呵責の念を贖う愚行

 アーチェの新薬開発を手伝った翌日。俺はふと思った。

 先立つ物が必要だ。こればっかりは切っても切れない問題である。禁制品を大量に仕入れるとなれば尚のこと。


 そういうわけで俺はツボと水を用意した。『聖女』の付き人ニコラスに化けて信心深い商人たちのもとへと向かう。


 やあやあ今日も良い日和ですね。信仰心は足りてますか?

 おっと……なにやら顔色が宜しくないのでは? いけませんよ。商人たるもの顔は命です。印象を売る仕事といっても差し支えありませんからね。笑う門にはなんとやら。俺は世間話をしつつ自然な流れでツボを取り出した。賓客を満足させるために設えたのであろう艶のある縞黒檀のテーブルの上に滑らせて言う。

 寄進の予定は御座いませんか? 今なら『聖女』様の祝福水も付いてきますよ。

 ……なるほど。ええ、もちろん仰る通りです。寄進とは自発的に行うものであって、請われてするものではない。全くもってその通りです。

 ですが、それがどうされたというのですか?

 ……ああ、もしかして誤解させてしまいましたかな? ははは。なるほど商売を生業にする貴方には今のやり取りが少々俗物的なものに見えたのかもしれませんね?

 ままならないものですなぁ。私はただお忙しくしていらっしゃるそちら様の身を慮って訪問しただけですよ。そこに深い意味などあるわけないじゃないですか。

 …………ええ。では寄進の予定はない、ということで宜しいのですね? なるほど。そうですか。ははは。他の商会の方は快く寄進してくださったのですがね。それでは失礼します。

 おっとどうされました? ええ待ちますよ。ええ。寄進をしないことによる不利益……いえいえ、そんなものあるわけないじゃないですか。信仰は金銭の多寡によって決定するものではありません。それは断言いたしますよ。

 ただ……これは私の力不足の話でもあり、大変心苦しいのですが、他に寄進をしてくださる方が現れた場合は……その篤い信仰に応えるべくそちらに顔を出すことが多くなるかと。私の身は一つ限りですので。

 そして私も人の子でして……最近どうにも物覚えが悪くなった。商人の皆様からすれば噴飯ものかもしれませんが、私は生来より人の顔を覚えるのがどうにも苦手でして……しばらく顔を合わせなかった相手のことを忘れてしまうことが多いのですよ。

 おやこれはこれは。ああ、やはり私の目に狂いはなかった。……ええ、確かに浄財を受け取りました。とても立派な信仰心です。貴方に『聖女』様のご加護があらんことを。

 今度はオリビア様も一緒に連れてきてほしい? ははは。考えておきましょう。ですが貴方もご承知おきの通り、オリビア様は多忙を極める御方。期待に添えない可能性も考慮して頂けますと幸いです。それでは良い一日を。


 俺はそんな流れを関係各所で繰り返してただの水とただのツボを売りつけた。これで当座の資金繰りには困らない。ちょろいもんだぜ。

 そろそろ何かしらの事業を興す素振りを見せなくちゃならんところだが……まだ引っ張れるはずだ。俺の勘がそう告げている。急いては事を仕損じるというしな。じっくりと機を見極めていこう。


 エンデきっての商人どもから美味い汁を啜れる立場など滅多に獲得できるもんじゃない。『聖女』のネームバリューを存分に振りかざして得たポストだ。これほどケツの収まりが良い椅子もあるまいて。


 成果は上々。今日のところは定宿に戻るとするかね。オリビアとの契約もあるしな。


『アンタの言う通り薬の改良を手伝ったんだ。次はアタシの番だぞ! そうだな……それとなくクロードと話してアタシの株を上げておいてくれ。わざとらしくならない程度にな! あとは、好きな食べ物とか……は、話を合わせるためのちょっとした情報を仕入れるとか! 頼んだぞ!』


 正直、クソほどどうでもいい内容である。つーかそんくらい自分でやれや。好きな食べ物って……ガキかよと。牛の歩みに劣る進展具合だ。

 オリビアは金級としての務めがある。魔物が活性化し次第戦場へととんぼ返りすることになるだろうに、何を悠長に構えてるんだか。


 多少強引なやり方を選んだほうが双方のためだと思うが……ま、それは余計なお世話か。契約は守るが、それ以上は贔屓の引き倒しってもんだろう。


 とはいえ、それとなくオリビアの評判を流す程度なら問題あるまい。やつが数多の実績を積み上げて金級になったことは紛れもない事実である。作為的にならない程度に宣伝しておいてやるさ。


「ういーす。帰ったぞー」


 定宿の扉を開き、誰に言うわけでもなく声を上げる。空き巣ではないというアピールのようなもんだ。

 ロビーに女将がいれば返事があるし、食堂にクロードがいれば律儀な挨拶が返ってくる。

 ただ、今日は少々事情が異なるらしい。


「ああ、エイトちゃん……ちょうど、よかった」


「お? 夕方なのに宿にいるなんて珍しいな」


 食堂から姿をのぞかせたのは真剣な表情をした女将だ。普段の甘さを振りまくような態度は鳴りを潜め、どこか堅い雰囲気を纏っている。

 ……チッ。よく分からんが面倒なことになりそうだ。


「今、ちょうどクロちゃんとも話してたの。少しだけ、時間いいかしら」


「腹が減ってるから手短になー」


 軽く茶化した口調で返したところ、女将はほんの少しの笑みも浮かべず小さく首肯した。くすんだ茶髪が僅かに揺れる。髪の合間から覗いた瞳は覚悟を決めた者のそれであった。


 タイミング悪ぃなおい。俺は女将に聞こえないようため息を吐き出してから後に続いた。


 ▷


「突然で申し訳ないんだけど……二人には近いうちに宿を出ていってもらうことになるの」


 食堂の一角。ボロっちい木造の丸テーブルを三人で囲んだところ、女将がそう切り出した。


「エイトちゃんは二部屋も貸し切ってくれてるし、クロちゃんは最近常連になってくれたところだったけど……ごめんなさいね。他の宿を探してもらうことになっちゃって」


 なんだ、そんなことか。それが率直な感想だった。

 一世一代の大博打を仕掛けるみたいな顔付きで話があるなんて言うからもっと厄介なネタかと思ったが……そのくらいならどうってことない。


 まあ、新しい宿を探すのは少々ダルいか。ここほど好条件の宿は他には見当たらないだろう。


 立地がクソなせいで他の客が寄り付かないから非常に動きやすかったし、数日留守にしても女将が詮索してこないおかげで居心地が良かった。値段も安いし、部屋もまぁきれいな方だ。

 サービスは悪いが、基本的に外で飯を食う俺にとっては欠点にならなかった。一回だけ空き巣被害に遭ったが、あれは事故みたいなもんだろう。


 総じていい隠れ家として機能してくれたが……そうか、それも終わりか。


「話は分かった。いつまでに出ていけばいい?」


「まだ詳しいことは決まってないけど……ひと月かふた月、くらいかしら」


「ほーん。じゃあひと月を目処に出てくとするかね」


「ごめんね?」


「謝る必要はねぇだろ。ま、この客の入りじゃいつか潰れると思ってたさ」


 小粋なジョークで場を和ませようとしたらクロードに脚を蹴られた。あんだよ。


「女将さん。不躾な話で申し訳ないんですが……資金繰りに困ってやむなく閉店、っていうわけではないんですよね?」


 腫れ物に触るようなたどたどしさでクロードが尋ねる。まったく、お人好しめ。


「ええ。そういうわけじゃないからそんな心配しなくても大丈夫よ。少し前から本業が上り調子だしね?」


 俺がウェンディとして働きかけたおかげで女将が所属している店の売上は突出している。本当はまだまだ甘い汁を啜れたんだが……チッ、アウグストめ……いや……もう忘れよう。忌々しい。


「そうですか。……ならいいんですが」


「なぁに? クロちゃん心配してくれてるの?」


「それは……まぁ。その……僕の勘違いだったら申し訳ないのですが」


 クロードは【六感透徹センスクリア】を持っている。くだらない勘違いはしないだろう。故に続く指摘は核心を突くものであるはずだ。


「女将さんが……どこか思い詰めているように見えたので」


 困ってる人間を見ると手を差し伸べずにはいられない。それがクロードの本質だ。

 全く、本当に難儀な性格してやがる。


「…………そんなふうに見えたかしら?」


「ええ」


 込み入った話になるだろう。とっとと退散してもよかったのだが……クロードが話を聞く以上は俺も聞いておいたほうがいい。少なくとも後手に回ることはなくなる。


 女将は一つ間をおいてから語り始めた。


「私はね……孤児院を創りたいの」


 孤児院。孤児院ね。そりゃまた大きく出たもんだ。個人でどうこうできる範疇を超えた問題じゃねぇか。


「孤児院ですか……」


「ええ。祖父母から譲り受けたこの宿を引き払わなかったのは……いつか孤児院として建て直すためだったの」


 客が来ない宿を開いている理由なんてない。余計な維持費がかかるだけだからな。

 どうして宿を畳まないのかと疑問に思ってたが、そういう訳なら納得だ。

 俺は床に置いた背嚢から酒とジャーキーを取り出した。


「そうだったんですか。……つまり、孤児院経営の目処が立ったと?」


「まあ、一応ね。目標の金額は集まったわ」


 俺は勢いよく酒を呷った。

 酒精の強い安酒だ。喉と腹をカッと焼くような熱が広がる。


「くふぃ〜!」


「……それは、おめでとうございます。……女将さんの努力の賜物かと」


「ふふ……そう言って貰えると嬉しいわ。ありがとう、クロちゃん」


 気を遣ったような笑みで世辞を述べるクロード。儚げな笑みで応える女将。

 全く茶番だな。俺はジャーキーを齧った。もごもごと口を動かしながら言う。


「んで、いくら貯めたんよ」


 クロードが視線で何かしらを訴えてくる。俺は無視した。ハッキリと言わにゃならんこともあるだろうよ。


「一応、金貨五十枚は貯めたわ」


 大金だ。庶民の年収が大体金貨三枚であることを考慮すると、並の覚悟で貯められる金額じゃない。生きていくにはどう足掻こうと支出が嵩むしな。

 突出した才能や恵まれた境遇があれば別だ。そうでない場合、身を粉にする勢いで働き、贅を排した倹約に徹しなければ貯めること叶わぬ金額である。


 努力の賜物という賛辞が正に相応しい。

 が、それでどうにかなるかってのはまた別問題である。


「もって五年ってとこか?」


 追加の酒を呷る。その間、二人は言葉を発さなかった。仕方がないので続けて喋る。


「育ち盛りのガキが十人も二十人もいりゃ掛かる金は青天井だ。それに人も雇わなくちゃならんだろ。アテはあんのか?」


「それは……私一人で……」


「ならもって三年だな。ガキ預かるのに兼業は無理だろ。収入がなくなったら貯金が底を払うのも早くならぁな」


「……預かる孤児の子たちにも働いて貰えば」


「働けないガキはどうするよ。むしろそういうヤツのが多いんじゃねぇの?」


「それは……」


「あと宿の改築はどうする気だ? まさかこの状態の宿を流用するつもりか? 子守唄に喘ぎ声を聞かせたいってんなら止めはしねぇけどな! くっはっは!」


 下世話な冗談はどこまでも場違いで、誰に拾われることなく消えていった。居心地の悪い沈黙が広がり、俺がジャーキーを口の中で転がす音だけが響く。

 ひでぇ空気だ。昔を思い出すね。未熟なガキが捻り出した拙い将来像の隅から隅までバツを書き込まれるあの感覚は思い返すだけで胃がもたれそうになる。


 辛いだろう。だが、これは俺なりの温情だ。


「他の街の孤児院がどうして経営できてるか知ってるか? 教会が寄付を集めてんだよ。平和な街はいいよなァー。他人様に施す余裕があるんだからよぉー」


 暗にエンデの街で孤児院の経営が難しいことをほのめかす。

 営利を目的としない個人経営の慈善組織など成り立つわけがない。女将も馬鹿じゃないんだ。冷静になればそれくらい分かりそうなもんだがね。


 三度酒を呷る。濃密な酒精を振りまいて馬鹿みたいな顔を作る。冷静に詰められるよか精神的にマシだろ。


「まぁ〜なんだ。諦めるか、そうでもなきゃ、よその街へいってシスターでもやりゃいーんじゃねェの?」


 他の選択肢もあるぞ。そういう意図は伝わっただろう。

 だが……俺は内心でため息を吐いた。こりゃダメだな。完全に覚悟をキメちまった顔をしてやがる。最近何度か見た顔だ。

 死地を定めた冒険者どもの顔。死んでもいいと豪語してみせた少女の顔。やりたいことがあるんだと決意を滲ませたガキの顔。


 己の理想に命を全うしようとするやつの顔つきだ。


「忠告、ありがとうね? でも……もう決めたことだから」


 一つ、致命的な違いがあるとすれば、それが酷く後ろ向きなものであるということだろう。強迫観念じみているとでも言えばいいのか。


「女将さん……」


「エイトちゃん、そのお酒もらえる?」


「おお、飲め飲め! 金は後で貰うからなー?」


 強い酒が入った陶瓶を渡す。女将は酒を受け取るや豪快に喉を鳴らして飲み下した。素人でもあるまいに、随分と危険な飲み方をする。


「っ……はぁッ…………!」


 腹に抱えた思いを吐き出すにはそれくらいの景気付けが必要だったのかも知れない。

 女将は胡乱な瞳を宙に投げ掛けた。腹に溜まった澱をぶち撒けるように言う。


「これは……贖罪なの」


 訥々と語られる言葉は懺悔に似ていた。


「私はね……自分の子を捨てたの。捨てたも同然の仕打ちを……してしまった」


「だから、孤児院なんですか?」


「そう……少しでも償わなきゃ……報いなければ……私はあの子にも、あの人にも……顔向け、できないっ……」


 酔い潰れる一歩手前の女将はぐずぐずになりながら言葉を吐き出し続けた。支離滅裂なそれらを繋ぎ合わせると女将の過去が透けてくる。


 冒険者の夫と結婚したこと。

 めでたく子どもを授かったこと。

 出産直後に夫が亡くなったこと。

 放心状態で育児がままならず、子どもを親戚に預けざるを得なくなったこと。

 その親戚もすぐに寿命で亡くなり――子どもが行方知らずになったこと。


「私は……蔑ろにしてしまった命に……報いなくちゃ……」


 よくある悲劇だ。孤児の殆どは親を亡くした子どもである。冒険者の親が亡くなり、残された子どもが孤児となる例は多い。後家になる女もまた然りだ。


「私は……私は…………」


 贖罪、ね。なるほど、孤児院の開設は女将にとっての罪滅ぼしなのだろう。心に抱えた負債を返済しないうちは前を向くことも難しいってわけだ。

 ……その結果、何もかもが中途半端に終わっちまったら本末転倒だと思うがね。


「女将さん……今日はもう、休んで下さい」


 立ち上がったクロードが女将の頭に手をかざして魔法を発動した。【酩酊ドリーミ】に【鎮静レスト】、それに【痛覚曇化ペインジャム】を掛け合わせたか。酷く優しい魔法だ。


 すぅすぅと寝息を立てて机に突っ伏す女将を見つめながらクロードが言った。


「ごめんなさい」


「なんで謝ってんだ?」


「……言いたくないことを、言わせてしまったでしょう」


「俺が勝手にしたことだ。お前が気に病むことじゃねぇ」


「でも……僕も分かってました。女将さんの試みは近いうちに頓挫するだろう、って」


 俺は女将が孤児院を経営すると言い出した瞬間からそりゃ無理だと悟った。クロードも全く同じタイミングで気付いたに違いない。

 それでも祝いの言葉を贈ったのは……それがクロードなりの温情だからだろう。


 こいつのことだ。裏でひっそりと援助でも行うつもりだったに違いない。んなのバレないわけがないし、相手に負い目を与えるだけなのにな。


「……愚かだと思いますか?」


 クロードは俺が察していることを察したらしい。根底が同じである故に話の前後が飛躍した会話さえ成り立つ。


「別に。ただそういうやり方はいつか無理が来るぞ。俺たちは神じゃない。救える人間には限りがある」


「ええ……分かっています」


 根底は同じだ。しかし既に意思は別の方向を向いている。

 クロードは俺の言葉を反芻するように頷いた。考え、答えを出そうとしている。


「ただ施すだけじゃ、自己満足で終わる」


 それはいつか俺が教えたことだった。


「でも僕は……女将さんの想いを無駄にしたくない。救って、あげたいんだ」


 クロードは寝室からブランケットを持ってきた。眠りこける女将に優しく被せてから言う。


「一つだけ、お願いを聞いてもらえますか?


「……お前にゃ【共鏡インテグレート】の件やらで力を借りてるからな。俺にできることなら聞いてやるよ」


 そう返すとクロードは小さく目礼した。一度気遣うように女将を一瞥し、瞑目してから深い呼吸を一つ。

 眦を決し、確とした声で言った。


「『聖女』オリビア様との面会を、取り次いで貰えないでしょうか」

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