「地下の秘密部屋」【KAC20242:住宅の内見】

冬野ゆな

第1話

 マーシナリー通りから南にある住宅街の外れに向けて、白い車は駆け抜けていた。

「前の住人が家具を置いていってしまいましてね。気にならなければすぐ使えるでしょう」

 運転席に座るスーツの男は、助手席の橋本をちらりと見て続けた。

「良い物件なんですがね、なかなか次が決まらずに困ってたんです。ここのオーナーは外国人に貸すのを嫌がってましたが、あなたは心配いりませんよ。日本人ですからな」

 スーツの男――内見の案内人であるデヴィッドは笑っていた。

 ここのオーナーでなくとも、外国人に物件を貸し出すのはだれだって躊躇するだろう。自分だってきっとそうだ。特に同じ言語が通じるかわからない相手に、自分の家を貸し出すなんて。それでも、日本人は比較的綺麗に使って綺麗に出て行くから評判が良いというのを聞いたことがある。橋本は日本人の全員が綺麗好きというわけではないと知っているが、海外に来て更に現地に住めるというタイプとなれば、ある程度きっちりとした人間が多いということだろう。橋本だって、多分海外の人間からすれば綺麗好きの範疇に入る。

「でも、なにか理由が?」

「――実はですね」

 デヴィッドは声を潜める。

「マーシナリー通りには、地下に怪物が住んでいるという噂があるんです」

「怪物? それはまた……」

 橋本が答えあぐねていると、デヴィッドは今度は次第に悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「……はははっ! 実をいいますと、二十年ほど前に地下水道に大きなワニが迷い込みましてね。それで騒ぎになったんですよ」

「ワニ、ですか?」

「捕まえたワニは剥製にして、いまは町の役場に飾ってあります。でも、怪物がいるという噂だけは一人歩きしていましてね。それで敬遠する人が多いのも事実です」

「なるほど……」

「さすがにいまは対策されてますから、いないんですけどね。困ったものですよ。でもおかげで、格安で提供できています」

 デヴィッドはそう続けると、少しだけ車を走らせてから再び口を開いた。

「あとはあなたが気に入るかどうかです――もうすぐ着きますよ」

 デヴィッドが示した家は、ぽつんとたたずんでいた。

 家の前に車を駐め、外へ出る。

 茶色い屋根とややくすんだ白い壁が、年月を感じさせた。日本人からすると広めの庭は、わずかばかりに生えた木の他は雑草ばかりだ。少しもったいなく思える。そんな草むらの真ん中に、二階建ての家があった。古いとはいうが作りは現代的だ。

「軽く部屋の方をご案内します」

「お願いします」

 木製の扉をくぐって玄関に入ると、明るいリビングルームが広がっていた。フローリングにはラグが敷かれていて、前の住人が置いていったというソファやテーブルがあった。壁についている暖炉は偽物のようだったが、雰囲気は出ている。どうもスイッチを押すと炎の映像が出るらしく、よく考えられている。リビングのすぐ隣にはキッチンがあり、ここにもテーブルと椅子、そして冷蔵庫や棚が中の食器類とともに残されていた。

「冷蔵庫の中身は片付いていますよ」

 デヴィッドがにやりと笑った。

 確かに異臭はしない。

「変なものに住み着かれても困りますからな」

 デヴィッドはそう言って、おもむろに冷蔵庫を開けた。中は冷たくなかったし、何も入っていない。電源も切ってある。

「担当物件に誰か住んでいた経験はあります?」

「一度だけありましたね。鍵は開いてるし、部屋の中はメチャクチャ。あのときほど卒倒しそうになったことはありませんよ。いろんな意味でね」

「それ、どうなったんですか?」

「もちろん、警察呼びましたよ。でも居住権を主張しはじめて、大変でした」

 デヴィッドは再び廊下に出ながら、肩を竦めた。

 橋本は思わず笑ってしまいそうになった。

「今度は、ひととおり二階を見て回りましょう」

 デヴィッドに連れられて階段をあがると、寝室とバスルームがあった。広々とした寝室には大きな窓があり、そこからベランダに出られるようだった。外の景色は静かで、遠くまで見渡せる。ベッドも以前の住人のものがそのまま置いてあった。さすがに布団は使う気になれないが、マットレスは快適そうだ。バスルームも清潔で、ちゃんと設備が整っている。もうひとつある部屋はどうやら書斎として使われていたらしく、デスクとオフィスチェアが置いてあった。家でも仕事ができる準備は整っている。

 これほどのものなのに、一軒家という割にはその辺のアパートと変わらぬ賃貸料だった。

「それにしても、そんなに怪物の話が尾を引いてるんですか?」

「ええ。困ったものですよ。怪物は町役場でいつでも見られるんですがね。見たところ、どうです?」

「いまのところ、悪くないです。家具のいくつかは変更が必要だと思いますが。怪物もいなさそうですし」

 橋本がにやりと笑うと、デヴィッドは噴き出した。

「失礼。もし不要なものがありましたら、こちらの方で手配を――」

 そのときだった。

 デヴィッドの携帯電話が鳴り、彼は「失礼」とだけ言って懐を探った。後ろを向いて、「もしもし」と小さな声で言う。それからなにごとか話したあと、再びこちらを向いた。

「すみません、急用でして。外で話してきますので、しばらくお好きなように見ていて構いませんよ」

 そう言うと、デヴィッドは申し訳なさそうに軽く手をあげ、階段に向かって早足で歩いていった。こうして橋本はひとりになった。さてどうしたものかと考える。ひとまずもう一度くまなく見ておいた方がいいだろう。いまのうちに染みや汚れは発見しておいた方が、出て行く時に証明しやすい。そうして橋本は二階から一階までじっくり見て回ることにした。

 こういう古い住宅には、隠し部屋のひとつふたつあったりしないものか。日本でも、かつての防空壕の跡や、隠れキリシタンの祭壇などが見つかった例はある。それに隠し部屋は意外に海外の方が多い。ドイツであればユダヤ人の隠し部屋や隠し通路があったりするだろうし、なんらかの理由で塞いだまま忘れられた部屋もある。塹壕や古い神殿が出てきたなんてこともあるし、トイレの壁や階段の下、はたまた据え置かれたタンスの中に、別の空間への入り口があることさえある。

 橋本は少し好奇心にかられ、どこかしらに秘密基地の入り口が無いかどうかと探し始めた。そうでなくても、屋根裏や地下室があれば物置にいいかもしれない。二階の部屋に設置されたタンスやベッドの下までくまなく探して見てみるも、それらしいものはなかった。天井さえ目を皿のようにして、小さな隙間が無いか探した。壁に備え付けられたフックがスイッチになっていやしないかと、ひとつひとつ丹念に調べ上げた。

 ちらりと窓から外を見る。デヴィッドは向こうの方に駐めた車のなかで、まだ話をしているようだった。声は聞こえないが、激しく身振り手振りをしている。どうやらまだ隠し部屋を探す時間はありそうだ。


 一階に下りていくと、今度は隠された地下室が無いかを探し始めた。廊下やキッチンの壁紙の裏に何かが隠されている可能性だってある。とはいえそんな時間は無い。結局、遊びながらどこか汚れや壊れているところはないかを探すだけに留まるだろう。

 一通り見て回ったあと、階段を見る。デヴィッドはあとどれくらいで戻ってくるのか。廊下にある少し薄汚れた鏡に触れて、軽く動かしたそのときだった。がたんっと音がして、階段が音をたてて上に動くのが見えた。

「うお……」

 思わず声に出た。

 階段の下に、地下室への階段があった。

 どうやら鏡を動かすと作動する仕掛けのようだ。

 ――この家、本当に地下室があったのか。

 まだ案内されていないだけか、それともデヴィッドも知らなかったのか。もしかしたら最後に驚かそうとしたのかもしれない。そろそろと暗い部屋を見る。好奇心に駆られ、少しずつ階段を下りていく。むっとした空気が入ってくる。隠し部屋ではあるものの、倉庫に近いのだろう。かなり下まで下りると、明るく照らし出された壁を見てみたが、電気のスイッチはなかった。暗く沈んだ壁を手で触れる。冷たいレンガの感触が返ってくるだけだった。

 ――どこかにあるはずだと思うが……。

 スイッチや電源を探して奥に進んでいく。スマホで照らさないとわからない。ポケットの中からスマホを取りだして灯りをつけようとしたところで、ぎいい、という音とともに暗闇が迫ってきた。

「あっ!?」

 階段が下りてしまった。慌てて上まで行こうとしたが、途中ですべて閉まって真っ暗になった。暗くなった地下室でなんとかスマホをしまい、階段を押し上げようとする。けれど、何度頑張っても無理だった。

「デヴィッド! デヴィッド!」

 声をあげる。

「助けてくれ、閉じ込められた!」

 叫んだが、反応は無い。

 スマホでデヴィッドの携帯電話にかけてみたが、通話中になっていた。まだ外で電話をしているらしい。

 ――困った。

 これじゃ怪物の噂に、行方不明者の噂が広がってしまう。

 とはいえスマホは通じているから、通話が切れたタイミングでかけ直せばいい。デヴィッドの方から電話をかけてくるかもしれない。それまでは、この秘密の地下室を探ってみるか。スマホであたりを照らすと、あたりには大きな布や物が散乱していた。どうやらだいぶ使われていないようだ。上の綺麗さと比べても、ここはずいぶんと放置されていた印象だ。もっと奥がある。どこまで続いているのだろう。ガサッと小さな音が聞こえて驚いたが、自分が踏み出した脚が近くのプラスチックのカバーか何かをこすった音だった。

 地下倉庫は奥に向かって続いていた。かつては扉があったような四角い穴をくぐり抜け、奥へと進んでいく。あるのはほとんど荒れたゴミばかりだ。壁紙が剥がれ、中のレンガが見えている箇所もある。シェルターにしてはずいぶんと強度が物足りない。

 ――やっぱり、これ、隠し部屋なんじゃ……?

 ここを借りられたら、この秘密の部屋をどんな風に改造しようか今から楽しみになってくる。その前に掃除は必要だし、壁紙は新しいものを貼っても構わないだろう。いったいどんな風にしようか。書斎のようにしてもいいし、最初のうちはサーバーを置いたりしてもいい。

 二つ目の扉をくぐり抜けると、向こうからガサガサと音がした。

「ん……」

 こんな場所だ。虫でも巣くっているかもしれない。突然現実に引き戻された気分になる。スマホで照らした向こう側は、壁が大きく抉れていた。その向こうは暗くて見えない。もっとよく見ようと近づいてみる。まだ電話は来ない。

 ――暗いな……?

 そのときだった。突然、足元を掬われたようにひっくり返った。受け身をとることすらできず、埃だらけの床に橋本はたたき付けられた。

「あがっ!」

 腰をしたたかに打ち、顔を顰める。隣でガチャッと音をたててスマホが転がった。

 だが腰の痛みそれ以上に、脚に鋭い痛みがあった。はぁはぁと息をしながら、なんとか引き抜こうとする。何かが、脚に食いついている。必死になって脚を引き抜こうと引っ張るが、余計に痛みが強くなっただけだった。ばたばたと手を動かすと、隣に転がったスマホに手が当たった。反射的にスマホを掴み、脚に引っかかっているものを照らし出した。

 白い、奇妙な頭のようなものが見えた。爬虫類の肌に似ているが、それよりもでこぼことしている。口はワニのように長く、橋本の片足に食らいつき、膝まで飲み込んでいる。

「か、怪物……」

 だがワニじゃない。

 こんなもの、ワニじゃない。

 こんなものが現代にいてたまるものか。

 巨大な口の怪物は、えもいわれぬ声をあげながら顎を開いた。ばらばらに生えた歯が見えた。

「ひっ」

 なんとか脚を引き抜こうとしたが、それよりも怪物の方が早かった。もう一度脚に食らいつき、一気に引き寄せられた。

「ああああっ! ひ、ひいっ、だれか、だれかあ!」

 橋本はだれも出ないスマホに、そしてだれも答えない空間に向かって叫び続けた。ばりばりという音が腰に近づき、脚が吸い込まれていく。

「だれか……た、助け……」

 声は閉じられた地下倉庫に虚しく響いた。


 その頃、デヴィッドは家の方に目線をやりながら、おもむろに携帯電話を耳に当てた。

「ええ、大丈夫ですよオーナー……いえ、町長。今回はちゃんと、地下が発見されたようです。いまごろ、餌として処理されていることでしょう。これでまた半年くらいは大丈夫です。奴は地上には出てこないでしょう」

 ちらりと家の方に目をやる。

「日本人は善良な人たちですから、ちゃんとチェックしようとしますからね。次回からも日本人にしましょうか」

 しんと静まり返った家は、何もかも覆い隠してたたずんでいた。

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