第3話 張飛益徳

 盧植が洛陽へ行き、劉備はまた筵織りと販売の日々に戻った。

 母がつくる筵は座り心地がよいと評判で、よく売れた。

 劉備作の筵は、ざらざらしていて、廉価でしか売れなかった。


「筵はいらんかね。高価だけれど高級な品、低級だから安い品、二種類あるよ~」

 涿県の中心街で、劉備はそう声を張りあげた。

 ある日、彼を見つめる若く美しい女性がいるのに気づいた。艶やかな黒髪を長く伸ばしている。


「お嬢さん、筵はいらないか?」

「ほしいけれど、お金がないんです」

「そうか。無料であげたいが、あなたにだけあげると、他の人からお金を取りにくくなる。ごめんよ」

「いいんです。気を使わせてしまってごめんなさい」

 女性はぺこりと頭を下げて、立ち去った。

「可愛い人だ……」

 劉備は彼女を好きになった。


 次の日、その女性が不思議な子どもを連れてやってきた。

 顔は幼いが、背は高い。八尺ほどもある。

「おいらの名は張飛益徳。あんたの護衛をするから、筵をくれよ」

 劉備は笑った。

「あはははは。あいにくと、おれには護衛なんて必要ないよ。貧乏だし、泥棒に狙われるとは思えない」

「勝手にやらせてもらう。役に立ったら、筵をくれ」

「じゃあ、勝手にしなよ。簡単には筵はやらないぞ」


「すみません。弟が商売の邪魔をしちゃって」

「かまわないよ。別に邪魔になんてならない」

「あの、わたしは張蝶と言います。お名前を教えていただけますか」

「劉備玄徳」

「劉備様、弟が邪魔になったら、追い払ってくださいね」

 張蝶は、またぺこりと頭を下げ、去っていった。


「姉ちゃん、きれいだろ」

「ああ、きれいだ」

 劉備はなんの照れもなく、素直に言った。

 それを聞いて、張飛はうれしくなった。


 張飛益徳は、幽州涿郡生まれ。劉備より六歳年下である。

 貧しい農家の息子だったが、力が並はずれて強く、子どもながらすでに豪傑の気配があった。


「張飛ちゃん」

「なんだよ、劉備兄貴」

 ふたりは初対面からなんとなく他人の気がせず、すぐにそう呼び合った。

「おれは張蝶さんが好きだ」

「姉ちゃんはモテるんだ。若い男はみんな、夢中になるのさ」

「そうか。恋敵は多いな」

「へへっ、そうさ」

 張飛は左手の人さし指で、鼻の下をこすった。


 その日、筵はあまり売れなかった。

「立ち疲れたな。座ろう」

 劉備は自分と張飛、ふたり分の筵を地面に敷いた。

「おいらは別に疲れてないよ」

「いいから座れよ」

 張飛は座った。とても座り心地のよい筵だった。


 夕方になって、劉備はそのふたつの筵を張飛に渡した。

「やるよ」

「えっ、そんな、いいよ。今日は護衛も不要な平和な日だったし」

「使ってしまったから、もう売り物にならない。張飛ちゃんがいらないなら、これは捨てる」

 張飛は目に涙をためて、劉備を見た。

 少年の心に、劉備のやさしさが沁みた。

「兄貴、ありがとう!」


 次の日からも、張飛は劉備の護衛の真似事をした。

 劉備はもう筵を敷かなかったが、張飛は喜々としてそばにいた。

 張蝶がときどきやってきて、ぺこりと頭を下げた。


「張飛ちゃんは読み書きはできるか?」

「そんなもの、できるはずないじゃんか」

「教えてやろう」

「えっ、いいよ。農民には必要ない」

「おれの見立てでは、張飛ちゃんは立派な武将になる。敵味方との連絡のために、手紙を読んだり書いたりすることが必要になるはずだ。勉強しろ」


 劉備は木の枝で地面に字を書いた。

 張飛。

「これがおまえの名前だ」

 劉備。

「おれの名だ」

 張飛も木の枝で真似をして書いた。下手な字だが、字は字だった。

「劉備兄貴、ありがとう」

「礼などいらん。おれとおまえの仲じゃないか」

 感激屋の張飛は、また泣いた。


「おいらがもし武将になったら、兄貴に仕えるよ」

「やめておけ。実はおれにも心に秘めた大望があるが、張飛ちゃんなら、皇帝にだって仕えることができるだろう。おれなんかにはもったいない」

「天下に兄貴ほどの人はいないよ」

 張飛はすでに、一生を劉備に捧げる覚悟をしていた。


 後日、劉備は張蝶に愛の告白をした。

「ごめんなさい。わたし、結婚の約束をしている人がいるんです」

 劉備はかなり落胆したが、笑顔を保った。

「そうか。あなたのしあわせを祈っているよ」


 さらに後日、劉備はふられたことを張飛に話した。

「姉ちゃん、富農の息子に嫁ぐんだ。うちは援助をしてもらえて、暮らしが楽になる。でも貧乏でいいから、劉備兄貴と結婚してほしかったな」

「人にはそれぞれ運命がある。張蝶さんとおれには縁がなかった。それだけのことだ」

 おいらと兄貴には絶対に縁がある、と張飛は思った。

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