11、後宮の新米宮女(2)

 皇城の奥にある後宮は、千人以上の女性が住む大宮殿だ。

 真ん中に御花園ぎょかえんという憩いの庭園があり、それを囲むように妃が済む宮殿や宮女が住む宿舎がある。


 この中に人間になりすました妖狐がいると言われても、どのように調査を進めたらいいのだろう?

 

「いいですか、これから色々なお仕事を順に覚えてもらいます。お仕事ぶりを見て配属先が決まります。出世できると待遇もよくなりますよ」

  

 お掃除。刺繍。お洗濯。料理を運ぶ。食器洗い。庭園の水やり。雑草駆除。羊のお世話……色々な仕事について説明し、女官は新米宮女たちを宿舎に連れて行った。

 

「さあ、ここが皆さんが寝起きする宿舎です。明日からはさっそく仕事をしてもらいますからね」

「わぁ。みんなで一つのお部屋を使うんだぁ……っ」


 数人が一緒に寝泊まりする部屋で、みんなが手荷物を置いてひと息つく。

 これから、ここで暮らすのだ。


「私は出世するよ!」

「あたしは年季が明けるまで無難に過ごすよ」

「お母さん、大丈夫かな。村の人にお世話してもらえてるかな」


 母親を心配する小蘭シャオランの声に、胸が痛む。

 

 なので、紺紺コンコン石苞セキホウに手紙を書くことを決意した。紺兵隊に小蘭シャオランの母親のお世話をしてもらおうと思ったのだ。

 抜け道を掘るより、人助けする方が絶対いい。


小蘭シャオランさん。あのね、私、お母さんのところにお世話する人を派遣できるよ。もしよかったら……」

 

 と、小蘭シャオランに言いかけた時。

 

コンちゃん。西領出身なら、傾城けいせい様を見たことある?」


 ちょうど雨春ユイシュンが話しかけてきた。


「コンチャン? それ、私? わあっ、仲良し感がある……って、今、傾城様って言った?」

「姉さんが言ってたんだ。西領で有名なすっごい術師様で、皇帝陛下の九術師に任命されたんだって。とってもとってもすごいんだって」


 なんと、傾城の存在が後宮で認知されている。紺紺は焦った。

 

「そ、そうなの? 知らなかったよー。見たことないよー。うわぁーわあー、そういう人がいるんだねー……? どういう人なのかなー……?」

 

「それがねえ、あんまり素性がわかってないんだって。でも、絶世の美少女らしいよ」


 本人を見たことがないからか、さすがに「紺紺が傾城!」とは思っていないようだ。よかった。


「白徳妃様は傾城様に憧れてるんだ。だから、『傾城様の情報があったら教えてね』って姉さんが言ったんだよ。何か知ってたら、白徳妃様に気に入られて出世できるかもね」 

 

「へ、へえー……」


 四夫人の一人、白徳妃が『傾城』に憧れている? 情報を集めている?

 

 ところで、白徳妃というのは白家出身のお妃様だ。

 霞幽カユウの妹姫のはずだが、どんな人物なのだろう。兄君とは仲が良好なのだろうか。


「あ、見て見て。猫ちゃんだ」

「えっ」


 同室の宮女たちが声を華やがせたので見てみると、白猫がいた。


「わーっ、真っ白。綺麗な毛並み!」

「後宮で飼われているの? こっちにおいでー」


 宮女たちがキャッキャッとはしゃぐ中、白猫はツンと顔をそらし、音もなく去って行った。


「何しに来たんだろう。私がちゃんと宮女らしくできてるか、監督に来たのかな……」


 あの白猫……先見さきみの公子は霞幽様だと思うのだけど、あっているだろうか?

 

 紺紺は首をかしげつつ、石苞への手紙を書いた。

 

 * * *


「このお手紙を届けてくださいっ」


 お手紙を後宮の外に届けたいときは、各種手続きを受け付ける役所にいる役職者に提出する。


「あのう、お手紙を……」

  

 その日の役所受付担当は、「楊釗ヤンショウ様」と呼ばれていた。

 『宮正きゅうせい』という宮中の秩序を取り締まる役職があるのだが、その中でも下っ端。

 中性的で、男装した女性のようにも見える年若い宦官(子供をつくる性機能をなくした男性)だ。下っ端だが新米宮女よりは偉いので、態度は大きい。


「はぁ。どうも最近、怠くていかん。季節の変わり目だからか気鬱でならない。目をつけていた宮女には交際を断られるし、部屋に連れ込もうとしたら邪魔が入るし……」


 楊釗ヤンショウは、なんと手紙をびりびりと破いて捨てた。

 

「あっ……私のお手紙が!」 

 

「はあ。俺は不機嫌なんだ。小娘の声は聞くだけでいらいらする。新米のくせにいきなり手紙を外に出せると思っているのか? 甘えるでないわ」


「あ、あう……そんなぁ……」

 

 びりびりに破かれ、床に落ちた手紙を拾っていると、上からパシャリと酒がかけられる。ひどい。

 

「ふん。よく見るとなかなか美しい娘ではないか。代わりに相手をさせてやってもいい――」


 見下したような声が浴びせられた時。

 

 よくれた果実のような、甘い声がした。


「あら。秩序の番人であるはずの官吏が、何をしているのかしら」


 建物の中なのに、清涼な風がふわっと吹いた気がする。

 

 ――いい匂い。

 うっとり、夢心地になるような、極上のかぐわしい香りがする。

 見上げると、天女のような美妃がいた。


「主上の花園に咲くつぼみは、いかに未熟でも大切な主上の財。いじめてはいけませんわ」

 

 ずっと聞いていたくなる、美声。

 雪のような肌、桃のように色づいた頬、色っぽく艶のある赤い唇に、華やかに化粧されていて目を惹き付けられずにいられなくなる瞳。


 母を思い出す絶世の美貌だ。

 傾城、とは、このような人にこそ適した呼び名ではないか。

 紺紺はそう思った。

 

 美妃は、甘い芳香を漂わせていた。


 紅色牡丹べにいろぼたんの刺繍が華やかな襦裙じゅくん姿で、帔帛ひはくという薄い布を羽衣のようになびかせていて、目を奪われる。

 

 金銀宝玉をあしらったかんざしや大きな花の髪飾りは絢爛けんらんで、動くたびにしゃららと音がする。


 丸扇を持つ手の爪は長く、根本から先に向かって綺麗な赤色を濃く色づかせていて、蠱惑的こわくてきだ。見ていると、なんだか、どきどきする。


「こ、これは胡月フーユエ妃。お見苦しいものをお見せいたしました。失礼いたしました……!」


 楊釗ヤンショウが大慌てで頭を下げてかしこまっている。


「宮女にいじわるはいけませんよ。お手紙を届けてあげなさいな」


 胡月フーユエ妃と呼ばれた妃は楊釗ヤンショウに指導を言い渡し、整然と後ろに付き従う侍女たちを連れ、去って行った。


 綺麗で、優しい。

 ふんわりしてて、かごみたい。

 助けてくれた。味方してくれた。……いい人だ!

 

 紺紺は胡月フーユエ妃の後ろ姿が見えなくなるまで恍惚と見送った。

 脳の芯がじぃんと痺れているみたいで、ふわふわした気分。

 

 あんな素敵なお妃様の侍女になってみたい。

 胡月フーユエ妃のために働くのは、きっと楽しいんだろうな。

 働き甲斐があるんだろうな。あの人に忠誠を誓って、尽くしたいな。


「……アイタッ」

 

 地べたに座り込み、うっとりとしていた意識が、突然の肩の痛みで引き戻される。

 

 何事かと見てみると、白猫が膝にのぼり、本物の猫みたいに肩に前足をかけて爪を立てていた。


「なにするんですか、ふにゅっ……さ、先見さきみの公子様」


 名前を呼びかけるとペシーン! と猫ぱんちが頬に飛んでくる。先見の公子は狂暴だ。

 

「にゃあ」

「猫のふりをしないでください、もう」


 紺紺は手紙をその場で書き直して提出し、先見の公子を抱っこして宿舎への帰路についた。

 

 月が美しい。

 気付けば、もうどっぷりと夜が更けていた。

 

接吻キスされるし、手紙は破かれるし、お酒はかけられるし、爪を立てられるし……なんだか振り返ってみるとひどい……。接吻キスで赤ちゃんができていたらどうしてくれるの……」


 正体が先見の公子だとわかっていても、姿が白猫だと気が緩む。

 本物の猫みたいに大人しく抱っこされているものだから、ついつい、独り言みたいに言ってしまう。

 しかし。


「紺紺さん。接吻キスで赤ちゃんはできないが?」


 先見の公子は突然、猫のふりをやめて人語を話した。


「え?」

「紺紺さん。接吻キスで赤ちゃんができると思っていたのかい? 本気で?」

「……え?」

 

 聞き返した時、妙な行列が目に入る。

 お布団の塊を数人がかりの宦官で担ぎ上げ、どこかへと運んでいく。なあに、あれ。



   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


●おまけの本編情報整理メモ


※作中の後宮役職・序列について


・妃嬪(妃)

皇后(不在)、貴妃→淑妃→徳妃→賢妃の順に立場が上。

そのあとに中級妃、下級妃と続きます。


・宮正

宮中の秩序を取り締まる役職


・宮女

宮中で働く女性


・四大名家

北の黒家、南の紅家、東の濫家、西の白家

四方を治める有力な家です。


・ふわっとお役所メモ


尚宮局:総括部署。宮内の文書、詔勅、名簿を司る。

尚儀局:礼儀起居を司る。儀式、音楽系、賓客対応、宴、貴人の先導。

尚服局:服装と文様、装飾品、儀衛の用具および先導。

尚食局:食膳を供し、毒見をする。宮人の食事、薪炭の供与。

尚寝局:寝所に御す順番、帳や褥の準備、輿や傘、庭園、灯篭の管理。

尚功局:刺繍、裁縫を管轄。御衣の作成、宝石類、布、糸の管理、衣服、飲食、薪炭の供与。

宮正:宮内の取り締まり。小事は裁き、大事は奏聞する。


お仕事が微妙にかぶってたりする局もありますが、ふわっと「こんなお仕事場があるんだなー」程度に読み流してください! 

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