あなたの愛で僕を殺して【中編】
青年は静かに窓の外を見ると、ぽつりぽつりと言葉を溢していく。
「……僕は誰かと共にいると、その人を殺してしまうんです」
「好きな人がいました。婚約もして、その人と一生を共にする予定でした」
「捕らえ、被検体に選ばれ、目が覚めたらこうなっていました」
「逃げ出して、彼女を迎えに行ったところで、彼女は寿命が尽きていました」
「驚きました。研究員の命を全て吸い尽くし、何百年の時を生きたと知って。世界は知らない顔をしていました。同じように世界は僕を知らないようでした」
「近づけば寿命を吸ってしまう。なら、森の奥深くに身を隠す他ないじゃないですか」
「本当はあなたにも会ってはいけないんです」
「僕の心の弱さが、あなたを殺すんです。ごめんなさい」
「いや、謝罪で済む話ではないんです」
「すみません」
学は、青年を気の毒だと思った。それと同時に面白いとも思った。不老不死とは、人間の理想である。「老いたくない」「死にたくない」は誰もが一度は思うことだろう。青年は、それを実現している。実に興味深いことだった。だが
「あなたを知らなければ、檻の中で、人として暮らせました。あなたに出会って、真の死神と化すのです」
「あなたを殺したくないのに、僕は、あなたを離したくない」
「こんなことになるなら、最初から、あなたを愛さなければ良かった。最初から、あなたと出会わなければ良かった」
それを言われた瞬間、学の中の何かが、ぷつりと切れた音がした。
沸々と込み上げる感情は、決して綺麗なものではなかった。失笑が漏れる。学は望んで森に来た。死ぬ覚悟を持って、青年に会いに来た。その行動を否定されたことが、許せなかった。気がつけば青年を押し倒し、首を絞めていた。
「なっ、にぉ……や、ぇ…………」
もはや言葉にもならない音が青年の口から溢れ出る。しばらくジタバタと抵抗をしていたが、次第に、青年は諦めたように脱力する。虚ろな目をしながら、どこか、遠くを見つめていた。いつまで経っても、青年が死ぬことはない。
「……ははっ、本当に死なないんだ!」
狂気に満ちた学の笑みは、青年を、酷く恐怖に
「死なないということは、俺の寿命はちょうど今、削られているわけか。俺にダメージが入ると思ったが、気づかないモンだな」
一方、学は飄々と話す。まるで何事もなかったかというように平然としている学に、青年は呆然とする。次第にはっきりとしていく意識。体を起こし、首元に手を当てる。違和感の一つ残らない体に、ふと、青年はため息をついた。
「死にたいんですか?」
青年の問いに、学は鼻で笑う。
「まさか。ただ、まぁ、アンタに殺されるならそれも良いかも」
「……変わっていますね」
「アンタには劣るさ」
椅子に座り直し、学は言う。
「死にたがり。本当は、誰でも良いから自分を殺してくれって思っているんだろう?」
黙り込む青年に、学は確信した。図星だ、と。
「じゃあ、俺がアンタを殺してやるよ」
「えっ」
想定外の学の発言に、青年は目を丸くする。
「不老不死が実現したのなら、不老不死の奴を殺すことだって実現する可能性はある。俺は、アンタを殺すために生きても良いぜ」
願ってもない言葉だった。それが叶うのなら、ぜひともお願いしたい。しかし
「その前に、あなたが死んでしまうでしょう」
その先に起こる悲劇を青年は悟っていた。自分を研究するためには、ある程度は接触する必要がある。その度に寿命を吸い取ってしまう。学が研究を進め、成果を出すのが先か。あるいは自分が彼を殺すのが先か。結末はわかりきっていた。
「だから、少し我慢するよ。ここには、あまり来ないことにする。だけど、必ず会いに来る。そして、アンタを殺す。どう?」
あまりにも学の目は本気だった。長い時の中で諦めかけていた希望が、そこにある。もしも、これを逃したのなら。そう思うと、希望に手を伸ばさない選択肢はなかった。
「……わかりました。いつか、必ず、僕のことを殺してくださいね」
「あぁ……!」
嬉しそうに去っていく学を見送る。青年は、思わず学に手を伸ばしていた。そして、ダメだと自分に言い聞かせ、学に背を向ける。
囲ってしまえば、少しの間、気休めになったはずだった。それを、逃したのだ。青年の心の中には寂しさが飽和していた。連れ戻したい。そんな思いを押し殺し、青年は、ベッドを涙で濡らしていく。
今は夏だというのに、心は酷く寒く感じる。喪失感を覚えるほどに、青年の中の学は、より大切なものになっていたことに、失ってから、気がついた。
今はただ、学が約束を果たして帰ってくる時を待つことしかできない。帰ってくるのかすらわからない不確かな約束を、信じることしか、できなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます