこそ、『公平』になるってもんやで」


 立て板に水を流すように話す桃瑚タオフー妃に、彰鈴シャオリン妃は反論した。

 

桃瑚タオフー妃。わたくしの侍女を悪く仰らないでくださいます? わたくしが自分の侍女をどう扱うかは、わたくしの自由ですの。余計な口出しは不愉快です、謝罪を求めますわ」

 

「はあ? うちは善意で言ってるんやで! ダメな子が休んでる横で真面目~に仕事する方の身になってみぃ。『うちも休みたいのにな~、ずるいぃ』ってなるやん」

 

「休みたいと言ったら休ませてあげます。わたくし、いざとなったら侍女を全員休ませて自分でお掃除やお料理やお裁縫をしますから」

 

「はあぁ!? 彰鈴シャオリン妃~、それは妃としておかしい!」

 

 わあ、わあ、仲が良かったお二人が喧嘩し始めちゃった!

 

「あっ、あっ、あの! ……私、元気です! お仕事いっぱい頑張れます! お休みしてごめんなさい、休んだ分、取り戻します!」

 

 紺紺が慌てて両手をあげて元気さを主張すると同時に、杏杏シンシン公主が泣き声をあげる。

 

「ふ、ふええぇえん! けんか、やぁなの……!」

 

 公主が泣きだしたのもあって、妃たちの喧嘩は収まった。

 

 子供をあやし、「喧嘩していませんよ~」と笑顔になる妃たち。

 侍女たちも気を利かせ、「さあさあお茶をどうぞ」とか「咸白宮かんはくきゅうの方々は陶芸を体験なさってくださいね」と接待してくれる。もう大丈夫かな?

 

「気を取り直して、陶芸しよか」

「そうですわね」


 ハラハラしながら妃たちを見守っていると、延禧宮えんききゅうの侍女たちが、咸白宮かんはくきゅうの侍女たちを作業場に誘導してくれた。

 

「えっ、私も陶芸体験をしていいんですか?」

「ええよ。やりたければみんな平等にできる。それがうちの公平や」


 桃瑚タオフー妃が「どや!」と肩をそびやかす隣で、彰鈴シャオリン妃は「ですから、わたくしも休みたければみなさん平等にお休みできる公平な職場だと申していますのに」と頬をふくらませている。


 二人の妃は一瞬お互いの顔を見て、ぷいっと顔を背けた。

 

「ふん」

「ふんっ」


 最初はあんなに仲が良かったのに!

 

 紺紺がおろおろしていると、雨萱ユイシェンがこっそりと「これ、いつもなの」と教えてくれた。


「時間が経てば元通り仲良しになるわ」

「そ、そうなんですか~っ?」

「喧嘩するほど仲が良いって言葉があるでしょ」


 なるほど、それなら気にしないでおこうかな? 


「北方では『割れやすいことから仲が割れる』って言われて嫌がる人らもいるらしいけど、濫家らんけは『割れるとたくさん数が増えるから子孫繁栄!』って考え方や。手作りの陶器を日頃お世話になっている人に贈ってみんな平等に栄えちゃいましょ! 材料はいっぱいあるさかい、遠慮せず何人分でも作ってってなー!」

「なー!」


 杏杏シンシン公主が母妃の真似をしている。

 

 雨萱ユイシェンが粘土に気持ちを織り込むみたいに丁寧にこねる隣で、紺紺も粘土をこねてみた。

 作るものは、茶杯に決めた。


「二個つくって石苞セキホウ霞幽カユウ様に贈ろうかな?」

 

 頭の中にぴっかぴかの完成品を思い描くと、わくわくする。


『このぴっかぴかの茶杯をお嬢様が!? なんと、石家の繁栄を願ってくださったのですか?』

『紺紺さん、白家の繁栄を願ってくれたのかい。これは私も心を入れ替えて徳を積まないといけないね』


 わぁぁ! 喜んでほしい~!


「繁栄♪ 繁栄♪」

「あんえー♪ あんえー♪」  


 自分の歌につづく元気な声が聞こえて見てみると、杏杏シンシン公主がいつの間にか隣にいる。

 公主は目が合うとニッコリしてくれた。

 無邪気だ。可愛い。

 

 妃二人の会話も、聞こえてくる。


桃瑚タオフー妃、傾城様のお噂、聞きました? 美形すぎて、お面で顔を隠さないと見た者全てがとりこにされてしまうのですって。お名前やご出身は、未だに不明……謎めいていて素敵ですわね」

彰鈴シャオリン妃は傾城がお気に入りやねえ。案外、他国からの間者だったりして……おっと、怖い顔せんといて。冗談、冗談……」

「傾城様を悪く言うことも、許しませんの!」


 ……この二人、本当に仲良しに戻るんだろうか?

 

「あ~、そうそう、彰鈴シャオリン妃。宴に出席する妃はうちらだけってことで、予算交渉をして服飾費をあげてもらったらどうや?」

「あら、ハオリーハイいいですわね。交渉しましょう、そうしましょう!」


「主上がうちらに頭が下がらん今が好機や。お外に買い出しにも行きたいなぁ」

「うふふ、わたくしたちは難しいかもしれませんが、侍女たちを遊びに行かせてあげたいですわね」


 あっ、戻った。


濫家らんけ自慢の陶器のお風呂見せたる~♪ その後は、みんなで宴会やー♪」

「まあ、素敵。お風呂は一緒に入りましょうね♪」


 侍女たちは顔を見合わせ、「よかったわね」と安堵した。

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