魔法使いウィーヤヤ

沙月Q

または「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」

 アメリカ中西部のとある田舎町。


 その外れにある荒れ果てた墓地で、サム・コーデイは祖母の眠る墓地に花を手向けた。


 サムは十歳。

 家は貧しく、学校にもろくに行ってない。

 しかし心根の優しい少年だったので、母の頼み通り祖母の墓参りを欠かさなかった。

 花を買う金はなく、道々きれいだと思う花を積んでは墓に供えていた。


 母は、もう長い間家で伏せったままだった。

 母の病の原因はわかっている。

 近くにある巨大な化学工場だ。

 洗剤や化粧品のメーカーとして知らぬ者のない大企業の工場。

 そこから出た有毒物質が、地下水を介して近隣住民の健康を脅かしているのだ。


 サムは家に卵と牛乳を持って来てくれる親戚のおじさんからその話を聞いていた。


 別の街では、同じような工場を巡る訴訟が起こり、史上最高額の賠償金を取ることに成功したという。

 ここでも住民が運動を起こし、弁護士に依頼して訴訟を起こす準備をしていた。


 が、この弁護士はとんでもない詐欺師で、住民たちから預かった手付金を持ったまま蒸発してしまった。

 住民たちはなけなしの金を失い、工場をどうにも出来ないまま、泣き寝入りの日々を送っていたのだ。


「おばあちゃん、神様にお願いしてママの病気を治してもらって。それからあの工場をなんとかしてもらってよ」


 サムはいつも祖母の墓にそう祈っていた。


 そんなある日、墓参りから家へ戻ると、庭の外に夕日を背にして立つ誰かの影があった。


「私を呼んだのはあなた?」


 それはネイティブ(インディアン)の衣装に身を包んだ少女だった。

 年のころはサムと同じくらい。

 手には木彫りの奇妙な杖を持っている。

「え? 誰も呼ばないよ。君は誰?」

「ウィーヤヤ・ウィチャキヤ・ナジン。魔法使いよ」


 こんな子は見たことがない。

 そもそも、ネイティブの人に会ったのも初めてだ。

 昔、近くにスー族の血を引く一家が住んでいたという話は聞いていたが、何十年も前のことだ。


「私を呼んだでしょ?」

「呼んでないってば」

 魔法使いごっこの最中に迷子になったのか……それとも頭がおかしいのかもしれない。

 いずれにせよ、関わり合いにならない方がいいと判断して、サムは家の中に入った。


 それから毎日、夕方になると自称魔法使いの少女ウィーヤヤはサムの家に現れた。


「私を呼んだでしょ? サム」

「呼んでないってば!」

 なんで自分の名前を知っているのか……変なのに付きまとわれちゃったなあ……


 わずかな金を持って町へ買い物に行っても、ウィーヤヤはついてきた。


「どうして私を呼んだの? 話してくれなきゃ力になりようがないわ」


 サムは困り果てた。

 家のそばならまだしも、街中ではネイティブの衣装は人目を引く。


 イヤなことにならなければいいけど……

 そんなサムが心配した通りのことが起きた。

 

「いよう、サム!」

 近道をしようと横丁に入ったところで、いつもサムをからかう年かさの不良少年たちに見つかってしまったのだ。

「今日は楽しいショッピングかよ。金持ちだな」

「俺たちにも小遣い分けてくれよ!」

 無視して素通りしようとしたが、それがかえって彼らをあおることになり、たちまち行く手をふさがれた。


「冷てえな。そんなに急ぐことないじゃん」

 ネイティブの少女は、ぴったりサムの後ろについてきていた。


 自分だけでなく、この子に何かあったら……しかし奇妙なことに少年たちはウィーヤヤにまったく興味を示さなかった。

 まるでその姿が見えていないようだ。


「ちょっとでいいんだからさ。財布を出せよ」

「いやだよ!」

 伸びて来た手を払いのけて、走りだそうとするサム。

 だがあっという間に腕をつかまれ、いいようにポケットをまさぐられてしまった。


 その時、ウィーヤヤが何かつぶやいた。

 続けて、ドンと木彫りの杖がアスファルトの地面を叩く。

 すると少年の一人が悲鳴を挙げた。


「ば! 化け物だ!」


 少年たちはサムも彼の財布も放り出し、あっという間に横丁から消えた。


 何が起きたのかわからないまま振り返ったサムは、自称魔法使いの少女が蔑みの表情を浮かべているのを見た。

「まったく……ただの幻にあんな驚くなんて……白人の男の子ってホント臆病ね」

「君が……何かしたの?」

 ようやくまともに向き合ったサムにウィーヤヤは言った。

「バッファローの魔物が襲いかかって来たように見せかけただけよ。簡単な魔法だわ」

「魔法! 本物の魔法使い…なんだ!」

「だからはじめからそう言ってるでしょ。やっとわかった?」


 サムは今までの態度を詫びると、ビル裏の非常階段に腰掛けてウィーヤヤと話をした。

 病気の母親のこと……

 工場のこと……

 汚染の被害を受けた町の住民が、打つ手のないまま健康を害していること……


「君を呼んだ覚えはないんだけど、もし力になってくれるなら出来るだけお礼をするよ」

「お礼ならもうもらってるから要らない」

「え?」

「これでやっとお返しが出来るわ。とにかく、あなたの望みはわかった。その工場を無くして、お母さんの病気が治ればいいのね?」

「う、うん。でもどうやったら……」

 ウィーヤヤは立ち上がった。

「真夜中になったら、またあなたのお家に行く。そしたら一緒に来て。工場がどこなのか教えてもらわなきゃ」

 そう言うと、自称……いや、本物の魔法使いはサムの目の前から忽然と消えた。


 そして真夜中になった。


 サムはベッドから抜け出して着替えると、母親が寝静まっているのを確かめてから外に出た。


「サム」

 

 少女の声に振り返ったサムは、驚きのあまり腰を抜かしそうになった。

 そこには、巨大なバッファローの背にまたがったウィーヤヤがいた。

「乗って。一緒に工場へ行くから」

 

 工場を見下ろす丘への道すがら、サムはウィーヤヤに聞いた。

「ねえ、昼間もうお礼はもらったって言ってたけど、僕なにかあげたっけ? 全然覚えがないんだけど……」

「ああ、それを言っちゃうと魔法の効き目がなくなっちゃうから言えないわ。でも、すぐ自分で分かるわよ。あえて言うなら、あなたがスピリトを大切にする良い子だからかしらね」

「霊?」

「私たちは祖先の霊を大切にするの。そして同じくらい子孫の霊もね」


 はっきりしない答えに首をひねるサムを乗せて、バッファローは丘の上に辿り着いた。

「あれが工場?」

 眼下には、不夜城のごとく煌々と灯りを灯した巨大工場が広がっていた。

「まったく……白人は私たちの土地に変な物ばかり造るんだから」


 バッファローから降りると、ウィーヤヤはサムにタムタムを手渡した。

「いい? これを叩いて。こういう風に。私が手を叩くまでやめちゃダメ」


 トン……トトン……トトン……

 ウィーヤヤが示したお手本は単純なリズムで、サムもすぐ覚えた。


 トン……トトン……トトン……

 魔法使いの少女は杖をかざすと、呪文のような歌をうたいながらサムのタムタムに合わせて踊り始めた。


 やがて、少女のまわりに青く光る霧のようなものが舞い始め、あたりを包んで渦を巻き始めた。

「!」

 サムは足元から不気味な振動が伝わってくるのを感じた。

 なんだろうと見回すと、あたりの土が盛り上がりめくれ上がって、その下から巨大な影がいくつも現れた。


 バッファローだ!


 何頭ものバッファローが、青白く輝きながら地下から這い上がってくる。

 間も無く、丘の上は無数のバッファローで埋め尽くされた。


 ウィーヤヤの踊りは動きが激しくなり、歌も大きく高く上りつめてゆく。

 そこでウィーヤヤはパン! と手を叩きサムのタムタムをとめた。


「さあ! 行こう!」


 サムの手を引き、ウィーヤヤは乗って来たバッファローに再びまたがった。

 その後ろでサムは不安げにあたりを見回した。

「……どうするの?」

「決まってるでしょ。工場をぶっ潰すの!」


 言うが早いか、ウィーヤヤはバッファローに蹴りを入れた。

 一声唸ると、猛牛は凄まじい勢いで丘を駆け下り出した。

 サムは振り落とされないようにウィーヤヤの体にしがみつかなければならなかった。

 ウィーヤヤは楽しげに笑いながら叫んだ。


「イエチラ(行け)!」


 すると、あたりを埋め尽くしたバッファローの群れも、丘を駆け下り出した。

 凄まじい規模のスタンビートが工場目指し突進していく。

 猛牛たちが工場敷地のフェンスを突き破る直前、ウィーヤヤとサムを乗せたバッファローは空中に駆け上がった。


「!」


 それは恐ろしく、かつ美しい光景だった。

 煌びやかにライトアップされた工場を、輝くバッファローの群れが蹂躙してゆく。

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。

 大地を揺るがし、轟音が響き渡る。

 魔法少女の笑い声が夜空に吸い込まれてゆく。


 そして……


 サムは目覚めた。

 自分の部屋のベッドで飛び起きる。

 夢?

 いや、轟音は続いている。


 部屋は激しく揺れていた。

 地震だ!


 彼は階段を駆け下り、母の元へ向かった。

 なすすべもなくベッドの上で狼狽する母を抱きしめ、覆い被さって守る。


 揺れがおさまって間も無く夜が明けた。


 町の被害はそれほど大きくなかった。

 古い納屋が一つ倒壊したが、怪我人もなくインフラにも影響はなかった。


 が、工場の被害は甚大だった。

 長年地下水を汲み上げていたせいで地盤が陥没。

 工場全体が傾ぐような形になり、復旧にはかなりの期間と費用が必要となった。

 しかも、被害の調査に入った役所の調査員によって地下水の状態が明らかにされ、会社がシラを切り続けてきた生産事業と汚染の関連が、科学的に裏付けられてしまった。

 メディアは連日このスキャンダルを報道し、住民の健康被害も大きく知れ渡った。


 再度住民が起こした訴訟の動きに、確実に勝てると踏んだニューヨークの大手弁護士事務所が乗り込んで来た。


 訴訟は数年で住民側の勝ちとなり、莫大な和解金が支払われることとなった。


 サムの家にも必要十分以上の分配金が入り、母は大病院での治療を経て健康を取り戻した。

 サム自身もジュニアハイスクールに入り直し、読み書きを一から学び直す事ができた。


 数年ぶりに、祖母の墓参りに向かったサムと母は、町の花屋で買った立派な花束を手にしていた。

 花を手向けようと墓石に近づいたサムを、母親が呼び止めた。

「サム、そっちじゃないわ。その左隣がおばあちゃんのお墓よ」

「え? あ、本当だ。名前が違う……」

 学校に入る前、ほとんど文盲だったサムは母に教えられた墓の大まかな位置だけで祖母の墓と判断していたのだ。そしてそれが間違っていた……


 隣の墓の主は、祖母と仲の良かった友人の女性だった。

 どうやらネイティブの血を引く人だったらしい。


 サムは改めてこの近隣に住んでいたというネイティブの人々について調べてみた。

 百年ほど前まではスー族の人々の居留地があり、その人口は次第に減っていくにつれ普通の住民として町に吸収されていったようだ。


 町の文化会館には、居留地があった当時の古い写真が残されていた。

 その中の一枚にサムは目をとめた。

 テントの前にたたずむ、スー族の衣装を身につけた人々。

 そこに、一人の少女がいた。


「ウィーヤヤ……ウィチャキヤ……ナジン」

「ラコタ語(スー族の言葉)だね」

 会館の案内係をしている老女が言った。

「〈バッファローを呼ぶ女〉という意味だよ」


 ウィーヤヤは祖先の霊を大切にすると言った。

 そして、子孫の霊も大切にすると。

 彼女は子孫の墓参りの礼に出て来たのだろうか……

 もしや、おばあちゃんが友だちの霊にお願いして、祖先の魔法使いを呼び出してくれたのでは……?


 「まさかね……」


 そうサムが呟くと……


 写真の中の少女が、ペロッと舌を出した。


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魔法使いウィーヤヤ 沙月Q @Satsuki_Q

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