アザレアの庭

@october0821

第1話

この薄汚れた街で、腹を空かしながら観る景色は、とてもぼんやりとしていて、何だか気だるい。


とてもじゃないが、飲む気がしない色の水を飲んで、目を覚ます。


ここは貧民窟。カルデアの街の下層貧民が集まって暮らしている。


基本的には、盗みで生計を立てている。

姑息な手段を使って、何とか生き延びている。


俺には、家族はおろか友達もいない。人と群れることは、色んなリスクが伴う。

親はそもそも俺を二束三文で売ったし、信頼していた友人からは見捨てられた。


誰かを信用したり、情で繋がったりすることは、ずっと昔に諦めている。


自分がまるで獣のように感じる。

生きるためだけの行動、腹を満たすためだけに盗み、疲れれば休む。

もう人間であることは、とうに辞めてしまっていたのかもしれない。


でももう俺には、この生き方しか残されていない。


正直言ってどうなったっていい。

自分の命すら容易い。


だから、あることをしようと思った。


ある日、こんな俺に、優しくしてくれる女の子がいた。

名前はアザレア。貴族の娘らしい。


空腹で蹲っている俺に、パンをくれて、優しい言葉をかけてくれた。


「あなたは一人じゃないからね」

って言葉をかけてくれたんだ。


アザレア、どんな人なのか、どんな女なのか、気になる。

どんな本性で、俺のことをどんな目で見るんだろうか。


「俺」は薄汚くて、自分に自信がなくて、盗みで生計を立てる最低な一人ぼっちだから、何をどうやってもアザレアとは釣り合わないだろう。


でも、何かの奇跡が起きて、彼女と繋がれたら、僕は、神が存在していることを、心の底から信じるだろう。


なあ、アザレア、俺が目の前にいたら、お前はどんな顔をするんだ?


なあ?


「大丈夫?」


「え?」


気がつくと僕は横になっていて、丁度の良い寝具に寝かされていた。


大丈夫?と声をかけたのは、紛れもないアザレアだった。

何が起きているのだろう。


冷静に状況を分析する自分と、アザレアと話せた喜びで、どうにかなりそうだった。


「パパ。起きたわ。」


「おお、よかった。」


よかった…?起きた…?


「あたしはアザレア。あなたは…?」


「俺に名前は無い。」


「名前が無い?どういうこと?」


「誰からも呼ばれる名前がないってことだ。」


「だから、それがどういうことか、ちょっとわからないの…」


「君は教会でも見ない顔の子だね。自分の年齢はわかるかい?」


「歳は…たぶん13ぐらい。」


「13か。まだ子供だな。」


「君はアザレアを尾行していたのか?ここ数日、怪しい男の子供が、屋敷の周りをうろちょろしているようだと連絡があってな。」


「それは…」


「まあ、君でもいいし、誰でも良い。娘に傷をつけるような真似だけはやめておくれ。」


「名前がないってことは、誰からも呼ばれない。つまり頼れる人が誰もいないどころか、日常的に関わる人間すらいないってことだろう。子供なのに可哀想だな。」


「お前、俺を見下しているな。」


「お前のような薄汚い、こそ泥のような痩せ細ったガキを、家に招き入れ、介抱までしたのに、そこまでいわれるのか…参ったな。」


「お前!」


「ちょっと、落ち着いて。」

「パパは屋敷で倒れていたあなたを介抱しただけ。あなたこそ、どうしてわたしたちの屋敷にいたの?」


「ッ!」

やばい、バレた。アザレアを尾行して、家のなかを覗いてるのがバレた。こういうのって、捕まったりするのかな…


「まあよい。持たざるものに施すのも篤志家の仕事だ。警察へ突きだすのは止めてやる。代わりにお前に頼みがある。アザレアの話し相手になってくれないか?」


「え?」


アザレアが怪訝そうに首をかしげる。


「パパ、何を言っているの?この子は、私を監視しようとしていたのよ。」


「勿論、この子供はわたしの管理下だ。どこの馬の骨かもわからない、身寄りのない浮浪児だ。このことは変わらない。だがわたしはこの街で篤志家をやっている。お前のような人間を見捨てるわけにも、切り捨てるわけにもいかない。わたしの元へ来い。来ないならば警察に突きだす。」


「なんだよ、それ…」


言っていることがめちゃくちゃだ。


アザレアたちの生活を覗き見していると、自身の生活が如何に荒んでいて、空虚なものかをひしひしと感じられた。


丁度の良い食器で、手の込んだ料理を食し、暖かそうなベッドの上で眠る。


それだけの生活が、自分にはきっと未来永劫手に入らなくて、どこか遠いものだと感じられた。


「俺は、ただ、優しくしてくれたのが、嬉しくて、また優しくして欲しかったんだ…」


その言葉を発するだけで、涙が零れた。

自分が本当は誰かからの愛情を望んでいて、欲しているという事実が恥ずかしく感じられた。


「泣かないで…」


アザレアは優しく肩をさする。


「丁度屋敷には空き部屋があってだな、お前が住むくらいの広さがある。素性は今後きちんと調べておくが、今のうちに言っておくことは何かあるか?」


「ッ!」


「職業人名簿には名前がないから、浮浪児だとは思うが、犯罪歴は?」


「濡れ衣を着せられて、牢獄にいたときはある。」


「ほう。牢獄での暮らしはどうだった?」


「地獄だったよ。看守は平然と受刑者を苛める。出所したら奴隷市場行きだ。」


「お前、元は何だ?奴隷か?」


「…そうだよ。」


「それは傑作だな。どこかからの逃亡奴隷ということになる。大抵口減らしで売られたガキのたどる末路は、北部へ送られて過労死か、栄養失調で衰弱死、逃げることができれば貧民窟でもの乞い。」


「お前はこれらのうちどれだ?」


「どれでもない。お前って言うのをやめろ。」


「ほう、やめろと申すか。口の聞き方もろくに知らないガキということになるな。」


「まあよい。自己紹介が遅れたな。わたしの名前はジェファーソン。こいつは娘のアザレアだ。よろしくな。」


「…よろしく。」















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