12、後宮の新米宮女(3)

 お布団を担いだ宦官たちが移動中だ。


 嗅覚の優れた紺紺は鼻に皺を寄せた。

 ……あまりよろしくない匂いがしたので。

 

「あれは異民族出身の中級妃だね」


 白猫の姿をした先見さきみの公子が教えてくれる。

 あのお布団の中身は全裸の中級妃だ、と。

 

「武器を隠し持たないよう、裸で簀巻すまきにされて寝所へ運ばれているんだ。寝所で抱かれるのだが、『抱かれる』の意味わかるかな?」

「抱っこ?」

 

 公子の声を聞きながら、紺紺は匂いのもとを探った。

 幸い、視力は人間離れしている。

 遠距離にも関わらず、闇を見通す目は、布団の上にペタリと貼られたお札を見つけた。

 

「あれをお召しになって終わりではなく、我らが主上は下級妃九人を一室に集めて待たせている。全員とお楽しみになるおつもりなのだが……」


 先見さきみの公子は紺紺コンコンを見上げた。

 猫の瞳は、残念な生き物を見ている温度感だ。

 なぜ?


「紺紺さん。私が思うに、君には教育が必要だね」

「そうでしょうか?」

「今から私はお仕事に関する大切な話をするが、果たして君に理解できるだろうか」

「おおっ。必ず理解しますとも」


 やる気を見せると、試すような声が返ってくる。

 

「主上はもともと色を好む女好きな方でいらしたが、最近は夜になると異常な欲をたぎらせ、何人もの妃をお召しになる。限界まで励まれて気絶する日々だ」


 ふむ、ふむ。なるほど。

 皇帝は妃たちと夜更かしして気絶してしまう日々らしい。

 紺紺は、ちんおじさんな皇帝が妃たちとお酒を飲み、手を繋いで夜通し踊っている姿を想像した。


『遊ぶぞわっしょい! ちゅーっ』『きゃーわっしょい主上!』『わっしょいお酒をどうぞ、陛下!』(想像上のやり取り)


 わあ、とても楽しそう。


「しかも、昼になると夜のご記憶がない。あれは妖狐によって発情をあおられているのではないか……という説が出ている」


 ふむ、ふむ。なるほど。

 紺紺はちんおじさんな皇帝が明け方にくたりと倒れるところまでを想像した。


『ちんはここまでだ。すやぁ』『陛下、でも、もう朝ですよ』『ちんは眠い。お仕事したくない』『夜更かしするから……』(想像上のやり取り)


 あ~っ、あの目の下の隈は夜更かしが原因だったんだ。そうだったんだ~!


「わかりました」

「わかったのか」

「つきましては、先見の公子様。術を使いたいので、何かください」

「ん……」


 先見さきみの公子が霞幽カユウであれば、この言い方で伝わるだろう。期待しておねだりすると、腕に抱っこしていた白猫はぴょこんと地面に飛び降りた。


 そして、人間の青年姿へと姿を変えた。

 青年の手が、紺紺が「ください」と差し出した手のひらに、丸薬を一粒置いてくれる。

 

「では、これを君に贈ろうか」 

「えへへ。ありがとうございます、先見の公子様。これは、なんですか?」

「霊力が増すお薬だよ。飲みなさい」

「わあ!」

  

 贈り物をもらうと、霊力と身体機能が一時的に向上する。さらにお薬の効果でも霊力が増すなんて!

 紺紺は丸薬をごっくんと飲んで、狐火を出した。


「先見の公子様、ご覧ください。ひとまず、目に見える範囲のわざわいのもとを焼きますから」

「ほう」

  

 手のひらほどの大きさの狐火は、流れ星のように宙を翔ける。

 そして、中級妃を包むお布団に貼られたお札を燃やした。


 瞬きするほどの短時間の異変に、お布団を担いでいる宦官たちは気づく様子がなかった。そのまま皇帝の寝所に向かい、遠ざかっていく。


「あの鎮宅霊符ちんたくれいふに似たお札は、五行における火の性質を増幅する役目を果たしていました。触れた人を興奮させたり、楽しくさせるんです。しかも、血の匂いがしました。朱砂を使って書くはずの文字が、血文字で書かれているみたいです」

「よく気づいたね。ハオリーハイすばらしい。えらい、えらい」

 

 先見の公子はふわりと微笑み、頭を撫でてくれた。


 褒められている。労ってくれている。紺紺ははにかんだ。

 と、次の瞬間、ゆらりと視界が揺らぐ。


「あ……?」


 突然、抗いがたい眠気が襲ってきたのだ。

 自分の体調変化を自覚したときには、意識を手放す寸前だった。


「さっきの丸薬はね、睡眠薬だったんだよ。紺紺さん」


 先見の公子が淡々とネタバラシする声がする。

 

「言われたことを鵜呑みにして未知の薬を口にするのは、よろしくないね」


 倒れ込む体が抱きかかえられる。


「私は今日、君に教えよう。人を軽々しく信じて油断すると痛い目に遭うのだよ。騙される方が悪いのだ。気をつけなさい」


 なるほど、一服盛られてしまったらしい。

 でも、仕事仲間相手にも油断しちゃいけないの?


 不満というよりは純粋な疑問に近い感想を胸に、紺紺は眠りに落ちた。

 

 

 * * *


 次に目覚めたとき、紺紺は宿舎の臥牀しんだいにいた。他の宮女たちとの集団部屋だ。

 ちゅん、ちゅんと小鳥のさえずりが聞こえる。爽やかな朝だ。


「あれえ……」


 目を擦って起き上がると、同室の宮女たちが寄ってきた。


「あっ、紺ちゃん、おはよう。心配したんだよ」

ヤン氏にひどいことをされたんだって? 大変だってね」


 萌萌モンモン雨春ユイシュン小蘭シャオランが身に覚えのない昨夜の出来事を教えてくれる。

 曰く、評判の悪い宦官に絡まれてショックで卒倒したところを、別の宦官が運んでくれた……と。

 

「西領で義理の家族にいじめられてたんですって?」

「かわいそうに。実は持病があってよく倒れてしまうのですって?」


 初日に陰口をたたいていた宮女たちまで、なにやら同情的な顔で声をかけてくる。

 これは一体? とびっくりしていると、涼やかな声がした。


「来歴調査報告書によると、その娘は不憫な生い立ちにもかかわらず、同情されまいと無理して強がってしまうのだとか」 

 視線を向けると、宦官に扮した先見の公子がいた。


「あの方が運んでくださったのよ。お礼を言いなさいな。羨ましい!」

 宮女たちが熱のこもった視線を注いでいる。

 

「後宮にも無理矢理連れて来られたのだとか。かわいそうだね。健気だね。歪んだ教育を受けていて、文字は書けるのに性の知識が乏しい。接吻で赤ちゃんができると思っているんだ」


 先見の公子が言うと、宮女たちが同調する。

 

「なんてかわいそうなんでしょう」

 

 先見の公子はそんな宮女たちに「やさしいお姉さんたちですね」と爽やかに微笑んだ。途端、黄色い悲鳴が湧く。わかりやすくモテている。


「皆さん、どうぞ仲良くしてあげてください。それでは」

 

 挨拶をして去っていく先見の公子に、宮女たちは「素敵な方ねえ!」「私、目が合ったわ!」とはしゃいでいた。


「なに、あれ……」


 ぽかーんと見送る紺紺に、気遣いたっぷりの声がかけられる。

  

「病弱だったんだねえ」

「無理しないでね」


 水が渡される。桃が置かれる。もっとごはんを食べなさいとおかずを分けてもらえる。

 お化粧を教えてもらう。性知識を教えてくれる。髪をとかしてくれて、荷物を持ってくれる……。

 

「私、病弱じゃないよ。元気だよ」

「強がっちゃって。いいのよ、甘えても」

「あ、あれえ……」

 

 これはなに? 

 

「私、力持ちだよ。大人の男の人を持ち上げたりもできちゃうよ」

「あはは。そんな冗談言って」


 可哀想な子だと思われて、みんなが優しくなった。

 紺紺の宮女生活は、このようにして幕を開けた。


 付け足しておくと、ちんおじさんな皇帝も昨夜は遊びすぎることなく、すやすやと快眠を貪ることができたのだそうな。

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