ジレンマ

 翌日の朝一番に俺はオリビアに【伝心ホットライン】を飛ばした。クロードが会いたがっていると伝えたところ、甚だ浮かれ切った二つ返事が勢いよく返ってきた。

 向こうからすりゃ渡りに船ってところなんだろう。あれほど喜色に満ちた意思を受け取ったのは初めてかもしれない。


 そんな楽しいもんにはならないかもしれんぞと釘を刺したのだが、結局聞く耳は持ってもらえなかった。どうなることやら。


「おいおい……ようやく流れが向いてきやがったな……! ドカンと実績を打ち立てた甲斐があったぜ……!」


 準備もなしに招いてこの前みたいな無様を晒されても困る。そういう理由で事前に迎えに行って緊張をほぐそうとしたのだが、オリビアは声こそ弾んでいるもののそれなりに落ち着いているように見えた。

 全身をすっぽり覆う大きさのローブを着たオリビアがフードの先をつまんで視界を確保しながら言う。


「アンタには感謝するぜ。まさかこうまで早く話をつけてくれるとは思わなかったよ」


「俺は別に何もしちゃいねぇよ。流れで勝手にこうなっただけだ」


「そう謙遜すんなって!」


 オリビアは俺の背中をバシバシと叩いた。

 こりゃまた随分と分かりやすくご機嫌だ。意中の人間に頼られるというシチュエーションがそうさせるのかね。


 にしたってえらい変わり様である。前回のヘタれっぷりを気に病んで慌てふためくかと予期してたんだがな。どうやら金級だけあって立ち直るのも早いらしい。


「頼むから今回はその調子を維持してくれよ。顔を合わせたらへなちょこになるようじゃ話にならねぇ」


「わーってるっての! それに……今回は大丈夫だ。これを飲んできたからな!」


 オリビアはニッと口の端を吊り上げて笑い、懐から小さな薬瓶を取り出した。中に入っている薄い青の液体が波打つ。


「薬、か。アーチェにでも貰ったのか?」


「ああ、割と強めの向精神薬だ。金貨三枚で買ったぞ!」


 ボられてんじゃねぇか。俺は呆れた。

 その値段で買うこいつもこいつだが、『聖女』相手に吹っ掛けるアーチェも中々にアレだな。怖いもの知らずかよ。頭のタガが緩んだやつはこれだから……。


「……あいつの薬なら効き目は保証されてるか」


「いい仕事するぜアーチェのやつ。高揚はするが平静は失わねぇし不安になることもねぇ。これならイケるぜ……!」


 俺の【鎮静レスト】は即効性はあるが長続きするもんじゃない。頼るなら薬の方が適任だろう。

 そもそも人に会うくらいで薬に頼らざるを得ないのはどうかと思うが……それで特異体質ゆえの弱点を克服できるなら指摘するのも野暮か。


「まあ……精々頑張ってくれや」


「言われなくても気張るっての! あー……クロードはアタシにどんな話があるってんだろうな?」


 事の詳細は話していない。それはクロードの役目だからな。俺はあくまで仲介としての仕事を果すに留めた。この件がどう転ぶかはクロードとオリビアの二人次第である。


「――」


 上機嫌な鼻唄を披露しながら歩くオリビア。その調子が続いてくれることを、俺はただ祈るばかりだ。


 ▷


 定宿の食堂。壁に背を預けて二人を見守る。

 女将は仕事に行っている。同席させなかったのは余計な期待を抱かせないためだろう。


 クロードが深い辞儀をしてから切り出す。


「この度は急な呼び掛けにもかかわらずご足労頂きありがとうございます。『聖女』オリビア様」


「そんなに畏まらないで下さい。あなたの噂は聞いてますよ、石級のクロードさん。皆があまりやりたがらない依頼を率先して受けていると。頼もしい限りですね」


「過分なお言葉、痛み入ります」


 おお……。俺は地味に感動した。まさかこうまでスムーズに会話が成り立つとは思わなかったぞ。

 クロードはだいぶ格式張った態度だし、オリビアのやつもしっかりと猫を被っているが、それでも先日とは比較にならない進歩である。薬の力ってすげえ。


「『聖女』様の偉功の数々はかねてより伺っております。慈愛に満ちた献身の精神、敬服するばかりです」


「ん……ぅ。そんな、そこまで称賛されるようなことではありませんよ。私はただ、自分がしたいと思ったことをしたまでですので……」


 クロードが射抜くようにオリビアを見据える。オリビアは少し狼狽えていた。

 若干挙動不審ではあるが、『あっ……あっ……』としか返せなかった前回よりは万倍マシである。これなら最低限の会話はこなせそうだ。


「そう言い切れる高潔さ、見習いたい所存です」


「っ……そんな、高潔だなんて……!」


 オリビアが口の端をだらしなく歪める。その身体は歓喜をこらえるかのように細かく震えていた。精神を安定させる薬も万能ではないということか。


「この度は、高名な『聖女』様に……上申したいことがありまして、浅ましさを承知でお声掛けさせて頂きました」


「そんな、浅ましいだなんて思ってませんよ……! 顔を上げてください。そっ、それに……私のことはオリビアと呼んでいただければ……!」


「お気遣い、痛み入ります。それでは、失礼ながら……オリビア様」


「は、はい……!」


 名前を呼ばれたオリビアはピンと背筋を伸ばした。期待に満ちた眼差しがクロードを見据える。


 早まったかな。

 そんな感想が芽生えるも、時すでに遅し。


「オリビア様の御力で……この街に孤児院を作ることはできないでしょうか」


 クロードの個人的な悩みを相談されると思っていたのだろう。オリビアは思いのほか規模の大きい件を持ちかけられたからか困惑を滲ませた声色で返した。


「孤児院、ですか……?」


「はい。……実は、私の知人がその件で甚く苦慮しておりまして」


 クロード自身の願いではなく、故なき他人の願いである。それを明かすのは悪手だ。

 クロードならオリビアの内心をとっくに察しているだろう。こうまで露骨な反応を寄越されて気付けないほどあいつは馬鹿じゃない。


 その心理を利用する方面に舵を切れないところがクロードの甘さだ。律儀さってのは美点であるが、時に大きな欠点と成り得る。それじゃ相手を動かせない。


「オリビア様ならば孤児院経営の一助を担うことも可能なのではないかと、そう思った次第です。ご一考いただけますと幸いです」


 オリビアがエンデの街へもたらした恩恵は計り知れない。

 戦場では多くの荒くれどもの傷を癒やし、利便性に優れた魔石を供給することで民の生活の質を底上げし、金級としての働きで得た給金の全てを街の経営のために寄付する。


 まさしく聖女だ。私欲を捨てて奉仕に邁進し続ける様が評価された結果、オリビアは金級の位と二つ名を授かった。


 エンデの街に広く浸透した『聖女』の加護。クロードの提案は、それを少しばかり融通してくれないかと直訴するようなものだった。


「クロードさん」


 先程の浮かれ切った声とは打って変わって平坦な声が耳を打つ。


「この街に孤児院がない理由は、ご存知ですか?」


 それはつい昨日も話題になったことだ。必然、答えはすぐに出てくる。


「はい。……この街には女神教の信徒がおらず、教会が機能していないので孤児院を経営するだけの寄付が集まらない」


「そうですね。他に考えられる理由はありますか?」


「……この街は、他の街に比べて孤児が多い。冒険者を親に持った子が……孤児になる例も少なくない」


「ええ。他には?」


「…………」


 押し黙ったクロードを見たオリビアが視線を俺へと向ける。そうだな。


「わけあって自分が住む街の孤児院には預けられないガキをこの街に捨てていく輩もいるらしいな。あとは孤児同士でヤっちまって育てきれずに……って例もあるだろう。そいつらを全員抱え込むなんて現実的じゃねぇわな」


 面と向かって言いにくいことを俺が代弁してやると、オリビアは首を縦に振って肯定した。まあ、こいつならそれくらいの事情は把握してると思ってたよ。


「孤児院を建てるとなった以上は……救う命に優劣をつけてはなりません。言ってる意味は……お分かりですか?」


「……いかなる理由があっても、保護する孤児を選んではならない。全てを救わなければならないと、そういうことですか?」


「ええ。半端な覚悟で事を為せば……格差と軋轢を生むことになります。ひいては、望まぬ悲劇まで」


 孤児の数が定員に達したから。これ以上は金が保たないから。

 そんな理由で庇護の輪から弾かれた者たちは胸に昏い情念を抱えることになるだろう。作られた平和な世界に混じることを許されなかった者の苦悩を、は痛いほど知っている。


「やはり、難しいことでしょうか」


「可能ですよ」


 俯いたクロードがその声を聞いて顔を上げ――オリビアの冷徹な瞳に気圧されたように背を仰け反らせた。古びた椅子の背もたれが悲鳴のような軋みを上げる。


「私なら、可能です。つい先日、諸事情があって私は寄付を停止しました。魔石を売って得た金銭と、金級としての稼ぎを合わせれば孤児院の経営も能うことでしょう」


 寄付の停止……初耳だ。一体なぜ。

 ……必要がなくなったからか。オリビアは名声を稼ぐために慈善活動を行っていた。貴族に見初められることを狙ったと言ってたっけか。で、クロードが現れたことで私財をなげうつ理由もなくなったと。


 オリビアは自分のために金を蓄える必要が出てきた。だがその稼ぎは有象無象の冒険者とは比較にならない。孤児院の経営に充ててなお余裕のある生活を送れることだろう。


「ですが、それは本当に健全な運営と呼べるでしょうか」


「…………言えないでしょうね。オリビア様の負担が、大きすぎる」


「ええ。私も……冒険者です。いつ天へと召されるか知れない身。命の危険を覚えたことも片手の指では足りません。……つい先日も、もう終わりかと思うことがありました」


 溶岩の竜騒動のことだろう。言葉を濁したのはクロードの正体がガロードであることを知らないていで話しているからであり、世間にはその真相を歪曲して伝えている事件であるからだ。


「私が死ねば破綻する。そんな一時凌ぎの策を施してほしいわけではないのでしょう?」


「……はい。仰る通りです」


 クロードは自分が金を工面するだけでは自己満足で終わると判断した。故にオリビアへと協力を打診したわけだが……なんのことはない、オリビアの力を使ったところで同じ結末に着地するというだけの話だった。


 交渉の決裂は既に見えていて、その答え合わせが終わった。そんなところだ。

 オリビアにはいずれ来る破綻を見ない振りしてクロードの案を飲み好感を稼ぐ選択肢もあったが、そこまで短絡的ではないようで――そうだな、安心した。


「過去のギルドも孤児たちの扱いには頭を悩ませていたと聞きます。昔は今よりも孤児の数が多かったという話も間違いないでしょう。……錬金術師が作成した避妊薬を導入する前は、色街の経営も難しいものがあったようで」


 やればできる。当然の話だ。

 親が判然としない子を授かっちまった娼婦の将来は想像に難くない。


「ギルドも策を練りました。ですが……彼ら全てを穏便に救う策を打ち立てることは難しかった」


 ギルドの本分は魔物退治と治安維持だ。慈善活動ではない。

 冒険者の親を亡くした子に弔慰金を支払う策もあったようだが……適用の基準から外れた持たざる孤児が一斉に暴動を起こしたとかで廃止になったと聞く。

 一筋縄ではいかない問題だ。完全な正答は無いに等しい。


「結果として残ったのが『孤児に過度な制裁を禁止する』というお触れでした。軽度な犯罪を容認すると言っているようなものですが……これが一番収まりが良かったのです」


 全ての孤児に平等な救いをもたらすことはできない。だからギルドは別の方面で平等な環境を敷くことで解決を試みた。要は他の皆にもほんの少し不幸になってもらおうという策である。


 ガキのやることだから見逃せよ。将来的に冒険者になってこの街を支えてくれるかもしれないんだぜ?

 そういう空気を作り上げることで間接的な保護に乗り出したのだ。


 まあ……落とし所だろうな。

 割りを食うやつがいる以上は完璧とは言えないが、一定の水準は満たしていて、これ以上を望むには誰か、もしくはどこかしらの組織が大きな割を食うことになる。

 よくやっている方だと思うのは俺が割りを食ったことがないからかね。


「……若輩の無理難題、オリビア様の耳に煩わしく聞こえたことでしょう。申し訳、ありませんでした」


「謝罪は不要です。それだけ私のことを買っていただけた証だと、そう思えますので」


『聖女』ならば或いは。そんな希望の糸が断ち切られた瞬間であった。

 今回の件は誰にとっても荷が重すぎた。女将にも、クロードにも、金級であるオリビアにも。一人で背負い込むには足りないものが多すぎる。それが決裂の原因だった。


「私からは、もう上申したいことはございません。……お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」


「いえ。……では……失礼します」


 ほんの少し前までの浮かれた空気は見る影もない。

 深く頭を下げるクロードを一瞥したオリビアは、平静を取り繕っていた顔をくしゃりと歪ませて唇を噛み締めた。羽織ったローブのフードが悲嘆に暮れる顔を隠す。


「それでは」


「はい」


 別れの言葉は簡潔で、しかし今生の別れを示唆するような湿り気があった。

 オリビアが宿を後にする。その後もクロードはテーブルの木目に視線を落としたままだった。まるで自分の無力を嘆く悲劇の主役のようだ。


 はぁ~、やだねやだねぇ。俺は盛大にため息を吐いた。

 そういうのは勇者ガルド時代に嫌ってほどやっただろうが。ったく、二人して強情っぱりなんだからよぉ。ちったあ人に押し付けるってことを学べっての。


 このままじゃ飲む安酒が不味くなるってもんよ。

『教会に来い』。そうオリビアに意思を飛ばしてから俺は首を掻き斬った。

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