18、ひとりぼっちの鳥の隣に


 刻限を知らせる鐘が鳴る。

 時間厳守だ。小蘭シャオランは筆を執った。

 

「試験開始!」

 ……お友達の紺ちゃんはいないのに。


「紺ちゃん、あんなに頑張ってお勉強してたのに……可哀想」


 お友達の紺ちゃんは、試験前に体調を崩して寝込んでしまったのだ。

 それも状態が悪く、隔離されるように個人病床を与えられて。面会もできない。心配だ。


 紺ちゃんは、健気だ。

 

 本人は話したがらないけど、宦官のお兄さんが教えてくれた話によると、紺ちゃんは戦災孤児らしい。

 お母さんもお父さんもお兄さんも死んでしまったのだとか。可哀想だ。

 

 身よりがない紺ちゃんは、西領で中流家庭に引き取られたのだと聞く。


「お母さんが相当な美人だったので、娘の紺ちゃんも美人に育つだろう、育ったら上流家庭に嫁がせよう」という魂胆だったらしい。おうちでは、義理のお姉さんにいじめられていたんだって。可哀想。

 

 後宮に来てからは、病弱なのを隠して毎日働いている。

 本当は辛い時もあるはずなのに、弱音ひとつ言わなくて、いつも「私、元気だよ」と強がってる。気丈だ。

 その上で、自分のことよりも小蘭のことを気にかけてくれている。すごく、優しい。


 ぱっちりとした紺ちゃんの目は、いつも嬉しそうに小蘭を見る。

「お友達ができてうれしい」

 と嬉しそうに言って、お日様みたいに笑うのだ。

 

 そんな紺ちゃんを見ていると、胸がぽかぽか温かくなる。

 「今現在ひとりで苦しんでいるのかな」と思うと、可哀想で、自分までつらい気持ちになってきて、泣いてしまいそうになる。

 

 ……試験、がんばらなきゃ。

 能力があると認められたら、待遇がよくなるんだ。お給料が増えたり、外に出やすくなったり、支給される着物や日用品や食事の質や量が上がったり、個人部屋がもらえたりするんだ。

 

 小蘭は懸命に紙に筆を滑らせた。

 

 これは、水墨画の課題だ。

 一羽だけの鳥が枝の上で遠い空を眺めている絵は、現在の心境を反映してか、とても寂し気な情緒を感じさせる出来栄えになっていく。


 試験官は、描く水墨画について指示していた。

「最近、妖狐がいるという不穏な噂があり、今上陛下がお倒れにもなりました。そこで皆さんは、魔を祓い吉を招くようなおめでたい絵や気持ちの明るくなる絵を描いてください」……と。

 

 どうしよう。これじゃ、試験に落ちちゃうかも。

 

 と、危機感を抱きつつ、心のどこかでは「これでいいんだ」とも思っちゃう。

 

 ……紺ちゃんも試験を受けられないから。

 

 「わたしは試験を受けたけど、だめだったよ。次の試験、一緒に頑張ろう」って言って、元気になった紺ちゃんと次の試験を目標に、また頑張ったらいい。紺ちゃんが試験を受けられないんだもの。わたしひとりだけ良い結果を出しても、なんだか違う気がしてしまうのだ。

 一緒に「やったね」って言いたかったんだ。

 

 ……お母さんにもらったお守りを、ぎゅっと握る。

 

『君のお母さんは選ばれたのだ。白家は、とある実験を進めている。その実験に協力することを対価として、白家が生活全般の面倒を見ることにした』

 

 あの綺麗な宦官のお兄さんは、白家に縁のある人らしい。

 あの人は「お母さんの心配はしなくてもいい」と言ってくれた。

 代わりに、小蘭に「お友だちと仲良くね」と言ってくれて、綺麗な真珠がついた花釵かんざしをくれたのだ。


 ……格好いい人だったな。


 思考の沼にはまりかけた小蘭に、左右に引くタイプの戸ががらりと開かれる音と、試験官の声が聞こえた。


「あ、あなた! 試験はもう始まっていますよ。病気で欠席と聞いていますが……?」

「はぁ、はぁっ……治り、ました!」

「治ったって……」


 ――紺ちゃん!


 小蘭は筆を落とし、両手で口を抑えた。

 

 なんと、紺ちゃんがいる。

「急いできました!」という雰囲気で汗まみれで、顔も泥まみれで。

 肩で息をしながら、試験会場に来たのだ。

 

 「途中で何があったの」と誰もが聞きたくなるような全身が土埃にまみれた姿で。

 帯には……矢が挟まっていたりする。なぜ、矢?

 

 試験官も矢が気になったようで、おそるおそる尋ねている。

 

「そ、その帯に刺さっている矢は何事です?」

「や?」


 紺ちゃんは問われて初めて気づいた顔で矢を摘まみ、言った。


「これ、破魔矢です! 後宮の魔を祓おうと思いまして、持ってきたんです!」

「はあっ……?」


 汗まみれ、そしてなぜか泥だらけの紺ちゃんの顔は、元気な笑顔だった。なんだか神々しいと思ってしまうような、不思議な魅力を感じさせる美しさだった。

 

 その笑顔の美しさのせいだろうか。

 試験官は、それ以上追及することも、紺ちゃんを追い返すこともしなかった。

 

「……席につきなさい。受験を許可します」

「ありがとうございます! やったぁ!」

  

 ――やった。紺ちゃん、試験、受けられるんだ。

 

 小蘭は嬉しくなった。

 元気が湧き出てくる気がした。

 なぜだかちょっとだけ泣きそうになってしまった。


「蘭ちゃん、筆落ちてたよ。はい」

「ありがとう紺ちゃん」


 ……心配してたんだよ。元気になって、よかった。

 

 筆がすいすいと動いて、ひとりぼっちの鳥の隣に、お友だちがやってきた。

 

 ……もう、ひとりじゃない。

 

 ああ、わたしはこういう絵が描きたかった気がする。

 

 小蘭は完成した絵を見てにっこりとした。

 


 

 * * *

 

 無事に試験が受けられた紺紺は、試験で優秀な成績をおさめて「すごい!」と言われた。

 

 しかし、配属先は承夏宮しょうかんきゅうではなく咸白宮かんはくきゅう――白徳妃、彰鈴シャオリン の侍女に決まってしまった。


「……どうして~~っ!?」


 これはきっと、先見の公子が手をまわしたのだ。

 だって、白徳妃は白家の姫。霞幽の妹だから――紺紺はそう思った。



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