2)月曜日に天使が囀る

 翌朝、月曜日。

 いつもなら通学路で春日と合流して一緒に学校までいく和都だが、昨日のこともあって、今日は時間をズラして家を出た。

 十二月も半ばとなり、通学路は黒や紺のコートを着た学生が、同じ方向に向かって歩いている。見つかりたくない相手に見つからぬよう、キャメル色のコートを着た和都は群れに紛れるようにして、学校へ向かった。

 しかしやはり、同じクラスということもあって、結局は昇降口で顔を合わせる羽目になる。……なった。

「おはよう」

「……おはよう」

 昨日と変わらず、普段通りの涼しい顔をした春日に、和都はマフラーの下の口をへの字の曲げたまま返し、下駄箱の扉を勢いよく閉める。

「……なんだ、怒ってんのか」

「あったりまえだろ!」

 言い合いながら昇降口を後にし、教室へ向かうため西階段へ向かっていると、少し遅れてやってきた同じクラスの小坂と菅原が不思議そうな顔で和都たちに声をかけてきた。

「おうおう、どうしたー?」

「なんだお前ら、ケンカでもしたの?」

「べつにっ」

 和都は頬を膨らませたまま、ふん、とそっぽを向く。

 いくら同じ班で仲がよくとも、この状態の原因は二人に話せるような内容ではない。

 ──先生と付き合わないなら自分と付き合えって、なんだよそれ!

 昨日はただいつものように、期末テストで分からなかった部分を教えてもらっていただけ、だった。それなのに、突然仁科との関係について聞かれたうえに、ずっと好きだったなんて告白されて、寝耳に水もいいところ。

 全くもってややこしいことを言い出したものだ。

 ジロリと春日を見上げるも、目のあった本人はただ楽しげに口角を上げるばかり。

「あ、相模。耳、どうしたんだ?」

 すぐ後ろを歩く菅原に聞かれ、和都は反射的に右耳を手で覆う。

 昨日、春日に思い切り噛まれた耳は、綺麗にくっきりと歯形が残ってしまっており、仕方なく絆創膏を貼って隠していた。

「……なんでもないっ」

 説明するのも恥ずかしい。

 和都は菅原に投げやり答えると、一人逃げるように階段を駆け上がる。

「なーんか珍しいパターンだな?」

 小坂は赤い顔で先に行く和都を見やりながら、ポツリと零した。

 菅原は呆れたように息を吐くと、自分たちと同じ歩調で階段を上がる春日のほうを見る。

「おい春日、マジで『姫』になにしたんだよぉ」

「……ケンカした、というわけではないが、ちょっとな」

 春日はやはり普段と変わらず、寧ろいつもより少し楽しそうな表情で言うので、小坂と菅原は顔を見合わせると、二人して首を傾げた。





 放課後になると、和都は一人保健室へ向かう。明日は毎月の定例となっている委員長会議があるので、その資料の準備のためだ。

 四月に不本意ながら保健委員に選ばれ、霊力チカラを分けてもらうためという都合もあり、仁科の仕事を頻繁に手伝っていたら、ついに保健委員長にまでなってしまった。塾も部活もやっていないし、本を読む以外に特にやりたいことのない和都にとって、仕事の多い保健委員の活動は、放課後の部活動に近いものがある。

「失礼しまーす」

「あぁ、相模か」

 ノックして保健室の引き戸を開けると、ワイシャツの上に白衣を着て、メガネを掛けた養護教諭・仁科が出迎える。

「明日の定例の準備?」

「はい。月次の利用者数のまとめって出来てます?」

「うん、出来てるよ」

 仁科はそう言うと、作業デスクに置いてあった紙の束を和都に渡した。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 そう言って受け取ると、和都は上部をクリップで留めた書類を捲る。

 委員長会議では保健室の利用者数と、委員活動で行った内容を報告する。特に大きなイベントがあった場合はその時のケガ人や対応についての報告なども行うが、先月は期末テスト前で大きなイベントはなかったので、そういう報告は必要ない。

 しかし、先月の利用者数の数字が、なんだか少し多いような気がした。

「……なんか、ケガ人多くなってません?」

「そうなんだよねぇ。最近、放課後にくる生徒がちょっと多くてね」

「部活動中のケガですか?」

「うーん、それもあるけど、帰宅部で居残ってた子とかもいるからなぁ」

 和都は月別に集計された利用者数の表を見る。

「……一学期と比べると、やっぱりちょっと多いような」

「だよねぇ」

 隣で一緒に覗き込む仁科が、そう言いながら和都の頭を撫でた。近くにいると、なぜかこうして撫でられることが多い。

 二人して書類を見ながら首を傾げてみるが、原因は特に思い当たらなかった。

「……あ、そうだ」

 仁科がふっと思い出したような顔をしたので和都がそちらを見ると、少しだけ屈んで顔を寄せ、狭い額に唇が触れる。

 触れたところから、じんわりと温かく流れ込んでくる何か。これこそが、自分の持たないチカラ、霊力だ。

 霊力は主に口から流れ出しているものらしく、一緒に過ごしたり触れ合ったりするよりも、こうして唇が触れたほうが分け与える場合に効率が良いらしい。最も効率がいいのは口移しだが、学校内ですると問題になりかねないので、しないようにしている。

「……今日の分ね。今朝は時間なかったから」

「あー、うん……」

 再び頭を撫でる仁科の顔が見れず、和都はすっと視線を逸らした。

 いつもなら、毎朝の日課である健康観察記録簿を持ってくる時にしてもらっているのだが、昨日のことのせいでなんだか顔を合わせづらく、時間ギリギリに持ってきて、逃げるように教室に帰ってしまった。

「……週末、なんかあった?」

「えっ」

 反応が普段と違うと気付いたのか、仁科が尋ねるので、和都は上擦った声で返す。

「なーんか元気ないからさ。その耳も、どうしたの?」

 絆創膏を貼った右耳を指しながら言われ、思わず耳を手で隠した。

「なんでも、ない……」

 仁科とは、別に付き合っているわけではない。

 だから、春日にキスされたことも、耳を噛まれてついた歯形を絆創膏で隠していることも、浮気になるわけではない。

 けれど、なんだか後ろめたくて、恥ずかしくて、言えなかった。

「……俺は週末、実家帰っててさ」

 和都がぐっと黙り込んでしまったせいか、仁科は話題を変えるように、作業デスクに置いた自分のスマホを取りに行く。

「えっ、なんかあったんですか?」

「うん、ちょうど千都世ちとせの誕生日でさ」

 仁科千都世は、長男である仁科の代わりに実家の家督を継いだ弟・孝文の子どもである。和都は狛犬騒動の際に一度だけ仁科の実家を訪れており、その際に千都世とも顔を合わせていた。

「あぁ、そうだったんですね」

「もう五歳だって」

 そう言って自分のスマホを和都に渡してくる。画面には向こうで撮ったらしい写真が表示されていた。

 大きな生クリームのホールケーキに、火の灯った五本のロウソク。その向こう側にピースサインをカメラ向ける、記憶よりちょっとだけ成長した男の子が写っていた。

「……なんか、夏に会った時より大きくなってません?」

「子どもの成長は早いからねぇ」

 写真をスライドすると、他にもたくさんの料理をみんなで楽しそうに囲んでいる様子や、千都世の弟である千都留ちづると一緒に遊んでいる姿もある。

「あ、千都留くんも大きくなってる」

 写真を見て楽しそうな声を上げる和都に、仁科は少しホッとした様子で頭を撫でた。

「自分の子どもが欲しいとは微塵も思わないけど、やっぱり子どもは可愛いよねぇ」

 隣でスマホを覗き込みながら言う仁科の言葉に、胸の奥がドクンと波打った気がする。

 そうだ、その可能性もあった。

 仁科は可愛い甥っ子を祝うために、あまり行きたくないはずの実家に帰るくらいはする人である。

 いつでも生徒の側に立って、寄り添って、子どもの味方になってくれる人だ。だからこそ、困っていた自分にも手を差し伸べてくれた。

 年齢だって一回りは離れているし、自分は限りなく子どもでしかない。

 大人である仁科にとって、自分はそれこそ、写真の中の甥っ子たちと同じような──。

「……先生は、おれが子どもだから可愛がってるだけですか?」

「は?」

 驚く仁科に、和都はスマホを押し付けるように返すと、そっと離れて保健室の中央にある談話用テーブルに受け取った書類を置く。そしてそのまま通学鞄から別の書類を取り出し、本来の目的である委員長会議の準備を始めた。

「……マジでお前どうした?」

 困惑する声を背中で聞く。

 らしくないことをしている。自覚はある。

「なんでもない」

「なんでもなくはないだろ、そんな顔して」

 そっけなく返したら、怒りの混じる声に肩を掴まれ、身体をそちらに向けさせられる。

 視線をそっと顔へ向けると、仁科はやはり少しだけ怒ったような、そして戸惑っているような表情をしている。

 自分はきっと泣きそうな、情けない顔をしているんだろう。

 どうしても、顔に出てしまう。

 ちゃんと話をするべきなんだ。

「どうした。何があった? ちゃんと教えてくれないと分かんないよ」

「……あのね、」

 呼吸をおいて、和都がなんとか話そうとした、その時だった。

「仁科先生! 助けて!」

 ガラガラッ!と、廊下をバタバタと駆けてきた足音が、悲痛な叫び声と一緒に勢いよく、保健室の引き戸を開ける。

「どうした?」

 驚いてそちらを見ると、全身のあちこちに赤黒い血を滲ませた生徒が、他の生徒に抱えられて入ってくるところで。

「ベッドに運んで、こっち!」

 仁科は慌てて生徒たちに指示を出した。

「相模はタオル用意して、あとお湯も!」

「は、はい!」

 ケガをした生徒を一番手前のベッドに寝かせると、ひとまずジャージを脱がせ、ケガの状態を診る。運ばれた生徒も運んできた生徒も赤紫のジャージを着ているので、一年生のようだ。何故か全員埃まみれになっている。

「何があったんだ?」

「そ、それが……」

 陸上部だという彼らの説明によると、体育倉庫の清掃と片付けをしていたところ、突然倉庫内の棚板が崩れ、運悪くそのすぐ近くにいた生徒の上に、棚の上に置いてあった色んな器具が落ちてきたらしい。

 よく見ると、ケガの酷い生徒を運んできた他の生徒の一人もケガをしている。

「あ、そっちもケガしてるじゃん、座って」

 和都は頼まれたお湯とタオルを用意した後、他の生徒たちを談話テーブルの椅子にそれぞれ座らせ、比較的ケガの軽い生徒の手当を始めた。

「体育倉庫って、グラウンドのほうのか?」

「はい、そうです」

「そっちのは、こないだ一斉点検した時に問題なしってなってたはずなんだけどなぁ」

 仁科はベッドに寝かせた生徒の傷口を、お湯とタオルで丁寧に拭いてやりながらそう零す。

 狛犬騒動の際、色んな箇所が破損したのを『老朽化ではないか?』と報告してしまった結果、二日間にわたる臨時休校期間を設け、学校内の建物全般を点検することになったのだ。実際に古い学校だったので、改修の必要な箇所はいくつか見つかり、現在もなお修理中のはず。

 なので老朽化による事故は可能性が低いのだが、そうでなければ、人為的に起きたことになってしまう。

「棚はまだ誰も触ってなかったんだよね?」

「はい、棚のものを出す前に、倉庫の床に置いてるものを外に出したりしてたんで……」

 誰も触ってもいなかったのであれば、掃除をしていた生徒たちに非はない。

 うーんと考え込んでいると、和都が手当をした生徒が、なぜかブルブルと震えている。

 そして、小さな声でポツリと言った。

「『エンジェル様』のお告げが、当たったんだ……」

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