第2話


私は、篤志家の元に生まれた。

一人娘で、それは大切に育てられた。


この世の様々な教養を身につけるようにと言われ、色んなことを学習した。


そして、わたしたちの世界は腐りきっていることがわかった。


こんな世界に、わたしは恐らく支配者側に所属している。


その事実を重く受け止めた私は、少しでもこの世界に生きる人々のために、貢献したい。


そう思ってはいたけれど


まさか自分に一方的な好意のようなものを抱き、つきまとう人間にまで、心の底から優しくできるかと問われたら、わたしはどうだろう。


わたしは父親や母親ほどできた人間ではない。


この環境に甘んじて、努力することを怠って、自分だけの平和な世界に閉じ籠っていたい。そんなことを思うこともある。


わたしは、教養だけを詰め込んだ、弱い人間なのだと、心のどこかで思っている。


「…アザレア?」


「何?」


「なんか思い詰めた顔してたから気になって…」


「そうかしら」


正直言って、私と似た年齢のこの子はあまり信用はできない。

素行が悪く、街では泥棒扱い。おまけに友達もいない。

でもわたしと同じ人間なのに、こうも辿った道が違うと、同情もしたくなる。


あのあと、彼はとても空腹だったようで、ママの作った料理をあっという間に平らげると、そのままお風呂にも入らず寝てしまった。


奴隷、泥棒、牢獄、貧困、孤独。どれもわたしには縁のないキーワードだけど、この子はそれらの要素がある。


本当にこの世界は腐っている。

この腐った世界に少しでも、自分が力になれるなら、今できることは、この子に人として接することだと思った。


少なくとも、それが今の自分にとって、無理のない選択肢。


この子は、優しくされることに飢えているということはわかっている。


人間の、人間らしい暮らしにも、憧れているのかな。


どうなのだろう。


「なあ、おれ、人と話すの久しぶりでさ」


「おれって、変じゃないかな」


「どういうことかしら。」


「俺は、まともな人間じゃないからさ、こんなところにいるのが場違いなんじゃないかなって」


「だとしたら、どうするつもりなの?」


「昨日の出来事は夢みたいだったよ。暖かい部屋で、人と飯を食って、ベッドで寝て…」


「でも、俺には似合わない。」


「俺は最低な人間だからさ、それにふさわしい生活をするべきなんだ。」


「あなた、何を言っているの?」


「つまり、ここを出ていこうと思うよ。ありがとう。こんな俺にも優しくしてくれて。このことは多分、一生忘れない。」


「…本気で言ってるなら止めないわ。でも、あなたにも幸せになる権利はあると思うわ。」


「孤独な日々を続けて、そのまま盗みを重ねる日々を続けて、空虚なまま大人になって、あなたは本当にそれが自分の望んでいる姿なの?」


「優しくされたときの涙は、なんだったのかしら。」


「誰も俺の気持ちなんて分かるわけがないんだ。」


「そんなことないわ。いつでもいいから私は聴く。」


「まず、あなたに名前をつけてあげる。わたしからの祈りが入っているわ。自分の心を大切にして欲しいから、あなたの名前は、今日から心。とてもお洒落な、日本語風の名前ね。」


「俺の名前は、心?」


「心って不思議よね。どこにあるかもわからないけど、誰しもがあると思っている。私にも、あなたにも等分にあるものよ。」


「俺に名前なんて…良いんだよ。俺は捨てられたんだ。」


「そう。じゃあ、わたしが勝手に呼ぶわ。」


あなたの心は、私で守れるのかしら。

心の壊れたあの子に、何ができるかしら。


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