3)試し書きの火曜日〈1〉
翌日の昼休みが始まってすぐのことだった。
「小坂、買い出しいこう!」
和都はそう言うと、小坂の袖を引っ張って足早に教室を出る。
昼休みはいつもなら四人でじゃんけんをし、二人ずつに分かれて場所取り組と買い出し組になるのだが、和都は春日と二人きりになるのを避けるために自分から買い出しにいっていた。
一階の昇降口近くにある購買で四人分の昼食を確保すると、和都は小坂と一緒に西階段を上がる。ここ最近は寒くなってきたのもあって、三階の演習室で昼食を取るようにしていた。
「……お前ら、まだ喧嘩してんの?」
並んで階段を上がりながら、呆れたような口調で小坂に聞かれ、和都は口をへの字に曲げた。
「喧嘩じゃ……ないんだけど」
「じゃあなんなんだよ」
「うーん、ちょっと……」
「ま、なんでもいーけどよぉ」
こちらが口篭ってしまっても、深く詮索してこないのが小坂のいいところだ。前日も全く同じ手を使っているので、さすがに気にしているらしい。
菅原だとこうはいかないので、春日と一緒にいられない時はつい小坂を頼ってしまう。
とはいえ、今回ばかりはどうにも相談できるような内容ではない。
──さすがに『ユースケに告白されたから』とは、言えないよ。
昨日も結局、仁科にこの件を相談しようとしたタイミングでケガ人がやってきて、その後も治療や対応に追われてしまい、それどころではなくなった。
今日は放課後に委員長会議があり、その後に時間があれば話をするつもりではいる。しかし、委員長会議には風紀委員長である春日も出席するので、こちらのほうが気になってしまい、今から大変胃が痛い。
──あー、逃げたい……。
とはいえこれも仕事である。
深いため息を吐いていると、上から降りてくる生徒が和都に声をかけてきた。
「あ、相模先輩!」
「えっ。……ああ、昨日の」
学ランを着ていたので一瞬誰かと思ったのだが、ネームプレートが一年生を意味する赤紫だったので、昨日保健室にやってきた生徒だと分かった。顔に手当ての痕がないので、一番ケガの酷かった生徒ではない。
「ケガの具合はどう?」
「あ、はい。オレのほうは、全然もう!」
「そっかそっか、よかった。あの、一番酷かったほうの子は?」
「アイツは今日病院行ってて。検査とかもしたけど、骨折とかもないみたいです。昨日は、ありがとうございました」
深々と頭を下げられて、和都は慌てる。
「いやいや、気にしないで、仕事だし。お大事にね」
「はい!」
失礼します、ともう一度頭を下げて、一年生は階段を駆け降りていった。
話が終わるのを、立ち止まって待ってくれていた小坂が不思議そうな顔をする。
「あれ、なに?」
「昨日委員の仕事してたら、ケガで保健室に来た子でさ、おれが手当したの」
「あぁ、なるほど」
「二人ケガして来たんだけど、もう一人の子のほうはもっと酷くてさ……」
「はー、保健委員はやっぱ大変だなぁ」
昨日の出来事を振り返っていた和都は、そういえば先ほど話かけてきた生徒が変な話をしていたな、と思い出した。
「あ、ねぇ。小坂は『エンジェル様』って知ってる?」
「なに? ゲームかなんかの話?」
「いや、昨日あの子がさ、言ってたんだよね。ケガをしたのは『エンジェル様のお告げが当たったからだ』って」
自分より酷いケガをしたもう一人を見つめながら、小さい声ではあったが、確かにそう言っていたのだ。
「なんだそれ。予言の書でもあんのか?」
「うーん、なんだろう? 知らないならいいや」
そんな話をしているうちに、三階の西端にある演習室へ着いてしまった。
◇
放課後。
ホームルームが終わるとすぐ、各委員の委員長は三階の中央にある生徒会室に集まって、定例の委員長会議が行われる。
生徒会室のホワイトボードの前には生徒会長の
狛杜高校の生徒会は、生徒による自治活動を目的として作られており、学校運営に生徒が積極的に関われるようになっている。毎月の定例として行われる委員長会議も生徒会が主導し、各委員の活動状況報告のほか、生徒達から出ている問題やその改善策についての検討も行なうのだ。
「──各委員からの報告は以上だな。他に何かある人は……」
進行役でもある四宮の言葉に、保健委員長として参加していた和都は一人手を挙げる。普段ならあまりでしゃばらない和都の様子に、前田が珍しそうな顔で聞いた。
「保健委員、何かあるのか?」
立ち上がると机二つ離れた席にいる春日も、少し驚いているのが目に入る。発言することを相談していなかったので、意外だったのだろう。
和都は挙げた手を下げながら、おずおずと口を開いた。
「えと……はい。あの、実は最近、放課後にケガで来る人が多いんですが……」
「確かに、報告でも言っていたな」
「それで昨日も二人、ケガで保健室に来たんですけど、そのうちの一人が妙なことを言っていて」
「妙なこと?」
怪訝そうな顔をする前田を見ながら、和都は小さく深呼吸して言う。
「はい……『エンジェル様のお告げが当たった』って」
「『エンジェル様』?」
「それで、誰かそういう話を聞いたことある人、居ないかなって思って」
和都の言葉に、室内がざわついた。
昨日手当てをした生徒が確かに口にした言葉だが、やはり二年生がメインの委員長会議では知っている人間は少なそうだ。
「怪我をしたのは一年だと言ってたな」
「はい」
少し考えた顔をしていた前田が、自分の横に座っている書記と会計の生徒の方を向く。
「桂木、風間。聞いたことあるか?」
書記と会計は二名ずついるが、そのうち一人は必ず一年生だ。話を振られた赤紫のネームプレートをつけた二人は顔を見合わせる。
「自分は……ないですね」
書記の桂木が申し訳なさそうに言うのに対し、会計の風間が小さく手を挙げた。
「オレはあります。あまり詳しくはないですが、そういう変なゲームみたいなのをやっている連中がいるって」
「ゲーム?」
ますますよく分からない。
騒めくなか、生徒会役員のすぐ側の席に座っている新聞委員長の
「新聞委員、どうぞ」
「実は新聞委員でも今、一年生の間で『エンジェル様』が流行っているという噂を聞いて、調べてるところなんです」
御幸が立ち上がって話し始めたのを見て、和都はそっと着席する。
狛杜高校の新聞委員は、校内新聞の作成だけでなく、狛杜高校の広報的な役割も担っており、生徒会側とよく連携して活動している委員だ。
「その『エンジェル様』ってのは、なんなんだ?」
御幸の説明によると、それはある種『占い』のようなもので、聞きたいことを書いた紙と返事を書いてもらうためのペンを、校内のある部屋のロッカーに入れておくと、返事が書かれていることがある……らしい。
「……また妙なものが流行っているなぁ」
前田が困ったように大きな息を吐く。
「最初はそれこそ、ゲーム感覚で流行ってたみたいですね。返事が書かれたり書かれなかったりするからって。……でもだんだん『質問』じゃなくて、誰かを『呪う』目的で使われるようになっているらしくて」
「『呪う』?」
「ええ。未来のことを教えてくれると言うより、悪いことを起こしてくれる存在ってことで、嫌いな奴や悪いことが起こってほしい人物の運勢をわざと聞くんです。そのせいで学校を休んだりする生徒もいるみたいです」
御幸の話に、和都は手元にある仁科にまとめてもらった保健室の利用者数や欠席者のグラフを確認した。学年別の推移を見ると、一年生は二学期になってから保健室の利用者だけでなく、欠席者数も少し多くなっている。
「遊びのはずが、悪用され始めてるってわけか」
「はい。そんな感じなんで、ちゃんと調査したほうがいいんじゃないかって、オレたちも最近調べ始めたところです」
「ふーむ」
御幸の言葉に、生徒会長の前田は思案しながら上を向く。色々な可能性について考えているのだろう。
しばらくうーんと考えていたが、ふと前を向いて口を開いた。
「美化委員」
「はい」
和都のすぐ隣りに座っていた美化委員の橋上が返事をする。
「備品や校舎内の老朽化とか、その辺って今はどうなってるんだっけ?」
「先月、校内の一斉点検もあったので、今は特に目立った危険なものの報告はありません。修理の必要な箇所は全て立ち入り禁止にしてますし、現在は業者が入って修理を行なっています」
橋上の回答に、前田は口元に手を当てたまま、今度は春日のほうを見る。
「風紀委員、不審者等の報告は?」
「ここ数ヶ月、特にありません。修繕のために外部の業者の出入りは多いですが、全員きちんと入校証を持っていますし、そういった人達による不審な行動の報告もありません」
「生徒達の間ではどうだ?」
「特に報告はありません」
「……なるほど。これはまた面倒だな」
老朽化ではないなら不審な人物、もしくは生徒による偶然を装ったイタズラかとも思ったが、それもなさそうだ。狛杜高校は基本的に偏差値もそこそこ高いだけあって、所謂不良にかぶれた生徒がいない。
しかし、二学期に入ってからは、なんとも不名誉な事件が相次いでいた。
文化祭では奇妙な現象でケガ人が出た上、先月は突風によって屋上の柵が壊れ、居合わせた生徒がケガしている。二学期より生徒会長を務めている前田には頭の痛いこと続きだ。
この『エンジェル様』も、オカルトにしろ人為的にしろ、実害が少なからず出ている以上、放ってはおけない。
「……よし、とりあえず、新聞委員が調べ始めていたなら、そのまま調査を続行してくれ。とはいえ、不審者や生徒による人為的な悪戯だろうし、風紀委員も協力してもらえる? 何か分かったら、校内新聞に載せる前に生徒会に報告すること」
「わかりました」
前田の言葉に御幸が頷き、委員長会議は終了となった。
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