【KAC 第2回】若者とサラリーマン

龍崎操真

本編


「ご希望されたお部屋はこちらになります」


 とあるマンションの一室の扉が開き、2名の男が入室してきた。一人はスーツを着たいかにも営業マン風の男。彼はこのマンションの管理者、つまり大家であり、普段はオフィスで株取引を行う事を仕事としている。もう一人の方はカーキ色のTシャツに紺のジーンズといったシンプルな物で、ギグケースを背負っている事からバンドマンだと認識できる。


「あの……ところで、綾瀬様?」

「なんですか?」

「本当にこのお部屋、いえでよろしいのですか?」


 おずおずと大家に呼びかけられたバンドマン、綾瀬が部屋を歩き回りながら返事をする。だが、呼びかけに答えたものの、彼の意識は大家よりも窓の外の方へ向いていた。大家はそんな綾瀬に対して、確認するようにこの部屋の立地を説明し始めた。


「このマンションは駅へのアクセスは良く、スーパーマーケットも近くてお買い物もしやすいです」

「ええ。にも関わらず家賃が破格で安い。月額1万5千円なんて破格も良いところです。何よりもそこが気に入りました」

「その家賃の安さの理由が問題なんですよ……。このマンションの部屋が家賃が軒並み安い理由はですね……」


 そう。こんなにも利便性が高い立地なのにも関わらず、月一万五千円などという投げ売りレベルな金額設定の理由。それは……。


「このマンションの向かいにあるのがヤクザ事務所なんですよ!? 正気なんですか!?」


 大家が半ば泣き叫ぶように声を上げた。同時に、ちょうど話題に上がっていたの方から怒声が響いてきた。


「おどれドコの組のモンじゃあ!!」

神泉しんせん組だオラァ!! 組長のタマもらっていくどぉ!!」


 パンパン! パリーン! ドンガラガッシャーン!

 いかにもといった抗争の音も聞こえてくる。しまいには桜の代紋でおなじみの警察が乗るパトカーが出すサイレンの音も加わる始末だ。サイレンの音が収まると同時に、大家が綾瀬に懇願を始めた。


「考え直しましょう! 今ならまだ間に合います!」

「そう言われても……」


 ちらり、と綾瀬が窓の外の方へ目をやる。どうやら、警察はついさっき始まった抗争を収めて現場げんじょうの実況見聞を始めたらしい。しかも、規制線の向こうにブルーシートの目隠しがあるのを見るに、どうやら死傷者もでたようだ。かすかに覗ける範囲から一番派手なスーツを着た男が横たわっているのから推測するに、宣言通り組長のタマは持っていかれたようだ。


「組長さん、お亡くなりなったみたいですよ?」

「フッ……甘いですね……。そんなの、台風の目みたいな物ですよ……。またすぐにどっかの新しい反社がやってくるだけです……」


 哀愁ただようような力のない微笑みで、大家はもう疲れた、と言いたげに返した。そんな大家に対して両肩に手を置いた綾瀬は、力強く今度は自分の番だと言わんばかりに力説した。


「このヤクザのせいでオレ以外、ここに入居したいって人がいないんでしょ? なら、思いっきりギターが練習できるって事じゃないですか! やっぱりここにします! 誰かに取られるのなんてすげぇもったいないから、ここに決めさせてもらいますよ!」

「綾瀬様……!」


 なんて良い若者なんだろう。大家は綾瀬の言葉に感激したように声を震わせた。半ば騙されるような形で押し付けられ、いくら家賃を下げても誰も寄り付かなかった最悪とも言える不良物件へ、ついに入居者が現れるなんて。

 今夜はすき焼きでも食べようか、とめでたい今日を彩る晩餐を思い描きつつ、大家は綾瀬の手を握った。


「分かりました! そこまで言うのなら綾瀬様にこのお部屋をお貸ししましょう! ち、賃貸契約の書類を取りに行ってきます……!」


 少し涙ぐみ、大家は書類を取りに部屋を飛び出した。やがて、大家の足音が聞こえなくなった所で綾瀬はスマートフォンを取り出し、どこかへ連絡し始めた。コール音が数回鳴った後、綾瀬は困ったように電話相手に呼びかけた。


「あー、御手洗さん? 標的マト死んじゃって警察マッポが残り全員連れてっちゃったんスけど、どうします? ええ、はい。家賃バカ安いんで……。え? 次の標的マトが近くに来るんスか? で、オレにソイツを殺れと? しかも、ジョン・ウィック並にタフ? え、マジで言ってます? 死刑宣告じゃないっスかそれ」


 その後も必死に説得を試みるが綾瀬の抵抗は虚しく一蹴された。電話が切れた後、綾瀬はギグケースを開くと中に収まった分解済みのライフルを前に頭を抱えた。

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【KAC 第2回】若者とサラリーマン 龍崎操真 @rookie1yearslater

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