壁一枚の突破口

 公衆浴場を任されていたのは腰の曲がったジイさんだった。厳つい見た目通り頑固なジイさんで、より良い経営をしてやるから全権を任せてみろと説得しても首を縦に振ることはなかった。

 まあ当然だろう。こんな唐突に過ぎる話をぶら下げられて詐欺を疑わなかったらただの無能である。


 そこで聖女様の威光の出番だ。

 俺は偶然居合わせた『聖女』様に街の公衆浴場が改善の必要に迫られていることを切々と訴えた。その熱意は『聖女』を、ひいてはギルドをも動かすこととなる。

『聖女』直々に式を刻んだ魔石が進呈されると同時、公衆浴場の環境は改善され水のみならず話題も沸騰。前任者のジイさんはこの街の金級を動かした俺の功績を認めざるを得なかった。

『聖女』直々の推挙も手伝って、公衆浴場の経営及び管理の権利はこの俺に委譲されることとなった。シナリオとしてはそんな感じである。


 しかし……俺は事ここに至るまでオリビアのことを見くびっていたのかもしれない。まさか話を持ちかけたその日にギルドから魔石をせしめてくるとは思わなかったぞ。

 一体どんな脅しを仕掛けたのやら。要求を飲まないなら冒険者を辞めるという高姿勢に出ていてもおかしくない。あいつにはそういう勢いがあった。出会いのために金級までのし上がった熱量は伊達ではないといったところか。ともあれギルドは御愁傷様なこって。


 ま、どんな逸品も使わなきゃ見て楽しむ骨董品と変わらねぇ。宝の持ち腐れってやつだ。ご立派な魔石を後生大事に死蔵させておくよりは万倍マシだろ。きっちり有効活用してやるとも。


 新たな人格ニールを作った俺は集まった従業員へ向けて張ったばかりの湯のように透き通った笑みを浮かべた。


「やあ諸君、私がニールだ。新たにここを任されることになっている。よろしく頼むよ」


「はい!」


「宜しくお願いします!」


 俺が穏やかに挨拶を交わしたところ、従業員一同はハキハキとした返事を寄越した。前任者のジイさんの教育が良かったのだろう。よきかな。


「魔石補充の必要がなくなったおかげで人員が浮いたはずだ。その分を脱衣所の警備に回そう。人が増えたら良からぬ考えを抱く者が現れる。窃盗騒ぎなんて起きようものなら『聖女』様の顔に泥を塗ることになるからな。くれぐれも警戒を怠らぬように」


「了解です!」


 打てば響く。手間が掛からなさそうで何よりだ。

 諸々の指示を出し終えれば俺の業務は終了である。こりゃ楽でいい。下が充分に育っているので上の人間に仕事が回ってこない。組織経営かくあるべし。


 新調した個室風呂の使い勝手を調べてくる。

 俺はそう言い残し、むさ苦しい野郎どもとは無縁ののびのびとした湯で酒を呑みつつ長風呂に興じ、身も心も清めることにした。


 ▷


 長風呂に興じるのもいいが、権力という名のぬるま湯に浸かる心地もまたいいものだ。


 真っ昼間から堂々とサボり、私室に引きこもっていても何一つ文句を言われない。俺は功労者であり組織のトップだからな。のんべんだらりと過ごしていても楯突く者などいやしない。


 時は夕刻。現場は激務に追われているだろうが俺とは無縁の話だ。優雅にワイングラスを傾けながら今朝方発行された新聞に目を走らせる。


 アウグスト、謹慎処分。

 ギルドの謝罪文。

 そしてうちの公衆浴場の宣伝、と。


 いいね。明日はさらなる儲けに期待できそうだ。この具合ならば新聞屋に次ぐ収入源になる日も近いだろう。

 会心の手応えに満足しているとノックの音が響いた。短く応えて入室を促す。


「開いている」


「失礼致しますわ。……よし、誰もいねぇな。はぁー愛想振りまくの辛ぇわ……疲れるったらねぇよ」


 従業員専用のエリアに入るには変装を解かなければならない。ここへ来るまでに聖女スマイルを振りまき続けたのであろうオリビアがくたびれた様子で対面のソファにどかっと腰掛けた。乱雑に足を組んで言う。


「んで、首尾はどうよ。上手くやってるか?」


「上々だな。元から完成されてた権利構造をそっくりそのまま手に入れたことになる。お前のおかげで大した労力を割かずに財源を確保できたよ」


「そっか。……で、評判の方はどうなってる? アタシの功績とか、ちゃんと伝わってるか……?」


 俺は手に持った新聞を机越しに手渡した。サッと紙面に目を滑らせたオリビアがニヤリと笑う。


「……いい。いいね。これなら、く、クロードも私のことを認めてくれるよな? 伴侶として認めてくれるよな?」


「伴侶どうこうは知らんが、少なくともこの前の失態をカバーして有り余る評価は貰えると思うぞ」


「そうか! よし……!」


 オリビアはクロードに誇れるような功績と話題を欲していた。そこで考案したのが今回の策である。

 慈善活動に邁進したことで『聖女』の株が上がり幸せ。

 クロードは行きつけの浴場の環境が改善されて幸せ。

 民衆もついでに幸せ。


 素晴らしいことずくめだな? いやはや、我ながら上手い落とし所を見つけたものである。そして功労者の一人である俺は労せずして金を得られる立場に就くことができた。役得ってやつね。


 俺とオリビアはにこやかな笑みを交わし合った。コンコンとノックの音が響く。俺たちはスッと表情を整えた。短く応えて入室を促す。


「開いている」


「失礼します……あっ、オリビア様……! あっ、は、初めまして……! 本日は、その、お日柄もよく……」


 部屋に入ってきた女の従業員はオリビアを見るや恭しい態度で頭を下げた。

 四角張った振る舞いに対し、オリビアの返しは手慣れたものである。まるで聖女のような笑みを浮かべて鈴を転がしたような声を出す。


「畏まる必要は御座いませんわ。ニール様にお話がお有りでしたらお先にどうぞ? わたくしは今後の経営についてじっくりと話し合う予定ですので」


 そんな予定はないがな。やはりこいつ手慣れてやがるぜ。猫を被ることに躊躇いがない。頼もしい限りだ。


「あっ……はい、では失礼します……。オーナー、その……オリビア様の前で恐縮なのですが……本日の売上についてです」


 来たか。俺は落ち着いた仕草で組んだ手を膝に乗せた。

 努めて平坦な声を出す。


「続けてくれ」


「はい。まず利用者の数なのですが、過去類を見ないほどの盛況となってます。これもオリビア様の慈悲の賜物でしょう……!」


 ふむ。オリビアへのへつらいは余計だが、悪い報告じゃない。

 軽く頷いて次を促す。


「ですが問題もありまして……人が増えた分だけトラブルが増えました。特に浴場で喧嘩を始める方が何人かおりまして……仲裁のために暫くギルドに依頼をしたほうがよろしいかと」


「なるほど……許可しよう。現場のことは任せる」


「ありがとうございます。そうしましたら、売上金からギルドへの依頼料を捻出します」


 うむ。


「そして我々の給金と備品の追加発注と水回り工事の積立金を引いて――」


 ……うむ。


「ギルドへの献金を引いて」


 …………んん?


「残金がこちらになります。ご確認下さい」


 不可解な出費項目の仔細を尋ねる前に従業員が革袋を置いた。チャリ、と少数の効果が擦れる音が響く。

 中を検める。そこに入っていたのは――


「銀貨、五枚……?」


 えっ……これだけ、か?

 さ、さすがに少なすぎるだろ……。こんなに客でごった返しているんだぞ? だというのに、残ったのが銀貨が五枚とは……そりゃ計算が合わねぇだろ。おい。


「あー、君。これは……計算が間違っているわけではないのだろうね?」


「はい」


「そうか……少しいいかな。先程のギルドへの献金、というのは……一体何かな?」


 オリビアがほんの一瞬頬を引き攣らせたのを尻目に収めつつ従業員に問う。女は何を今さらという顔をして答えた。


「あんなに立派な魔石をタダで譲り受けられる訳がありませんからね。増収分のほとんどはギルドへと寄付することになってますよ」


 なんだそれは。俺はオリビアへと意思を飛ばした。どういうことだよ、おい。


(……そうしないと許可が下りなかったんだよ。ギルドはそこまで甘くねぇ。だが、売上に対する献金の内訳を決定したのは前任のジイさんだぞ?)


 思わず舌打ちが漏れそうになった。初耳だぞそんなの。

 ……ギルドに先手を打たれたと見るべきか。ぽっと出の俺のことを『オリビアの威光を利用して金を荒稼ぎしようとするくせ者』とでも判断したのかもしれない。

 ふざけやがって。何一つ否定できないじゃねぇか、クソが。


「では、私はこれで失礼します」


「ん、ああ……」


 女は俺とオリビアに一礼してから出ていった。残るは俺とオリビアの二人である。

 俺は大きく息を吐きだしてから冷静に現状を評価した。


「えっ……この事業、ショボくね?」


 一日銀貨五枚とは……なんともテンションが上がりきらないもんである。上物のワインを一本買うのに何十日もかかるじゃないか……。


 俺のぼやきを聞いたオリビアが大きく肩を竦めて呆れを表明した。


「いや贅沢言いすぎだろ。何もしなくていいのに一日に銀貨五枚も貰えるんだぞ? 一日中肉体酷使して銀貨一枚そこらが日収の冒険者とか建設業のやつらが聞いたらぶん殴りに来るぞ?」


 それは分かる。分かるが……俺は一般論で諭されて納得するほど世間様に飼い慣らされちゃいない。今回のビジネスには金級の力を借りたんだぞ? もっと……上を目指せるはずだったのだ。

 それが、こんな……俺は五枚の銀貨を掌中で弄んだ。まさしく湯水の如く溶けてしまう金額である。俺の内心はまるで湯冷めでもするかのように沈んでいった。


「……で、本題なんだが……今回の実績をさ、嫌味にならない程度にクロードに伝えるには……どうしたらいいかな……?」


「知らんわ。もう直接誘えよ。ちょっと一緒に風呂行こうぜって」


「ばっ……! おまっ、そんなの破廉恥だと思われるだろっ!」


「変でもなんでもねーだろ。男湯と女湯は分かれてるんだからよ」


「でも……なんかこう……あるだろっ! 色々とさぁ!」


 オリビアがバシバシとテーブルを叩いて何かしらを訴えているが、その全てが右耳から左耳へと抜けていく。知らん知らん。湯にも入ってないのにのぼせ上がりやがって。


「いいからさっさと風呂入って体洗えや。んでとっとと当たって砕けてこい」


「砕けてたまるかよ! ……でも身体は洗ってくる。個室借りるぞ」


「好きにしろー」


 個室風呂は今まで一般公開していなかった。費用対効果が悪いからだ。長いこと普段使いされていなかったらしいが、竜の魔石のおかげで湯が張れるようになった今では従業員専用として使用されている。オリビアの使用を断る理由はない。


 オリビアが部屋から出ていった後、改めて手元の金を覗き込む。……このままだと先が続かんな。メリットが薄すぎる。なにか策を練らなければ。


「個室。個室か……」


 私室で一人呟いたのはルーティンのようなものだ。閃きの光というのは全く意外な角度から差してくることがままある。思考に没頭せず、思いつく限りを口にして点を散りばめるほうがいい。


「個室を高単価で貸し出す……現実的じゃねぇな。そこそこ程度の値段じゃ割に合わない。高すぎたら客がつかない」


 そもそも金持ち連中は公衆浴場に足を運ばないだろう。金を払えば魔石は買える。自前の風呂を用意することは難しくない。

 利点が必要だ。金持ち連中を呼び込むための強力な利点が……。


「個室の利点……ねぇな。金持ち連中に提示できるメリットが思い浮かばん。個室といったところで大風呂と壁一枚隔てただけだからな……はしゃいでるやつらの声が響いたら落ち着くこともできん」


 リラックスしてるところに喧嘩の声でも聞こえてきたら気分を害するかもしれない。

 防音加工でも依頼するか? ……さすがにないな。主旨から外れすぎている。壁一枚の補修をして客付きが良くなるわけ――


「壁一枚。……壁一枚?」


 ――――!


 その時、天啓が舞い降りた。なるほど、なるほどね?


 俺はいつもの短剣で速やかに首を掻き斬った。


 ▷


「おや、シクスの旦那! この前ぶりじゃないですか!」


 空が紫紺を帯びる時刻。俺は王都の闇市へと足を運んだ。

 故買商のオヤジは俺を見るやいなや酷くいい笑顔を浮かべた。まるで歩く金貨を見るような顔である。


 まあ、今回ばっかりはあながち間違いではないがな。


「よおオヤジ。金貨三十枚だ。確かめろ」


「おおッ!? こいつぁいきなり大口取引じゃないですか……! ヘヘッ……一体何をご所望で?」


 唐突な大盤振る舞いがお気に召したのか、オヤジは口の端を吊り上げて笑った。この金額をポンと手渡されて飄々としていられるあたりこいつも大物だな。

 どうでもいいことを考えつつ、俺は無駄に意味有りげな笑みを張り付けて言った。


「この前言ってた……壁一枚を透かして見ることができる眼鏡をくれ」


「…………へ?」


 ゴミのような呪装だって使い道一つで至宝に化ける。さぁ、血が湧き立つようなビジネスを始めようじゃないか……!

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