10、後宮の新米宮女

『紺紺さん、今日から新生活だね。がんばって。忘れていたけど、この仕事、失敗すると国が滅ぶからそのつもりで。君の大事な紺兵隊こんぺいたいもみんな死んでしまうから、がんばらないといけないね』


 後宮入りの初日、先見さきみの公子は手紙で恐ろしいことを伝えてきた。


「み、みんなが死んじゃう!? そんな大事なこと忘れないで、先見の公子様。がんばらなきゃ……」

 

 なんだか、紺兵隊こんぺいたいを人質に取られているみたいな気分。

 

 紺紺は危機感を胸に後宮につながる門を通った。

 

 後宮での身分は、新米宮女だ。

 

 後宮には位付けがある。

 頂点は皇后で、現在は空位くうい

 皇后位の下には、四大名家の娘たちで構成される四夫人がいる。

 貴妃、淑妃、徳妃、賢妃だ。

 そのあとに中級妃、下級妃と序列が続く。

 宮女はその下に位置する『働く女性』だ。


 働く女性の呼び方は、何種類もある。

 例えば、高貴な身分の世話係は侍女、身分の低い下働きの女は下女、宮中の役職持ちは女官。 

 宮女とは、それら全部をひっくるめ、宮中で働く女性全般を指す呼び方だ。

 新米の宮女は、働きぶりや能力しだいで配属先が決まる。侍女になるかもしれないし、ずっと下女かもしれないし、女官になるかもしれないし、皇帝に見染められて妃になり上がるかもしれない。


 情報収集するなら、現場のことを知る必要がある。

 あやしい妃が誰かを潜入調査する方法としては、宮女同士の雑談から情報を獲得したり、現場で自分が見たり聞いたりした情報から推理したり、妃とお近づきになってどういう人物かを見定める方法を考えてみた。

 まずは、宮女として溶け込もう。

 

「私は今日から宮女。私は今日から宮女……」


 自分に言い聞かせていると、周りから「なあに、あの子」と囁く声が聞こえてくる。

 悪目立ち、だめ、絶対――紺紺は口をつぐんだ。

 

 埋没しよう。みんなと一緒でいよう。仲間でいよう。

 ……お友達、できるかな?

 

 同じ日に宮女になる女子たちは、ぞろぞろと身を寄せ合うようにして移動した。おそろいのお仕事着なのもあって「みんな仲間!」って感じだ。


 すごい。女の子がいっぱい。

 成人男性による紺兵隊や侍女や老師に囲まれて育った紺紺は謎の高揚感を覚えた。 


「あなた、どこ出身? あたしは萌萌モンモン。十八歳だよ。北領の商家出身よ」 

「私は西領出身の雨春ユイシュン。十六歳。私の姉さん、白徳妃ハクとくひ侍女頭じじょがしらをしているんだよ。すごいでしょー」

「わたしは小蘭シャオラン。十三……人攫いに攫われたの……」 


 すごい。みんなお話してる。

 こんな風に話すんだ。あっという間に仲良くなっちゃいそう。

 わ、私も仲良しの輪に入りたいよ……!


「あの娘、すごい美人だねえ」

「ねえ。すぐお妃様になりそう」

 

 左右から、お姉さんたちが囁く声が聞こえる。美人の下っ端宮女が妃に昇格するのは、よくあることなのだ。

 

「美人って得よねぇ」

「見て。あの髪の艶。下女に手入れさせてきたお金持ちの家のご令嬢でしょう?」

「あらー、下働きできるの?」


 嫉妬や悪意を感じる囁きだ。

 紺紺はそっと袖で顔を隠した。

  

「ねえ、あなた。そろそろ泣き止みなさいな。泣いてても現実は変わらないのよ。怒られちゃうわよ」

 

 泣いてる娘、小蘭シャオランに、周囲の娘たちが声をかけている。

 

 他人に悪意を向ける囁きで盛り上がる娘たちもいれば、心配したり思いやったりする娘たちもいるのだ――紺紺は前者の娘たちから離れて、後者の娘たちに近づいた。


「村にいるよりここの方がいいよ。あたし、いじめられてたし。ここはお仕事を探さなくても仕事があって、ご飯も服も寝るところも貰えるんでしょう?」

「病気のお母さんがいるんだよう。ひっく、ぐす、ぐす」

「年季が決まっていて、無事に年季が明ければお仕事を辞めることもできるよ」

「今すぐ帰りたいよう」 


 声を聞いてるだけで胸がズキズキと痛む。


 泣いても、どうしようもない。

 それは、みんなが共通認識として抱いている現実だ。

 

 基本的に、世の中の娘は無力だ。

「美女は財産」という言葉もあり、女性はモノ扱いだ。

 帰りたいから帰る。行きたくないから行かない。そんな自由は、ないのだ。


「あ、あ、あの。これ、あげる」 

  

 紺紺は懐からごそごそと取り出した。

 石苞が持たせてくれたお手製の桃饅頭だ。食べると笑顔になれる、美味しいおやつだ。

 本当は、大切にひとりで食べるつもりだったけど。あげる。


 サッと押し付けるように渡して、ササッと袖で顔を隠す。

 チラチラと様子を見ていると、小蘭シャオランはお礼を言ってくれた。

 

「いいの? ありがとぉ」

 

 もしかしたら、お腹もすいていたのかもしれない。

 桃饅頭を受け取り、はむっと食べた小蘭シャオランが「おいしい」と呟いたので、紺紺は嬉しくなった。


 石苞、この子、おいしいって喜んでくれたよー!

 作った本人に教えたら「よかったです」と喜んでくれるんだろうな。


 そう思って、紺紺はちょっとだけ寂しくなった。


「恥ずかしがり屋さんなの?」

「えっ」

 

 しょんぼりしていると、肩にぽんっと手が置かれた。

 お姉さんな気配。

 萌萌モンモンという十八歳の娘だ。


「お名前は?」


 名前を尋ねてくれてる!

 

「わ、私、紺紺だよ。十五歳だよ、西領から来たんだよー」 


 袖で顔を隠しながら挨拶すると、「よろしくね」と言葉が返される。

 それだけじゃない。


「よろしくね……!」

「お顔、隠したいなら、あとでお化粧教えてあげるよ」

「……!」

  

 雨春ユイシュンと名乗っていた娘が耳元に顔を寄せて、そっと教えてくれた。

 

「あのね、私の姉さんが教えてくれたんだ。後宮の宮女の中には、見染められるのが嫌でわざと地味顔の化粧をする娘も多いんだって」

「そ……そうなんだ?」

 

 よろしく、だって。

 お化粧教えてくれるんだって。

 

 そんなの、そんなの…………もうお友達だよ! 

 お友達できちゃったよ! すごい! 後宮、すごい。

 紺紺は胸を熱くした。


「そっか。そっかぁ……お友達、できるんだ。私にもお友達、作れるんだ……えへ。えへへ……」


 袖に隠した顔がニマニマと笑顔になる。


「お友達、いなかったの……?」


 年下の小蘭シャオランが可哀想な人を見るような眼になっている。

 ちょっと恥ずかしい。紺紺は頬を染めて恥じ入った。


「皆さん、私語が多いですよ。緊張感が足りません。ここはお仕事をする場所です。遊び気分は捨てなさい」


 新米宮女を教育する女官が厳しい声を響かせる。


「はい」

「はいっ」

「はぁい……!」


 新米宮女たちはみんなして返事をして、女官の後をヒヨコみたいについて行った。

 

 お友達との団体行動、なんだか楽しい。

 みんなとおんなじって感じがする。


 紺紺はお友達の名前を何度も胸の中で唱えた。


 萌萌モンモンは十八歳。北領の商家出身。お姉さんだ。

 雨春ユイシュンは十六歳。西領出身で、異母姉が白徳妃ハクとくひの侍女長。

 小蘭シャオランは十三歳。人攫いに攫われて連れてこられて、帰りたい。病気のお母さんがいる。


「……小蘭シャオランを助けられないかな?」


 助けてあげたいな――紺紺はそう思った。

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