第3話

奇跡は起きたんだ。


俺はアザレアの家にいて、アザレアと喋っている。


そしてアザレアは俺に、ココロ?心っていう名前をつけてくれた。


心が何なのかは、よくわからないけれど。


俺の名前は、ロベルトでも、ジャンでもなく、ココロ。


俺の名前は、ココロ。


俺の名前は、ココロ。


心が、俺の名前?


こんな、俺の名前が、心?


そんな綺麗な言葉が、自分には似合わないようか気がして、何だか慣れない。


「ねえ、聴いてるの?」


「えあっ?」


「心は、どうするつもり?」


「え?」


「今後、わたしたちのもとで生活するとして、何をするの?」


「うーん。手伝いでもしようか?この家バトラーとか警備員とかいるだろ?適当に仕事くれよ。」


「残念だけど足りているし、児童労働は原則、禁じられているわ。」


「そっか。」


「学ぶのはどうかしら。この世界の成り立ちや、人文学、自然科学、科学技術について興味は無いかしら。」


「難しそうだな。俺はたぶんあんまり頭は良くないぞ。」


「そう。それは残念。とても面白いのに。」


「やっぱり俺に、こんな煌びやかな世界は似合わない。裏社会で、野良犬みたいに生きるのが性に合ってるよ。」


「また、お互い大人になったら、会おうぜ。アザレアからもらったココロって名前で、俺は生きるからさ。」


「そう…あなたがそう決めたのなら、何も言うことはないわ。」


「大人になれるのか、わからないけどな。」


そうか、大人になるまでこの子は生きられないかもしれないんだ。

「ごめん、やっぱりあなたのことが心配だわ。」


「出ていこうとするなら止める。」


「…そうか。」


「俺なんて、生きてる価値ないから、どうなったっていいんだけどな。」


「そんなこと言わないで。」


「だって、親もいなければ友達もいないんだぜ。誰も悲しまない。」


「アザレアだって、こんなストーカーみたいなことしてた泥棒が死んだって、何とも思わないだろ?」


一瞬、彼の言っていることがとてもよく理解できてしまった。

そう、その通り。彼は今のところ、人格としては荒廃としている。

わたしはこの、荒廃した人格を持った少年に、どう接していいかわからない。


「…っ」


「ほらな。やっぱり俺は死んだ方が良いんだ。」


「生き急いで、好きなように生きて、適当に死ぬとするよ。」


「心、待って。」


「あなたは、一人じゃないのよ。」


「俺は、一人だよ。」


「一人じゃない」


「一人だ」


「違う」


「良いんだ。いつもこうだったんだ。」


「人は、一人では生きていけない。」


「それは嘘だ。俺は生きてきた。」


そうだ、これが俺の生き方なんだ。這いつくばって、底辺で、感情を忘れて生きていた。それが俺なんだ。


「でも、もう一人じゃなくていいはずよ。」


「……」


「アザレアは、俺のこと好きか?」


「え…」


「アザレアが、俺のこと好きでいてくれるなら、ここにいてもいいかなって。」


「好きとかじゃないわ。家族愛みたいな、そんなものよ。」


「家族愛…?」


「あなたにだって、いたはずよ。家族。」


「家族愛なんてもの、俺にはないね。」


「そんなこと言わないで」


「お前にはわからねえよ。俺はたった50リンで売られたんだ。奴隷市場でな。」


「そんな…」


「世の中、金なんだよ。お前だってそう思うだろ?」


「お金は大切よ。でも、自分の心の方が大切。」

「あなたのことは、まだわからないわ。」

「でも、家族とすれば、わかりあえるかもしれない。人と付き合う、向き合うってこういうことって、わたしも学べるかもしれない。」


「今、付き合うって言ったか?」


「そういう意味じゃないわ。」


「あなたのことは、捨てられた犬とか、そういうものを観るのに近いわ。同情心を煽って、庇護欲を掻き立てるの。」

「そんなにぼろぼろの服を着て、きっと何日も食べていないような体つきでいるもの。放っておけない。これがあなたに対するわたしの思いで、わたしがあなたに優しくする理由よ。だからー。」


「だから?」


「勘違いしないで頂戴。」


「ほーん、中身は差別意識で満載の、傲慢なお嬢様ってとこか。つまんねーな。」


「なんですって。」


「ま、こんな俺には、似合わないよなあ。アザレアみたいな令嬢とは。」


「身の程を弁えてくれて、ありがとう。」

「あなたとわたしが結ばれることは無いわ。」


「そうだよな、そうなんだよな。わかってるよ。それくらい。」


「でも」


「でも?」


「何度も言うけれど、あなたに情が無いわけではないわ。」


「気が済むまで、ここにいればいい。わたしたちはそれを許すわ。」


「…ありがとう。」


「恋人にはならないけれど、友人になら、なれるかもしれない。正反対の私たちだから。」


「…………………」

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