~魔法少女!誕生……?~
「はぁ……はぁ……もう………なんなの……」
「副会長まじで足遅いな」
「幸村さんからしたらみんな足遅いですよね! それ!」
「当たり前だろ」
悪気を一切感じない自信に、緋織は今日何度目かの怒りを覚えた。しかし、目下気になるのは、この不思議な猫達に続き現れた少年のことだった。己を本気で殺すつもりで向けられた殺意は、今も彼女の中にぐるぐると渦巻き、フラッシュバックで手が微かに震える。
彼女達は今、簀巻き状態の少年からそれなりに離れた場所にある、暗くも広めの通路に逃げ込んだところだ。空箱などが多く放置されている通路は身を隠すのに適しており、猫達は周囲を警戒しやすく、緋織もゆっくり回復できるベストポジションだ。なんとか逃げたはいいが、緋織自体の疲れを節々と感じ、こういった路地に詳しい氷咲が、この場所に三人を案内したのだ。
疲れと身を蝕む恐怖に襲われている緋織に、氷咲は小さく耳打ちをする。
通路に置いてあった子供用のバケツを彼女の手元に置くと、猫達の方を振り返り、突如頭を鷲掴みにした。今更ただの猫ですなんて言わせねぇぞ、という圧を送りながら、今最も聞いておくべきであることを問いかけた。
「んで、お前ら一体何者なわけ?」
流石に誤魔化すことはできないと思ったのか、猫達はアイコンタクトで頷くと、氷咲達の方へと直る。
三毛猫が胸に手を当て、まるで貴族のあいさつのように、丁寧な自己紹介をする。
「先ほどは失礼しました。偏に感謝と謝罪を述べます。私はカミュエルスト第三王国の第一王子、アールグレイと言います。彼は私の側近であるシャノンです」
三毛猫、アールグレイに紹介され、シャノンも胸に手を当て軽くお辞儀をする。
「天界と人間界を守るために、私達はここ日本へやってきました。先ほど現れた少年は、『コラプション』という組織の一員です。コラプションは魔族で構成された組織で、人間界を掌握するために、今まさに天界を攻撃し続けています。私達天界の守り手である妖精は、古来より天界襲撃を企てる魔族達を跳ね除け、天界と人間界を守ってきました」
「ふーん……。で、なんでその妖精界の王子サマが地上になんか来てんだ?」
氷咲の核心を突く質問に、シャノンは軽く俯くも、アールグレイは目を逸らさずに続ける。
「……時折、私達妖精でも耐えきれないほどの戦力を持った、魔族の軍団が襲来することがあり、今まさにその状態なのです。私達王族の妖精は、人間の少女に特別な力を与えることができます。人間の少女と契約することで強力な力を与え、そして天界と人間界、世界の均衡を共に守ってきました。その為、私達は契約者を探して人間界に降りてきました」
「その……力って何ですか?」
「契約者にのみ、特別な魔法の力を与えられる能力のことです。契約者となった少女達を、私達は古くからこう称してきました。❝魔法少女❞と」
真面目な顔をしていたアールグレイの口から出た言葉に、氷咲達は思わず目を点にする。
❝魔法少女❞。確かに彼はそう言った。
さて、読者の諸君ならば魔法少女と言えば何を思い浮かべるだろう。
強くてかわいい女の子達が、色とりどりのお揃い衣装を身にまとい、魔法のステッキでおしゃれに敵を打ち倒す、かっこいい正義のヒーロー。そう、毎週何曜日かでやっているアニメに出てくる、あの魔法少女を思い浮かべるだろう。氷咲達も例に漏れず、女児達の心を掴んで離さない子供向けアニメを思い浮かべ、次第にこいつらは何をまじめに語っているのだという思考に陥った。
「だから……君達に、❝魔法少女❞になってもらいたい!」
「「は……」」
突然のことに、緋織達は開いた口が塞がらなかった。魔法少女になってくれという願い自体夢のようなことだが、言語を話し自在に飛ぶことのできる猫が言っているものだから、妙な信憑性の高さを感じてしまう。
あまりにも非現実的な話を並べ立てられ、緋織はうまく言葉を発せなかったが、氷咲はあまりにも突拍子もない返事をした。
「ふーん、別にいいけど」
「えぇ⁉ 幸村さんいいんですか⁉」
「だっておもしれぇーから」
このガバガバ判断に言葉を失いかけるが、いい加減慣れたのか緋織は何も言わなかった。
「君も、頼めないかな」
アールグレイは緋織の手に前足を添え、真剣な瞳で真っ直ぐ見つめる。
「君の力が必要なんだ、頼む……!」
「う………わ、わかりました」
「! ありがとう」
曇りのないアールグレイの瞳に見つめられた事と、頼まれたら断れない性格が相成り、緋織は魔法少女になる事を了承してしまった。
「じゃあ、契約書にサインを」
アールグレイ達が胸の前で手をかざすと、小さな光の玉が発生する。アールグレイの光の玉は緋織へ、シャノンの光の玉は氷咲の前へ移動し、それは羽根つきペンと契約書へ形を変えた。
緋織は浮遊するペンを手に取り、宙に固定されたように動かない契約書の紙面に綴られた文字をさっと流し読む。
「……魔法少女になった際の、補助とかの内容、ですかね?」
「んー? ま、変な感じしないし、いっか」
そういうと、氷咲は迷いなく署名欄にサインをした。
すると、ペンと契約書は一塊の光の玉に変化し、そこから二つに分かれ一方はシャノンの体内へ、一方は氷咲の手に近づくと、光が弾け青い杖のストラップが具現化した。氷桜の模様が施された丸い先端、大きめのリボンと先が藍染めのシルク布が巻き付いており、空色の宝石があしらわれている。
「なんだこれ」
「それは変身アイテムだな。形は人間界にあっても違和感のないものに変化するらしい」
「ふーん」
「凄い……って、あれ? 幸村さん、ちゃんと契約書の内容見ましたか?」
「ん? いや、別にそんな読んでないけど変な感じはしなかったから、そのまま署名した」
「えっ………」
まさかこんなところにまで、ガバガバ判断が発揮されるとは思っていないかった緋織は、諦めとこいつまじかという驚愕の混ざった顔で固まる。
「つーか、副会長も早く署名した方がいいぞ。いつあいつがやってくるかわかねぇんだし。特に、あたしらはばっちし顔覚えられてそうだから、寝込み襲われるかもしれねぇぞ」
「え……」
その言葉に、先ほど少年から向けられた、一切の迷いがない殺意を思い出し、背筋がゾクリと震えだす。
魔法少女の力が如何程のものかはわからないが、もし今この通りに現れた場合、対抗する術は少しでも多くあってほしいという思いが先走り、緋織は震える手で契約書に署名した。
氷咲と同じように契約書は二つの光の玉に分かれ、彼女の変身アイテムとよく似た形をした、赤い杖のストラップが緋織の手中に具現化する。フォルムは同じだが、丸い先端にはサルビアの文様が施され、全体的に色違いになっている。紅染めのシルク、二重のリボン、赤色の宝石があしらわれている。
「これで契約は完了だね。とりあえず、変身方法だけは早めに教えておくよ。まずは、変身アイテムを一回転させる。そうすると実物のサイズになるから、それを自分の前に……」
「あーーーー‼ いたあぁ………!」
アールグレイの言葉を、甲高い悪魔の声が遮る。肌を突き刺すような重い声は四人の背筋を凍らせ、心臓をきゅっと締め上げる殺気を放たる少年が、ローポニーテールを揺らしながら路地の前に立ち塞がる。
「もー! 探すの大変だったんだからね! ……あれ?」
少年は二人の手に握られた変身アイテムを見ると、あからさまに面倒くさそうな顔をした。
「えぇ~……契約されちゃったの~? なるべく早めに終わらせるつもりだったのに~」
「なるべく早めにって、こいつら殺すつもりだったのか?」
「そーだよ! 邪魔者はさっさと殺すが吉っていうしね!」
「言わねぇよ‼ ふざけたことを言うのもいい加減にしろ‼」
シャノンが唸りながら怒鳴るが、少年はどこ吹く風という顔をする。
「つーかさ、これってあたし達も殺されるパターンだったりするわけ?」
少年から目を離さぬまま立ち上がり、警戒心を露わにしながら一歩近づこうとした時、道路標識が首の前に突き出される。
「お姉さんは厄介だから、近づいてほしくないんだよねぇ~」
「……ふーん、ちゃんと学んでんじゃん」
道路標識の棒を握り締めながら、氷咲は人をなめ腐ったような笑みを浮かべる。
少年はその笑みに妙な引っ掛かりを覚え、氷咲への警戒心を高めるが、彼への意外な一撃は別の人物の手によって放たれた。
「副会長!」
「は、はい!」
氷咲が体を逸らした次の瞬間、彼女の背後から水の入ったバケツが投げ出され、少年の顔に直撃する。泥水が目や口に入ってしまったのか、少年は顔を抑えてうずくまる。
「いっっっっ……たぁ~い‼‼」
痛みと怒りで振り回された道路標識は、元来の強度とは桁違いの硬さで、レンガや建物の壁を抉っていく。道路標識だとは思えない攻撃力に戸惑いながらも、鋭い刃の隙を縫って路地から逃げ出し、氷咲の指示により通りを右に曲がる。
「ゆ、幸村さん‼ 言われた通りにしたら、すごい反撃が繰り広げられたんですが!」
先刻、少年が来たらバケツを顔に投げつけるよう指示を出され、合図とともに顔面に命中させたわけなのだが、予想外の暴れように肝っ玉が冷えてしまったようだ。
「いやー、まさかあの道路標識がレンガを豆腐みたいに削るとは流石に思ってなかったな」
「なんとか逃げ出せたが……もの凄い雄叫びが路地から聞こえてくるぞ」
先ほどまでいた路地からは、瓦礫が崩れる音と少年の怒号が響いている。
「まったく……どうしてこうもハラハラさせてくれるかな……」
「本気のやつには本気でやらねぇと意味ねぇだろ。あ、副会長、次はそこを左に曲がれ。そしたら公園が見えるから、そこ突っ切るぞ」
「い、一体どこに行こうとしてるんですか?」
「表通りだよ。そしたら人が多いだろ」
「なんで表通りなんだ?」
「さっき、あいつが簀巻き状態になったとき、“人の多いところに行かれたら困る”つってただろ? つまり、あまり多くの人間に見られるのは、後処理とか誤魔化しが面倒だからじゃねぇのかと思ったからだよ」
「お前……あんなふんわり感覚の割に頭回るんだな?」
「んだそれ、悪口か?」
氷咲に頭をもちゃもちゃされているシャノンを横目に苦笑しながら、アールグレイは公園が近づいていることに気づく。
「あった! あの公園かい?」
「ん、あぁ、あそこだ」
「いいふぁげんもむにゃ!」
公園へ入り二十メートル先の出口へ駆け抜けようとする…が、緋織の前へ金属の柱が大量に降り注ぎ、行く先を完全に塞がれてしまった。まさかと思い振り返ると、妙ににこやかな少年がそこに立っていた。
「もう、いい加減逃がさないよ~? 痛い目にもうあいたくないからね~」
その笑顔が不気味に映るほど、彼への畏怖の念がじわりと強くなる。
この公園の入り口は二つのみ。小学生が野球やサッカーのできる広い公園な為、周りは高いフェンスで囲まれており、脇から出ることはできない。つまりは、かなり危機的状況にあるということだ。
今度こそ姑息な手は通じない状況に、残された手段は一つのみと確信した氷咲は、少年に聞こえないよう小さな声でシャノンへ話しかける。
「……おい、シャノン」
「なんだ?」
「変身方法教えろ。今この状況はかなり詰んでっから、やるしかねぇだろ」
「……分かった」
「副会長もいいよな? 今この状況で生き残る術は一つしかねぇ。……覚悟はあるか?」
「……っ。……分かりました」
深く深呼吸をすると、二人は握っていた変身アイテムを胸の前にかざす。その動きに反応した少年は金属片の群れを放つが、アールグレイの植物の盾とシャノンの剣が弾き飛ばす。
二人の変身アイテムが素早く弧を描き、背丈よりも一回り大きな杖へと姿を変える。
「杖を自分の前に突け!」
シャノンの掛け声と共に杖を突く。足元から発生した青と赤のまばゆい光が二人を包み込み、巻き起こる突風は金属片を吹き飛ばし、少年の動きを封じる。
光る肌襦袢に身を包んだ二人の腰へ帯が巻き付き、緋織には砥粉色の袴、氷咲には藤色の短い裳裾が腰から延びる。
ポンッという音と共に上部の肌襦袢が弾け、レースの付いた単衣と狩衣が靡く。
光の布が足をくるみ前側が開かれると、膝上丈の足袋と分厚い黒漆の草履が現れ、布は羽ばたきながら開き袴へとなる。
二人の髪は光に包まれ、なめらかに変化していく。
緋織の髪は太ももほどに伸び、つむじから毛先へ鮮やかな赤に染まる。長いハーフアップには、一斤染の大きなリボンがあしらわれ、彼女の顔立ちをより幼くさせる。
氷咲の髪はストレートからふわふわとした髪質へ変化し、大きなアホ毛の付いた、天色と空色が混ざり合った色へと染まる。
胸の前に光が灯り、炎と雪華のストールクリップが可愛らしい音を立て具現化し、そこから二又の羽衣が編まれ肩を包む。
薄く目を開け、明度の変化した瞳をキラリと光らせる。
二対の光柱が弾け、魔法少女へと姿を変えた二人が着物を靡かせながら降り立ち、直立していた杖を手にする。
「うお、まじで変身した」
「……夢じゃ、ないですよね?」
「夢じゃないと思うぞ」
己の新しい姿が信じられないようで、まじまじと服装を眺めている緋織の頬を高くつまみあげ、ぐにぐにと左右に揺らす。
「いっ……! たいです! 何するんですか、ウィッチ・スノウ!」
「いや、お前がなんか信じらんねぇって顔してたから……ていうかウィッチ・スノウって?」
「え、あれ……そういえばどうしてこの名前が?」
「詳しいことはあとで言う! とにかくあいつと戦わ……」
初めての変身に実感が湧かず、つい敵が目前にいることを忘れていた二人をシャノンがせっつくが……スノウの後ろに回り込んだ影は、頭めがけて道路標識を振り下ろし、強い衝撃音が響く。
不意打ちに反応できなかった三人は、突然のことに言葉を失い硬直する。
少年は確実にダメージを与えたことに、歓喜と高揚感の織り交ざった邪悪な笑顔を浮かべ、勝者の目線からスノウを見下ろす。
重い衝撃が脳を揺らす。
脳は思考せず、ただ強い衝撃だけが、頭から全身へ伝わる。
反動で体が前のめりになり、重力に従いそのまま倒れ込む……
と思えたが、スノウの鋭い瞳が反射的に、少年をぎょろりと視認する。
左足を踏ん張り体制を整え、杖を素早く持ち直す。
間髪入れず少年の脇腹に丸い先端を近づけ、打撃と共に魔法を放った。
青白い光が放たれた瞬間少年の片腹は吹き飛ばされ、辺りには大きな雹が地面にめり込み、青いケチャップとモザイクのかかった何かが飛び散る。
少年は口から血を吐き出すと、悲痛な叫び声をあげながらよたよたと後ろへ下がり、ゆっくり倒れる。
「ぎっ……あっああああああああああぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁあああぁああ‼‼‼‼‼」
上擦った金切り声はスノウ達の耳を劈く。
少年は痛さのあまり目をかっ開き、大粒の涙をこぼす。青白い肌がさらに青くなり、冷や汗が体中に流れ、口からは血の混ざった唾液があふれる。
敵とはいえ、中学生ほどの子供の片腹を容赦なく吹っ飛ばした本人は、まるで不良が金属バットを構えるかのように杖を肩に掛け、清々しそうに見下ろしていた。
「はー……いってーなクソが、子供向けなんだろ? 規制しろよ」
逆光を受け黒々とした顔には、片眼を見開き薄ら笑った悪魔の如き表情が浮かべられ、右側頭部からは茶色い痣のようなものが侵食していた。それは、到底魔法少女とは思えない姿だった。
「いや! 子供向けってなんだよ‼⁉」
突然のグロテスクシーンに開いた口が塞がらなかったシャノンだったが、スノウのメタ発言に思わず突っ込みを入れてしまう。
「魔法少女って……こんな感じなんですか……?」
よく放送されている女児アニメとは、縁遠い戦闘を目の当たりにした緋織は、毛を逆立て硬直しながら、戸惑いを露わにした声色でアールグレイに問いかける。
「いや……ここまでのものだとは、聞いた覚えが僕もないね……」
場が凍り付き沈黙が流れる……。
少年は小さく唸り声を上げて蹲っている。
周囲の空気は冷めきったように肌寒く、その中に妙な邪気が混ざっていることにアールグレイが気付き、警戒心を強め唸る。
空気中に漂っていた微細な粒子が徐々に集まり、黒い靄のように目の前に浮かぶ。それらは謎の力に引き寄せられうごめき、少年の欠けた腹へと集結していく。妙な違和感を覚えたスノウは杖を構え、少年の片腹を見据える。
すると、靄によって患部が修復されるという、非現実的な再生運動を目の当たりした。内臓から骨、筋肉、皮が編むように作り直され、傷痕すらなくなっていた。
「はー? 全回復とかチートじゃん」非現実的な回復術にスノウはあからさまに不満な意を浮かべる。顔には面倒くせぇと大きく書かれていた。
少年はゆったりと立ち上がると、頭を垂れたまま屍のように黙り込み静止する…… 金具とネジが弾け飛ぶ。メキメキと錆びたフェンスが歪み、ばらけた針金がスノウへと襲い掛かった!
「やっべ!」
瞬時に空高く後ろへ飛ぶ___針金は彼女を追尾___ギラリと光る鋭い先端が腕、肩、足、手の甲を切りつけ、患部からじわじわと茶色の痣を侵食させる。空中で一回転し着地すると、後方倒立回転跳びで反動を逃がしながらバランスを整える。尚も襲い掛かる針金を薙ぎ払いながらスノウは逃げ続けるが、痣のせいか動きが鈍く、追撃を受け服に血が滲む。
蛇のように追い回すフェンスは、スノウの柔肌を次々と傷つけていく。
一瞬の油断が生まれた際には、彼女の背後に死神が訪れる……そんな緊迫感を敏感に感じ取った緋織は、上擦った叫びでスノウの名を呼ぶ。
「ウィッチ・スノウ……!」
「フレア! この針金を焼き切れ!」
「え⁉ そ、そんなどうすれば……」
「ウィッチ・フレア! これは呪文の問題じゃない、とにかくやるんだ!」
「わっわかりました!」
アールグレイの真っ直ぐな目に背中を押され、もたつく手つきで杖を地面に突く。息を吐きながら目を閉じ、頬を伝って響く鼓動に焦る心を落ち着かせ、炎を、全てを焼き切るほど大きく、激しく立ち昇る炎の柱を想像する。
チリッ……火花が散った。
その音は瞬く間に増え、耳の奥深くまで優しく響く。
バチッ!
一層激しく弾けた音に目を見開き、杖に渦巻く炎の帯を標的へ絡み付け、業火の火柱を放つ……!
激しく燃え盛る炎は触れた瞬間に針金を塵と化し、根源のフェンスまで燃やし尽くした。その間は僅か五秒。まさに業火と呼んでも差支えのない、地獄の猛火だ。
「おー、すげ。やるじゃんフレア。……フレア?」
話しかけても反応がないフレアへ顔を向けると、彼女は杖を構えたまま凍り付いていた。まるで自分で起こした火柱に驚いているかのように、間抜けな顔でぽかんとしていた。
「おい、フレア? どうした?」
シャノンが可愛らしい前足で頬をテシテシすると、慌てて我に返り、そそっかしい手の動きをしながら心境を言い表す。
「え、えっとですね、あの、まさか、あれほどの炎が出るなんて私も、思ってなくてですね、えっと要するに……もの凄く………混乱してます……」
「うん、まぁ凄くわかったよ。今の言葉で」
「って! また気が抜けてるぞ! あいつは!」
初日だからか戦闘慣れしていないからか、抜けた気を急いで締め直し少年を見ると、意外なことにその場から一歩も動かず俯いたままだった。
「……ー⋯ーー…‐‐‐……」
「ん? あいつ何か言ってね?」
「え? そうですか?」
「何か……嫌だ……とかなんとか」
「確かに言ってるな」
「お二人は耳がいいのは分かりますが、なんでウィッチ・スノウまで……?」
「あ? そんなの当たり前だ……」
「あーー! 痛かったぁー!」
ばかに明るい声が上がり、四人は瞬時に戦闘態勢に入る。
「もー! 痛いの嫌いなんだからやめてよね!」
先ほどまで血反吐を吐き悶えていたとは思えないほど、可愛らしい声色でプンプンと怒る少年。あまりの激変っぷりに、なにか裏があるのではないかと警戒するが、その様子を気にも留めずに少年は喋り続ける。
「えーっと、君がウィッチ・スノウ、君がウィッチ・フレアだったよね?」
二人を順番に指差しながら確認すると、少年は片腕を空高く突き上げ、随分と遅い自己紹介を始めた。
「もしかしたら長い付き合いになるかもしれないから、遅ればせながら! 僕はコラプションに所属するルシュトって言いまーす! これでも幹部の一人だよ~!」
「あいつが幹部の一人……!」
「まさか、人間界に来て初めて会ったのが幹部だとはね……」
「まーねー。それが僕らの仕事でもあるしー? ま、だからさ? 仲良くしてほしいな~。……いずれ死んでも」
ルシュトは不敵な笑みを浮かべ、掲げていた手を強く握りしめ肉を割き、溢れた血を辺りの金属へ飛ばす。血の触れた箇所から瞬く間に錆びていき、金属の擦り切れる音やぶつかる音、曲がり引きずり合う嫌な大合唱が奏でられる。
金属は謎の力で浮遊し、まるでルシュトの使い魔のように集結すると、掛け声とともに四人へ襲い掛かる‼
「よけろ‼」
スノウの声に駆り立てられ、四人はバラバラの方向へ散る。
金属の群れは四つ又に分かれ、その背中を我先に貫かんと速度を上げる。
シャノン達はその小さい体を駆使して群れをすり抜けるが、金属はそれでもなお追い続ける。
「シャノン! こっちだ!」
「わかった!」
アールグレイの意図を即座に読み取り、シャノンは金属を引き連れ彼の元へ向かう。またアールグレイも近づいていき、ぶつかる寸前ですれ違い、お互いの金属を激しく衝突させ打ち砕いた。
一方スノウ。慣れた動きで立ち回り、魔法で金属を凍らせ打ち砕き、作り出した氷の足場をアイススケートの要領で滑走する。
また一方フレア。思わぬ瞬発力にバランスを崩しかけるが、強く地面を蹴り伸身宙返りで空を舞い、適当な距離と体勢を取って着地する。瞬時に無数の火の玉を繰り出し、燃えカスとなった金属は風に流される。
スノウは金属を残らず始末___足場を増やし加速___ルシュトの首を狩る勢いで杖を振りかぶった____……が、杖が彼の首に当たるよりも一瞬だけ早く、体を逸らされてしまった。
スノウはからぶった反動で足場から滑り落ちるが、杖を強く突き体を宙でぐるりと回すと、後ろに飛びながら足を止める。
ルシュトはスノウへ振り返る___その後ろからは残りの金属を引き連れたアールグレイ達が迫り寄る。先程と同じ作戦で攻撃をけしかけようと、見事なコントロールでルシュトを避け、群れに襲わせるが……それらは彼の五ミリ手前で停止する。
ルシュトが左指を立てると、地面に落ちていた破片も残らず集結し、矛先をスノウ達へ向ける。
三人の危険を察知したフレアは、なんとしてでも阻止せんと炎を繰り出す。が、その動きを察していたかのように、ルシュトが薄ら笑った。
ルシュトが手首をくるりと回外___フレアの方に指を倒す。
「ウィッチ・フレア!」
大量の金属が一斉にフレアへ襲い掛かり、反応の遅れてしまった彼女は体全体を傷つけられ、錆びたようにきしむ体を抱え込み片膝をつく。
「うっ……! なにこれ、体がうまく動かない……」
「……やっぱか」
「な、何がだ?」
「あいつの能力、多分物を錆びさせるぞ。おかげでさまで、あたしもうまく動けねぇし、徐々に頭の思考が遅くなってる感じがする」
「錆……“Rust”。発音は微妙に違うが、錆を意味する名前か。魔族は己の能力に通ずる名前を所持しているから、彼の能力が錆であることは明確となったね」
相手の能力は判明したものの、自在に金属を操る彼へ近づくは難しく、フレアはあまり激しく動ける状況ではない。まだ負傷していない妖精達は戦えるものの、彼らは前線に出られない立場だ。
ルシュトは余裕の笑みを浮かべ、牽制するかのように金属の刃先を両者に向ける。もし相手を仕留めるとしたら、この一瞬にかけるしかないだろう。
肌のひりつく緊張感が走る。一瞬でも目を逸らせば、次に映るのは鮮血と晴れやかな空だろう。
下手な小細工は恐らく効かない。フレアに作戦を伝えようにも距離があり難しい。絶体絶命……そんな言葉を誰もが思い浮かべている時、スノウは深く深呼吸をした。
「フレア‼‼ あたしとお前を焼け‼‼」腹に響くような重い声。
「はっ! はい‼」その言葉に弾かれ、身を震わしながら、フレアは己とスノウを火で囲む。
「お! おい⁉」
「……そうか!」
「わわっ! 突然なにー?」
大きな火柱が両脇から立ち上り、ルシュトは思わず首を右往左往させる。もう成す術がないと思い身を焼いたのか……
動揺するルシュトの右側から、炎を搔き分け火花を散らす音がした。
反射的に振り向くと、眼前に異様な笑みを浮かべたスノウが、首を刺し切ろうと杖を突きだす。
ルシュトは先ほど味わった苦痛を思い返し、冷や汗がぶわりと浮かぶ。菱形の最先端が己の首に突きかけんところで、上半身を斜め九十度に捻り、右足で強く地面を蹴り後方に飛ぶ。
空振りになったスノウは即場に踏ん張り、ルシュトの方へ振り向こうとするが、それよりも先に彼の攻撃が準備される。
だが、スノウにばかり気を取られていたルシュトは、地面を這いながら迫り寄る炎には意識が向いていなかった。
炎は蛇のように襲い掛かり、ルシュトの残弾を全て焼き尽くし、彼の身も残さず塵に化さんと襲い掛かる。
しかし、炎の間を器用にすり抜け、ルシュトは空高く飛び四人を見下ろす。フレア達は次なる攻撃に身構えながら、魔法を発動しようとするが……この戦いに終止符が打たれる。
「やーめた! この状況じゃあどう戦っても負け戦だから、この勝負はおあずけね〜!」
なんと敵側から白旗を上げて来たのだ。突然の終戦にスノウ達は肩透かしをくらうが、ルシュトはそんな様子を気にするでもなく、調子の良い別れを告げる。
「てことだから、まったねー」
それだけいうと、ルシュトは忍びのように姿を消した。
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