お座敷行きの行き着くところ

遊月奈喩多

永遠の住人

 内見で訪れたアパートの部屋に、ひとりの男が居座っていた。


 玄関から真正面に位置する四畳半くらいの部屋にどっかりと胡座をかき、辺りに50%引きシールのついた袋を散らかしながら、貪るようにおにぎりを食べていた。

「ちょ、ちょっとあれ何ですか?」

 僕はたまらず不動産の営業マンに詰め寄ったが、彼の返事は思いもよらないものだった。


「あー、あれは……いいんですよ」

「いいんですよって……こっちはよくないですよ」


 そもそも僕は、家族からの過度な干渉もといセクハラから逃げるために、誰とも関わらずひとりになりたくて部屋を探していたのだ。家出だけして宛もなく、結局下心のある相手の部屋を泊まり歩くだけの日々を終わらせるために。

 それなのに、あんなおじさんがいたらたまったもんじゃない。まだ寒い時期なのにタンクトップとトランクスだけの格好で、毛むくじゃらの胸元や太腿が見えるのもお構いなしにくつろいでいる部屋なんて、とてもじゃないが住める自信がない。あぁほら、まるで自分の持ち家みたいに太腿を掻いたりして……! 肥えたように見える外見からはパッと見想像しにくいちょっと筋肉質な大腿部がまる見えじゃないか!

 勢い余って際どいところまで見えてしまいそうなおじさんからは視線を外して、もう一度営業マンを見る。すると、彼もまた先程までの僕と同じように、おじさんをじっと見つめていた。その瞳にどんな感情が乗せられているか……僕には察しきれるものではなさそうだった。


 まるで動物園の檻のなかで人間の視線に気付いているんだかいないんだか……と言いたくなる動物みたいなおじさんを見ながら、営業マンが口を開く。


「あれね、私の父親だったんですよ」

「へ?」

「昔は酷い人で、何かあれば母に手を上げて、庇った私もさんざん殴る蹴るで……。実はそのときの後遺症みたいなもんで左目がうまく見えてないんです」

 営業マンはそう苦笑いする。

 確かに、酷い親というのはどこにでもいる。僕の親だって怪我をするような暴力こそ振るわないけど、僕の心と尊厳はあのふたりにずっと傷つけられていた。しかもその様子を撮影してネットで売ってたらしいことを、その映像を買ったという友人から聞かされた。


『これさ、ほんとにお前?』


 あのとき友人が──友人だと思っていたかったやつが見せた、充血した下卑た眼差し。両親は僕から尊厳だけでなく友人まで奪っていたのだ。

 思い出しただけでも胸が潰れそうになる──そんな僕に比べたら、苦笑いなんて浮かべられるこの営業マンはだいぶマシな部類なのかも知れないと思った。


「……そのときには本当に心の底から憎かったですね。そんなんだから、もしこの男に手出しできるようになったら容赦はしないって思ってたんですよ」

 営業マンは、まだおじさんに対する恨み言を吐き続けている。正直住宅の内見で自分の不幸語りをする営業マンというのもどうなのかと思ったけど、僕よりもずっと程度の低いような不幸でお手軽に酔っている人を見るというのは滑稽で楽しいから、特には何も言わないでおくことにした。

 何かいろいろ言ってはいるが、口にできる時点で僕よりはマシだ、そうに決まっている。


「今だって、懐に忍ばせてる六角レンチをこれの頭に打ち付けてやりたい衝動に駆られるんですよ。けどね……いざやろうとすると、これがなかなか思い切れないんです」

 営業マンは胸元を押さえて、痛ましくも見える笑顔で僕を見てくる。同情でも求めているつもりだろうか──それならやっぱりこの営業マンと僕とは違う。


 僕は同情なんて求めやしない。誰にも僕の苦しみを分け与えてやる気はないし、もしもわかったような顔をして近付いてくるような輩がいたら実力行使をしてでもそれを撤回させたくなる。

 少なくともこの営業マンは、もうすぐ僕の我慢の限界を超えてしまうだろう……こいつもそれまでの命だ。


「年老いたらすっかり弱々しくなって情が湧いたって? そんな安っぽいこと言えるくらいなら、憎んでるとか言わないでもらいたいですよ」

 その時を待つのも煩わしくなって、気付けば僕の方から地雷を見つけに行っていた。この営業マンから過去の憎しみを水に流そうだとかいう美辞麗句を聞き出して、ポケットの中の六角レンチで頭をかち割って、この契約はご破算、なかったことにする──もう頭のなかでは、営業マンをめった打ちにする準備が整っていた。

 そして、もう今にも胸ポケットから六角レンチを取り出そうかと思ったとき「あぁ、それは違いますよ」となんでもないような声が返ってきた。


「え?」

「本当なら私自身の手で引導を渡してやりたかったんですが、その前にやられました。江藤えとうさん、座敷童子には2種類いるの知ってます?」

「ざしきわらし? あの、よく旅館とかに出るっていう?」

「よく心霊番組が地方の旅館で検証してましたよね、懐かしいもんです……。ひとつはそういう、自然に座敷童子になったやつですね。けどね、もうひとつあるんですよ」

「え、いったい何を……」

「国がね……。ほら、たまに聞きませんか、『お座敷行き』って?」

「あぁ……なんかよくわからなくて、てっきり刑務所行きを変な言い換えしたやつだって思ってましたけど……」


 まぁそうですよね──そう頷いてから、営業マンはとんでもないことを言ったのだ。

「あれはね、記憶も人権も、戸籍とかも何もかも失って、どこかの家の座敷童子にされるってことなんですよ。最初は行き場のない子どもとかがされてたみたいですけど、だんだん範囲が広がってきたみたいで、今じゃ社会的に生産性なしと認定されたら強制的にやられるみたいです」

 そして、営業マンは自分の父親を見る。


「本当ならこの手で……そう思っていた矢先にこれですよ。もうあれは、私の父親じゃあないんです。外見だけそっくりな、空っぽの何か。そんなのめった打ちにしたって、ただの八つ当たりじゃないですか」

 その声は、心底つまらなさそうに聞こえた。やっと手に入れたおもちゃが期待外れのものだったときの幼子のように。

 なんと声をかけたらいいか──自分の両親がそんなことになったらと想像しながら考えあぐねていると、営業マンは更に口を開いた。


「だからね、いっそのこととことんまで利用してやろうと思ったんです。何せ、もうこれには人権とかもないですからね」

 そうして、営業マンは自分の懐から六角レンチを取り出して、僕に手渡してにっこり笑った。


「これはね、特典なんですよ」

「特典……?」

「ここって不思議なんですよね。新しいわけでもないし、機能性だって今のスタンダードよりほんの少し不便なくらい。立地もいいわけでもないし、交通の便なんて論外。それでもね、江藤さんと同じような顔つきをしたお客様がよくいらっしゃるんですよ」

「…………、」

 何を言わんとしているか、なんとなく察した。


「これはね、療養みたいなものです。たとえここにいる間だけでもいい、外で負ってきた苦しみを紛れさせて、忘れて、多少なりとも癒すような使い道をしてもらって構わないんです。ほら、試しに一発どうですか、大丈夫ですよ、この座敷童子に人権なんてない……何があっても、江藤さんが面倒事を背負ったりはしませんので」

 きっと、それがこの営業マンにとっての復讐なのだろう──にこやかに、しかしどこか嘘めいた笑顔を見ながら思った。


「どうですか?」

 営業マンの声が、少し遠く感じる。

 僕は歪んだ笑顔の営業マンと、そんな歪みの原因なのだろう座敷童子とを見比べながら、返事をした。

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