あなたの愛で僕を殺して
葉月 陸公
あなたの愛で僕を殺して【前編】
学は小学二年生の頃に一度、その森に行ったことがある。好奇心旺盛な時期だ。興味本位で森に入る、なんてことは珍しくないだろう。
今、こうして生きているわけだから、無論、言い伝えは真実でなかったことになる。
だが、今になって疑問に思うことがあった。
森には確かに青年が住んでいた。誰も近づくことのない森で、一人で生き抜くのは困難だ。衣食住はどうしているのか。そもそも、青年は何者なのか。何故、森に住んでいるのか。立ち入り禁止区域とされている理由は何なのか。
親に聞いても、地域の人に聞いても、誰一人答えられる人間はいなかった。
この疑問を解消するには、もう一度、青年に会う他ない。
高校三年の夏、受験勉強に行き詰まった学はふと思い立ち、気分転換に死神の森を訪れた。
《あなたの愛で僕を殺して》
あの頃よりも体力のついた今、青年の家には意外と早く着いた。森に入ってから約二十分。蝉の声を聞きながら、ジリジリと肌を焼く暑さに耐え抜き、目的地に辿り着く。
「こんにちはー」
扉を三回ノックして、青年を呼ぶ。
「いらっしゃい。えっと、ガクくん?」
青年は、恐る恐る学の名前(正確には
「覚えていてくれたんだな、十年前のこと」
そんな喜びが先行していた。案内された部屋の椅子に座りながら言うと、青年は長いまつ毛を伏せて
「ここに来る人なんて、あなたくらいですよ」
静かにそう言った。
「本来、ここに来てはいけないのですからね。後で何をされても知りませんよ」
「ふーん。自分より俺の心配してくれるんだ。優しいじゃん、センセイ」
「その渾名、やめません?」
青年が名前を教えてくれることはない。何度、学が頭を下げて願っても、必ず「言えません」と返す。そのため、学は彼を『先生』と呼ぶことにした。青年は博識だった。
「いいだろ、別に。俺にとっての先生はアンタくらいだよ」
「そんな……先生と呼ばれるほどの大層な身分ではありませんから……」
「謙虚だよな。もっと自分自身を誇って良いと思うぜ? それだけの価値はある」
「また、ご冗談を……」
青年は、昔からこんな感じだった。自分を卑下するような言葉を並べ、他人とは一線を引く。
触れたら壊れそうな儚さがあるのに、放っておいても一人で生きていける強さがある。逆に一人だから生きていけるのかもしれない。だが触れてはいけないと思えば思うほど、触れたいと思うのだから、人間という生き物は不思議である。学は、青年を壊してしまったとしても、後悔はしない気がした。それくらい、出会ったその日から彼に惹かれていたのだ。所謂、一目惚れというものだろう。
軽く雑談を終えたところで、疑問を解消するための質問に入る。
「先生ほどの人間なら、仕事なんていくらでもあるだろう。どうして、こんな深い森に住んでいるんだ?」
学が問えば、意外にも青年は素直に答えた。
「仕事をしなくても生きていけるからですよ。自然の中で生き抜く知恵があるなら、野生的に森で過ごすことも悪くないでしょう?」
一理ある答えだ。しかし、学の中では、何かが引っかかっていた。
「野生的に暮らしている、なんて言う割には、着ている服は綺麗だよな。どこで調達を?」
「鋭いですね……。頂き物ですよ。定期的に、死んでいないかの確認に来る方が、持って来てくれるんです」
あり得ない話ではない。が、ここで雑談を思い出す。
「ふーん。……ってか、俺以外にもここに来る奴いるのか。立ち入り禁止区域って言う割には案外フリーなんだな」
矛盾している点を指摘すると、青年は軽く笑いながら
「まさか。監視役の方以外は……」
「……監視役?」
そう話した後、咄嗟に口を押さえた。しかし、その失言を学は逃さない。
「『監視役』が付くような人間なのか」
どうしても、好奇心が抑えきれなかった。
「なぁ。アンタ、嘘をついているだろう」
聞いたら戻れなくなると脳が警告を鳴らす。特に根拠はないが、そんな気がしていた。この先に待つ真実は、想像を絶するものだと。しかし、暴きたくて仕方がない。この人のことをもっと知りたい。そう思ってからは、止まることなどできなかった。
「アンタは一体、何者なんだ?」
青年の唇が微かに震える。と同時に、学もゾクゾクと震えるような感覚に
「私、は……」
口を開いた青年を学は逃さなかった。目と目を合わせ、捕える。青年は観念したように深呼吸すると、学の求めていた『答え』を出した。
「……被検体ですよ。『不老不死』の成功例。近くにいる者の寿命を奪って生きる、まさに、死神です」
それを聞いた瞬間、学の中で恐れよりも遥かに喜びが勝った。ついに、謎の多い青年の過去が判明した。謎が解けた瞬間だった。窓の外ではカラスたちが鳴きながら飛んでいく。その中で最も嬉しそうな顔をして、学は、身を震わせていた。泣きそうな顔で笑う青年を見て、学は、間違いなく『快楽』というものに浸っていた。
この時、一番『バケモノ』らしかったのは、他でもない、学の方だった。
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