第4話
アザレアは、俺と、友達になってくれるらしい。
友達なのか、家族なのか、実態はよくわからないけれど、とりあえず親密な関係性であることには変わりはない。
こんな俺でも、貴族令嬢とお近づきになるなんてことが、許されるんだ。
意外と、俺って、すごいんじゃないか。
なんて誇大妄想に耽っていると、小石に躓いて、転びそうになった。
誰からも相手にされない俺だけど、アザレアとその家族だけは、俺の方を向いてくれた。
治ってない傷も手当てしてくれて、膿んで痛む傷口に、絆創膏を貼ってくれた。
いつも空腹で五月蝿く鳴く腹が、一杯に満たされて
寝る場所は橋の下の喧騒が聞こえない。
いようと思えば一日中雨風しのげる家のなかにいることができて、俺はあんなに可愛い女の子と一緒に過ごせる。
本当に夢みたいな話だ。
思えば俺はずっと一人だった。孤高なんて良いものじゃない。誰かに嘲笑され、見下され、負け犬そのものの人生だ。
守ってくれる人間も、頼れる人間もいないから、人間らしい感情も、失っていたのかもしれない。
でも俺は守られて良いし、安心して良い。
ここは貧民街じゃない。
もしかしたら、俺にも全うな未来があるのかもしれない。職業について、家庭をもったりすることがあるのかもしれない。
結婚は、アザレアとしたいなあ。
まあ、絶対無理だろうけど。
そんなことを思いながら、歩いていた。
「……」
この子は、私に対して下心があって、明らかに好意がある。
ちょっと優しくしたからって靡くのは、あまりにもチョロい。というのがわたしの本音だ。
それだけ愛に飢えているということなのかしら。
傷だらけの手足、腹部、拷問を受けたかのような背中のケロイド、本当に無惨な人生を送ってきたみたいで、辟易とする。
壊れた心のまま、大人になったら、どんな悲惨な人生が彼を待っているのだろう。
想像しただけで、身が震える。
「なあ、アザレア、セックスしようぜ。」
「…何を言っているの?」
「お前は美人で、優しいから、俺のこと、受け止めてくれるかなって」
「性交が、そのような意味を、あなたにとって与えるということね。興味深いわ。」
「ていうか、もう、止まらねえんだ。」
「今は街の中よ。慎みなさい。」
「へへっ」
どう考えても頭がおかしい。
わたしは身の危険を感じて、一刻も早くこの場所を立ち去り、親のもとへ庇護されたいと思った。
「アザレアは、セックスってしたことあるか?」
「いいえ。わたしはまだ15歳よ。」
「俺はな、男に犯されたことあるんだよ。奴隷だった頃に、3人ぐらいの男に輪姦されてたことがある。」
「女とはヤッたことないから、ヤッてみてえんだ。」
「…」
どう反応すればいいかわからない。
この子の顔は、良く見れば整ってる方かもしれない。カッコいいか可愛いかで言えば、可愛い方かな。
こんな子に、乱暴する人間がいたなんて許せない。
人としての矜持に欠ける。
でもそれがきっとこの世界の人間の大多数らしい。
本当に世界は狂っていて、腐っている。
わたしはため息をつくと、
彼に
「わたしと性交したいなら、わたしを惚れさせてみなさい。そうしたら、考えてあげてもいいわ。」
と、言ってしまった。
自分でも意味がわからない。
「本当か。言ったな。」
と、心はにやりと笑った。
「心」って名前は、本当にふさわしいのかな。
わたしは思った。
でも、わたしはこの子に心を取り戻してほしいと思ったのだけど、心の定義がない以上、この子に心を取り戻してほしいなんてのは、私のエゴなのかもしれない。
結局、わからないことばかり。この子の真意も、私の気持ちも、何もわからない。
「とりあえず、今日はあなたの服を買いに来たのよ。今着てるゴミみたいな服は、早く捨てましょう。」
「服ね、上等なやつじゃなくていいよ。適当に選んでくれ。どうせ汚すだろうから。」
この子はやっぱり、ちゃんと仕立て上げれば、それなりに見れる。可愛い顔をしている。
少しだけ、心臓がドキドキとする。
今日は服を買ったあとには、お風呂にこの子を入れる予定だ。
傷口やケロイドは、彼の生きてきた印で、わたしはそこに、人としての「強さ」を感じる。
なんとなく、辿った経緯に同情する以外にも、尊敬に似た感情が、わたしの中に充満していることに気がついた。
そう比べると、わたしは弱い。理想しかしらない、弱い人間だ。
彼から学べることはたくさんあるかもしれない。
そんなことを思いながら、黒いセーターを2つ、茶色のセーターを1つ、コートを1着、下着を何着か、下に履くものを3つほど、その他諸々、購入した。
とりあえず冬の間は、服には困らないだろう。このようなことは本来、国などが行うべきなのではないのだろうか。
なぜ、わたしが自分の時間を割いてまで、彼に尽くしているのだろう。
まあ、パパからの命である以上、仕方のないことなのだけど。
奴隷。わたしたち家族に、直接雇用している奴隷はいない。
皆に適切な賃金を払い、サービスを受けている。
そのことが、とても誇らしいことに思えた。
「なあアザレア、ほんとにこの服、もらっていいのか?」
「ええ。あなたのために買ったのよ。」
「…ありがとう。これで今年の冬は寒い思いをしなくて済みそうだ。」
「それならよかったわ。大切に着て頂戴。」
わたしは貧しきものに施しを与えて、謎の優越感に似た感情を抱いていた。恐らく、脳内物質であるドーパミンが分泌されているのだろう。
自分の反応を静観し、自分の動物性に嫌気が差しながら、そのことを悟られないように振る舞う。
本当に人間とは下らない。
こんな安物の服で喜ぶ人間がいるなんて、考えられない。
縫製は適当だし、服としての形は保っているけれど、見る人が見れば、まあどこにでもある商店の服なのだけど。
ようやくこの子も、この時代の文化や資本に触れることが出来た。あるいは私たちがチャンスを与えた、ということになるのかしら。
まあ、深い意味はないかもしれない。
起こるべきことが起きただけ。
そう捉える方が、大脳を使わずに済む。
わたしのやっていることは、大したことではない。端から見たら、どう思われるかなんてどうでも良い。
そう考えている方が、善人ぶっているようで、心地がよい。
「今日はこのまま帰るのか?」
「ええ。特に用もないから。」
「そうか。」
アザレアは、なんだかんだ言ってるけど、いいやつだと、俺は思う。
こんな奴に、服まで買ってくれるんだ。
俺の汚く、穢れた身体。汚された身体で彼女のことを汚してみたい。
俺に、そんな感情が渦巻いている。
もっと俺を軽蔑してくれ。俺は汚い存在なんだ。お前に言えないことはまだたくさんある。
なあ、アザレア。俺はお前に許されたい。
受け入れられたいだけなんだ。
なあ。
アザレアの庭 @october0821
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