ベランダの空
ひとえだ
第1話 ベランダの空
ベランダの天気
(お題:住宅の内見)
「一昨日は雨だったか?明日は天気良いかな?」
マンションの扉の前で、大きめな独り言を吐いた
「明日は、天気良いみたいですよ。朝の天気予報で言ってましたよ」
サービス業は大変だと思った、こんな客のくだらない言葉でもそれなりに反応しなければならないのだから。自分では勤まらないなと思った。
「朝の天気予報を見ていないんですよ。日本放送協会の受信料を払うのが嫌で、テレビを捨てちゃいましたから」
「テレビも買えない貧乏の言い訳は、痛々しいな」
いづみは笑って言った
「このお部屋でしたらお二人で住まわれても十分かと思います。リビングが広いので大画面のテレビを置いてお二人でご覧になるのもいいとおもいますよ」
そういうと、女性はドアの鍵の暗証番号を打ち始めた。すかさず不動産屋の女性の左肩を指さしていづみに知らせた
「明日は晴れるけど、寒くなりそうだと言っていたよ、テレビがなくて気の毒ね」
2人の会話を無視して女性は自分の仕事に取りかかった。
先に情報を渡そうと思った
「いづみさん良かったですね、女性スタッフが案内する不動産屋で」
女性は振り向いて微笑んだ
「あら、長いことこの仕事をしていますが、お二人はゴールイン間近の関係だと思っていましたよ、意外です」
察しの良い女性と思ったが、肩にいる霊が無言で情報を入れているのだろう
「いづみさんの彼氏、急遽出張になり、僕はただの護衛艦です。
仰ることも尤もです。僕の付き合っている女性はいづみさんの親友で、無理矢理紹介してもらった方ですから」
「そうなんですね、人を見る目には自信があったのですが・・・尤も私自身が昨年離婚しておりますので偉そうなことは言えませんが」
彼女の遙ならば、それは肩に憑いている霊が原因だとはっきり言うだろう。いづみは遙を紹介することを頑なに拒み続けた
「そういうわけで、僕はベランダで外を眺めています」
いづみが僕を同行させたのは、いわく物件かどうか判断して欲しかったからだ、遙に頼まなかったのは良い意味でも悪い意味でも質実剛健すぎるからである。
いづみとは暗号が決めてあった。いわく物件ならば天気の話題をすること。
実は不動産屋の女性スタッフに会った時点でこの不動産屋と契約してはいけないことが分かっていた。
「僕は何も出来ないぞ」
ベランダで遠い目をしてそう答えた
「私は悔しいの、話を聞いて欲しいの」
遙からもらった形代をみせた。いざとなれば中臣の祓いも唱えられる
「ひぃ~」
女性は悲鳴を上げた
「聞くだけなら聞いてやる。僕に憑いても遙が間違いなくお前を無間送りにする」
「形代を見てあきらめた。私の話、聞いてくれるんだ」
僕は室内にいる二人に会話が気付かれないようビルの隙間から見える青空だけを見ているようにした
「女性の愚痴を黙って聞けないようならば、女性とは付き合えないからね」
女性は号泣した。見ていた空が曇り空になった。
女性は感情的な言葉で自分に死を決断させた男の恨み話を続けた。嗚咽がこみあげ言葉が詰まり、僕の首を絞めることもあった。泣きながら何度も何度も”くやしい”を繰り返した。そして住宅の内見に取り込まれていった。
「随分、相場より家賃が安いですね。出たりしませんか?」
いづみが白々しく女性スタッフに聞いた
「会社に戻れば過去の居住者の情報がありますが、そういう記録は見当たりませんでしたね。一部黒塗りにすればお見せできると思いますが」
「写真まで撮らせて頂きありがとうございます。彼氏とも相談して決めます」
「良いお返事頂けることを切望しております」
部屋から出てエレベータまで行くと、ベランダで会った女性が傘をさして後ろ姿で立っていた。
マンションから出ると蝉時雨だった。夏の日差しを浴びて残り少ない命をすり減らしている。
近くに公園があるのですよと女性スタッフ。
蝉時雨は数珠で繋がれたお経のように際限もなく繰り返していた。女が持っていた傘の青が夕焼けの色に変わる錯覚が過った。
ここは東京である。
僕はただ、蝉時雨が不規則な道路の自動車の音に変わった事だけ気付いた。
-了-
ベランダの空 ひとえだ @hito-eda
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます