化けの皮展示場

 錬金術は知識と教養が試される学問だ。

 目が眩みそうになる程の書物を読み漁り、その記述を隅から隅まで頭の中に叩き込み、物体一つ一つに宿る効能を把握する。

 そんな気の遠くなる作業を完璧に修めることがスタートラインであるというのだから恐ろしい。


 始発点に立った後に学ぶのは素材の加工手順だ。

 どういう組み合わせが薬となるのか、また毒へと転ずるのか。適正な配合量はどれほどか。調合の順序は。加工の方法は……と、覚えなければならないことが山のように積み重なっていく。中途半端な志を抱いているやつはここらへんで音を上げるとか。


 長い年月を費やして知識を詰め込んだ後、ようやく実技による調合が始まる。

 溜めに溜め込んだ知識を披露する晴れ舞台。一握りのエリートのみが辿り着ける栄光の舞台は、その印象に反して非常に陰惨な光景になるのだとか。


 僅かなミスをことさら大袈裟にあげつらうのは当たり前。完成品が拙い出来だったら師から容赦なく拳が飛んでくるとのこと。


『扱う品によっては手順を一つ誤るだけで死人が出ますからね。当然の措置じゃないですか?』とはアーチェの言だ。

 勉学が得意でも精神面に難があるやつはここで篩に掛けられる。しつこい嫌味と容赦ない暴力に耐え切った者のみが錬金術師を名乗ることを許され、新たな地平を開くための探求に携わる権利を獲得できるのだ――。


 これがアーチェとの世間話によって得た錬金術師の実態である。多少の見栄や誇張は入ってるだろうが、事実と大きく乖離してはいないだろう。錬金術師はとてつもなく狭い門、という一般的な認識と相違する点はない。最も研鑽を要する職との評価も納得だ。


 魔法を扱うにも研鑽が必要だが、これはある程度我流でも鍛えられるからな。完全な正解しか許されない錬金術とは勝手が違う。


 学問という分野における頂点。それが錬金術だ。


 俺はその話を聞いた時に一つだけ疑問に感じた。知識と教養が物を言う分野でいうと、似たような職に薬師がある。はて、薬師と錬金術師とでは何が違うのだろうか。


 俺は率直な疑問をアーチェに尋ねた。その時にやつが浮かべていた人を馬鹿にするような表情は今でも脳裏に焼き付いている。だからだろうか、その後に続いた言葉もしっかりと記憶している。


 薬師と錬金術師の違い。それは『魔力を含んだ素材を触媒に用いているか否か』なのだと。


 ▷


「邪魔するぞー」


 暗く湿った路地裏に居を構える工房は今日も今日とて客が一人もいなかった。

 当然っちゃ当然だ。アーチェが目玉商品としている外傷治癒のポーションはギルドでも購入できるからな。その他の軽い体調不良なんかは薬師が煎じた薬湯を飲めばそのうち治る。


 錬金術師の作品は一般人が買うには値が張りすぎるのだ。こいつの店がいつもガラガラなのはある種の必然なのである。立地もクソだし。


 奥の部屋で何かしらの作業をしていたらしいアーチェが気のない返事とともに顔を覗かせる。かったるそうな腑抜け顔を引っ提げたアーチェは、俺の隣にいるオリビアを見るや硬直。約一秒の間を置いてからとても晴れやかな営業スマイルを浮かべた。


「アーチェ錬金術工房へようこそぉー! 本日はどういったご要件でしょうかぁ? うちの品はどれも高品質を約束してますよぉ。調合依頼も受け付けてますぅー!」


 こいつ本当にいい性格してやがる。アーチェめ……『聖女』の正体に勘付いた上でカモにすることを選びやがったな? この頭の回転こそが錬金術師としてに必要な素質なのかね。まったく、それでこそだ。


 嘘くさい笑みで迎えられたオリビアは同じような笑みを貼り付けて応えた。


「お初にお目に掛かります、アーチェさん。エンデきっての優秀な錬金術師の噂はかねがね承っておりました」


 楽器を鳴らすような声を出し、楚々とした仕草で礼を披露するオリビア。

 おいおい……俺は辟易した。ここは化けの皮展示場か何かか? 居づらいことこの上ねぇぞ。


 よそ行きの顔を作ったアーチェが言葉を返そうとする。俺は平手を見せ付けてそれを押し止めた。

 口角をわずかに上げて儚い笑みを演出しているオリビアに言う。


「あー、こいつに対して演技はいらん。脛に傷を持ってるからな。バラしはしねぇよ」


「おっ、そうか。そりゃ楽でいいな」


 ニッと口角を上げたオリビアが口調を崩す。指をきっちり揃えた気品を示す立ち姿をやめ、片膝を緩く曲げて腰に手を添えた。粗野な冒険者もかくやの態度である。感嘆すべき変わり身の早さだ。


「えっと…………えっ?」


 豊富な知識を詰め込んだ才女と言えど、エンデで持て囃されている『聖女』の本質は見抜けていなかったらしい。

 アーチェは突如豹変したオリビアを見て目を白黒させている。こういう姿だけ見れば普通の小娘なんだがな。


「さて、軽く紹介を終えたところで本題といこうか。アーチェ、お前の夢の成就を強力に後押ししてくれる助っ人を連れてきたぞ。金級冒険者のオリビアだ」


「うーす。『聖女』って名前くらいは聞いたことあんだろ? 宜しくな」


 エンデの要と称される人物から気さくな挨拶を交わされたアーチェは神妙な顔をして押し黙った。唇をもごもごと動かすこと数秒。意を決したような表情で言う。


「あの、エイトさん……これ、もしかしなくても厄ネタだったりします……?」


 察しがいい。故に使える。

 俺はただ頷いた。それだけで伝わっただろう。オリビアは新たな秘密の共有者なのだ、と。


 バラされたくなければバラすな。そういう打算の輪に新参者が加わったというお話である。


「……はぁー。エイトさんの人脈に今さら突っ込む気はありませんが……まさか金級までたらし込んだんですか?」


「おいおい俺が外道みたいに聞こえる言い方はやめろよ。俺とこいつは互いの利を貪り合うだけの清々しい関係だ」


「……? まぁ、あなたたちの関係は置いておくとして」


 アーチェはそこで言葉を切った。すぅと目を細め、値踏みするような眼光を飛ばす。得体のしれない物体が毒であるのか、それとも薬として働くのかを峻別するが如く。


「『聖女』様が何を考えて私たちの輪に加わったのかは興味ありません。私が気になるのはただ一つ。私に利があるのか、です。秘密を負うリスクだけ増えて見返りがないなんて真っ平ですよ?」


 こいつは本当に強かだ。この街でも有数の権力を持つ相手に臆することなく自らの取り分を主張する……易々とできることじゃない。こいつもなかなかに綱渡りが上手いようだ。


「へぇ……ヘラヘラしてて気に入らねぇと思ったが……案外肝が座ってんのな?」


「じゃなきゃ錬金術師は務まりませんよ。で、どうなんです?」


 女二人が視線の火花を散らす。片や皮肉げに口をひん曲げて見下ろし、片や真贋を見定めるように目をすがめて見上げる。

 個人的にはもう暫く推移を見守ってみたかったが、あまり険悪になられても面倒だ。軋轢が尾を引く前に割って入る。


「利ならあるさ。言ったろ? お前の夢を後押ししてくれるってよぉ。そうだな……アーチェ、なんか適当な薬を一つ飲んでみろ。金は払ってやるからさ」


「薬を……? 何でもいいんですか?」


「おう。何を飲んだかは伏せておけ。代金は……これで足りるだろ」


 俺は勘定台に金貨を一枚滑らせた。アーチェが金貨を摘んでしげしげと眺める。


「……正直、まだ事態を飲み込めていませんが……。そこまで言うのであれば、これでも飲んでみましょうか」


 アーチェが取り出したのは無色透明な液体が注がれた瓶だった。栓を取り外し、木の匙で少量を掬って口元へと運ぶ。


「それだけで効果を発揮するもんなのか?」


 怪訝そうな問いに対し、アーチェがムッとした顔を作った。


「それこそが真に優れたる薬の証なんですよ。……で、言われた通り飲みましたけど? 次は何をすればいいんですか?」


 薬を飲み下したアーチェに変わった様子は見受けられない。害や副作用がある物は飲んでいないようだ。……そもそもこいつが毒を自分で試すわけがないか。


 目に見える情報がない以上、薬効を推し測る術はない。常識の範疇であれば、の話だがね。


「オリビア、どうだ?」


 魔力を持つ素材を触媒に用いているか否か。それが薬師と錬金術師の違いだ。

 薬師の薬は再現された肉体自体に効果を及ぼすが、錬金術師の薬はさらなる根源へと作用する。


 オリビアの瞳がアーチェの輪郭をなぞった。


「……受胎式の一時的な機能停止……避妊薬か。なるほど、こりゃすげぇ。よくここまで焦点を絞って効果をもたらせる薬を完成させたもんだ。副作用の一つもないんじゃないか?」


 アーチェが目を見開いて身を乗り出す。この反応は当たりを引いたってことでいいんだろう。


「えっ……どういうこと、ですか? 何を根拠にそこまで正確な判断を……?」


「そういう体質でね。アタシはそういうのを見分けるのが得意なんだよ」


 ……やはりな。狙い通りだ。オリビアなら錬金術師が作った薬の効果を寸分違わず検分できる。


「ちょっ……エイトさん!? これ、ほん……っ! えっ!? 口裏合わせた演技とかじゃないですよね……!?」


 くく……随分と興奮してるじゃないか。さもありなん。これは先人が積み上げてきた試行錯誤と失敗の歴史を嘲笑う行為だ。経過観察も被験体の比較もいらない。


 己の成果物が如何様なものであるのか。その疑問に過つことなく答えてくれる存在。研究者にとっては神と崇めるに相応しい存在なんじゃないかね?


「どうよアーチェ。満足頂けたか?」


「……ッ!」


 アーチェは首が取れそうな程に勢いよく首肯した。

 先程までの胡散臭いものを見る顔を霧散させ、興奮に上気した顔でオリビアにへつらう。


「へへ……『聖女』さまぁ……実は私、昔からあなた様のファンだったんですぅ……」


「いや媚の売り方ヘタすぎだろ。逆に不快だからさっきまでの調子で来いよ……」


「そうですか……? でしたら失礼して……」


 アーチェは一つ咳払いして仕切り直した。表情こそ整えたものの、機嫌を伺うような揉み手が実に小物臭さを醸し出している。


「えっと……『聖女』様は」


「オリビアでいい」


「あっ、はい。オリビア様は薬の効果を一目で看破する慧眼を持ってるみたいですが……一つ気になることがありまして」


「あん?」


「先程仰った、受胎式の……機能停止? っていうのはどういう意味なのかなぁと。医学とか魔術的な分野ですかね? 私は錬金術以外の知識も仕入れてるつもりですけど、ちっとも聞いたことがなかったので……」


 おっと……。

 俺はオリビアをチラと見た。向こうの目もこちらを向いている。そして顎をくいっと。……俺が決めろってわけね。


 まあ、いい。こいつとはそれなりに長い付き合いだ。信頼はしていないが、信用には値する。


 俺は言った。


「アーチェ……実はな? 俺らは純粋な人間とはちっとばかり作りが違うんだ」


「……? はぁ……」


「分かってないって顔だな。オリビア、率直に聞く。俺らを正確に表すとしたらどんな言葉になる?」


「えっ……そこまで言っていいのか?」


「まー、こいつなら大丈夫だろ。案外図太いし」


「ならいいが……後で責めるなよ?」


 オリビアはそう前置きし、一呼吸の後に言った。


「自律行動及び生殖を可能とした人体模倣式、ってとこか?」


 んー、まあそんなとこか。最低限を抜粋するとそうなる。諸々の装飾を排したらそれが最も適切な表現かもしれない。


「…………??」


「おい、何も分かってなさそうだぞ?」


「まーそうだろうよ。一発で納得されても困るだろ」


「そりゃそうか」


 自分たちは実は純粋な人間ではありませんでした。そう言われて納得できるやつがどれほどいるかっつー話よ。


「えーと……何かの宗教の話をしてます?」


「おっ! ビンゴだぞアーチェ! 実はな……この世に女神様なんて存在しねぇんだ」


「人様だけ死んだら光になるなんて不自然極まりねぇからな。それこそが女神の加護ってことでまかり通ってるけど……要は説得力みたいなもんを欲したんじゃねぇの?」


「治世のための苦肉の策ってやつだろうな。単純労働力として創り出した存在が思ったよりも数を増やしちまったもんだから、整合性を保ちつつ反乱の意思を抱かせないための施策を打ち出す必要があった。結果として生み出されたのが女神教ってわけだ」


「???」


 アーチェはひたすらに瞬きを繰り返していた。顔の各部位が中心へ寄っていて随分と面白い顔になっている。


「まぁ、あれだ。意思を持つ呪装的なね。そんな立ち位置なわけよ、今の俺らは」


「アンタはまた随分と特殊だけどな。成長上限とか取っ払われてるし」


「そりゃ勇者の性質だろうな。そうでもしなきゃ魔物に対抗できなくなっちまったんだろ。当時の連中にとっては起死回生の大博打だっただろうな」


「ちょっ! ちょーっといいですか!? えっ、なになに怖い! えっ……これ絶対に聞いちゃダメなヤツ……勇者って……えっ?」


 奇想天外な情報を煮詰めてぶち撒けると人はこんなにも面白い反応を示すらしい。錬金術師界隈を脅かした才媛も形無しだな。


 まぁ……少し意地が悪かったかもしれない。途中からは悪ノリが過ぎた。改めて協力を依頼するわけだし、誠意の一つでも示しておくには頃合いだろう。


 百聞は一見に如かず。俺は【偽面フェイクライフ】を解いた。


「どうも、勇者ガルドです。今後とも宜しくな、アーチェさんよ……!」

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