1-3 楽園追放

 ヨコハマダンジョン。


 横浜市中区の高級住宅街・山手に突如として現れたダンジョンは、最初は邸宅一軒分ほどの広さだった。

 だがダンジョンは日ごと膨張、周囲の家どころか山一つ丸々飲み込んで、半年経つ頃には一〇平方キロメートルにも及ぶ巨大ダンジョンに成長した。


 調査のためダンジョンに入った自衛隊員は、頭痛、発熱、寒気、貧血……全員が、これまで経験した事ないほどの体調不良に見舞われた。

 この現象はダンジョン病と名付けられ、ウィルス対策用防護スーツを着込んでも、防ぐことができなかった。

 これではダンジョン内調査も満足に行えず、日本政府はダンジョン周辺住民の避難対応に追われるだけとなってしまった。


 そんな中、十代の自衛隊員に、ダンジョン病が発症しない事例が確認された。

 検証の結果、ダンジョン病に耐性を持つ可能性がある人間は十九歳以下に限られ、十代の約半数が発症しない事が分かった。

 更に、ダンジョン内には魔素まそと呼ばれる未知の素粒子が充満している事が分かり、これがダンジョン病の原因となっている事も判明した。

 つまりダンジョンは、十代の選ばれし若者のみに門戸を開く、魔石のゴールドラッシュ。

 オヤジが俺に、ダンジョンで稼いで来いって言うのも至極当然なわけだ。


 ヤクザ組長の眼力にビビりつつも、俺は震える声を絞り出す。


「でも……ダンジョン内って、危険な魔物がうろうろしてるんですよ? 俺みたいなヒキコモリが行っても、すぐ殺されちゃいますよ」

拳銃チャカは、使えないんだったな」

「はい」


 十代の自衛隊員のみで構成されたチームでダンジョンを探索すると、中には多種多様な魔物が徘徊している事が分かった。

 魔物は侵入者を見るや否や、問答無用で襲いかかってくる。

 応戦する自衛隊だったが、銃火器は一切使用できなくなっていた。魔素が満ちたダンジョン内では、どういうわけか火薬の化学反応が起きないのだ。

 そのためダンジョン内で使用できる武器は刀剣や鈍器、ボウガンやスリングショットといった、火薬を使わない装備に限定された。


「だが、耐性を持つ者がダンジョンに入れば、スキルが使えると聞くぞ?」

「そうですけど……どんなスキルを獲得するかは完全に運で、外れスキルだった場合、その場でDストリーマを諦めてしまう人もいるくらいなんですよ」


 ダンジョン耐性を持つ者が初めてダンジョンに入ると、自動でスキルを獲得する。

 それが<火球ファイアボール>であれば、火薬の使えないダンジョンでも火球を飛ばして攻撃できたり、<身体強化エンハンスドボディ>であれば、身体能力が劇的に強化され、とんでもパワーで戦えたりする。


 こういった戦闘系スキルなら魔物討伐に役立つだろうが、中には<食欲旺盛イノーマス・アペタイト>のような、何の役に立つかも分からない外れスキルを掴まされる事もある。


 どんなスキルを獲得するか――それにより、ダンジョン探索の方針は大きく左右される。


「どのみちお前のようなガキが手っ取り早く稼ぐには、ダンジョン以外に道はない。とっとと行って、スキルもらってこい」

「そ、その前に……ひとつ、いいですか?」

「ああ?」


 極道の魔眼に身を硬直させるも、俺は震える指先で借用書を指し示した。


「俺はまだ未成年でガキなんだから、そんな借用書、日本の法律的にあり得ない。百歩譲って俺が作った借金だとしても、未成年は債務者にはならず、返済義務は親が負う。つまりオヤジは、自分で自分に借金してるって事になる」

「ほう……お前、自分の借金を、親の儂になすりつけようってえのか?」

「詐欺紛いの手法で、息子を借金地獄に堕とそうとする親なんて、親と思えるわけないだろ!」

「ふん……まぁ義理とはいえ息子は息子。儂とて息子から、金を巻き上げるのは忍びない」


 オヤジは立ち上がると、借用書をビリビリに破いて捨てた。

 驚く俺の前で、極道は悪魔のような笑みを浮かべる。


「お前の言う通り、この借用書には何の効力もない」

「オヤジ……」


 もしかして、オヤジ。

 ヒキコモリの俺を心配して、嘘の借金で俺を外に出させようと――!?


「なぜならお前の借金は債権化され、新たな貸主に売却されているからだ」

「は?」


 何を言ってるか理解する前に、突然ドカドカと、三人のガラの悪い男女が部屋に入ってきた。

 競うように俺のパソコンやテレビ、ゲームや家具などに、『差し押さえ』と書かれた赤紙を張りまくる。


「なっ……なんなんだよこいつら!? 債権って、どういう事だよオヤジ‼」

「儂も人の子。家族に追い込みかけるような真似はしたくない。そこで、お前から借金を返してもらう権利――債権を発行し、三つの裏組織にそれぞれ五千万ずつ売った。マネーロンダリングならぬ、借金ロンダリングというわけだ」

「はあああっ!?」

「裏社会の借金に、表の理屈なぞ通用しない。紹介しよう。本牧のストリートギャング『スヌープチック』、中華街のチャイニーズマフィア『蛇尾ジャビィ』、そして、儂ら猪高組とも因縁深い、野毛『園崎組』の――取り立て屋の皆さんだ」


 部屋の私物にあらかた赤紙が貼り付くと、ストリートギャング風の金髪お姉さんが、拳銃の切っ先を俺の顎に突き立てた。


「坊や、財布出しな。今すぐだ」

「ひっ、ひいいいいっ!」


 慌てて尻ポケットから財布を取り出すと、中国人のオッサンが、少林寺拳法のような素早い動きでひったくっていく。


「何すんだてめえ!」

「早いもの勝ちアルよ。取れる時に取っとかないと、この坊主いつおっ死んじまってもおかしくないアルね」


 財布を奪い合う二人をよそに、さらっと真剣を抜く園崎組の若い衆。


「まぁ待て。こやつがダンジョンで稼ぐのであれば、幾ばくかの準備金も必要というもの。無論、臆病風に吹かれて逃げ出すようであれば……マジックテープの財布より、腹を斬って臓器を売った方が実入りが良い……」

「それもそうね。この部屋にあるモノだけじゃ、一週間分の利息にもならないし」

「元気にダンジョン行くアルか? ボコボコにされてから行くアホか?」


 オヤジは部屋を出て行った。「餞別だ」と、一本の短刀ドスを残して。


「ダンジョン、行くのかよテメー!?」

 拳銃と、

「ダンジョン、行くアルか?」

 拳法と、

「ダンジョン、行って戴きます」

 日本刀で。


 三人の取り立て屋に鬼詰めされた俺は、「いきますいきますいきますぅぅ!」とハイテンションなキツツキみたいに、小刻みなヘッドバンキングを繰り返した。

 

 こうして四畳半の楽園を追われた俺は、夏の陽ざしの中、とぼとぼダンジョンへ歩いて行く羽目となった。


 部屋着ジャージ上下のまんま、オヤジ餞別のドスだけ持って。

 ドスだけ持って、これからどーすんの俺!


 やかましいわ。

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