思うツボ
大広間に集まった人間は大体三十人ほど。その中から従者や護衛を勘定から外すと……ターゲットとして残るのは十人だ。
俺とオリビアが広間へと足を踏み入れた途端、商人連中は少しでも気に入られようという魂胆が透けて見えるような笑みを浮かべた。
本当に強かなやつらだ。俺はこいつらが先程まで皮肉と迂遠な言い回しによる牽制合戦を交わしていたことを知っている。俺の【
しんと静まり返った広間を進み一段高くなっている壇上へと登る。全員の注目が一手に集まったところでオリビアが口火を切った。
「本日は夜中にも
海千山千の商人連中には効き目薄だろうが、念の為【
「皆さまはわたくしのような若輩の愚考を確かなものとするべく集まって下さったと、ニコラス殿からそう伺っております。聡明な皆さまから後援を申し出て頂き感謝の言葉もありません」
オリビアが慇懃無礼に腰を折ると同時、商人と付き人連中も軽く礼をした。ただ一人を除いて。
「然り! 然りにございますぞ!」
感極まったと言わんばかりに声を荒げたのは恰幅の良い一人の商人の男だ。大仰な身振りで感情を露わにした男が続けざまに吠える。
「わたくしめは……『聖女』様が民を思って事を興そうとしていると耳にした瞬間、天啓を授かった心境に至りましたっ! これぞ我が天命であるとッ!」
商売の世界ではどれだけ早く他を出し抜けるかが物を言う。生き馬の目をいかに巧く抜くことができるかで生死が分かれる修羅の道。
この男はオリビアの言葉を遮る不敬を承知の上で、誰よりも早く名乗りを上げることが是であると判断したのだろう。悪い印象を持たれようとも――否、『聖女』がこのような些事で悪い印象を抱くはずがないという打算すら加味した上での行動か。抜け目ないやつである。
「わたくしは紡績業を営んでおりますスピニンと申します。わたくしどもは冒険者ギルドはもちろんのこと、王都の貴族様とも取引させて頂いております。『聖女』様の悲願成就のため、我が商会は貴女様を全力でサポートすることを誓いましょう!」
自己紹介、実績の開示、そして全面的な支援の表明。いやはや……やり手である。
下っ端の商会がやろうものなら慌てる乞食の烙印を押されそうなものだが、十分な実績を誇示することで僭越の謗りを回避している。ギルドと繋がりがあるのもでかい。オリビアが所属している組織と懇意にしている……その事実で心証を害することなく話を進められると踏んだのだろう。
そしてゆくゆくは『聖女』主導のプロジェクトの中枢に潜り込み権利の一部を掌握、自分らの商会のさらなる飛躍の足掛かりにする……そんな筋書きってとこか。全く、野犬よりも獰猛な連中だ。隙を見せたら肉を食い千切ろうと噛み付いてきやがる。
スピニンとやらが全面的な協力を高らかに告げた後、他の商人たちが後に続けと声を上げ始めた。まるで餌の奪い合いだ。金の成る木の枝を我先に掴み、後続を蹴落とさんとする商売という名の蠱毒。
だが……勘違いしてもらっちゃ困るよなぁ?
【
「素晴らしいッ! 『聖女』様のお考えに賛同の意を示して下さる方がこんなにいらっしゃるとはっ! このニコラスは感激の念に堪えませんぞ!!」
会場がしんと静まり返った。そして『誰なんだコイツ』という視線が俺に集まる。オリビアにたかる虫でも見るような目。当然だろう。こいつらにとって俺は名も顔も知らぬ凡愚という評価の枠を出ない。
そんな輩がいち早く『聖女』と接触し、祝福水という商材をタダ同然でバラ撒いたのだ。目の上のたんこぶでしかない。こいつらはどう手管を巡らせて俺を排除するかの算段を企てているはずだ。
そうは問屋が卸さんよ。俺は柔和な笑みを湛えて切り出した。
「皆さまがこれほど快く"寄進"の表明をしてくださるとは思っておりませんでした……本当に、有り難う存じます」
さり気なく織り交ぜた言葉に、しかし商人全員が耳ざとく反応して顔をしかめる。
寄進……つまり寄付金だ。俺はこいつらにこう言ったのだ。黙って金を手放せ、と。
反論の声が上る前に機先を制する。俺は入口に控えていた宿の従業員に片手で合図をしてから言った。
「とはいえ、なんの見返りもないというのは礼を失するというものです。寄進に名乗りを上げて頂いた方には……こちらを進呈いたしましょう」
商人たちがすっと顔を引き締める。なるほど、寄進というのは建前で報酬は別に用意してあるのか。そう言わんばかりに。
合図を受け取った従業員が扉を開くと、間を置かずして複数の従業員が部屋へと入ってきた。その腕には丁寧に梱包されたあるモノが抱えられている。これが俺の切り札だ。
ざっと整列した従業員が壇上のデスクにモノを並べる。そして頃合いを見計らい一斉に包みを剥ぎ取った。
「…………?」
「こ、これは……」
「……ツボ、ですかな?」
ツボである。
「『聖女』様が手ずから聖別した……
会場がざわつく。強化した聴覚が護衛の一人が発した『詐欺』という言葉を拾った。なんと不敬な。俺は微笑みを湛えたまま宣命を含める神父のように朗々と語った。
「まさかとは思いますが……見返りの多寡によって寄進を行うか否かを判断するような不心得者はおりませんよね? 『聖女』様の好意を商売の道具にしようなどと畏れ多い考えをお持ちの方は」
「ニコラス殿。そのような嫌疑を投げ掛けるなんて……それこそ礼を失するというものですよ? そんな卑しい考えで集まった人なんているわけないじゃないですか!」
ここでオリビアの援護が飛ぶ。俺とオリビアは顔を見合わせてニッコリと笑った。
「ははっ! 『聖女』様の仰る通りだ! いやはやこれは大変失礼しました! あっはっは!」
「ふふふ……」
俺は言った。
「ツボ一つにつき金貨十枚となります」
会場が再度どよめきに包まれる。強化した聴覚が『やはり詐欺だ』という不敬千万な呟きを捉えた。
全くもって信心が足らぬなぁ。俺は目を白黒させているスピニンに問い掛けた。
「スピニン殿ぉ……先程の宣誓は大変素晴らしいものでしたなぁ……『聖女』様の悲願成就のために全力のサポートをして下さるというあの言葉に嘘は御座いませんな……?」
「ぬッ……む……ぅ……ゴホンッ……あー……そう、ですな……」
おっとスピニンに注目が移ったのをいいことに商人が二人ほど脱出しようとしているぞ。
させんよ。【
「まあ! 複数の工房を経営しておられるアルト殿に、建築業を指揮しておられるギルベルト殿……どうかされましたか?」
こっそりと退出を試みていた二人はビクリと肩を震わせた。名指しで問われるなどと露ほども思っていなかったに違いない。
オリビアは普段金級冒険者として危険地帯に派遣されてるからな。接点もなければ面識もない。今なら逃げてもバレないと思ったか?
甘いね。この場は既に"利益を上げる好機"から"損失をどれだけ減らせるかの土壇場"へと変化してるんだよ。
『聖女』への寄進を正面切って断る……さて、どれだけ評判に傷がつくだろうな? よしんば没落を免れたとしても、いま逃げるということは『聖女』が為した事業に携わる権利を恒久的に破棄することと同義になる。さぁ、頭を回せよ。今までそうしてきたように、な。
「……お言葉、なのですが」
恐る恐るの震え声で応えたのは工房経営を手掛けるアルトという男だった。
「私は職業柄、様々な工芸品を目にしてきましたが……どうにも、その、そちらのツボが……金貨十枚と釣り合うとは……」
アルトは言葉を濁した。ふむ、なるほど。慧眼である。
俺が用意したこのツボは捨て値で売られていたクズ品だ。多分工房の弟子見習いかなんかが作った試作品だろう。金貨十枚と釣り合うわけがない。
だが違う。そうじゃないだろう? 釣り合うとか価値がどうとか、論点はそんなところにないんだ。
「ふむ、これは異なことを仰る」
俺は後ろ手を組んでゆっくりと歩を進めた。壇上から降り、周囲の人間に目配せをしながら言う。
「私たちは初めに宣言しました。私たちは商売がしたいのではない、と。耳聡い貴方がたは……もちろんそのこと、ご承知おきのはず」
商人たちは無表情と沈黙を貫いている。思惑が外れて、しかしそれを表に出すまいと必死なのだろう。
「よもやこの場を商談の機会と履き違えている者など……おりますまいね?」
ニコラスという男は儲け方も知らないズブの素人だ。そんなやり方では『聖女』の願いなど叶わない。この私めにお任せを。
こいつらはそんな文句を腹の中に抱えてやってきたに違いない。他ならぬ俺がそう仕向けた。成功者のプライドと向上心を擽るように無能を演じたのだ。
オリビアもニコラスも丸め込める。そう息巻いていた連中は揃って居心地悪そうに愛想笑いを浮かべていた。
『聖女』に個人の情報を握られていると分かった今、不用意な発言は控えなければならない。
そして矛先は口を滑らせたアルトへと向く。
「さて、このツボの価値を金銭で量ることの不適当さはご理解頂けたかと存じます。このツボは――見返りなのですよ。貴方がたが『聖女』様の援助をしたという証明と思って頂ければ間違いではありません。物の価値によらず、善意によって支払われる金銭……これをなんと呼称するかお分かりですかな?」
俺は逃げようとしていた二人の肩に手を置いてにこやかな笑みを浮かべた。
「"浄財"ですよぉ……! このツボは貴方がたの善意……或いは信仰を示す器となるのです……! 私財をなげうってまで篤志活動に邁進した誉れある者たち……その末席に名を連ねるための浄財……! それが金貨十枚なのです……! お分かり頂けましたでしょうか……!」
要はこうだ。
お前らを計画に加える気はねーぞ。
でも支援金は用意してね?
拒否したら今後二度と贔屓にすることないから。
『聖女』という付加価値を利用しようと息巻いたやつらなら重々承知しているはずだ。『聖女』が敵に回るということの恐ろしさを。権力者の御用商人から外され、あまつさえ冷遇されるに至った者の末路を。
果たして、商人連中は揃って浄財たる金貨十枚を差し出した。
こうして俺は一夜にして金貨百枚を手中に収めることに成功した。これが金級冒険者『聖女』オリビアのネームバリュー……! くくっ、悪くない! 悪くないぞッ!! くっはっはァ!!
「なぁ、一つ聞いていいか?」
商人たちの財布から金貨をすっぱ抜いた後。高級宿の一室で儲けを仕分けていたらオリビアが訪ねてきた。
「んー? どうしたオリビアよ。聞きたいことがあるならなんでも聞くがよい」
「面白いくらい浮かれてんなおい……何でもするとは言ったけどよぉ、アタシは詐欺の片棒を担ぐつもりはねぇぞ? ギルドに目を付けられる前になんかしらの活動をしておけよな。そういう名目で集めた金なんだから、持ち逃げしたら捕まるぞ?」
「わーってるわーってる。それは追々な、追々。聞きたいのはそんなことか?」
「ホントに分かってんのか……? まぁいい。聞きたいのは……これだよ」
そう言ってオリビアは宿の一室にあるツボを手に取った。指の関節でコンコンと叩いて言う。
「なんでツボなんだ? 嵩張るし重てぇし……押し付けるにしても他になんかあるだろ」
なんだ……そんなことか。理由なんて決まってるだろ。俺はデスクに置いてあった水筒のフタを外してツボに水を注いだ。
「これが信仰の重さです。さらなる加護を賜りたいならばツボ一杯に祝福水を満たす必要があるでしょう……! ツボが満杯になったらさらにもう一つ進呈します……! あぁ、祝福水は一杯銀貨十枚の浄財を頂きますよ。他の方々は快く寄進したのですがねぇ……。そう煽ればやつらは競って祝福水を買うべく金を出す……! 『聖女』様に見捨てられないためにな……! どうよ?」
「お前勇者じゃなくて詐欺師だろ」
勇者だよ。勇者は人々の篤い信仰に応える存在なのだ。俺は名工が仕上げた陶器のように艷やかな笑みを浮かべた。
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