第45話 大逃走
……………
「どうしたの?」
金田の母は息子の深刻な面持ちでうつむく様子から、ただ事ではない何かを察知して心配そうにそう訊いた。
金田は更に悲痛な面持ちになるのを努めて持ち直し、母の目を見て言う。
「退学……したいんだ。……俺、今すぐ学校を出たいんだ。今すぐに……」
「……」
母の自分を見つめ沈黙する様子が金田には苦痛だった。何と言われるのか、なんとなく予想はしている。だが、それがすぐに飛び出すことなく、どうなるかわからない沈黙があることが、金田には恐怖に触れ続けるような、そんな苦痛として感じられていた。
苦痛の濃縮された沈黙の瞬間が続く。彼には玄関の蛍光灯がチカチカと眩しく感じられる。永遠とも思えるその沈黙、だが、きっと実際にはそう長くもない一瞬だったのだろう、ゆっくりと彼の母が口を開いた時、彼はそう思った。
「理由は……?」
金田はすぐに答えようと口を開くが、声が喉をついて、響かない。「あ」と空気が漏れる音だけが出てくる。
――家の事……学校の事……柳生の事……部活の事……。理由はたくさんある……。だが……そのどれもが……納得させられるように思えない……。
金田は恐れるように声を震わせて、話す。
「……勉強について行けなくて……自主退学勧告も出ていて……。このまま、学校を続けるよりも……就職する」
勉強については嘘ではなかった。確かに金田は勉強の成績は元から芳しくないものが、母の看護のための休みでさらに下がっていた。だが、退学勧告は事実とは言えない。金田は嘘を吐くのが下手で、動揺が見て取れるほどに体や顔に現れていた。だが。
「……わかった……退学届けにサインはする」
金田は複雑な面持ちでそう言った母の表情を見ながら、思いもよらない言葉に、動揺しながら、鞄の中から書類を取り出し、渡した。
反対される、説得しなくては、金田はずっとそう思い、半日近く悩みあぐねて、反論されれば最後には負けるかもしれないと思いながら、母に退学を申し出た。だが、それがすぐに受理され、
だが、母は一言、彼に言った。
「ただし、必ず部活の友達や、学校の友達に挨拶してから退学届けを出しなさい……全員に」
金田は、その一言に頷くほかなかった。
――別れの言葉を、考えないとな……。どうにか……。
蛍光灯の照らす中で、金田は目元に影を落としながら、靴を脱ぎ、荷物を置くために自分の部屋へと向かった。彼はその時、自分の背が冷たい汗に濡れていることに気づいた。
―――――
次の日、金田は退学書類を持って登校した。彼は登校中にかばんから退学届けを取り出し、それを見つめていた。
――職員室へそのまま退学届けを持って行ってしまおうか?
少しの迷いが彼にはあった。
だが、そんな迷いはすぐに忘れ去られることとなる。
校門前で待っていた柳生流にその道を阻まれた。既に登校時間が終わろうとしており、人もほとんどいない校門にて、柳生は待ち構えていたのだ。日差しを受けながら、柳生は真剣な表情で金田を止める。
「退学書類……貰ったんだってな。お前の部活の二年に聞いたよ……。教頭だのの話も詳しくな……。皆、お前の事、探してたぜ、國山先生も一緒になってな……」
金田はそう、哀し気に言う柳生の真意をはかりかねていた。彼はその疑念をそのまま柳生に問う。
「お前は一体何をしに……」
柳生は金田を睨むでもない表情で見つめ、言う。
「お前を止める。お前を退学にはさせない」
いつになく真っ直ぐな眼差しに、金田は初めて柳生を恐れる様な、たじろぎを見せた。
「……お前、何を言ってんだ……」
「うるせえ! お前は退学する必要はねえ。お前を退学に追い込んだのは俺だ。お前がどう思おうと、俺はお前を追い詰めた、ほかならぬ俺がそう言ってんだ」
柳生は怒ったような様子で、自分が悪いことを主張する。何とも奇妙な状況と言えるが、金田は、しかし、それに対して反論する。
「俺は……俺が退学するのは家の事情だ! お前らは関係ねえ! お前が何といおうと……」
「俺だって何と言おうとお前を追い込んだことを自白する、お前の部活の連中だって、俺の話や、退学話で動いている! ……みんなお前を思ってるんだよ……。一人で要らねえ罪を全部背負って逃げるのか? 勝手に背負いこまれたこっちの身にもなれ!」
そう叫びながら、柳生は金田へ近づく。金田は思わず逃げ出す。
――何故だ? 何故俺の為に……俺の為に皆、動く?
金田はそう疑問に思いつつ、あの教頭の事を思い出す。金田のように成績不振と留年が重なった生徒への対応、そして問題のあった顧問と柳生の事を考えると、やはりあの教頭は少なくとも柳生を確実に退学へ追い込むだろうし、そうしない理由がない。その上、パソコン部までもが目の敵にされる可能性すらある。そうなれば、あの三本をはじめ、進学するであろう靖穂や、重吾、稲葉へ多大な迷惑をかけることになる。また、國山先生への苦労も計り知れない。
――國山先生はダンジョンクラブのこともあって最近更に疲れている印象だ……。これ以上手を掛けさせるわけにはいかん。
そう考えながら、金田はひとまず校門から、街の方へと全力で走り逃げる。だが、柳生は金田を執念深く追い続ける。
現役野球部の脚力とスタミナで、柳生はなんとか距離を詰めようとするが、金田は現役時以上の健脚を見せる。陸上部でもあまり見ないその軽快な走りはじりじりと柳生を離してゆく。
柳生は息を切らし、徐々にペースを失いながらも、なりふり構うことなく走り続ける。だが、その姿もやがて消え、金田は商店街まで来て、後ろに柳生の影がない事を覚ると、ほっと息をつき、遠回りで学校に戻ろうとする。
商店街の路地へ入り、入り組んだ道の先、学校方面に続く道が在る住宅街へ抜けようと、金田が路地の角を曲がった時、目の前に柳生が息を切らしながら待っている姿が現れた。柳生は金田を見ると肩で息をしながらも金田に掴みかかり、言う。
「俺の言う事が信用できないのは良い。俺と話そうとしないのも良い。だが……お前を探して、心配している奴らと、もっと話せよ……。アイツら、お前の事、心配してるんだよ。……俺はあんな風にお前のことを、心配するようにはなれなかった……チームメイトだったのにな……。だからお前……逃げるんじゃねえよ」
金田にもたれかかっている様な状態で息も絶え絶えに、柳生はそう言った。
――逃げる……。
その言葉は金田の脳裏に焼き付いた。
(続く)
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