3.存在しないのは伴侶か命か
超自由VRゲームなんて謳い文句、NPCに適用されるわけなかったのだ。
手元にある開かれた本は、どのページを見ても白紙、白紙、白紙。小学生の自由帳を思い出す白さだ。そこまで自由なのか、なんて皮肉も思い浮かぶもの。
タイトルがあったから期待したというのに、なんという罠だろう。
……なんて、この世界に失望していたのだが、本を閉じた時になにやら【読む】というコマンドが浮かんでいるのが見えた。さっきまでは興奮していたばかりに気づいていなかったらしい。
そのコマンドを使用すると念じると、目の前にウィンドウが浮かぶ。突然出てきて驚いたが、そこには文字の羅列が!
「……なるほど、これがこの世界の読書ということですか」
グレーの半透明なウィンドウに表示された、「魔法教養初級-基本編-」の内容。スクロールすると文字たちは縦に流れていき、4スクロールほどで最後の行に辿り着いた。
強烈な、これじゃない感。
いや、まぁウィンドウ方式にするのが一番手軽なんだろう。流用も簡単だし、ページが薄すぎるなんてことにもならない。文量を確保する必要も、調節する必要もない。うん、合理的でデータも食わない。これがベストな手法だ。
しかし、それは所詮ゲームであるプレイヤー側だから言える話。
紙の本に触れられない小説家なんて、悲しい存在はないだろう。昨今電子書籍が台頭し、本屋が閉業を得ない状況になっていったものの、やはり人気のタイトルはまず紙の本になる。それはまだ現実の書籍という形が強く、愛する人がいるということ。
私だってその一人だ。それも自分でその本だって書いた作家だ。本を作り出す技術者の一人だ。
──紙の文化を、守りたい心を持つ一人だ。
そんな私が生きる世界に、こんな、紙の本は無駄だと言われるような扱いが許されている。いや、紙の本の方が許されていない。それがどうにも我慢ならない。
せめて私の周りにある本だけでも、紙の本として成り立つものにしたい。
私はNPCだ。運営でも、プレイヤーでもない。しかしこの世界に住む生命である。おそらく未知のイレギュラーで、まだ誰にも知られていない存在。
ここは小さいながらも私が完全に掌握している安全圏。
ここなら私は自由だ。
「……ペンを取りますか」
よし、小説書こう。
*
「とはいえ、どうせなら適当に書くんじゃなくて、この世界にちなんだ話にしたいですよね。仮にも私はこの世界に生きる住民なんですし」
世界観を壊したくないというのはある。
私はこの世界に生きるモブな訳で、そんな私が突然日本の高校生の青春部活ものとか書いたら世界観ブレイクも甚だしい。やはり私の得意で、かつこの世界にマッチしたファンタジーものが良いだろう。
「だとしても、情報もといネタが無い」
この12畳の部屋のみで世界観を把握して小説を書けなんて無茶にも程がある。小説家の想像力を過信しすぎていると思う。いや、書けはするが「アブサン」に適しているかは判断できないのだ。
となると、まずはネタ集めが先になるだろう。どんな小説も、まずはここから。
「そうなると、何か思いついた時用にメモが欲しいですね、あと筆記具」
筆記具はカウンター横に羽ペンとインク瓶がある。こういう細かいところに雰囲気を感じさせるアイテムがあるのだ。ぶっちゃけボールペンとかが欲しいが贅沢は言わない。
しかしメモ帳が無い。肝心の紙が無いとはどういうことだと思ったが、よく考えると紙が貴重なのだろうか?
白紙の本も分厚いが綺麗な白とは言えない紙で、どこか黄ばんだような、厚めの紙だった。実は高級品なんだろうか、この本擬き。
「だとしてもメモが無いと不便ですし、作りますか」
しょうがない、魔力に不安は残るがこのままでは暇が終わらない。
私は前世で愛用した手帳型メモを想像する。不意に開かないように留め具がついた、シックなデザインがお気に入りのネタ帳だ。
機能美もありつつ、この世界にも合うだろう落ち着いたチャコールブラウンは、前世で何冊消費したか覚えていない。そんな戦友とも言えるアイテムは、頭に思い浮かべるのも容易だ。愛着のある道具をどうせなら使いたい。
角砂糖より時間はかかったが、記憶通りの成果物を見て頷く。手に馴染む表紙はいつか日常を共にしていたあのチャコールブラウン。早速裏表紙に「Lesimo」とサインを刻み、これでネタ集めの準備は整った。
こんな狭い空間でどうやってネタ集めをするかというと、まぁ案の定システムからテキストデータを引っ張ってくるのだ。簡単な作業である。
そうしてこの世界の細かい設定や世俗を知り、小説に活かすのだ。長い文章を読むのは苦ではないし、ゲームシナリオの都合上文字ではなく映像で説明する場面もあるため、完全に入り込むことはできないところは寂しいが……それでも未来の大型ゲーム。魅せてほしい。
やはり知らない品種のコーヒーを淹れ直し、リラックスして椅子に深く座る。
目の前にはシステムから延長してきたテキストウィンドウが、横にはコーヒーが暖かい湯気を立て、手元には体の一部のようにも感じる手帳が。
外の陽気はまだ傾かず、ヤコブの梯子を作っている。
しかしやはり、紙の本が欲しいと私は眉を下げた。
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