勇者と聖女

「……あ?」


 喉から漏れたのは思ったよりも低い声だった。


「聞き間違いかな……お前、今なんつった?」


「クロードだよ。アンタが保護してるんだろ? だから許可を取っておこうと思ってな。いいだろ?」


 どうやら俺の聞き間違いではなかったらしい。

 クロード……あいつは肉の器じゃない。確固たる意思と人格を有した人間だ。出自なんて関係ない。俺はクロードという存在を尊重すると決めたのだ。


 それをこの女は……一体どういうつもりだ。クロードを寄越せ、だぁ? あいつの力を使って何を企てるつもりなのかは知らんが……そんなふざけた提案は認められんな。


「戦場で見た時にほしいなぁって思ったんだよ。で、そっから情報を集めて居場所を突き止めたってワケ。そのまま貰っちまってもよかったんだけどよぉ、礼儀ってのぁ必要だろ? だからこうして話を通しにきたんだよ」


 礼儀。礼儀ねぇ。なんとも面白くない冗談だ。

 頭の中で計算する。俺はこの女を相手にどこまでやれるか。


 金級冒険者『聖女』オリビア。回復魔法と魔石加工の才を持ち、戦線と生活基盤を支えてきた守りの要。溶岩地帯での戦闘を見た限り、身体能力はそこまで高くない。


 しかし……こいつは周りの人間を欺くしたたかさと、得体のしれない力を持っている。未知数のそれがどう戦局を左右するか分かったもんじゃない。

 さっきのやり取りでそれとなく探りを入れたが、【奉命オース】の発動を察知されてうやむやにされてしまった。力の底は未だ知れない。


 もし仮にこいつを仕留めるならば――初手を損じることは許されない。


「これだけは聞いておきたいんだが……お前はクロードがっての把握してんのか?」


「ああ。だから目を付けたんだよ」


 ……なるほど。知ってて近付いたと。

 俺はオリビアに視線を向けた。向こうもこちらを見ているのに、どういうわけか目が合わない。見透かすような、或いは見下すような蒼瞳が値踏みでもするかのように光っている。


「そうかよ」


 あいつの力を欲する理由までは知らんが……十中八九ろくなことじゃねぇだろうな。


 イメージする。参考にするのは体術馬鹿な姉上の鞘引きだ。抜く手すら見せぬ不意打ちの究極系。それを魔法でやる。

 魔法発動の準備を整えたら察知される。ならば組み上げから発動までを極限まで圧縮してやればいい。やれるさ。どれだけ研鑽を積んだと思ってる。


「参考程度に聞かせてほしいんだが……」


 これが最後の問いだ。

 この女が何を考えてるのかは知らん。興味もない。

 だが……クロードの、あいつの意思を捻じ曲げてその力を悪用する算段を立てているならば……一切の容赦はしない。エンデという街が敵に回ろうと構わんさ。


「お前はクロードを手に入れて……どうするつもりなんだ?」


「はぁ? んなもん決まってんだろ」


 オリビアはまるで小馬鹿にするように鼻を鳴らした。くだらないことを聞くなと言わんばかりに。

 意識を研ぎ澄ます。濁流のように渦を巻く魔力を制しながら思った。


 そっちこそあまりふざけたことを抜かしてくれるなよ? 今日の俺は……加減できそうにない。


「クロードは――」


 引き伸ばされた時間の中で確かな手応えを得る。

 一瞬だ。これなら……やれる。


「アタシの夫になってもらう!」


「――――えっ?」


「…………え?」


 ▷


 認識のすり合わせをしようという話になった。


「一目惚れってやつだよ。分かんだろ?」


「分からんが」


 長椅子の背もたれに全身を預けて気を落ち着かせる。目の前の椅子から身を乗り出したオリビアがへらへらとした声で言う。


「戦場で見た時のキリッとした顔もいいけどよー、今の黒髪でくりっとした顔もいいよなぁ〜」


 驚いたことに【六感透徹センスクリア】が反応しない。おいおい……こいつマジで言ってやがるぞ。さんざん警戒させておいてその実、ただの色ボケじゃねぇか。


「別にお前の好みとか知らんが……それにガロードの時の顔は今の俺とさして変わんねぇだろ」


「ん? そうなのか?」


「見たら分かるだろうが」


「ああ……アタシはの顔はうまく見れねぇんだわ」


 …………こいつ、まさか。


「見えてるのは……魔力か?」


「より正確に言うなら『組まれた式』だな。アタシは……アンタやそこらを歩いてるやつらのことを魔力で組まれた式としか認識できねぇのよ」


 なるほど。なるほどね。だからさっき【奉命オース】の発動を察知されたってわけか。式が読めるから発動直前の魔法の中身まで詳らかにされたと。

 こりゃあとんでもねぇ能力持ちもいたもんだ。こいつはエイトとガルドを見比べて真相に辿り着いたんじゃない。そもそも同じ存在としか認識できなかったんだろう。


「だからクロードを寄越せなんて言い出したわけか……」


 クロードの身体はエルフが作った。魔力を肉体として保存する技術を応用したとか言ってた気がする。

 あいつは魔力式によって作られた存在じゃない。貴族と同じように自分の肉体を持っている。だからオリビアはクロードをつがいとして欲したのだろう。


「そゆこと。なぁーいいだろ? もしかして国に目を付けられたりする? だったら国を説得するの手伝ってくんね?」


 なんというか……。俺は思わずため息を漏らした。

 拍子抜けがすぎる。なんだよ夫って。尊大な登場をかましておいてそりゃねーだろ。


「あっ! てめーんだよその反応はっ! 言っとくけどアタシは本気だからな?」


 椅子の背もたれをペシペシと叩いたオリビアが抗議の声を張り上げた。


「考えてみろよ。アタシはガキの頃からずーっと同じ光景を見続けてきたんだぞ? 周りのやつらを光の模様としか認識できねぇんだ。それしか真実がねぇってのに、これは違うって感覚が常に付き纏ってる。本能ってやつかもな。気が狂いそうだったぜ」


「はぁ」


「で、ある日エンデにきた貴族を目にしたわけよ。頭ん中に火花が散ったね。ようやく人に会えた気分だったよ」


 貴族。やつらは『自分たち』と『式によって作られた者たち』とを区別するためにその名を使っている。

 貴き一族ねぇ。僭称が過ぎるぜ全く。


「その後は死にもの狂いだったぜ。金級になって地位と名声を稼いだのは貴族に見初められるためだ。無策で他の街に行っても門前払いされるって分かりきってたしな。身を危険に晒してでも力を手に入れる必要があった。不純だと貶されても知ったこっちゃないね。アタシにとってはそれが全てだったんだ」


 勘は依然として沈黙を貫いている。作り話というわけでもなさそうだ。軽い口調ながらも真に迫っているし、なにより整合性がとれている。

 話してみて分かった。こいつはただ必死になっているだけなのだと。


「お前の生い立ちは分かった。つまり悪気もなけりゃ俺らの正体をチラつかせて脅迫する予定もないってことでいいんだろ? ったく、変な警戒させるんじゃねぇっつの」


「逆に聞きてぇんだが、アタシはなんでそこまで警戒されてんだ?」


「知られたくない秘密を握ってるやつが夜中に待ち伏せしてんだぞ? 警戒しねぇほうが間抜けだろ!」


「だから最初に話があるだけだって言っただろー!」


「詐欺師の前置きにしか聞こえねぇっつの! それにその口調もおかしいだろ! 明らかに脅しにきたヤカラのそれじゃねぇか! なんでこのタイミングで取り繕うのをやめてんだよ! 紛らわしいわっ!」


「あぁー? だってアンタはクロードの兄なんだろ? だったらアタシの義理の兄ってことになるしな。家族相手に演技とかしてらんねぇよ」


 おいおい……すげぇなこいつ。俺は呆れた。

 この女、既にクロードと結婚したつもりでいやがる。自信過剰もここまでくると見上げたもんだ。恋は盲目と言うが……こいつの場合は自分にとって都合の良い未来が見えちまうらしい。とんだ擦れっ枯らしだぜ。『聖女』の名が廃るってもんよ。


 俺は席を立った。魔法を発動して顔と装備を勇者ガルドのものから冒険者エイトのものへ切り替える。


「構成変異式と……簡易呪装化式、か? さすがは勇者様。高度な魔法をぽんぽんと使って……おい! どこ行くんだ!」


「あ? 帰って寝るに決まってんだろ。はった惚れたの報告なんてクソほどどうでもいいわ。害を為す気がないなら何も言わん。許可なんていらねぇからてめぇで勝手にやれ」


 あまりにも肩透かしだ。緊張と弛緩の落差が激しすぎて馬鹿になるわ。金級が出張ってきたから何かと思えばくだらねぇ……俺は大あくびをしながら教会の扉へ向かった。


「待て! まぁ待てって!」


 ドタドタと足音を鳴らしたオリビアが目の前に躍り出て両手を広げる。あんだよ。話はもう終わっただろ。


「アンタには協力してもらいことがあるんだよ。身内から紹介されたら話がスムーズに進むだろ? 場のセッティングとかさぁ、そういうのに協力してもらいたいわけ」


「却下だ。俺になんの得もねぇ」


「そう言わずに頼むよ〜義兄にいさ〜ん」


「テメーに兄と呼ばれる筋合いはねェ!」


 なんだコイツは……他の金級とは別方面で厄介だぞ。金級ってのはこんなのばっかりか……?

 無視して脇を抜けようとしたら服をむんずと掴まれた。こいつ……! くそっ、さすが金級……こんなナリしてても意外と力が強い……!


「チッ……離せっ! 俺は勇者だぞッ!」


「勇者が怖くて人を愛せるかっつの! それにっ! 勇者ならか弱い乙女の助けになれよッ!」


「人に物を頼む態度も知らねぇアバズレじゃねーか! せめて見返りを用意してから言えッ!」


 取っ組み合いの押し問答を繰り広げていたところ、ハッとした顔をしてオリビアが手を離した。呆けたようなツラはほんの一瞬。すぐに湿り気を帯びた笑みを浮かべた。


「へぇ……見返りがあればいいんだな?」


 我が意を得たりと言わんばかりの笑顔。『聖女』という称号がいよいよお飾りになってきたな。こんなの信者が見たら発狂するぞ。

 粘ついた音が鳴りそうな具合に口を歪めたオリビアが高らかに宣誓した。


「金級。『聖女』。戦場に舞う華。ネームバリューは悪かないだろ? 大体のことに融通が利かせられるぜ? どんな見返りが欲しいんだ? 何でもしてやるぞ」


 ……ほう。ほう?

 何でも。何でもと言ったな? 俺は言質を取った。


「おい……『聖女』オリビア。今の言葉に……二言はないだろうな?」


「ねぇよ。本気度は伝わったか?」


「あぁ、そうだな……存分に伝わったよ。余す所なく」


 思えば……俺は少し冷静さを欠いていたのかもしれない。これほどまでに切なる想いを抱えた者に縋られているのだ。応えてやるのが世の情けというものだろう。そして情けは人の為ならず……俺の施しは、巡り巡って俺の元へと返ってくることだろう。見返りってやつね。


 エンデの要と称される彼女の助けになると誓ったならば相応の報いが訪れることだろう。善因は善果を呼ぶ。哀れな子羊を導くのも……悪くない。


 寂れた教会の礼拝堂。女神像が見守る神域の片隅で、俺は月光を受けて煌めくステンドグラスのような笑みを浮かべた。

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