第24話 私が彼にこだわる理由

鈴音SIDE

 

 私、白崎鈴音は、天内照人に恋してる。ううん、これはもう恋じゃない。こんなドロドロした感情は、愛ですらない。最早、ただ執着心だ。


 何故、こんな重い感情を彼に向けるのか。それは、テルが約束を守る人だから。


 他の人にとっては、何て事ない理由。だけど、私にとっては、何よりも大事なこと。


 私のお父さんは、プロのサッカー選手だった。チームの背中を預かる守護神で、私の自慢だった。


 小さい頃は、お兄と一緒に、スタジアムでも、画面越しでもお父さんの試合を観ていた。


 お兄は、お父さんに憧れてGKを目指し、私も


「大きくなったら、パパと結婚する!」


 なんて、人並みに、可愛いらしい夢を口にしていた。


「そうか?なら、美鈴が大きくなるまで、パパ、カッコいいままでいないとな!」


 だけど、そんな幸せは崩壊する。他でもない、お父さん自身の手によって。


 私が、小学校3年生の頃、お父さんは試合で大怪我を負う。既に、キャリアは終盤に差し掛かっていて、ここでの負傷は即解雇に繋がる。


 だからこそ、お父さんはめげずにリハビリに励み、何とか復帰を果たす。だけど、そこにはもう、お父さんの居場所は何処にも無かった。


 お父さんの代わりに、出場していた若手選手が台頭し、その穴を埋めてしまっていた。


 最初は真面目に練習に参加していたけど、段々と夜遅くまで帰らないようになった。帰って来たとしても泥酔状態。休日は一人でギャンブルに出掛け、負けて帰るようになり、常にイライラしてる様子だった。


 そんな状態が1年ほど続き、遂にお父さんはクラブをクビになった。これで真面目になるかと思いきや、なんと浮気が発覚する。この時にはもう、収入の殆どを、お母さんに頼っていたにも関わらずだ。


 これには、お母さんも堪忍袋の尾が切れ、離婚を突きつけた。私は迷わず、お母さんの方に付いたけど、お兄はお父さんの方に付いて行くと言って、聞かなかった。


「ねぇ、お兄。なんで、あの人に付いていくの?一緒に、お母さんのとこ行こうよ!」


「すまない美鈴、一緒には行けない。あんな親父でも、俺の憧れだった人だ。放ってはおくことはできない。それに、俺はまだ一ユース生でしかない。プロになれる保証はないし、お袋に負担はかけられない」


「お母さんは、そんな事気にしないよ。あんな人、勝手にのたれ死んだら良いじゃない!それに、お兄は私のこと、ずっと守ってくれるんじゃなかったの?」


「それでも、俺たちの父親だ。俺は、あの人に死んで欲しくない。約束、守れなくて悪かったな。でも、美鈴はもう、俺がいなくても大丈夫だ。口煩い兄が居なくなって、精々するだろ?」


「お兄の嘘つき!馬鹿!もう知らない!」


 皆、皆、嘘つきだ!

家族が一番大事だって言ってたお父さんも、私の側で守ると言ったお兄も。男は全員嘘つき!


 だけど…

ふと、そこで思考が止まる。

違う。テルだけは、を守ってくれた。


 あの日、迷子になった私を助けてくれた時に交わした約束。助けてもらった癖に、我ながら可愛い気のない事を、言ったものだと思う。だけど、テルはそんな私との約束を、律儀に果たしてくれた…

 

 あの人の帰りが、遅くなり始めた頃。両親の喧嘩が増えて、私は家にいるのが落ち着かなくなった。


 そんな家から離れたくて、私はよく天内家にお邪魔していた。天内家は、本当に居心地が良い。

 

 美代子さんと宣之さんは、仕事柄会えない日も多いけど、お互いを信頼し合っているのがよく分かる。


 テルと海斗さんは、同性の兄弟にしては珍しいくらいに仲が良い。私はつい、お兄に冷たい態度をとってしまうから、それがちょっぴり妬ましかった。


 そして、そんな二人をご両親は分け隔て無く愛している。確かに、海斗さんの方が出来が良いかもしれないけど、それと同じくらいの愛情をテルにも向けている。


 本当に羨ましかった。何度、この家に生まれたかったと思ったことか。だけど、現実はどうにもならない。


 そんな事ばかり考えていたから、表情に出ていたんだと思う。ある時、それがテルにバレる。


「何、浮かない顔してるんだよ」


「え?」


「だから、何思い詰めた顔してるんだよって」


「そんな顔してた?」


「してた。何かあるなら、言ってみろよ。人に話すと、気持ちが楽になるって聞くぞ」


 私はダメ元で、全部打ち明けた。家に居たくないことも、天内家が羨ましいということも全部。


「ウチが羨ましい?本気か?」


「うん」


「母さんは、何かと煩い上に、俺のことこき使うし、兄ちゃんはあれで、怒らせると結構怖いんだぜ?それに、父さんは…、父さんは特に何も無いけど、普段家に居ないから、寂しいし」


「それでも、私の家より全然良いよ。この家に棲みたい」


「おじさんとおばさんも、美鈴のこと大事にしてない訳じゃないだろ?今は余裕がないだけで、その内美鈴のことも、ちゃんと気にかけてくれるさ!」


「そうかな?」


「そうだって!」


「そうだと良いんだけど…」


 納得の行かない私に、テルはこう続けた。


「なら、気の済むまでウチにいろよ!」


「良いの?迷惑じゃない?」


「迷惑な訳あるか。美鈴なら母さんも、大歓迎だし、俺も退屈しない。そうだ!今度、お姫様抱っこしてやるよ」


「何で、お姫様抱っこ?」


「何でって、約束したじゃないかよー」


「でも、それはこの間、おんぶして守ってくれたじゃない」


「おんぶじゃ、達成感ないんだよ。それに、本当はお姫様抱っこの方が良かったんだろ?」


「それは、そうだけど…でも良いよ。私の方が身長高いし」


「ひ、人が気にしてる事をさらっと言いやがって…もーいい。今やりまーす。できるって、証明してみせまーす」


「いーよ、無理しないで」


「無理じゃない!つべこべ言わず、俺の首に腕回して!」


 そうやって触れた、テルの身体はゴツゴツしてて、「あー男の子なんだな」ってちょっとドキドキした。


「ふんっ!ギ…ギッギ…ギィ」


「ねー、やっぱ辞めよう?怪我するよ」


「い…いから、黙って…て」

 

 テルの顔は真っ赤で、血管が切れるんじゃないかと思った。


「うぉーりゃー‼︎」 


 気合いを入れたテルは、私を持ち上げことに成功する。


「どうだ?出来ただろ!」


 そう言うテルの顔は、引き攣っていて、お世辞にもかっこいいとは言えない。


 なのに、私の心臓は鳴り止まなくて、まともに目を合わせられなかった。


 これが、私がテルに恋に堕ちた瞬間。この時は、まだ純粋な気持ちだった。


 両親が離婚して、1年ほど経った頃、私はどうしてもテルに会いたくなった。


 お母さんは、女手一人で私を育ててくれるけど、家に一人でいることも多く、寂しさが募る。


 そんな私を慰めてくれるのが、テルとの思い出だった。テルのことを思い浮かべるだけで、心が温かくなる。


 お母さんが、あの人のことを思い出してしまうから、自然とサッカーの話題は避けていた。テルとも暫く会っていない。


 もし、テルが変わっていたらと思うと怖くて、久しぶりに会うには、勇気が必要だった。


 会いたいのに、会うのが怖いという、矛盾する気持ち。結局、私は直接会う勇気がなくて、テルの試合を観きに行くことにした。

 

 観に行った試合は、ファルコンズとユナイテッドの試合、奇しくも、私とテルが出会った時と同じ組み合わせ。


 現実は、小説よりも奇なりって言うけど、正にそう。これは、もう運命だと思った。


 私は、知り合いに出くわさない様に、人目を忍んでスタジアムに入る。

 

 久しぶりに観たテルは、随分背が伸びていたけど、私が見間違うはずもない。


 試合は白熱した展開を見せ、思わず見入ってしまう。


 試合終了まで、残り時間あと僅か。ファルコンズが、コーナキックを獲得する。


 私は祈るように呟く。


「お願い、勝って。テルッ!」


 すると、ここからピッチまで、声なんて届く筈ないのに、私の声援に応えるかの様に、テルがゴールを決めた!


 フィールドの上にいる、テルと目が合った気がした。私は急に恥ずかしくなって、結果を待たずに、スタジアムを後にする。


 やっぱり、そうだ!テルだけが、私に応えてくれる!私はそう、確信を得た。


 そこからの私は、テルの追っかけを始めた。ちょうど良い、手駒が手に入ったので、そいつにテルの近辺を探らせ、少しでも多くの情報を仕入れた。


 いつか、テルと再会した時のために、私なりに、男にモテる女性像を研究し、そいつで反応を試したりもした。


 もちろん、私には指一本、髪の毛の先だろうと触らせていない。そんなことしたら、殺すだけじゃ飽きたらず、生まれてきたことを後悔させてやるつもりだった。

 

 テルが怪我をしたと聞いた時は、目の前が真っ暗になった。チーム内で虐められてた後輩を、庇って怪我したそうだ。


 テルらしいなと思うと同時に、許せなかった。テルに怪我を負わせた犯人も、テルに庇われた被害者も。嫉妬でどうにかなりそうだった。


 私は、被害者の「夏目葵」から潰すことにした。手駒を使って、入念に下準備を済ませ、いざ実行に移そうとした時、邪魔が入る。


「こんな時間に何処へ行くんだい?女の子一人じゃ、危ないよ」


 テルのお兄さん、海斗さんだった。


 私はこの人が、苦手だ。世間では、甘いマスクで多くの女性を虜にしているけれど、私はその貼り付けたような笑みが、気味悪かった。


 そんな人でも、テルの前では作り物の笑顔じゃなくて、本当の笑顔を見せる。たぶん、この人と私は同じ人種だ。苦手なのは、同族嫌悪のせいかもしれない。


「別に何処も。ただの散歩ですよ」


「散歩ね。そんな大荷物でかい?」


「チッ!」


 思わず舌打ちが漏れる。


「他の4人なら、見逃したけど、夏目葵の所に行くなら、止めておけ。あれは、テルのお気に入りだ。手出しは許さない」


 海斗さん、いや、海斗は貼り付けた笑みを消し、能面のような顔でそう忠告する。


「何でですか⁈そもそもの原因は、あいつですよ!それに、テルに庇われたのも気に食わない!テルの選手生命がこれで終わったら、どう責任取らせるんですか⁈」


「それでも駄目だ。あれは、テル本人が望んだ事。俺たちに、口出しする権利はない。それに、テルが身代わりになったからには、何があっても、あいつにはサッカーを続けさせる。たとえ、辞めた方が何倍も幸せだと思える苦痛を、与えることになったとしても」


「………」


 私は何も言い返せなかった。この人も、腸が煮えくり返っていることに気付いたから。


 結局、私は他の4人への報復も取り止め、この日は撤収した。隙あらば実行するつもりだったけど、海斗が目を光らせていたので、断念せざるを得なかった。


 そうしている間に、時は流れ、テルが明王学園を志望しているという情報を入手した。

 

 私は既に、何処の学校にも入れるだけの学力は身に付けていたけれど、どうせならと首席合格を目指すことにした。


 その方が、テルに出会いやすいと思ったからだ。そのせいで、クラスが分かれることになったのは誤算だったけど。


 受験勉強と並行して、女を磨いておく事も忘れない。テルの好みが分からないから、ありとあらゆるパターンを想定しておく。


 そうして、待ちに待った今日。ようやく、テルに再会できた!


 久しぶりに会えたテルは、本当にカッコよかった!スピーチなんてそっちのけで、テルを見つめていたい程だった。


 テルも、私に見られている事に気づいたのか、視線をあっちこっちに彷徨わせていた。その様子が、何だか可笑しくて、同時に愛おしさが込み上げてくる。私にドキドキしてくれてたら、嬉しいな。


 クラスのホームルームが終了すると、話しかけてくる輩を無視して、私は真っ先にテルを探しに行った。


 見つけたテルは、今にも帰りそうな所だったので、慌てて後ろから抱きついて止める。


 抱きついた所で、ふと我に帰る。完全にノープランだった。とりあえず、それっぽいことを言って誤魔化す。


 さっきから、心臓の音が嫌にうるさい。テルに伝わってないよね?


 すると、テルから白崎さんと、他人行儀のような呼ばれ方をした。


 全身の血が凍り付くような感覚がした。


 嘘だよね?私のこと、忘れた訳じゃないよね?


 直ぐに、私だと気付いてくれたようで、一安心する。どうやら、私の見た目と名字が変わった事が原因らしい。


 そこは、一目で分かって欲しかったけど、綺麗と言う言葉で、大目に見てあげた。少なくとも、容姿はテルの好みに入ったみたいだ。


 テルと思い出話で一頻り、盛り上がった後、余計な虫が2匹乱入してきたけど、些細な問題だ。


 なんて言ったって、今日は大収穫を得た!


 私は1枚の写真を取り出す。テルとのツーショット。データだけ、美代子さんに送って貰って、すぐに自分で現像した。


 今日は、これが手に入っただけで大満足。


 何より、テルの方から私と撮りたいって、言ってくれた事が嬉しい。


 これから、テルと一緒に過ごす3年間に思いを馳せると、今から胸が高鳴る。


 ねえ、テル。

私は貴方のためだったら、何だってする。貴方が望む物は、何だって差し出す。貴方の行手を遮る障害は、全部取り除く。


 だから、お願い。

その代わり、ずっと私の側にいて。私だけを見て。それ以上は、他に何も望まないから。


 私は、今日二人で撮ってもらった写真に、そっと口付けを堕とす。

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