~始まりはいつも突然~

 薄桃色の花びらが舞い散る季節、少し暑いくらいの陽気に包まれた生徒達は、心の底から溢れる新しい予感に浮き立つ体で踊り出していた。

雨の過ぎた空には、薄くも爽やかな青が広がっており、その中を桜が幻想的に風と回る。

 レフェリットゥ学園でも、平穏と夢が始まろうとしてい……

幸村氷咲ゆきむらひさき‼︎‼︎ 新学期早々制服を着崩すな‼︎‼︎」

 語り手のセリフを遮るほどのけたたましい声は、スピーカーを通して校門前で鳴り響いていた。このお決まりのセリフを吐いたのは、レフェリットゥ学園中等部の生徒会長、村雨紫苑むらさめしおんだった。

名前を呼ばれた背の高い少女は、今日も悪びれのない薄ら笑いを浮かべている。

「毎朝毎朝ご苦労なこってですね、生徒会長サマ? だいたい、何が悪いんです?」

 短い紫陽花青の髪をした少女は、熱帯の海のように二色が重なった瞳を紫苑へ向ける。

「〜ッ……‼︎ ……シャツの開襟はまだ良しとします。ですが、パーカー! ベストの着崩し! ゆるんだリボンのゴム! アンクルソックス! スニーカー! これだけの違反をしておいて何を開き直っているのですか‼︎⁉︎」

 入学当初から聞き慣れた音割れの怒号に、氷咲は我関せずの顔で耳を閉じている。反省の色など微塵もなければ、まるで他人事のような態度に、生徒会長は顔が真っ赤になる程怒り震えていた。

「せ、生徒会長! ご近所迷惑になりますから、一旦落ち着きましょう!」

 紫苑を宥めた人物は、垂れ目のせいかおっとりした雰囲気のある少女だ。ハーフアップを薄紅色のリボンで括っている、長い猩々緋色の髪をした、副会長の朝霧緋織あさぎりひおりだった。

「朝霧さん……確かにそうね、新学期早々心を取り乱しては駄目。んん……幸村さん、新学期早々反省文は勘弁しますが、今すぐここで制服の直しはさせてもらいますからね!」

 そう言いながら氷咲の方へ振り向くが、当の本人は悠々と校門を通り、足早に校舎へと向かっていた。

「……幸村氷咲ィィィィィィ‼︎‼︎‼︎」

「やっべ、逃げろ」腹の底からあふれ出る鬼の怒号を背に、氷咲は全速力で駆け出した。素早い彼女を捕まえられる筈のない紫苑は、憎き背中を般若の顔で睨みつける事しか出来なかった。

しばらくの沈黙の後、目の据わった紫苑はゆぅらりと緋織へ振り返る。

「……朝霧さん。確かあなた、幸村さんとクラスメイトよね?」

「え? あ、はい、そうですが……」

「お願いです。絶対、彼女の制服を正してください。下級生に示しがつきません」

 鮮やかな紫の髪を般若のように逆立てた紫苑は、緋織の肩をそっと掴み、断る隙など与えない冷ややかな声色で言った。

「は、はい……」

 断れるはずがない緋織は、面倒事を押し付けられてしまった気の重さと、指が食い込む肩の痛みを黙って感じていた。



※ ※ ※



 痛む肩を撫でながら教室に入り、緋織は窓側を見渡す。自分の席からはかけ離れた位置にある座席で、氷咲はぼうっと青空を眺めていた。生徒会に入ってからは、毎週見かける問題児としか認識していなかったが、まさか同じクラスという事でこんなことを頼まれるとは思ってもいなかったので、緋織はさらに重くなる肩を背負いながらそそくさと近づく。

「……幸村さん、ちょっと良いですか?」

「おや、これはこれは、副会長サマじゃあないですか。何か御用です?」

「その言い方はやめてください。クラスメイトなんだし、普通に名前で呼んでください」

「いやぁ〜? 副会長サマと問題児がそんな仲良くしてんのは、普通におかしいんじゃないんです?」

「そうですか? ……って、こんな話をしに来たんじゃないんです。幸村さん、制服を整えさせてください」

「は? 嫌だ」

「じゃあ、せめてパーカーとリボンだけ!」

「嫌っすね」

「も〜! 生徒会長から頼まれているんです! お願いだから直させてください!」

「嫌っすねぇ。必要性を感じないっす」

「もう〜! お願いですからぁ!」

「そんなひょいひょい面倒事を背負って…あんた断れないタイプか。大変なこって、おつかれさま〜」

 明らかに舐め腐った態度を取る氷咲に思わずムッとし、言い返そうとするもタイミング悪くチャイムが鳴り、HRが始まってしまった。

 仕方がないので一旦席に戻ろうとした時、おかしそうにニヤついている氷咲の笑顔が目に入り、時間を稼がれたのだと即座に気づく。

 今すぐにでも文句を言ってやりたかったが、既に担任が教室に到着している状況では手も足も出ず、心の中で地団駄を踏みながら席についた。


「幸村さん!」

「トイレぐらい行かせろー」


「幸村さん!」

「移動時間なくなるぞー」


「幸村さん!」

「次体育だから整える必要なーし」


「幸村さん‼︎」

「昼飯昼飯」


「いい加減にしてください! 幸村さん!」

 バン! と、手が痛みそうなほど大きな音を立て、緋織は怒りを露わにした。

「……あんたも中々しつこいな。普通なら、生徒会長以外はここまでされたら折れて帰っていくのに」

「私は頼まれた事を完遂したいだけなんです。そもそも、どうして制服を直すのが嫌なんですか?」

 もしかすると何らかの理由があり、ここまで頑なに整えないのではないかと思い、氷咲の前の席を借り目線を合わせ、真っ直ぐな瞳で問いかけた。

「あたしらしくないから」

 が、返ってきたのは余りにも簡素な答えで、緋織は机から滑り落ちかける。

「……そんな理由ですか?」

「そんなってなんだよ。統率ばかり重視してたら個性なんて潰れるだろ。あたしはそれが嫌だからしないんだよ」

「でも、統率も大事ですよ?」

「そりゃな」

「それを分かってても、嫌なんですか?」

「必要だってことはわかるけどさ、制服とか頭髪とかは大人の理想だろ。一方的に押し付けんのってどうなんだ? 小学生が大人びた絵を描くと、子どもらしくないって言って評価下げる事と一緒だよ。命の危険がない範囲で自由にやることのどこが悪いんだ?」

「それは……形式的に、とか……」

「なんで?」

「な、なんでって……」

 疑問を持つものといえばそうであるのが校則だが、それを守る事が当たり前だと考えている緋織にとっては、氷咲の言葉は変に引っかかるものがあった。言い換えれば変わり者の言い訳だが、確かに彼女の心に何かが引っかかったのだ。この引っかかりを言葉に表すことが出来なかった緋織は、氷咲の髪が嫋やかに吹かれる姿を、呆然と見つめるしかできなかった。

 二人の間に少しの沈黙が流れたが、校内放送によって打ち破られる。

『あー、あー……昼休み中失礼します。今朝の十一時ごろ、学校近くで通り魔事件が発生しました。会議の結果、今日は昼休みで下校とします。担任からの説明が終わり次第下校となりますので、一度教室に戻ってください』

 放送された内容にクラスの中はざわつき、廊下では急いで教室へ戻る生徒の足音が聞こえた。

 担任からの簡単な説明と注意喚起が終わると、緋織達は早々に荷物を纏めスクールバスに向かうが、特に言葉を交わすこともせず、二人は流れるように乗車する。どちらかと言うと、緋織が会話をする気がなかったので、氷咲も自然と話をしなかったのが正しいだろう。

 心が妙に放心している緋織は、慣れた動きで最寄りのバス停を降り、暖かい春の風を身に受けながら一つため息をつく。

すると、自分の長い髪が何かにあたったような感覚と、聞き覚えのある声が耳に入り隣を振り向くと、氷咲が迷惑そうな顔をしながら立っていた。

「……えっ⁉︎ 幸村さん、どうしてここに……」

「どうしてって、あたしの最寄りがここだからだよ」

「あ……そうだったんですね……」

 短く会話が終わると、二人は目も合わせずに歩き出した。帰り道も同じようだが、歩幅も速度も合っていない二人の姿は、側から見れば喧嘩をした友人達のように見えた。

 いつもの道がやけに長く感じるほどぎこちない空気は、二人の心の距離をさらに遠ざける。そんな重い空気を断ち切ったのは、ひゅー……という落下音だった。

「……ん? なんか落下音みたいなの聞こえないか?」

「え? 落下お……ん‼︎⁉︎」

 氷咲の言葉に歩みを止めるが、正直に言うと止まらない方がよかったという後悔を、緋織は数秒後に味わう。落下音なるものを確かめようと上を向いた瞬間、金属と骨がぶつかったような鈍い衝突音が響く。

 骨にまで響いたのか、緋織は声を出すことすらできぬ痛みと衝撃に膝から崩れ落ち、悶えながら頭を抑えうずくまる。

「……おい、お前今すげぇ音したけど大丈夫か?」

 問いかけに返答ができないほどの激痛に歯を食いしばり、頭の骨を心配しながら、緋織は恨めしそうに落ちてきたものへ目をやる。氷咲も彼女の目線の先へ振り向くと、銀の筒がレンガ道に転がっていた。

「なんだこれ」

 氷咲は銀の筒を拾い上げ、まじまじと観察する。どこか年季が入っているものの大事に磨き上げられ、見たことのない文字と、上品で繊細な猫の模様が施されていた。どこかへ売れば高値になることは、素人目でも理解できる代物だった。

「なっ……なんで…………こん、な……もの……が……ぃっつ……!」

「それ絶対たんこぶできてるパターンだから安静にしとけよ」



「………だ」



「ん? なんか言ったか?」

「…………え?」

 微かに聞こえた声に気づき当たりを見渡すが、声の主は見受けられず、寂しい通りには二人しかいなかった。



「……しか……ち……」



「やっぱなんか聞こえるぞ」

 頭を押さえながら耳を澄ませると、緋織の耳にも微かに声が聞こえた。

「………たしかに……どこからか………………上?」

「上?」

 二人揃って上を見上げると、小さな影が真っ直ぐこちらへ落ちてきているのが伺えた。

 徐々に物体の姿が認識できる距離になると、それは人語を離す猫のようだった。

「そっ……このお前ぇーーー‼︎‼︎ その筒をこっちにくれ‼︎」

「……は? なんだこいつ」

 それは切迫した表情で氷咲の握っている筒目掛けて落下してくるが、捻くれ者の性格故か反射的に腕を逸らされ、急停止のできなかった黒猫は顔面からいってしまった。

「シャノン!」

 黒猫の名を呼ぶ声に再び見上げると、今度は三毛猫が空から舞い降りる。夢かおとぎ話に出てきそうな人語を話すそれらは、カラカルのような耳、ラグドールのような胸毛をした、ふわふわと浮かぶ不思議な猫達だった。

「いっ……てぇ……おい! お前なんで避けたんだよ!」

「……」

 黒猫、シャノンは赤くなった顔を抑えながら、怒りを露わにした目を氷咲に向けるが、当の本人は一言も喋らず凝視しているだけだった。

「おい! 聞いてるの……か⁉︎」

 うんともすんとも言わない氷咲に苛立ちを覚え、シャノンは噛みつくように怒鳴るが、突如顔面を掴まれ体を宙ぶらりん状態にされてしまう。

「なんだこいつ、おもしれぇー」

「離せこの‼︎」

 シャノンは必死にもがくが、可愛らしい前足では到底氷咲の手から逃れることはできず、無駄に体力を消費しただけだった。

「君! シャノンを離してやってくれないかな。僕達には時間がないんだ」

「は? 時間がないってどうゆう……」

「あー! いた〜!」

 氷咲の言葉を高いソプラノが遮る。その声の主は、シャノン達と同じように重力を無視して舞い降りる、青白い肌と緑の混じった長い茶髪の少年だった。やけにカクカクした硬そうなトップス、アシンメトリーのズボン。顔の右側を鋭い金属の破片で隠し、左足には多色の金属棒が痛ましく突き刺さっていた。

「お、お前は……! おい! いい加減離せ!」

 シャノンはなんとか氷咲の手から逃れると、三人を庇う形で前へ出る。

「なんか、今日は色々降ってくるな」

「どうして幸村さんそんなに冷静なんですか⁉ 喋る猫に男の子が空からやって来たのに!」

「うーん……おもしれぇから別に気にしてねぇ」

「なっ……」予想外すぎてもはや予想通りの言葉に、緋織は思わず言葉を失ってしまう。

「はいはーい! 僕喋っていいかな? まぁ、許可をもらわなくても喋るんだけどさ〜。そこの、背の高いおねーさんが持ってる銀の筒を、僕にくれないかな?」

「は?」

 少年はにこやかな表情で、氷咲の持つロトゥルスを指し示す。

「渡すわけないだろう! もうお前達の好きなようにはさせないからな!」

「そうだよ。今まで散って来た仲間のためにも、君にこれを渡すことは絶対できない」

 シャノンと三毛猫は氷咲の前に立ち並び、少年との間に緊張の糸をキュッと張りつめる。警戒心を表すシャノン達を失笑するかのように歩を進め、少年はじりじりと距離を縮めていく。一瞬でも気を抜けばどちらかの首が落ちる、そんな死の香りを漂わせる緊迫した状況を、氷咲は我関せずと少年に近づいていく。

「お、おい! お前何してんだ!」

「君! よすんだ!」

 必死に止めようとする二匹を押しのけ、氷咲は少年の前で立ち止まり、可愛らしい顔立ちの彼を見下ろす。

「えー? なに? お姉さん、僕にそれをくれるの?」

 少年が一歩、近づいた瞬間……彼女の長い脚は彼の顔へと放たれる。不意の攻撃に対応できず、少年は顔を蹴り飛ばされ尻もちをつく。

「おら! 逃げんぞ!」

「「「え……ええぇえ‼︎⁉︎」」」

 突然のことに思考停止していた三人は、氷咲にせっつかれるまま脱兎の如く逃げ出した。

「な、な、なにしてるんですか! 幸村さん⁉︎」

「まじでお前何してんの⁉︎ いやこっちとしては助かってんだけどまじで何してんの⁉︎」

「いや、あいつなんか嫌な感じしたから、隙をついて逃げようと思っただけだよ」

「なんて命知らずなんだ……下手したら彼にやられていたのかもしれないんだよ」

「あの……ちょっと……」

「んなことなんねーし」

「なんだよお前のその楽観さは‼︎」

「ちょっと……待って……」

「あたしのこの性格は生まれつきだっつーの」

「どんだけ命知らずな性格なんだよ……‼」

「……ん? あの赤髪の子は?」

 三毛猫の言葉に、氷咲達は走りながら周囲を見渡すが、前を走っていたはずの緋織の姿が見受けられないことに気づく。足を止めて後ろを振り向くと……五メートルほど離れた位置で息を切らしていた。

「副会長、足おっそ」

「いや……幸村さんの……足が速すぎる………だけで……」

 なにを隠そう、氷咲は五十メートル走六秒を切る腕前を持っており、オリンピックにも出られる実力を兼ねていると名高い。

 それとは反対に、緋織は足の速さも体力も平均で、到底氷咲に追いつけないのだ。猫達に関しては、どういった仕組みかはわからないが浮遊することができるので、氷咲に追いつける分それに伴い緋織を置いて行ってしまい、現状に至る。

「おい、早くし……副会長! よけろ!」

「え?」

 突如、緋織の頭上に影がかかる。見ている地面には自分の影以外に、何か長いものを持った人の形が重なっていた。背後から放たれた殺気に悪寒を感じるも、疲れ切った今の状態では俊敏に動くことなどできず、緋織は視界の端に映る少年の狂気の笑みを見る事しかできなかった。

「危ない!」

 三毛猫の少年が叫ぶが、振りかぶられたものは彼女の頭めがけて振り下ろされる。緋織は死を覚悟し瞳を閉じた……だが、少年の動きは空中で停止した。少年の胴体や手足、車両通行止めの道路標識に巻き付いた蔦状のものは、街路樹や家の花壇から延びてきていた。

「えーなにこれー。邪魔~」

「させないよ!」

 少年は蔦を引き千切ろうとするが、三毛猫は延ばしていた前足を右に振ると大量の蔦を次々と巻き付け、あっという間に簀巻き状態にしてしまった。

「ちょちょちょ! なにこれ~‼︎」

 可愛らしくも不格好な姿に、氷咲と緋織は思わずきょとんとするが、三毛猫の掛け声で我に返る。

「ぼうっとしてないで早く! 君も逃げるんだ!」

「は、はい!」

 緋織達は再び猛然と走り出し、珍妙な姿の少年を、廃れた寂しい路地に置いていった。

「ちょっとー‼︎ 植物は専門外なのにー‼︎ 人の多い所行かれたら困るんだけどー‼︎ ねー‼︎」

 少年の負け惜しみのような声に脇目も振らず、走り続ける氷咲達の背中はどんどん小さくなっていき、終いには通りに入られ完全に四人を見失った。

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