2.初めての魔法は甘い味


 香り高いコーヒーの香りが、この世界で私が生きてしまっていることを分からせてくる。


 簡単なドリップ方式で淹れられたコーヒーは、シンプルな陶器のカップで揺れている。パッケージには聞いたこともない品種が書いてあり、魔力向上効果が微小ながらもあるらしい。プレイヤーも使う事ができるバフアイテムなのだろう。まぁ私の場合完全に嗜好品になってしまうが。


 ギシリ、と椅子が鳴る。もたれかかっても負担を感じない良い椅子だ。現実……外の世界で買ったら高いだろう。しかし前世でも椅子には金をかけろと耳タコに言われたものだ。関節は消耗品、寝具と椅子は未来への投資とも。

 窓が小さいので外の様子は見れないが、暖かな日差し的に今は昼ごろだろうか。外は活気に溢れているだろう。多くの人が待望したゲームの初日なんだから。


 そういえば、ゲームについての基礎知識は初めから持っているな、と気づく。私は外の世界を知らないのに、このゲームが超新星のタイトルだということを知っているし、βテストの記憶は無いのに満員だったという情報も頭にある。

 なんというか仕入れた記憶のないデータが脳内にあるのが不愉快だが、横に置いておこう。現状は変わらないのだから。


「ゲームならステータスとかあっても良いはずなんですが」


 こういう作品なら、ステータスを開いて自分の現状を確認するのがセオリーではないかと思ったのだが……私には実装されていないようだ。

 まぁ戦闘もしないモブNPCに細かいステータスがあっても、使わないしデータを圧迫するだけだろう。私も戦いや狩りに身を投じる気は殆ど無い。インドア極まれり。


 しかし、ステータスが存在しないとなると自分が何をできるのか分からない。魔力向上効果のあるアイテムがあるなら、魔法やスキルといった要素は当然あるだろうし、それを使えるかもわからないのだ。

 イレギュラーである自分が、ただのNPCと同じである可能性もあまり高くはない気がする。


「たとえば……このコーヒーに入れる、角砂糖を魔法で作る、とか?」


 なんとなく、右手に力を入れて角砂糖をイメージしてみる。目を閉じて、あの四角い白い物体を、甘く脆いあれを強く想像する。創造は想像から……なんて、くだらないジョークを思いつく直前、手のひらに軽い重みが伝わる。

 3個ほどの角砂糖がそこにあった。


 これが魔法が。とちょっとワクワクしてしまった。無事成功した特性角砂糖を早速コーヒーに入れる。問題無く、スプーンでかき混ぜると溶けていく。

 なるほど、魔法を使うにはそのものを強くイメージすれば良いらしい。慣れたら目を閉じずとも瞬時に角砂糖を作れるようになるだろうか。これは練習を頑張るやる気も出てくるな。


「そういえば、魔力が無くなったらどうなるんでしょう」


 今角砂糖を作り出したとき、身体の中で何かが減る──髪の毛が切られたことがわかるような、そんな感覚があった。これが魔力が減った感覚なのだろう。

 となると、やはりNPCだからといって魔力に限界が無い、なんてことは無いだろう。限界があるはずだ。

 しかしステータスが無い以上、どれくらいで限界が来るのかはわからない。まだ疲れは無いが、疲労が自覚できた頃には手遅れ、あるいは魔力の消耗では疲れを感じないなんて可能性もある。


 その場合、魔力が無くなったら……どうなるのだろう。倒れるのだろうか、それとも死ぬのだろうか。なんともないかもしれないが、試す勇気は出ない。魔法の使い過ぎには注意、と心の警句に留める。角砂糖の作りすぎで死んだなんて冗談じゃない。


 ステータスが無いのが不便だ。プレイヤー視点で表示されなくとも、マスクデータや設定だけでもあったら引っ張って来れたかもしれないのに。いや、ないものねだりをしても無駄な行為だな。とコーヒーを啜る。


「…………甘すぎる」


 *


 体感時間5倍は、まぁ簡単に言えばゲーム内時間5日が外の世界で1日という計算になる。

 ジワジワと気付かれないように管理AIを侵食していくことに決めた以上、外の世界で換算で毎日少しずつ弄っていくとなると今からこの世界で5日待たねばならない。

 それまで私の安全地帯はこの微妙な広さの一室だけ。小さい窓では行き交う人を眺めて暇つぶしすることもできない。つまり、時間が有り余る。


 魔法の練習をするにも使い過ぎるのは怖いし、大量に角砂糖を作ったところで処理に困る。VRゲーム世界でもアリはたかるのだろうか。

 ここまで暇を持て余したのはいつぶりだろう。少なくともモラトリアムを謳歌していた頃だった気がする。


 私の前世の仕事は小説家だ。

 19歳で賞を獲りデビュー。主にファンタジー小説を中心に書き、なかなか人気作家だったと自負している。コミカライズやアニメ化、絵画化した作品もあるし、本屋にはしょっちゅう店頭に平積みされていた。

 アツいバトルもの! というよりはその世界に住む人々のヒューマンドラマや日常を描いたものが多く、落ち着いて読めると評判だった。たまに泣ける話を書くのも好きだったな。


 デビューしてからは、多少鳴かず飛ばずの時期もあったものの順調に売れ、基本締め切りがついて回るようになった。同時連載は8本程度だった記憶だ。定期的に書き下ろし単行本を出す方向のが性に合っていて完結したらそっちに移ったが。まぁともかく本の人だった。


 作家として、未来の日本の小説は興味がある。このゲームが流行るくらいなんだから、ファンタジーは今も人気なジャンルなんだろう。ならばどんな新しい風が吹いているのか、確かめるのも良い。

 私は部屋に飾ってある分厚い書籍を手に取った。魔法陣が描かれた、タイトルの書かれていないハードカバーの本だ。紫の表紙が神秘的な雰囲気を演出している。


 ドキドキしながらその本をめくると──私を落胆が襲った。


 ただの白紙だったのだ。何も書いていない。こんなにも分厚いのに。

 まぁタイトルが書いてない時点で不穏さはあったが、これは装飾用ということなんだろう。この部屋の雰囲気を選出するための道具というわけだ。

 しかし私は諦めていない。今手に取ったのはカウンター側にある本で、おそらくプレイヤーは入ることのない場所なのだ。カウンターの奥にある商品かもわからない物をわざわざ手に取ろうとする人はいないだろう。


 だとすると、カウンターより前……おそらく商品である棚の本はどうだろうか、そちらにも分厚い書籍が並んでいる。


 見てみると、こちらにはタイトルが書いてあった。

「魔法教養初級-基本編-」だそうだ。良い感じにファンタジーで興味をそそられる。


 私は今度こそ、ワクワクと胸を高鳴らせその本を開いた。

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