7.スリと愛嬌にご用心
目の前の獣人らしい女の子は、捕まれた手をどうにかして離そうと手段を選んではいられないらしい。
「すいません、私の財布返してくれませんか」
確かに軽くなったジャケット。確認するとやはり財布が無くなっている。
そして彼女の左手にはその袋が。スられたのは一目瞭然だ。
「返してくれれば逃しますから、ね?」
「キャ──!! 助けてニャ! 攫われるニャ──!!」
穏便に済まそうと思ったのだが、相手はそう思わないようだ。確実にこちらを悪人に仕立て上げようと、明らかに猫を──おそらく猫の獣人なので、似合うが──被った女々しい声で叫ぶ。通行人の視線が集まっているように感じる。
こういうのは自分も声を張り上げて無罪を主張すべきなのだろうが……あいにく私は大声を出すのが苦手だ。
「財布を返してくれれば逃しますって」
「売られちゃうニャー!! 人身売買ニャー!! 外道ニャー!!」
「はぁ……」
面倒な事になった。わざとらしい被害者声を出す彼女はかわいらしい外見で、若い。庇護欲をそそられる見た目、と言えばわかりやすい。
大してこっちは成人男性だ。力関係は明白。とりあえず人々は彼女の方を心配するだろう。
現に私に向けられた視線は敵意や訝しげな感情が詰まっている。ハーフエルフは他人の感情に敏感らしい。人間の頃よりハッキリと他者の感情が分かる気がする。
「やめないか、彼女は嫌がっている」
勇気を出して話しかけて来たのだろう。すこし強張った表情で、しかし凛々しく声をかけて来たのは騎士のような格好をした男。
ちなみに獣人の彼女も騎士の彼もNPCだ。【サヴァン】たちは大して興味が無いのかそのまま通り過ぎていくか、チラリと見てそれで終わりだ。
プレイヤーが関わっていないならただの日常、という感覚なのだろうか? それともスタートダッシュを決めなければいけない今ただの揉め事に関わっていられないのか。
「そうは言われましても、彼女が私の財布をスリましてね」
「嘘ニャ!! 私やってないニャ!! 離すニャー!!」
「……と、言っているが」
あくまでも彼女を優位に思っているらしい。ふむ、これ以上の反論や言い争いは無駄そうだ。立場的に不利だし、これ以上目立つのはよろしくない。
「わかりました。離しますよ」
そう言って掴んでいた手をパッと離す。
するとすぐに、彼女は獣人らしい俊敏な動きであっという間に逃げていく。
騎士の彼は呆気に取られて咄嗟に動けなかったようだ。
「チョロいニャー! お兄さんたちアリガトー♡ニャ!」
そう煽るような言葉を残して、あっという間に彼女は見えなくなった。人混みに紛れて逃げるのに慣れている。常習犯なんだろう。
周りの視線も、私に対する視線は不審者から哀れな人を見る目に変わっている。それはそれで不愉快だ。
「まぁこうなりますよね」
「……すまなかった」
わかりやすく萎んでしまった騎士の彼は、私に向かって頭を下げる。彼は彼の正義感に従っただけだろうし、かまわないと手を振って応える。別に私自身彼に悪感情は抱いていなかった。
しかし、こんなにも平和そうな街なのにスリがいるとは。街の警備は【アケボノ騎士団】が担当しているそうだが、彼らは細々とした犯罪には対応してくれないのだろうか。
そういえば、騎士の彼の鎧に描かれた紋章はその騎士団のものではないだろうか。
「私はそこまで被害は無いですけど、おそらく貴方もスられてますよ」
「えっ!? ……本当だ、まっ待て!!」
失礼します! と大急ぎでスリを追う騎士の彼。やはりスられていたらしい。自分を逃そうとしてくれた男からも財布を盗るとは、なかなかに強かな泥棒だ。
獣人のほうがキャミィ、騎士のほうがクライン。
他NPCの視界は知らないが、私の視界では人々の頭に名前が浮かんでいる。【サヴァン】にはレベルとかも。
わかりやすくて良いが、どうにも目がチカチカするし、知らない人が自分の名前を知ってるのは怪しいだろうから、つい名前を呼ばないように気をつけないといけない。切り替えとかできたら良いのだが。
「さて、財布を取り返しますか」
私はバレないようにシステムを呼び出し、適当に座標をいじる。すると財布が私の手に出現する。中身もちゃんと入っているし、成功だ。
外でシステムに干渉するのはあまり使いたくなかったが、あまり遠くに行かれると座標を特定するのが難しくなりそうだったから仕方が無い。
視界以外の情報も得ることができる電子生命体でも限界はある。
「もう少し探索したいですね」
トラブルはあったものの、まだ外に出たばかり。串焼き一本食べて終わりは流石にネタにはならない。
大通りはまだ長いし、そもそも頻繁に外に出る予定はないから、ここで何個か良いキーワードを集めたいところ。引きこもり気質は一度死んでも治らないらしい。馬鹿ではないと信じたい。
「すいません、その300チカの果物をひとつ。あとこの都市の名所とか教えてくれませんか」
「プルアの実ひとつね。ここら辺ならやっぱり【グリザイユ学院】だろうねぇ、お兄さんカッコいいからきっと入れるよ」
「それはどうも」
果物屋さんのおばさんからリンゴのような果実をもらう。果物はやはり高いらしい、残りの財布残高は1550チカ。少し心許ない。
【グリザイユ学院】……プレイヤーも入学ができる、この世界でも名門の学院だ。過去に今は亡き【サヴァン】によって造られ、世界の秘密を解き明かすために今も多くの優秀な賢人を排出しているらしい。
しかしシナリオデータを盗み見た時、多数の学派が派閥争いをしていて内部の結束は緩いと書いてあったあたり、治安は良くなさそうだ。どの界隈にも揉め事は絶えないらしい。
特に魔法や知識を深めるのに有用らしく、魔法職や考察勢が入学しているらしい。戦闘が苦手でも腕を磨けたりゲームを楽しめる要素があるのは良いと思う。
じゃあそこに行ってみようか。
しかしそれにしても、人が多いな……。
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