19、君の望みに興味がある
新米宮女たちは、配属先の知らせを受けて「おめでとう会」を内々に催した。
特別、豪勢な宴ではない。
いつもの宿舎で、
あつあつで、美味しい!
「配属先が違っても、またお話しようねえ」
「ねえねえ。傾城様の武勇伝をきいた? 大河を燃やして大軍を追い払ったんだって!」
「ごほっ」
紺紺がお茶を噴き出すと、小蘭が「わ、大丈夫?」と背中をさすってくれる。
「紺ちゃん、病み上がりだもんね。無理しないでね」
「大丈夫……」
「西領って優秀な術師を
みんなで食卓を囲んでいると、当たり前のような自然さで白猫がやってくる。
「猫さん、今日もいらっしゃい」
「猫さん、あたしたちねえ、もうすぐここの宿舎からいなくなっちゃうの。みんな別の宿舎に移動するのよ。いなくなってもびっくりしないでね」
白猫の正体が先見の公子だと知らない
「はい、どーぞ♪」
あなた、これが好きでしょ? とニコニコとしている
白猫は行儀よく前足を揃えて座り、半眼で煮干しを見ている。
「あら。猫さん、興味なさそう。お腹いっぱいかしら?」
白猫はツンと顎をあげてそれを無視して、紺紺に寄ってきた。そして、くいくいと紺紺の袖をかじって引っ張っている。
こっちに来なさい、って言われているみたい。
これは、お呼び出しだ。
「あん。振られたわ」
「紺ちゃん、猫さんに懐かれてるのいいなあ」
そんな宮女たちの声を背に、紺紺は外に出た。
「私、ちょっと出てくるね……!」
「紺紺? 門限、もうすぐよ」
「うん、わかってる。すぐ戻るよー!」
宿舎は門限を迎えると、出入りできなくなる。
外にいると朝まで中に入れなくなっちゃうのだ。
早めに戻ろう、と思いながら外に出ると、空気が花の香りを含んでいて、春めいた気分を高めてくれた。風が暖かい。
輝く星々を周囲に侍らせて、月が清らかに光っている。
穏やかな気持ちにさせてくれる、静かで綺麗な夜だ。
築年数を感じさせる柱の陰にいき、白猫は宦官姿の青年になった。
そして、しゃがみこんで手招きをする。なんだろう?
近づくと、もっと近くにと言われる。
人に見られたら誤解されそう……と思っていると、筆と高価な紙を渡される。
「紺紺さん。おうちに『最近はこんなことがありました』というお手紙を書きなさい。君、最近、近況報告をさぼっているよ」
「はいっ?
「君の後見人は石苞ではないよ。別邸にいた頃は日々の知らせを正規の後見人と交わしていただろう。忘れたのかい」
先見の公子に言われて「そういえば」と筆を執る。
紺紺の保護者は、
「お手紙を書く必要、あるかな?」
「紺紺さん? 石苞には手紙を書くのに、霞幽には不要だと? 本気でそう考えているのかい?」
「いえ、なんといいますか。すみません。書きます」
目の前にいるのだし、近況も把握しているだろうに。
でも、別人だと言い張るならそういうことにするべき?
首をかしげつつ、紺紺は手紙を書いた。
『霞幽様、お元気ですか。私は元気です。
小蘭のお母さんを保護してくださり、ありがとうございました。
最近は、
じっと書き終わるのを待っていた先見の公子は、書き終えるや否や手紙を受け取り「少しお待ちなさい」と言って茂みに消えた。
「少しってどれくらいですか、先見の公子様? 門限がもうすぐですけど?」
誰かが探しにきたり通りかかったりしないかな?
人に見られたら、怪しまれたりすると思うけどな……?
焦れ焦れしながら待っていると、先見の公子は手紙を手に戻ってきた。紙が二枚ある。
「紺紺さん、霞幽からの返事だよ。今すぐに一枚目を読みなさい。二枚目は後日で構わない」
「今書いてくださったんですか?」
「私ではなく、霞幽が書いたものだよ。紺紺さん」
「あっ、はい。でも、どう考えても、ふぬっ」
先見の公子が手紙を広げて紺紺の顔に被せてくる。
細かいことを突っ込むな、と言いたいらしい。
「私は実は霞幽と友人なんだ。先見ができるので、君が手紙に何を書くかわかっていて、その情報を霞幽に伝えていたんだ。なので、霞幽は前もって返事を書いて私に託すことができたんだよ」
「……ひゃい」
門限も近い。
宿舎に入れなくなったらお外で寝る羽目になっちゃう。
紺紺は急いで手紙を読んだ。
文字は間違いなく霞幽の筆跡だった。
しかし、どう見ても急いで書きましたね?
普段のお手紙よりも整っていない文字で、誤字や脱字も目立ちます……。
『紺紺さんへ
試験お疲れ様。
それに、
頑張って偉かったですね。素晴らしい功績です。
欲しいものがあればおっしゃい。
お祝いとご褒美に、なんでも贈ってあげましょう。
新しい配属先の話も聞いています。
妹の
紺紺は手紙を三回読み返して、先見の公子を見た。
笑顔だ。爽やかで、でも目が笑ってない、いつもの顔だ。
「次のお手紙では、欲しいものをおねだりするといいね。新しい配属先でも頑張りなさい。それでは、おやすみ」
言うだけ言って、くるりと踵を返して去って行こうとする先見の公子。その袖を紺紺は掴んだ。
「欲しいもの、言っていいんですか?」
引き留められた青年の瞳がちょっと驚いた様子なのが、新鮮だ。
この青年はなんでもお見通しで動じないって雰囲気だけど、こうして意表を突くこともできるのだ――そう気づくと、なんだか楽しい気分になった。
紺紺は袖をくいくいと引いておねだりした。
「『頑張ったね』って、お手紙じゃなくて、直接言って欲しいです」
「なんだ、私の
不思議そうに呟きつつ、先見の公子は要望に応えてくれた。
「
青年らしさのある手が、ぽんと頭に置かれる。
血が通った人間である証左のように、その手は暖かかった。
青年の長い睫毛が落とす目元の陰は妖しくて、ほの暗い。
けれど、感情のない人形みたいな瞳も、今は優しく見える気がする。
この人は、霞幽だ。
自分の命の恩人で、後見人だ。味方だ。
小蘭のお母さんも、保護して治療を受けさせてくれている。
底が知れなくて怖いと思う時もあるし、何を考えているかわからないけど、優しい人に違いない。
きっとそうだ。
手紙を抱きしめ、紺紺はニコニコした。
「霞ふにゅっ……様って、いい人ですね。ずっと、直接お礼を言いたかったんです。私と石苞、それに紺兵隊のみんなを匿ってくださってありがとうございました。いつも感謝しています、霞ふにゅっ……様」
頭を撫でていた青年の両手が、名前を呼びかけるたびに、ふにゅっと頬をつねったり揉んだりする。
「私に呼びかけるときは、先見の公子と呼びなさい。いいね?」
顔を覗きこむようにして、美貌の公子が命令する。
これは従わないといけないことなんだ。
こだわりがあるんだなぁ。
「は、……はい。先見の公子様」
「よろしい。いい子だね。……いや、本当にいい子かな? 君、結構言いつけを守らないよね……狐のお面もつけていたし。……まあいいか」
揺り篭のように柔らかく微笑んで、先見の公子は猫に姿を変えた。
「もう刻限だ。時間を取らせてすまなかったね。ゆっくり休みなさい。それと……君の望みに興味がある。今後も何かあれば言うように」
猫の足音は忍びやかで、影はゆらゆらと不安定に揺れていた。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、紺紺は門限ぎりぎりに宿舎に滑り込み、明るくワイワイとした集団部屋に戻ったのだった。
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