内見

神在月ユウ

1KK

「いらっしゃいませー」

 明るい女性の声に、不動産屋の自動ドアを潜った俺は一瞬たじろぎながらも案内されたカウンターへ向かい、腰を下ろした。

「お手数ですが、こちらへ記入をお願いいたします」

 長い髪をアップで纏めた若い女性社員に言われるがまま、俺は氏名や来店目的を少し緊張しながら書いていく。

八柳やなぎ様、ですね。わたくし、ハウスマーダーの一ノ瀬いちのせと申します。賃貸をご希望ということですね」

 一ノ瀬と名乗った社員が、俺の記入した用紙を確認していった。

 その間、俺は冷や汗をかいていた。

 別にやましいことがあるわけじゃない。

 ただ人と話すのが苦手なだけだ。いわゆるコミュ障ってやつだ。

 そんな俺の挙動不審など目もくれず、一ノ瀬は用紙をなぞっていく。

「ご希望は、河西駅から徒歩10分以内で、エアコン備え付けで、間取りが1K…」

「は、はひ、わ、ワンケ、ケーで」

 何か言わないと、黙ってると変に思われるかも、と思って相槌のつもりで声を絞り出す。すると、一ノ瀬の目がすっと細くなった。

(ま、まずい。変な奴に思われた…)

 若い女性、しかもなかなかの美人だ。そんな人に蔑まれると、余計に凹む。

 すっと一ノ瀬が立ち上がり、奥へと引っ込んだ。

 ああ、やっぱり呆れられてしまったか。

 そう思ったのも束の間、一ノ瀬はすぐに戻ってきて、一枚の紙を差し出してきた。

「こちらの物件はいかがでしょう」

 見せられたのは、間取り図だ。

(なんだ、てっきり嫌になって引っ込んだのかと思った……)

 変な安心をして、胸を撫で下ろす。

「え?」

 そして、見て驚く。

 駅から少し離れているが、防音で、バスルームも広くてトイレは別。間取りとしては1DK?もしくは2Kだろうか?そのくせ家賃は事前に調べていた1Kの相場と変わらない。築5年の築浅だ。

「いかがですか?内見なさいますか?」

「お、お願いしぁすっ」

 緊張で上ずった声で、俺は内見を希望した。



 不動産会社の社用車で案内されたのは、二階建てのアパートだ。

 外観はとてもきれいだ。ゴミも落ちていないし、手入れが行き届いている印象だ。

 玄関は思ったよりも大きい。幅2メートルくらいあるかもしれない。

 20センチほどの段差を上がって廊下があり、右手には大きめのキッチン、左手に洗面台とトイレがあり、洗面台の対面にはバスルームがある。

「うわ、広い…」

 バスルームを覗くと、広い洗い場と、足を伸ばせるほどのバスタブがある。

「はい。汚れればすぐに洗うことができますよ」

「え?あ、はぁ」

 一ノ瀬は営業スマイルでバスルームの説明をするが、ちょっとアピールの仕方がよくわからない。

 バスルームから洗面所を戻り廊下に出て、奥に進む。

 スライド式のドアを通り、8畳くらいある部屋に入る。

 床は木目調のフロアマットのようだが、ちょっとスベスベしていて心地がいい。

 レンガ調のアクセントクロスがお洒落な部屋だ。家具を置くイメージをすると、ちょっとウキウキする。そんなセンスがあるかは別問題としてだ。

 右手には大きめのウォークインクローゼット、左手にはもうひとつスライドドアがあるので、間取り図で見たもう一部屋に繋がっているはずだ。

 スライドドアを開けて、隣の部屋に入る。


「……」


 気圧された、というのが正直な感想だ。

 6畳程の部屋だ。

 大理石にも似た質感の床と壁は、まるで異空間だ。印象としては、バスタブのない浴室、美術館の展示室の一角、もしくは手術室…?

 そんな、並べれば接点のないようなイメージがつらつらと湧いてきた。

 天井には3列のレールが設置されているが、用途がよくわからない。

 普通に考えれば照明や室内干しの補助具か何かなのだろうが、それにしてはレールが頑丈過ぎるくらいがっしりしている。付属しているフックなど、あれはかぎと呼んだ方がしっくりくる。

「耐荷重は200キロになります」

 一ノ瀬がにっこりと説明した。

 一体、何を吊るというのか。

「液体が飛散しても、掃除が楽なように壁も床も天井もコーティングしてありますよ」

 一体、何が飛び散るというのか。

「日数が経過すると臭いが気になるかも、と懸念される方もいらっしゃいますが、この部屋は強力な換気扇を備えています。特殊なフィルターを介して換気しますので、近隣から気付かれる心配もありません」

 一体、この女は何の話をしているのか。

「あの、ここではなにを――」

「あぁ、どこまで許容かということですね」

 俺の困惑など置いてけぼりに、一ノ瀬は訳知り顔で言う。


「リーズナブルな物件では『拷問』までなのですが、この物件は『殺し』まで大丈夫ですよ」


「……」

 俺は何を耳にした?

 拷問?殺しって言った?

 何?なんかそういう方言?


「近所にホームセンターがあるので、ノコギリや釘、チェーンソーも調達できます」


 なんでそんなものを?


「なかなかないですよ、こんな1KKの物件」


「え?ワンケーケー……?」

 思わず聞き返してしまう。

 1Kではなく?1KKって何?K多くない?


「はい、1ワンKキッチンKキリングです」


 もう理解が追いつかない。本当に、この女はなんなのだ?

 キリングってなんだよ?

「2KK、もしくは1DKKの方がよろしいですか?」

 そうじゃない。

 数字を増やしてほしいわけでもDを追加したいわけでもない。

 最後のKがいらない

 ずっと黙って顔をしかめる俺の態度をどう解釈したのか、


「わかりました。大家さんからは、もし決まるならと仰せつかっていますので」


 また何か嫌な予感がする言葉を、一ノ瀬が口にする。

 もういっそ、ドッキリとかの方がいい。

 早くネタバラシをしてくれ。

 でなければ、俺のメンタルが壊れそうだ。


 一ノ瀬はキッチンスペースに戻り、しゃがむ。

 足元に金属の枠がある。床下収納だろうか。

 一ノ瀬の手が取っ手を引き出し、床下収納を開ける。


「む~!!ん~!!」


 床下収納の中に、人がいた。

 若い女性だ。

 手を後ろ手に縛られ、同じく縛られた脚を折り曲げてすっぽりと収納に収まっている。猿轡さるぐつわをされた口からは(当たり前だが)声にならない声を上げ続けている。


「今なら、彼女を好きにできる特典付きですよ」

「ん~~‼」


 にこやかな一ノ瀬と、必死の形相で猿轡越しの悲鳴を上げる縛られた女性。

 なんだこの構図は。


 彼女を好きにできる?

 性的な意味じゃないだろう。いや、そうであってくれ。

 それ以外の理由で好きにできるなんて、考えたくない。


 これは、もうイタズラではない。

 縛られた女性と目が合う。

 必死に、何かを訴えかけている。


 助けて。

 殺さないで。

 死にたくない。

 

 潤んだ目が、必死に俺を睨む。

 

 言葉にならない圧力がかかる。


 助けて!

 何とかして!

 殺さないで!


「いかがですか?」


 ぬっと、俺と縛られた女性の間に割り込むように、一ノ瀬が下から俺の顔を覗き込む。


「お気に召していただけましたか?」


 一ノ瀬は笑っている。

 しかし、その瞳に昏いものを感じるのは気のせいか?

 一ノ瀬の瞳を覗いていると、覗いてはならない深淵しんえんの一端に足を踏み入れてしまったかのように、今更になって恐怖が湧いてきた。


「いかが、ですか?」


 尚も、一ノ瀬は問いかける。

 昏い笑みを、浮かべながら。


 ヤバい。

 ヤバイヤバイやばイヤばイイアヤバイヤばいやばい――


「あの――」


 一ノ瀬が何か言いかけたが、


 俺は、部屋を飛び出した。


 あれはマズい。

 あれは、ダメだ。

 逃げないと、ダメだ。


 とにかく、急がないと。


 ちゃんと履いている余裕のなかったスニーカーが、途中で脱げる。

 足が止まる。

 振り返る。


 10メートルの距離、さっきまでいた部屋の玄関ドアの前で、一ノ瀬がこちらを見ている。


 逃げないと。


 スニーカーを放って、右足が靴下のまま、俺は走る。


 近隣は戸建ての住宅街だ。

 誰か頼れる人はいないか探すが、誰もいない。


 振り返る。


 一ノ瀬が、車に乗り込んでいた。

 

 俺と目が合う。


 あの昏い瞳が、俺を捉える。


「ひぃぃぃぃっ」


 俺は悲鳴を上げながら、行く先もわからずにただ走り回った。


 あの女性を助けないと?


 知るかそんなこと!自分の身が第一だ!


 そうだ!警察だ!


 今になって、警察の存在を思い出す。

 ポケットからスマホを取り出す。

 が、手汗で滑り、地面に落としてしまう。


 アスファルトの上に落ちて、液晶が割れ、後方に滑っていく。


 拾おうとするが、振り返った先、ほんの30メートルの距離に、一ノ瀬が運転する社用車が迫っていた。


「ひあぁぁぁっ」


 俺はスマホを諦め、すぐに角を曲がって逃走を再開する。


 決して排気量がでかいわけでもないコンパクトカーのエンジン音が、獣の唸りに聞こえる。

 その牙に噛み砕かれる様を、想像してしまう。


「あ……」


 目の前の光景に、俺は表情が緩んだのを自覚した。


 コンビニだ。


 俺は目の前に現れたコンビニに駆け込んだ。

 自動ドアをもどかしく感じたが、体を捻じ込み、滑り込ませた。


「いらっしゃいませー」


 レジに、中年の男性が立っていた。

 とても物腰柔らかそうな、緑の制服を着た男性は、律儀に来店の挨拶を告げた。

 そう、ここは、ここには、日常がある。


「け、警察呼んで、殺人……、じゃないけど、でも、誘拐!そう誘拐だ!女の人が閉じ込められてて…!」


 俺は必死にコンビニ店員の男性に状況を訴えかける。

 とにかく警察に連絡を入れてもらわないと。


「落ち着いてください、どうしました?」


 柔和な笑みを浮かべる男性に、俺は見てきたことを告げる。

 不動産屋の内見。

 1KKのアパートと内装。

 そして、収納の中の女性。


「そうですか……」

 コンビニの男性は先の笑顔を消し、眉間に皴を寄せた。

 ほっとする。

 荒唐無稽と断じられるかと思ったが、どうやら信じてくれたようだ。



「お気に召して、いただけませんでしたか」



「え……?」


 ……何を言っている?

 

 この男は、何を言っている?


 自動ドアが開く。


 ビクリと体が震える。


 恐る恐る、振り返る。


 息を切らせた一ノ瀬がコンビニに入って来た。


「ひっ」


 俺は思わず足を引く。


 ドガッ――「う…」


 後頭部に衝撃を受け、俺はくずおれた。



「ダメだよ~一ノ瀬ちゃん、気を抜いちゃあ」

「申し訳ございません、坂井様」

 

 薄れゆく意識の中、会話が聞こえる。


「ちゃんと入居者は見極めないと、ちゃんと家賃入ってこないでしょう」

「申し訳ございません、ですが、それならばサブリース契約を――」

「それじゃ実入りが減っちゃうでしょ」


 やけに俗な会話が聞こえてきた。

 

 それ以降もなにやら話していたが、俺が意識を手放す方が早かった。











 

 目覚めると、視界は暗闇だった。


 手は後ろ手に回され、動かない。

 膝を抱えるように脚を畳み、狭い場所に押し込められている。


 なんだ?俺はどうなってる?


「む~~」

 口に違和感。

 これは、猿轡を噛まされている…?


 これは、まさか……



 急に、光が差し込んだ。


「こちら、ご入居の特典です。好きにしていただいて結構ですので」


 見上げると、スーツ姿のにこやかな男と、にやにや顔をしているパーカー姿の若い男が立っていた。


 俺を、見下ろしている。


「いやー、楽しみだな~」


 パーカーの男が、興奮した様子で笑う。


「そこのホームセンターで、チェーンソーとか売ってます?」

「はい。売ってますよ」


 興奮に、パーカーの男は顔を紅潮させている。



 対照的に、俺の血の気は引いていった。

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内見 神在月ユウ @Atlas36

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