6.はじめてのがいしゅつ
砂糖の甘みがほんのり舌を包むコーヒーの味は、祝いの味として心にも染み込んでいく。
しかし次の作品となると、なかなか思いつかない。
やはり世界観を壊さないように、しかし全体の雰囲気がわからないまま小説を書くと言うのは難易度が高いのだ。
シナリオデータを読み込むにも、ゲームシナリオは会話文が多くなかなか景色や人々の描写は無い。地の文がゼロというのは、少々頼りない。
「ふーむ……ここは試しに、少し外に出てみますか」
ここの部屋は完全な安全圏だが、外はまだ警戒区域だ。しかしそれは目立った、NPCとしての領分を踏み越えなければ良いだけのこと。少しだけ散歩する程度なら、大丈夫だろう。
小説を一冊完成させたことにより心に余裕ができた私は、この世界に対して勇気が湧いてきた。
少しでもこの世界を知りたい、触れてみたいと好奇心が疼く。夢でもなんでもないフルダイブゲームの現実という矛盾したようなこの人生を、もっと謳歌したいと思ったのだ。
ところで、私の容姿は少々派手だ。
白に近い薄緑の髪は後ろで緩く括られ、輝くのは珊瑚色の瞳。丸メガネがそれを覆い、服装はシャツにベスト。まさにインテリといった見た目。
そして耳は尖っており、山羊のように斜め下に下がっている。これは私の種族がハーフエルフだからだ。エルフというと森に住んでいるイメージがあるのだが、ハーフだからそんなに重要では無いのだろうか。
「これで街に馴染めるか、というところですね……」
ファンタジーな世界観なので異質、というわけにはならないだろうが、街にハーフエルフは珍しいかもしれない。
いや、それならもっとここに人が来ていそうだ。一応店としての体裁を保った内装なんだから、本来のレシモは店員として他者との関わりがあったはず。
そもそも「アブサン」は多種多様な種族を選んでキャラクリエイトができる。なら街にも様々な種族が溢れているだろう。大丈夫な筈だ。
私はこの街……【プログレ】のマップをシステムから呼び出す。五角形の壁に囲まれた、城壁都市らしい。大きな通りが5つあり、私は西側のほぼ路地裏のところにいるらしい。ハーフエルフはエルフと同じように喧騒を好まないらしいから、静かな路地に、ということだろうか。
街は最初の土地だというのにしっかりと広い。流石に1日で廻り切るのは不可能だろうから、自分のいる西側の大通りを散歩範囲にしよう。
「ネタ帳と、鉛筆……あと財布ですかね?」
と言っても大した額は入っていないだろうが──というところで、ピコン! と通知音が頭に響いた。
ビクリと驚いたが、どうやら本が売れたらしい。早速買ってくれた人がいる事に喜びの感情が湧いてくる。
最低額の1200チカそのままで売れたらしく、少しだけ財布が重くなった。うん、嬉しい。
ジャケットを羽織り、適当にポケットに持ち物を入れた。
新天地に赴くというのはやっぱりワクワクする。子どもの頃、買ってもらった新しいゲームを起動するときのような高揚が今の私にはある。
ネタ集めとはいえ、それに全力になりすぎずに楽しんで歩きたいものだ。今の私にとってはゲームではなく本当の人生なわけだし。
「いってきます」
誰もいない部屋にそう言葉を残す。なんだかカウンターに置いたままの自分の本に言いたいような気がしたのだ。
*
路地裏を抜けると市場であった。
住民らしき人、商人らしき人、学者らしき人。もちろん【サヴァン】だろう派手な格好をした人も、大通りで屋台が並ぶ道を右へ左へ歩いていく。
それだけでファンタジーちっくな成分を体感できて、思わずじっと眺めてしまった。このままでは不審者になってしまう。私はなんとか平常心を取り戻して街を歩く。
建物はほとんどがレンガで、かわいらしいデザインのものが多い。初々しさというか、「ああ、ここが始まりの街なのだ」と感じる安心感。そういうものに街全体が包まれていて、街行く人の顔も明るく未来への期待に溢れているように見えた。
「お兄さん! どうだい、カッパーディアの串焼きだよ!」
屋台のおじさんがおそらく私に向かって声をかけてくる。
手に持った串には美味しそうな肉が4個ほど刺さっており、焼けた良い匂いがあたりに漂う。ディア、ということは鹿だろうか。値段は看板によると150チカ。そこそこ手頃な価格だろうか? 相場がわからない。
でも美味しそうだし、そういえばここに来てからコーヒーしか口にしていない。
「一つください。それにしてもすごい人通りですね」
「あんがとよ! いやぁ、なんでも【サヴァン】が降りて来たらしい。こりゃ近いうちに何かしら面白いことが起きそうだ」
なるほど、プレイヤー……【サヴァン】の存在は結構街の人にも知られていて、かつ好意的らしい。人が多いのも、この街に【サヴァン】が来た事によって留まる人が増えたのだろうか。旅の人みたいな姿をした集団も多いし。
おじさんから串焼きを受け取り、早速食べてみる。
じゅわりと肉汁が口の中に広がり、少しパサついた食感が逆にしつこくなくあっさりと喉を通っていく。もたれないがタレでしっかりと味はあり、少しついた焦げによるほろ苦さがまた食欲をそそる。
鹿肉って前世であまり食べたことが無いのだが、なかなかに美味しい。
「美味しいです」
「だろ! 【ギルド】から卸してるからな、新鮮なんだ」
豪快に笑うおじさん。
【ギルド】とはよくあるプレイヤーが所属する組織のことで、【生産ギルド】と【冒険ギルド】があるらしい。おじさんが言ってるのはおそらく【冒険ギルド】のことだ。
組織で依頼を受けたり、プレイヤーランクが上がった時に報酬をもらったり……大まかなゲームの王道システムはここでこなしているらしい。
よくある設定だが、未来でもこのシステムがあるのは驚いた。やはり王道はなかなか消えないらしい。
おじさんが食べ終わった串を回収してくれたので、お礼を言ってそのまま歩き出す。
市場は様々な屋台が人を呼び込んでいる。
串焼きやパンなどの食べ物であったり、アクセサリーやよくわからない道具類であったり。中にはプレイヤーらしき人が武器を売っていたりした。そんなこともできるのか。
行き交う人々は大半が人間だが、中には私と同じようなハーフエルフやドワーフのような人もいる。
しかしそれらはやはり【サヴァン】である人が多く、NPCでハーフエルフというのはなかなか見なかった。目立っていないだろうか。
ああでも、今も目の前を獣人らしき人が駆け抜けて────
「待ってください、スリましたね?」
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