本編

【スポット1・下丸子駅】


 下丸子。東京都大田区という23区内で最も面積が大きいとされる一部区域。都会とは思えない地域で、下町の空気感が心地よい。

僕は子どもの頃、数年間だけここに住んでいた。朧げな記憶だが、周辺の環境は変わっていないように思えた。

下丸子駅を降りた瞬間、確かに僕はそう感じた。夏休みの最中に来たせいか、周辺には学生と思える若い人が多数いた。その人混みの中に、僕がここにきた理由が紛れていた。

亡くなったはずの父親の背中が、僕の視界に映り込んだ。その瞬間、表現しきれない気持ち悪さを感じた。というのも、奴の動きがゆらゆらと妙な動きをしているのに、周囲の人間は気にも留めない様子だったからだ。奴はどうやら、商店街の方へ向かっていくようだ。僕は人混みを避けながら、父親に似た奴の後を追うことにした。……一体アイツは何者なのだろうか。


【スポット2・下丸子商栄会】

 下丸子商栄会──下丸子駅から降りて数分で着く小さな商店街。

商店街のあちこちに、猫が堂々と居座っていた。この光景は子どもの頃から変わらない。

猫はこの商店街の顔として、人々に親しまれている。事実、ここを訪れた人々は猫を撫でていた。当然、僕もそれに倣って目の前の猫を撫でる。猫たちは人に慣れていて、撫でても嫌がる素振りを見せない。

一つ癒しを得ながらも、父親に似た奴の背中を視界に捉える。相変わらずゆらゆらとしていて、誰かにぶつかってしまうのではないかと思える。何だか酔っぱらいのような動きで、他人事とは思えなくてなんともいえない感情が渦巻いてしまう。僕は猫の感触を惜しみながらも、奴の背中を追うことにした。


【スポット3・下丸子公園】

 下丸子公園──テニスコートやフットサルコート、小舟が浮かぶ水辺など様々な遊び場がある大きな公園だ。近くには多摩川があり、春には桜が咲き名所として花見客が溢れるらしい。

……らしいというのは僕自身、春に訪れたことがないからだ。何故なら僕が花粉症で、目やら耳やら鼻やらが大惨事になるからだ。しかしそれでも、小さい僕は父親にここらで連れられた記憶が朧げにある。

子どもたちが走り回っている中、奴は一人ぽつんと公園内で佇んでいた。その背中が妙に懐かしくて、公園内を父親と歩いていたことを思い出した。当時その公園を歩いていた最中、小さな池から蛙が飛び出してきて、父親に泣きついたのは父親との数少ない思い出だ。

……だが、今追っている背中は所詮偽物だ。何故ならとっくの昔に、父親は亡くなったからだ。一方で奴は危なっかしい足取りで、公園から出て行こうとしている。僕は奴の後を追った。


【スポット4・六所神社】

 六所神社──荏原左衛門義家が六柱の神を祀ったのが始まりと伝えられ、下丸子の鎮守である。今のような夏の時期には、盆踊りの会場にもなる。しかし夕方になり始め、参拝する人間は流石にいない。奴と僕を除いて。

父親を装った奴はのそのそと、六所神社へ入ったかと思うと、急にその姿が見えなくなった。あまりにも唐突すぎて、思わず僕は驚いた。

どうしよう。

入るべきか。

帰るべきか。

数秒考えてから結論を出す。

……入ろう。

奴の正体を知るまで帰ることはできない。

神社へ入り、僕は参拝する。

二礼二拍手一礼をし、合掌する。

参拝を終えてから、周辺を見渡す。

特に何もいない。

ただの幻覚だったのか。

僕の目がおかしかったのか。


……。


……気配がする。


後ろにいる。


呼吸が乱れる。


心臓の音が早まる。



寒気がする。



怖い。





…………ここまで来たからには、決めなくてはいけない。


僕は。



ゆっくりと。




後ろを。




振り返──。











「お か え り」













【スポット5・天祖神社】

 天祖神社──通称タコ公園とも呼ばれている。僕はいつの間にか、そこに立っていた。

この公園は下丸子駅と商店街の間に存在する公園で、お祭りなどのイベントがある時にはよく使われる。周囲を見渡すと特に変わった様子はない。変わったのは時間ぐらいで、既に夜になっていた。

何が起きたのか。

何をされたのか。

何も分からないが、とりあえず疲れた。

……帰ろう。

僕はとぼとぼと、下丸子駅へ向かうことにした──。

後日、父親を見かけたと言っていた兄へ連絡した。その時に遭遇した不思議な出来事を彼に話した。兄は、僕は神隠しに遭ったのではないかと考察した。追いかけていた奴は、神様だったのだと。

それを聞いた僕は、妙な納得感を覚えた。同時に僕は、兄からとんでもないことを付け加えられた。










『そもそも親父を見かけたということを、俺は言っていない』









……どうやら僕は、あの時から神隠しに遭遇していたらしい。とんだイタズラをする神様である。

けれど僕は、あの神様が悪い神様とは思えない。単純に奴を追いかける一種の鬼ごっこは、何となく楽しかったからだ。

これが夏休みに体験した、懐かしくて、若干怖くて、でも最後には楽しくて、色んな感情が複雑に混じった真夏の不思議な出来事だ。また時間ができたらもう一度訪れよう。

僕はそう考えながら、大学のゼミナールで出された課題を解いていた。

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亡くなったはずの父親を追いかけて──下丸子の神隠し── 夜缶 @himagawa

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