第8話 督郵崔廉

 安熹県は小さな城と県衙があり、そこそこの大きさの街があり、郊外は田園地帯というよくある平凡な県だった。

 劉備は県尉。彼が仕事をするための建物もあった。

 長屋のような建物。尉の執務室があり、部下が待機する部屋があり、武術訓練をするための庭もあった。

 五十人ほどの部下がいる。元義勇兵の三十人を加えて、八十人が劉備の手下。


 劉備は県令の指揮下に入ることになる。

「しっかりやってくれよ、劉備とやら」と県令は言った。

 足を机の上に乗せている。いばりくさった仕草だった。赤ら顔で、職務中に酒を飲んでいた。

 劉備は不快になったが、上司には逆らえない。

「はい」とだけ答えた。


 前任者から引き継ぎを受けた。

「ここは平和な街だったが、だんだんと治安が悪くなってきた。世の中の流れだな。国中が乱れている。黄巾の残党が山賊になったりしている」

「しっかりと県を守ります」

「街だけ守っていればいい。郊外まで完全に守るのは不可能だ。県令もそこまでは求めない」

「県令様は酒浸りですね」

「まともな役人が減った。これも世の流れだ。いたしかたない」

 劉備は内心で反発したが、黙っていた。前任者に文句を言っても始まらない。

 おれはしっかり仕事をしよう、と心の中で誓った。


 彼は県の役人に、元義勇兵たちに給料を出してくれるよう頼んだ。

「無理ですよ。そんな予算はありません」

「頼むよ。しっかりと仕事をさせるから。県の治安を向上させてみせる」

「ない袖は振れません」

「兄貴が真面目に仕事をさせると言っているのに、けんもほろろに断りやがって!」

 張飛が怒鳴った。

「私には県尉様の予算を増やす権限はないんですよ。県令様に頼んでください」


 劉備は県令と交渉した。

「そんな金はねえ。仕事はそこそこでいいから、いまの予算でやりくりしろ」

 予想どおりの返答で、がっかりした。

 

 劉備は自分の給料で、三十人分の食べ物を買った。粗末なものしか手に入らないが、仕方がない。

 彼を慕う元義勇兵たちは文句を言わなかった。

 そして、県の治安のために一生懸命働いた。県内を巡察し、盗賊などがいたら、勇敢に戦い、逮捕した。

 関羽と張飛の働きはすさまじく、山賊をふたりだけで蹴散らした。

 安熹県はみるみるうちに治安のよいところになっていった。山賊は別の県へ逃げていった。


 各地の長老たちが劉備に会うため、県尉の役場へやってきた。

「県尉様、あなたのおかげで、村が賊に襲われることがなくなりました。ありがとうございます」

「おれは当然のことをしているだけだよ。礼を言われるようなことはしていない」

「あなた様のような素晴らしい尉は初めてです。お名前を教えていただけませんか」

「劉備玄徳」

「劉備様、困ったことがあれば、なんでも言ってください」

「実は、三十人分の給料が足りないんだ。おれが食わせてやっている。そのせいで真面目に働いても、金が少しも貯まらない」

「その給料は、長老会から出します」

 長老たちは、劉備に補助金を渡すことにした。


 半年ほど働いた後、郡衙から崔廉という名の督郵がやってきた。

 督郵とは、県の役人の仕事ぶりを調べる監察官である。

 崔廉は、劉備の働きにけちをつけた。


「県尉さんよ、仕事がなっちゃいねえ」

 劉備はどうして文句を言われているのかわからない。

「おれは真面目に働いていますよ」

「いや、おまえはだめだ。太守様に無能だと報告する。その上、長老たちから金をむしっている悪人だと言わなきゃならねえ」

「長老からもらっているお金は、部下の給料です」

「私的に部下を養っている。見過ごせない」

「私的ではありません。県の治安をよくするために働いています」


 崔廉は、劉備をじろりと見た。手の袖を広げてみせた。

 それでようやく劉備にも、袖の下を要求されているのだとわかった。

 かっとなった。こんな汚れた役人たちがいるから、国が乱れているのだ。

 腐った督郵に賄賂なんて、死んでも払いたくない。


「関羽、張飛、この汚濁督郵を縛りあげろ!」

 劉備は激昂した。ふだんは穏やかだが、怒るとすさまじい声を出す。

 義弟たちは、たちまち崔廉を縄できつく縛った。


 劉備は杖を振りあげ、勢いよく督郵の背中を叩いた。

「痛い! 貴様、わしにこんなことをして、ただで済むと思っているのか」

「思ってねえよ! どうとでもなれだ。とにかく、おまえは許さない!」

 崔廉を二百回叩いた。気絶した。

 劉備は、督郵の首に県尉の印綬をかけた。もう尉としては働けない。


「兄者、私もこいつを懲らしめたのは正しいと思いますが、これからどうします?」

「逃げる。元義勇兵たちに声をかけてくれ。とにかくいったんみんなで逃げる」

 張飛が待機室へ走り、「いますぐここから出る。劉備兄貴と一緒に行きたい者はついて来い」と叫んだ。

 こうして、劉備はお尋ね者になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る