邂逅

 くそっ……酷い目にあった……。

 教会の告解室で蘇った俺は【隔離庫インベントリ】を発動して衣装を変更した。【偽面フェイクライフ】で顔を変えれば冒険者エイトの完成である。


 ウェンディという人格は闇に葬ろう。アウグストに目を付けられなければまだまだ使いようがあったんだがな……つくづくツキがねぇ。もう少しで色街を手中に収めることができたかもしれないってのによぉ。


「チッ……今日はもう寝るか」


 日が沈んでから暫く経つ。今日はもう定宿に引っ込んで寝るとするかね。外で暴れてる金級二人に巻き込まれても面倒だしな。


 ガリガリと頭を掻きつつため息を吐き出す。次だ次。切り替えていけ。そう自分に言い聞かせてドアノブを握り――


「よぉー。久しぶりだな」


 あっぶねぇ!

無響サイレンス】発動。音を立てずにノブから手を離す。

無響サイレンス】解除。【隠匿インビジブル】発動。念のために気配を消してドアに張り付く。


 ……完全に油断していた。危機感が麻痺してやがる。危うく教会の中で姿を見られるところだったぞ……。

 エンデの教会にはめったに人が訪れない。信心深いやつがほとんどいないからだ。今までの経験から夜中に人なんているわけないと思い込んでいた。少し認識を改めないとまずいな。


 扉を挟んだ向こう側、礼拝堂に……誰かいる。それも複数人。

 聞こえてきたのはガラの悪そうな女の声で、内容は再会を果たしたやつへの第一声のようなものだった。そこから推測する。……後ろ暗いことを生業にしている連中の隠れ家として目を付けられたのか?


 仮にそうだとしたら面倒だな。誰にも見つからずに抜け出すくらい造作もないことだが、それでも万が一ってことはある。

 いつだったかのように告解室でばったり鉢合わせる、なんて可能性もなくはない。もしもその時に相対した輩が練達だったとしたら……不意をついた【寸遡リノベート】による記憶消去が通じないかもしれない。


 厄介だ。この上なく。

 俺は息を潜めてからドアに耳を当て、礼拝堂の中にいるやつらの会話を盗み聞きした。


「……ん? なにをそんなに警戒してんだよ。早くこっち来いって」


 周囲を警戒する必要がある。すなわち後ろ暗いことに手を染めているという証左だ。

 チッ……面倒なことになった。ここは教会、女神の家だぞ? 孤児ですら遠慮して近付かない聖域だ。勝手に私物化してんじゃねぇよ。


 まぁ孤児が寄り付かない理由は信仰心の有無ではなく、スラムの空き家にここよりもマシな寝床があるからだが……それはどうでもいい。目下対処すべきは正体不明の連中だ。


 まずは素性を洗わなければならない。どういう意図があって集まっているのか。組織があるとして、規模はどれ程か。個々の練度は。

 最悪の場合、治安維持担当へと告げ口せねばならないだろう。冒険者連中の巡回ルートにここが含まれるようになったら動きづらくなるが……背に腹は代えられない。変な輩の住処になるよりはよほどマシだ。


 最悪の展開を想像しつつ耳を傾ける。次いで響いたのは呆れたようなため息とぶっきらぼうな声だった。


「おいおい……んなビビるこたぁねぇだろ。話があるだけだから安心しろって」


 明確な力関係があるのか……?

 呼ばれているやつは女のことを警戒、ないし恐怖に近い感情を抱いている。会話の内容的にそうとしか思えない。

 ……連中が味方同士ではないのだとすれば幸運だ。この会合は一時的なものの可能性がある。その場しのぎに選ばれた密会所ならば長居も住み着きもしないだろう。


 思ったよりも面倒な事態には発展しないかもしれない。ささやかな安堵を感じながら次の会話を待つ。


 ……なんだ? どうして誰も喋ろうとしない?

 不自然な間が教会内に満ちている。会話にあるべき流れのようなものがない。

 女と話しているやつがどこかへ逃げたのか? だとすればなぜ女は沈黙している?


 状況を正確に把握できないもどかしさが募っていく。……いっそバレないように気を付けながら礼拝堂へ出ていくか?


「……あー、そういうこと? やけに静かだと思ったけどよぉ、単に気付いてないってだけか!」


 出ていくか迷っていたところ、女が唐突に声を張り上げた。快活ながらもどこか挑発的な声。

 ……なんだ。嫌な予感がする。どこかで聞いたことがあるような声で、しかし完全に一致する人物がいない。誰だ、この女……。


「アタシはよぉ、さっきからずっとアンタに向けて言ってるんだぜ?」


 その言葉で……俺はようやく自分が致命的な勘違いをしていることに気付いた。

 向こう側にいる女は俺の知らない誰かに話しかけているのではなかったのだ。こいつは、この女は、初めから――――


「早くそっから出てこいよ。安心しな、ここにはアタシ以外誰もいねぇ。つーわけで、話をしようぜ? 勇者様」


 ▷


 勇者は告解室にある女神像を介して転移することができる。

 一時退避も考えた。だが、俺の勘は扉の向こうにいる女を野放しにするほうがよっぽど危険であると判断した。


偽面フェイクライフ】を解除する。装いは国から支給された豪華な召し物へ。

 軽く手を握りしめ、開く。あらゆる魔法を即時発動できるよう魔力を練りながら――俺は扉を開いた。


「……お前、は」


「よぉ。戦場ぶりだな」


 銀髪蒼眼。慈愛の乙女と称され、エンデの民から厚い信頼を寄せられている金級冒険者。『聖女』オリビア。


 誰もが尊び敬う戦場の華。そんな女が……豪快に脚を組み、長椅子の背もたれに片腕を乗せ、口の端を吊り上げた笑みを浮かべてこちらを睨めつけていた。


「……お前、猫被ってたのか。いい趣味とは言い難いな」


「まぁーな。くくっ……でもよぉ、そりゃそっちだって同じことだろ? なぁ、鉄錆さんよ」


「……ッ!」


「おっ? そんなに動揺するとは思わなかったな。隠し通せてる自信でもあったのかね?」


 既視感がある。これは……あの時と同じだ。アンジュとツナに俺の正体を突き止められたあの時と、まるで同じ。


 あの時と違うことといえば……。俺はオリビアの顔を見た。人を食ったような笑みがそこにある。こいつは俺に殊勝な態度でお願いをしに来たわけではなさそうだ。

 俺の正体を突き止めた上で教会で待ち伏せし、圧倒的優位を確保したうえで脅しに近い交渉を仕掛ける。それくらいしてもなんらおかしくない手合いだ。一筋縄ではいかないだろう。


鎮静レスト】。頭の中をクリアにしてから思考を回す。後手に回ったなら挽回すればいい。あの時の経験が俺を冷静にさせた。

 交渉を持ちかけてくるということは、俺の正体をみだりに吹聴していないはずだ。交渉に使えるカードを不意にするほど愚かだったら金級に上り詰められないだろう。オリビアの賢しさを信頼することで打てる手がある。


「バレてた、か。できれば誰にも知られたくなかったんだがな……いつから気付いていたんだ?」


 俺の正体は交渉のカードとして使えるぞ。俺はそう仄めかしながらオリビアの底を探った。

 バレた時期が判明すれば相手の能力にある程度の目安をつけられる。アンジュのように内心を読めるのか、それとも散らばった断片を繋ぎ合わせて解を導く【六感透徹センスクリア】のような力を使ったのか。


 オリビアは俺の問いを受けて視線を上に向けた。


「いつからって言われると微妙だな……鉄級のエイトってやつがどうにもキナ臭えってのは初めっから気付いてたぞ。やたらギルマスが騒いでたから興味本位で見に行ったことがあってな、そこでホントにヤベェじゃねぇか! って思ったよ。その正体が勇者様だったって知ったのはこの間の騒動ん時だけどな」


 仮定する。オリビアという存在が『一目見るだけで相手の力量を看破できる能力を持っている』と仮定する。エイトとガルドを見比べて等号で結び付けたのだとすれば……。


 厄介だ。それはつまり、俺がエイトという人格を捨て、新たな人格を作ってギルドに忍び込んだとしても即座に看破されることを意味する。……天敵じゃねぇか。相性が悪いなんて言葉じゃ済ませられねぇぞ。


「それは……困ったな。……このことは他に誰が知ってる?」


「安心しな。他の誰にもバラしちゃいねぇよ。人の秘密をペラペラくっちゃべる趣味はないんでね」


六感透徹センスクリア】は既に発動していた。鋭敏になった勘がオリビアの発言の信憑性を保証してくれる。ひいては言葉の裏に隠れた真意まで汲み取った。


 ……なるほどね。こいつは自分が持つ能力を他人に明かしていない。だからエイトが異常だと知っても他人に告げ口しなかったのだ。根拠の提示を求められたら能力を明かすしかない。それを嫌ったというわけだ。


 盤面を覆す光明が差してきたな。俺は目を瞑り安堵のため息を吐き出して言った。


「そうか。一先ず安心したよ。……物は相談なんだが」


 こいつの口は真っ先に封じておかねばならない。


「俺の正体を今後誰にもバラさないと……誓ってくれないか?」


 魔法を練り上げる。気分一つで破綻する口約束では信頼できない。確たる証を刻む必要がある。


「代わりに俺は……お前が持っている『人の能力を看破する力』を口外しないと誓おう。悪い話じゃないだろう?」


奉命オース】。誓いの反故をその者の命で贖わせる魔法だ。やつから同意を引き出せれば口封じは完成する。

『聖女』よ……馬鹿正直に答えすぎたな。お前だって秘密をバラされるのは望む所じゃないはずだ。乗れ。乗ってこい!


「……! くくっ! くははッ!! おいおいおいっ! なんつー物騒な魔法を使おうとしてやがるんだよ! えぇ!?」


 返ってきた反応は俺が期待したものと寸分すら合致しないものだった。


「認識を切っ掛けにした強制自壊式だぁ!? 世に名高い勇者様が行使する魔法じゃねぇだろッ! そいつは隷属を押し付けるためのモンだ!」


 月光を浴びて輝くステンドグラスよりも妖しげにオリビアの蒼瞳が光る。礼拝堂に似つかわしくない哄笑を上げるオリビアを前にして俺は立ち尽くすしかなかった。

 発動前の魔法を察知しただと? しかもその中身まで完璧に?


 有り得ない。魔法の得意な姉上だってそんな芸当はできねぇぞ。魔力そのものである魔王でもなければ……。


「ったく、信用ねぇな。アタシは最初に言っただろ? 話があるだけだってよぉー。んな警戒してくれんなっての!」


 組んだ脚を跳ね上げ、修道服を翻したオリビアが立ち上がる。人を食ったような笑み。茫洋と光る蒼眼。その全てが異質に映った。

 勇者を前にして臆することもなければ敬意を払うこともない。物として扱われているような錯覚すらしてくる。コイツは……何だ?


「アンタが正体隠してなにしてようとアタシにはなんの関係もねぇ。勝手に楽しんでればいいさ。勘違いしてるみたいだからハッキリ言っとくぞ? それをネタに強請ゆすろうってんじゃねぇのよ」


 警戒を解こうとしているのか、オリビアはゆるりと両手を広げた。そのまま距離を詰めてくる。

 まるで逆効果だ。俺はより一層の警戒を抱いた。弱みを握っていることをチラつかせておきながら仲間面をする? 盛大に落とす前の下準備にしか思えねぇよ。俺ならそうするからだ。わざわざ教会で待ち伏せしておきながらその理屈は通らねぇだろ。


「お前……何が目的なんだ?」


 交渉のテーブルには着きたくなかった。うまいこと丸め込んで口封じしたらとっとと退散するつもりだった。

 しかし、事ここに至ってはそんなぬるい考えではいられない。目的を吐かせたうえで脅威度を測らなければ後々まで尾を引くと己の勘が警鐘を鳴らしていた。


「やっと話を聞く気になってくれたかよ。ま、そんな難しい話じゃねぇ」


『聖女』は端正な顔を歪めるように笑みを深めた。


「ガロード……今はクロードって名乗ってたか。アイツさぁ、アタシにくれよ」

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