ブレイクスルー

「アンタさぁ、わざとやってんのか?」


 教会の告解室を出たところ待ち構えていたらしいオリビアと鉢合わせた。長椅子に腰掛け、頬杖などつきながら馬鹿にするように短く呼気を吐き出して続ける。


「なんで美味い汁を啜れるポジションをこんな短期間で放り出してんだよ。就任から首を落とされるまで五日も経ってねーぞ。そういう競技でもしてんのか? なぁ」


 チッ、こいつ無用心にぺらぺらと……俺は【無響サイレンス】を発動した。【偽面フェイクライフ】を使って凡人顔に化ければ工作完了。これで万が一誰かに見られても言い訳が利く。

 万全の体制を整えてから俺は言った。


「過ぎたことをいちいちほじくり返すんじゃねぇよ。次はうまくやる。それだけだ」


「ちったぁ懲りろよ! 水とツボで商人連中を脅した時もそうだけど、アンタまさかいつもこんな綱渡りしてんのか……? 正気の沙汰じゃねぇぞ……」


 これはまた新鮮な反応だ。俺の正体を知るガキどもが見せなくなって久しい反応そのものである。

 それにしても綱渡り。綱渡りか。これまた機知に富んだ表現が飛び出したもんだ。


「そう言うなよ。少しでも踏み外したら終わりっつう感覚を味わうのは中々に、こう、クセになるぞ。上手いこと渡りきった時の達成感も一入ひとしおだ」


「イカれてんのか……? 脚滑らせて落下してるじゃねぇか。捕まった挙げ句晒し者にされて、散々っぱら罵倒されながら首落とされるとかさぁ……虚しくねぇのかよ」


「それがな? 聞いて驚け。非常に不本意ではあるんだが、俺が処刑されるたびに儲かる構造は既に確立してあるんだ」


「おいおい本格的にイカれてやがる! いや、待て……『処刑されるたびに』って……まさか、ここ最近処刑の件数が急増したのって……」


 オリビアが蒼の双眸を窄めて身体を引く。

 何か宜しくない事実に当たりをつけ、願わくば否定して欲しいと切望するような表情。

 ふむ。俺は首肯で返した。


「くそがっ! こりゃ……組む相手を間違えたか……? まさか勇者がこんな泥沼みたいなやつだなんて思いもしなかったぞ……」


「こっちだってお前がエセ聖女だと知らなかったんだ。そう考えればお互い様だろ?」


「程度がちげぇだろ! アタシはただ外っ面を取り繕ってただけだ! 破滅願望持ちのアンタと一緒にするんじゃねぇ!」


「破滅願望? それは違うな。俺は手を抜かねぇし投げやりになったつもりもねぇ。全力だ。綱の上を全力で走ってる。その結果転んだとしても、まぁ、仕方ねぇかっていう話だ」


「仕方ねぇで済ませられる話じゃねぇだろッ!」


 オリビアが腑に落ちないと言いたげに吠えて己の膝に平手を落とす。その顔は怒りとも呆れとも、はたまた恐れともつかないものであった。複雑な心境が消化不良のまま表層へと漏れ出たような顔。間違っても『聖女』と祭り上げられているやつが浮かべるもんじゃない。


 オリビアにとってはそれ程までに衝撃的だったのだろうが……当事者である俺は落ち着いたもんである。人ってのは順応する生き物だからな。死という現象に慣れてしまい、いよいよ処刑という不名誉にも慣れてしまった。要はそれだけである。


 主因は例の漫画のせいだろうな。処刑されビジネスという試みで既に亀裂は入っていたが……クズ勇者のその日暮らしとかいうクソのような漫画のせいで完全にイカれちまった。

 なんせ自分の不幸が飯のタネになっちまうんだからな。これは革新である。処刑されるという行為が未来の投資に繋がるんだぜ。一周回って完成された感がある。


 開き直っちまえばいいのさ。諦めは心の養生。元々エルフに対して身体を売ってたんだ。それと似たようなもんよ。

偽面フェイクライフ】を使っているのだから実質的な損害は皆無に等しい。人格の切り売りさ。トカゲの尻尾切りってやつね。


 もちろん失いたくない人格はある。エイトやシクスなどの普段使いに便利な人格は当然として、商人連中と深いコネを築いたニコラスなんかも捨て難い。まだまだ使いようがある。故に生かす。


 人格の取捨選択基準が変わっちまった。纏めると、それだけの話さ。俺はオリビアにそんなことを噛み砕いて懇々と伝えた。


「イカれてる……! こいつもう手遅れだ……!」


「納得も理解も求めてねぇさ。ただ利を認めさえすればいい。俺の技とお前の名声を併せれば結構な融通が利かせられることが分かった。それにお前の能力……魔力式を見る力にも興味が湧いた。必要なのは微調整だな」


 初対面の時は色ボケた猫かぶりとしか思わなかったが、今回の件を通じて見る目が大きく変わった。

 こいつは――切り札になるぞ。新生面を開く鍵になるやもしれん。この出会いは幸運だった。


 一歩、二歩、詰め寄る。

 身を引いて長椅子の背もたれを鳴らすオリビアに向けて――


「試行錯誤を重ねよう。俺たちが力を合わせれば何処までも行けるぞ。心躍るとは思わねぇか?」


 俺はにこやかな笑みを浮かべた。五指と腕を広げて歓迎の意を示す。その様は、奇しくも教会に鎮座する女神像のそれと被るものとなった。

 宗教画として飾られてもおかしくない一幕。オリビアは唾を飛ばすような勢いで言った。


「冗っ談じゃねェ! 沈むと分かってる船に乗る馬鹿なんていねぇよッ! アタシは降りさせてもらう!」


 荒々しく気を吐いたオリビアが修道服を翻して教会の出口へ向かう。おっと、そうはさせんよ。すかさず進行方向を塞ぐ。


「待て。まあ待てって」


「どいてくれ、話はもう終わりだ。アタシたちは知り合わなかったことにしよう。それが一番……互いのためだ」


「結論を急ぐなよ。縁は異なもの味なもの。勇者とのパイプは捨てるにゃ惜しいもんだと思うがね?」


「利益を加味した上で不利益が勝るって言ってんだよ! ヘマやらかしたせいで稼いだ名声が地に落ちたら元も子もねぇ……!」


 そう吐き捨てたオリビアが俺の脇を抜けようとする。強情張りめ。俺は修道服の袖を掴んだ。


「チッ……離せッ! アタシは『聖女』だぞっ!」


「その『聖女』様の力を貸してもらおうっつう話なんだよ。諦めろオリビア。お前が俺に接触した時点で流れが出来上がっちまったんだ」


「タチが悪すぎる! 戦場で見た時はマシな部類だと思ったのに……こんなの詐欺じゃねぇか! 離せーっ!」


 チッ……大人しく従ってくれりゃ手間がないんだがな。

 やむなし。俺はオリビアに耳打ちした。


「いいのか? ここで俺との縁を切ったら……お前の想いは成就しないかもしれないんだぞ?」


 空気が凍った。そう錯覚させる圧が身体の芯を抜けていく。それは俗に殺意と呼ばれるものだ。


 筋肉の軋み。漏れる呼気。視線運び。魔法発動の前の精神集中。

 噛み合った一挙一動は口よりも雄弁に物を言う。殺すぞ、と。


「……なんだ、そりゃ。脅しのつもりかよ」


 態度も一変した。穏やかなていを装って紡がれた声は、威嚇する猛獣の唸り声と錯覚するほどの剣呑さを秘めている。

 なるほど、これは金級だ。荒くれどもの巣窟で頭角を現しただけのことはある。勇者を前にして啖呵を切れる人間がどれほどいるか。


 だが早まってもらっちゃ困るね。俺はガキに道理を説くような声色で言った。


「おいおい早合点するなよ。俺は別にお前の弱みを握って脅そうってわけじゃない。お前が俺に対してそうしなかったようにな。礼には礼で返すつもりだぜ?」


「……なら、さっきの発言は何を意図してるんだ?」


「言葉通りの意味さ。俺とお前が縁を切ったとしよう。そうしたら俺は本当にぞ? する義理がなくなるからな」


 不利益を招くことはしないさ。だがお前の利益になるよう働きかけるつもりもない。それはオリビアが孤立無援の状態に戻ることを意味する。

 果たしてお前は独力で事を成せるのか? そう問いかける。


「…………」


 返ってきたのは沈黙だった。

 それでいい。できる、と即答しないだけマシだ。前よりも現実が見れている。世間話ついでにツボを売りつける無様を晒した甲斐があるってもんだな?


 弱みを握ることはしないさ。ただ、苦境に喘ぐお前に対して手を差し伸べることは無いと宣言しただけのこと。

 クロードをダシに使うことになる。それは承知の上だ。それでも、やり遂げなきゃならんことを抱えてるのはこっちも同じでね。


「賢くなろうぜ? 互いに利用し合う関係でいいじゃねぇか」


「…………」


 オリビアの目が揺れ、端正な顔が僅かに歪む。殺意はとうに陰っており、代わりとばかりに表れたのは不安や焦燥だ。


「そもそもの話だ。今日、お前がこの教会で俺を待ち伏せしてたのは俺に協力を依頼するためだったんじゃないのか?」


「うっ……」


「お前さぁ、公衆浴場を立派にして誇れる話題と実績を作ったってのに、まだクロードに接触してないんだろ? 何をモタモタしてるのか知らんが……手ぬるすぎるぞ」


「それは……だってさぁ、そんな自慢するように話しかけたら浅ましい女とか思われそうで……自然な流れとか、そういうのってあるだろ……それを待ってたら話しかける機会がなくて……」


 色が絡むと途端にこれである。そこらの冒険者顔負けの肝を持ってるくせして、恋愛沙汰に関しては石級のチビ以下だ。この体たらくでよく俺の手を払いのけようと思ったもんである。


 俺はオリビアの肩に手を置いた。こちらを見透かすような蒼の瞳を覗き込んで言う。


「ギブアンドテイクでいこう。俺はお前から力を借りた分だけお前に力を貸す。契約みたいなもんだよ。な?」


「ぐっ……」


「分かった、じゃあこうしよう。俺はしばらく新しい人格を作って無茶をするのはやめる。変に悪目立ちすることもなくなるだろうさ。それなら文句はないだろ?」


 初っ端から落とし所を提示せず、後から譲歩して折れたように見せかけるのは交渉の基本である。情報の出し方一つで相手の心理を操作できるということを俺はこれまでの経験から知っていた。


 オリビアが観念したと言わんばかりに大きく息を吐き出し、乱暴に髪をひと掻きした。


「わーった! わーったよクソッ! 毒を喰らわば皿までだ……その代わり、アタシの依頼も断るんじゃねぇぞ!」


 くくっ……契約成立だ。

 これまでは互いの望みを叶えたらそのままおさらばになってもおかしくなかったが……改めて契りを交わしたことで縁が結ばれた。

 悪縁契り深し。その力、今後も俺のため存分に役立ててもらうとするぞ。


「で、高名な勇者様はアタシに何をさせようってんだよ。念を押しとくが……立場が危うくなるようなことには手を貸さねぇぞ」


「その心配はいらん。ちょっと視てほしいモンがあるだけだ。その上で軽くアドバイスをしてくれりゃいい」


 魔力で組まれた式を見通す力。それさえあればトライアンドエラーの工程を極限まで圧縮できる。

 やつならば放っておいてもそのうち結果を出すだろうが、それでも成果を得るのは早いに越したことはない。


「それじゃあ行くか。イカれ錬金術師の工房へ」


 待ってろよアーチェ。お前の高尚な夢とやらを叶える補佐をしてやろうじゃないか。

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