身も心も清らかに

「お前さぁ、わざとやってんの?」


 借りてきた猫のようにしゅんとしているオリビアは弱々しい抗議の声を上げた。


「な、なんだよ……さっきはそれなりに喋れてただろー……」


「お前それ本気で言ってんのか? 本当にあれでいいと思ってんのか? おい」


 そう詰めるとオリビアはぐっと喉を鳴らして押し黙った。この場にいない誰かに助けを求めるかのように視線を左右に巡らせ、やがて観念したように息を吐き出し、組んだ指をもじもじと動かしながら訥々と語った。


「やっぱ九割引きじゃダメだったかな……でっ、でもタダであげるっつーのは怪しすぎないか!? 無償の善意は相手を警戒させるっていうし……」


「そこじゃねーよ馬鹿! ツボ売ってんじゃねぇ! 媚を売れ!」


「だって最近やったことを話せっていうから……」


「いくらなんでもチョイスがクソすぎるだろ」


「そんなに変だったか……?」


 自覚ねぇのかよ……俺は辟易した。手の施しようがないという言葉がこれほど相応しいと思ったことはない。


「お前さぁ、鍋のフタとオタマで魔物を狩りに行こうとするルーキーがいたらどう思うよ?」


「えっ? 馬鹿だなぁって」


「それが今のお前な」


「!?」


 なに面食らった顔してやがる。ツボを差し出された時に死んだ魚みたいな目を浮かべたクロードを見て事の真相に気付けっての。


 オリビアは下唇をもごもごと噛みながら答えた。


「今の方向を突き詰めたら、むしろそこがいい、みたいにならないかな……?」


「なんで『聖女』としての有利を捨てようとしてんだよ……」


「ふ、普段との落差を見せられたら男は弱いって聞いた!」


「落差デカすぎて投身自殺にしかなってねーんだわ」


「ギャップ! ギャップが重要だって……!」


「挙動不審と押し売りがアドバンテージになるわけねぇだろ!」


 くそっ……頭痛くなってきた。育児をやってんじゃねぇんだぞこっちは。まだ孤児のガキどもに商売を仕込むほうが楽だったぞ。


 そこまで考えて俺はハッとした。

 場のセッティングをするという対価は支払った。契約は既に満了している。つまり、俺がこいつにかかずらう必要はないのでは……?


 そうと決まれば話は早い。俺は首を掻き斬った。


「は!? おい……何してんだっ!」


「付き合ってられっかよ。あとは自分でなんとかしろや。以上」


 義理はきっちりと果たしたのだ。これ以上は過干渉というやつだろう。

 お……意識が薄れてきた。さて今日は何をして楽しむとするかね。商人連中から巻き上げた金で豪遊するのもいいが、不景気の中でひいこら言ってる連中を尻目に酒を飲み散らかすのも悪くない。


 とりあえず街をぶらつきながら決めるか。その日の気分というやつだ。新しい店の開拓を試みるのも一興……あっ、死にそう……俺はすっと横倒しになった。


「待てっ! まあ待てって!」


 死の寸前、オリビアの手から緑色の燐光が迸る。回復魔法、それもとりわけ効果が強いタイプだ。俺は死の淵から生還した。ざけんな!


「てめぇなにしてんだボケが! 姉上みたいなことするんじゃねぇよ!」


「アンタ自分の姉にもこんなことさせてんのかよ……と、とにかく逃げんなって。あ! 首斬ろうとするな! おいっ!」


「離せや! あれだけ大口叩いたんだから自分一人でなんとかしてみせろ!」


「頼むよ! こっちはマジなんだよッ! ほら、なんかあった時にギルドとか説得するから……! 金級には恩を売っておけって! いざという時に役立つから! な?」


 この体たらくを披露しておきながら自分を売ろうとする根性は見上げたもんだ。正直言って俺はもうこいつをポンコツとしか認識してないぞ。実は偽物でしたと言われても疑わない……どころか納得するまである。やっぱりでしたかと。


 しかし……俺は非常に情けないツラで拝み倒している聖女をチラと見た。

 金級。エンデの枢要。そんな人物が、俺の正体を知った上でギルドへと情報を漏らさなかった……打算や自身の特殊体質の隠蔽という事情が絡んでいたとはいえ、これを軽んずるのは悪手かもしれない。


 内通者として飼い慣らせるか? ……いや、厳しいな。

 魔物が沈静化している今だからこそ街へと下りてきているが、こいつは本来ならば危険地帯に常駐している人物だ。故に数年も直接顔を合わせたことがなかった。


 功績と高名な噂はつい先日利用させてもらったし……今のオリビアには何が残っているだろうか。


 じっとポンコツ聖女を眺める。値踏みするような視線に気付いたのか、オリビアがスッと表情を引き締め、ピッと片腕を上げた。顎で発言を促す。


「魔石の加工とか、得意です!」


「採用」


 そういやまだアドバンテージがあるじゃねぇか。これを使わない手はないな。俺はいつもの短剣をしまった。迷える子羊であるオリビアの懊悩を解消すべく向き合う。


「状況を一から整理しよう。なんでクロードを前にした途端にあんなへなちょこになるんだ?」


「へなちょことか言うな……っ! 理由は……その、やっぱり緊張するっていうかさ……頭真っ白になって……なに言っていいのか分からなくなるんだよ」


 行動力はあるくせしてメンタルが弱すぎるだろ。盛りがついた時期のガキでもあるまいに……。


「クロードは適当な話振れば普通に返してくるから安心しろや。なんか当たり障りない話題の一つくらいあるだろ? 最近は何してたんだ?」


「久々にエンデに戻ってきたから食っちゃ寝してた……」


 …………。


「あっ、あと変装してクロードについて聞き込みして……宿の場所とか突き止めて……こっ、行動ルートとか把握しようとしたっ!」


「キッツ……」


「本気なの! それだけ本気なんだよッ!」


 本気で挑む方向が致命的なんじゃねぇかな……。

 今まで数々の金儲けを成功させてきたが、さてどうしたものか、こいつの恋愛を成就させる方法がまるで思い付かん。

 そうだな……。


「もう金貨積んで『私のものになれ』って言ったらどうだ?」


「そ、そんなことでいいのか? 今すぐ用意するっ」


「やめろやめろ! 冗談だから真に受けんじゃねぇ!」


 投げ遣りな皮肉すら通じないとは重症ここに極まれり。部屋から出て行こうとしたオリビアを押し留めて思案する。まずはそのメンタルを改善しないことには始まらんな。


「そうだな……もっと泰然と構えろよ。猫を被る演技もできるし、勇者に対して舐めた口を利くこともできる。豪商を前に物怖じすることもない。だったらアイツの前でもどんと構えられるだろ」


「そう思ってたんだけど……見られてるって分かると急に自信がなくなってきて……修道服って変じゃねぇかな? 髪とか整える時間もなかったし、香水とかも……」


「アイツはんな上辺だけで人を見ねぇよ」


「身体もサッと拭いただけだし……く、臭くねーかな?」


「そんなの気にしねぇって言ってんだろ。異臭がしてなけりゃ平気だっつの」


 出てくる問題の全てが些事でいい加減面倒になってきた。臭いなんていちいち気にしてたら冒険者なんてやってられんわ。

 汗と脂が染み付いた武具を年がら年中身に纏ってるやつらが発する臭いはお世辞にも良いとは言えない。そんなやつらの巣に飛び込んでるんだから臭いなんて慣れたもんだろ。


「でも……伴侶にする人なら気にするんじゃないか……?」


「だから大丈夫だって……いや、待てよ……?」


 意外と気にするかもしれんな。原因は何を隠そう俺である。

 俺は常に身綺麗な状態を保ってきた。頻繁に死ぬからだ。死ねば身体の汚れは勝手に落ちる。すこぶる高水準な衛生状態を保ってきたと評していい。


 そんな記憶を持っているせいか、クロードは変に綺麗好きである。

 着てる物をマメに洗濯するし、公衆浴場に足繁く通っていると聞く。普段は狩りのついでに外で大雑把に身体を洗ってる冒険者は魔物不足のせいで外へ出かけなくなり、浴場へと一斉に押し寄せてきたせいで水質が悪くなったとかボヤいてたっけか。

 そう考えると……。


「案外、気にするかもしれねーな……」


「!? ど、どうしよう……嫌われる……!」


 この世の終わりを垣間見たような表情で俯くオリビアを見て――しかし俺は全く逆の感想を抱いていた。これは好機である。オリビアにとっても、そして何より――俺にとっても。


 俺は救いの手を差し伸べる聖人のようににこやかな笑みを浮かべた。


「おいオリビア。お前なら割と無茶な要求をギルドに通せるだろ? ちょいと提案なんだが……ギルドが保管してる氷の竜の魔石と、三年前に討伐したらしい溶岩の竜の魔石を拝借してくれねぇか?」


「え……まあ、アタシが圧をかければ何とかなるとは思うが……それなりの理由がないとさすがに厳しいぞ?」


「それなりの理由さ。エンデの民のためだよ……そしてお前の実績作りに丁度いい。クロードにも気に入られるかもしれんぞ? どうするよ」


「ほんとか!? 分かった!」


 清々しいほどの二つ返事である。いやはや、恋する女は力強いねぇ。そして扱いやすくもある。よもやギルドが保有する魔石をビジネスに利用できるとはな。『聖女』……くくっ、これは思わぬ拾い物かもしれんな?


 今日は都合が悪いので日を改めよう。

 そうクロードに話して解散し、オリビアはギルドへと向かい、俺はエンデの街唯一の公衆浴場へと向かった。


 ▷


 浴場の仕組みは非常に簡潔だ。

 湧水の式と加熱の式を刻んだ魔石を各所にぶち込んで湯を作り垂れ流す。それだけである。


 大勢を収容する目論見の造りはよく言えば豪勢で開放感があるが、しかしそれは湯の巡りが悪くなることも意味した。

 汚れを溜め込んだ連中が大挙すれば湯の質はたちまち悪くなる。改善を促そうとして魔石の量を増やせば利益が出ない。難しい按配を強いられると言えよう。


 そこで我らが『聖女』様の出番である。

 エンデの衛生環境向上に寄与する施設の窮状を憐れに思った『聖女』オリビアは、エンデ唯一の公衆浴場に湧水式が刻まれた氷竜の魔石及び加熱式が刻まれた溶岩竜の魔石を進呈することを発表した。


 人と同じ程の大きさを持つその魔石は、適度に魔力を注ぐことで理論上半永久的な稼働が可能となる。生み出せる湯の量はそこらの魔石とは比較にもならない。放出量が段違いである。


 これにより公衆浴場は大幅な水質改善を可能とした。『聖女』様の慈悲により生まれ変わった浴場には今日も数え切れないほどの人々が押し寄せ、『聖女』様に感謝の念を捧げながら身も心も清めているという。


 新オーナーは俺である。さぁて、稼ぐとしますかね……!

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