作家NPCー不可視のペン先は紙を紡ぐー
山茶始
1.自我の発生は静かに
私の世界はたった12畳ほどの空間で完結している。
優しさを感じる明るい木製の壁、床に天井。並んだ棚には分厚い書籍や、何が入っているのかよくわからないカラフルな液体の詰められた瓶たち。観葉植物は青々とその瑞々しい葉を垂らし、狭い窓から入ってくる陽気は心地よい。
入り口の立派な扉はキッチリ閉められており、開く気配はしない。
部屋の奥、カウンターの向こう側。革張りの椅子に座り、私はただぼうっと店内を見渡していた。
この十数人で満員になってしまいそうな一室こそ、私が完全に安全である場所だからだ。
「それにしても、数奇ですね」
私の頭上には白い文字で「レシモ」という単語が浮かんでいる。これは私の名前だ。自分でつけたわけでも、自分を産んだ親につけられたわけでも無い。
なぜなら私に両親はいない。
私はゲームのNPCなのだから。
*
【アブソリュート・サヴァン-ONLINE-】。
今、全世界で人気が爆発しているVRゲームだ。
美麗なグラフィック、豊富な自由度、精度の高いAIシステム。なにより業界初の5倍に引き延ばされた体感時間。ゲームに没頭したい娯楽に飢えた現代人は飛びついた。
多種多様な職業、さまざまな種族になれるキャラメイク、組み合わせ無限大の装備。
βテスト当時から話題を呼び、「アブサン」の略称で親しまれるようになったこのゲームは、つい先日本サービスを開始したのである。
プレイヤーは「世界の謎を解き明かす者」として言い伝えられる特別な存在【サヴァン】として、世界を冒険し、神秘を切り拓いていく。
そういう設定だ。
さて、そうして世界中のゲーマーたちがサヴァンとして旅立っていく頃、私の意識は覚醒した。
サヴァンたちが本来通るはずのキャラメイク画面や、オープニングムービーも無く、この部屋にひとりポツンと立つ形で。何も知らない私は混乱の渦に包まれた。
なんせ私はこの時代を知らないから。
私はこんな、フルダイブVRなんてものが実現できるなんて思っていなかった、そんな時代の人間だった。頭にゴーグル、手にコントローラーを持って遊ぶ、あくまでも視覚優先なシステム。触覚や嗅覚なんて、ましてや味覚なんて夢のまた夢。フィクションの中だけの話だったのだ。
しかも、私の頭上にはシンプルな名前のみの表示。ランクやレベルを表記する欄はどこにも無い。──そう、評価する必要も無い。
私は、このゲームのNPCとして自我を得てしまったのだ。なんてことだろう。
この事実を知った時、私は思わず床に手をついて項垂れたくなった。汚いからしないが。
現実としか思えないリアルな感覚に、クリアな意識。「VRゲームに接続している」なんて微塵も感じない。この場所こそが私にとっての「現実」なのだと思い知らされる。
簡単に今の自分を表すなら、電子生命体、あるいは電子意識体だろうか。それこそゲームやマンガの世界の存在だろう、なぜ私がならなければいけなかったのか。普通に異世界に転生とかで良かったのではないか。いや、未来の日本なんて過去の人間にとっては異世界も同然だろうが……。
ともかく、この世界に生を持ってしまったからには仕方がない。今を進むしかないのだろう。
だがしかし、ここで疑惑が発生する。
私は今ゲームの中のキャラとなっていて、このゲームを開発している人たちだって、まさかNPCが意思を持つなんて想定していないだろう。
バグとして消されないだろうか、私。
最悪未知の現象として研究室に送られたり、変に君悪がられて酷い差別や中傷を受けたりすることにならないか。SFだってファンタジーだって現実だって、人間は未知のものを恐ろしがる。それは未来でも変わらないはず。
いや、意思があると気付かれずに、規定の動きと違うと簡単に処理されてしまうかもしれない。
嫌だ、死にたくない。消されたくない。酷い目に会いたくない。
我ながら悲観的な想像だと思うが、この想像力感受性豊かな頭は一度考え出したら止められない。無惨にもキーボードのDELETEキーひとつで消される己を頭に浮かべ、身震いする。なんて恐ろしい!
「バグ扱いだなんて冗談じゃない」
違ったとしても、NPC一人一人に過去の人間の意識を埋め込むのが正しいゲームだったらそれはそれでホラーだ。死んだ人間の尊厳をなんだと思っているのか。
生存戦略を考えねばなるまい。これからの人生設計とか、QOLとかそれ以前の問題だ。これは火薬の無い戦争である。メーデー! メーデー!
兎にも角にも、まずは自分の存在を隠蔽することが最優先だろう。時間稼ぎになればいいし、そのまま知覚しないでもらえるとこの先も助かる。
幸いにも自分は電子生命体。VRゲームの裏の世界も渡ることができる。
いわば、ハッキングである。
私は床を数回足で叩くと、その下に沈んだ。グラフィックも何もない、データの世界。
グリッド線や数字で構成されたこの景色も、近未来的な雰囲気があっていいと思う。自分は好きに泳ぎ回ることができるが、プレイヤーやまず来れない、まず見れない景色だ。見れたらチーターだろう。そう思うと少し優越感を感じる。
私は生存のためだからチートも何もない。
「……ん? バグ発見も対処もAIがこなしてるのか」
管理システムをいろいろ漁っていると、どうにも不具合修正は基本AI任せらしい。これも未来の産物か。
流石に致命的なバグは人間が出てくるだろうが、誤字やちょっとした表示バグは無人管理。人が直すときもこのバグ発見機構が使われるらしい。そんなんで大丈夫なのだろうか? とも思うが、まぁこちらとしてはそっちの方がバレにくくて良い。
ちょちょいとシステムをイジる。バレないように、警報が鳴らないように慎重に。
これを掌握したら、とりあえずAIの診断では私は問題視される事が無い。余程目立ったり、ゲームとしてプレイヤーに不快感を与えるプレイをしなければ大丈夫だ。AIのシステムに疑問を持たれない限り安心できる。
「やけに単純な仕組みですね……これは私が人外になったから楽に感じるだけでしょうか」
簡単に私を監視対象から外す事ができてしまった。簡単な……本当に簡単なパズルをやっただけだというのに。小学生でも解ける低レベルな構築。緊張感が薄れてしまう。
肩透かしのまま部屋に戻ってきた私は、ほっと息をつく。ひとまずはこれで良いだろう。といっても、念のため完全には傀儡にしていない。ジワジワと侵食して、私は完全な自由を手に入れるのだ。とにかく、この部屋でゆっくりする分には問題無いレベルにしておいた。
警戒し過ぎかもしれないが、用心するに越したことはない。
下手に無茶して死に急ぐ気は無いのだ。
「うーん……まずはコーヒーでも入れますかね」
私のNPC暮らしが良いものになるといいが。
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