悪夢をもたらすもの

 店の経営が軌道に乗るにつれて自由時間が増えてきた。放っておいても客が入ってくる構造を確立したのだから当然だ。

 今の俺はタダ券を作りつつ朝と夜にちょっとしたお悩み相談をするくらいしかやることがない。

 それでも十分な顧問料が入ってくるってのが素晴らしい点だ。そういう契約だからな。総取りの図式、ここに成る、ってなもんよ。


 もちろん手を抜くことはしない。昼は酒場で駄弁りつつそれとなく俺担当の店を宣伝する。これで継続的に新規客が訪れるってわけだ。


 完璧な流れである。問題があるとすれば、やはり飯を食うだけでやることをやらない野郎の存在である。

 店の営業中に俺が外へ出かけてしまうと売上に貢献しない客が野放しになる。うーむ……めんどくさい問題だ。


「ウェンディ姐さん……お願いします! 特製のお酒のレシピを教えてくださいっ! 私もこのお店に貢献したいんです……! 絶対に、絶対に口外しませんからっ!」


 当たり前だが夢魔の口吻メア・ブリンガの存在は公にしていない。バレたらギルドが出張ってくるからな。

 娼婦たちへは秘伝のレシピがあるという嘘をつくことで誤魔化しているが……そろそろボロが出かねない。現にこうして迫られてるわけだしな。本気で頭を下げているやつの頼みをあしらうのも角が立つし、あまりに頑なだと不自然さが勝ってくる。……しょうがねぇ、手を打つか。


「……分かったよ。あんたのその熱意を無下にしたら……女が廃る」


「っ! 本当ですか!?」


「ああ。だが条件があるよ。他言無用、そして他の誰にも見られるな。分かったね?」


「はいっ! ありがとうございますッ!」


 熱心な若い娼婦がつむじを見せ付けるように頭を下げた。未熟を憂いて焦りに突き動かされているのだろう。味方として取り込むには丁度いいか。


「五分経ったら酒蔵に来な。そこで秘訣を教えてやるよ」


 ▷


 酒蔵の中には数えるのも億劫になるほどの酒が眠っていた。さすがは色街の中でも一、二を争うほどの人気店。品揃えがしっかりしてやがる。


「さて……こん中で最も売れてない酒はどれかな?」


六感透徹センスクリア】発動。経験と状況から最適解を導き出す。王都の酒屋で売れていた銘柄を弾き、個人的に気に入っている酒を弾き、ストック数が多い酒を弾き――


「……ほう、これはこれは」


 得た情報から答えを導き出す。酒蔵の奥、最下段でひっそりと埃を被っていた酒を検める。

 屠龍酒ドラグ・スレイ。飲んだらぶっ倒れるように酔える最悪の酒だ。……なるほどね、説得力としては申し分ない。

 それに――俺は瓶の表面を指でなぞった。指紋に吸い寄せられたかのように埃が付着する。長い間放置されていた証だ。酒というより毒に近いし、それでいて値段が高いからな……さもありなん。


 これは使えるぞ。俺は屠龍酒ドラグ・スレイの中身を革の水筒へと移し替えた。空になった陶瓶の中に夢魔の口吻メア・ブリンガを注ぐ。偽装工作完了。


 秘伝のレシピ。それは屠龍酒ドラグ・スレイを一滴注ぐことだったのだ!


 眉唾な話も実績という裏付けがあればたちまち天啓へと化ける。そういうことだったのかと目を見開き感動を露わにする娼婦へ向けて俺は念入りに言い含めた。

 一滴だぞ? ほんの一滴でいい。絶対に一滴以上入れるなよ? 大変なことになるからな!


 ▷


 仲間を一人作ったことにより俺の計画に穴はなくなった。放っておいても食い扶持が懐に入ってくる環境の完成である。

 こりゃ新聞社に次ぐ金づるになってくれるかもしれんな? 人助けしたついでに一儲けする。これぞ一流の業よ。見てるかクロード、こうやるんだよ。


 酒場で一日中くだを巻いて上機嫌になった俺はほろ酔い気分で娼館へと帰還した。


「……ん? どうしたんだい? 何かあったのか?」


「あっ、ウェンディ姐さん!」


 娼館に入ってすぐのところに従業員が集まってなにやら話し込んでいた。何かを伺うように待合室に視線を向けている。……まさか、酒の配分を間違えて客が倒れたとかじゃないだろうな。


 しかし無用な心配だったらしい。オーナーが頬に手を当てて困ったように息を吐きだしてから言った。


「ええと……その、少し難しいお客さんがいらしててね……いつものことだし、もう少ししたら帰るとは思うんだけど……」


 ほう。まだ俺の店に迷惑をかけるクソのような客が残ってるとはな。どこのどいつか知らんがとっとと退店願うとするかね。


「どきな。そんな輩はアタイが首根っこ引きずって放り出してやるよ!」


「いや、でも……あっ!」


 止めようとする娼婦を押し退けて歩み出る。瞬間、尋常ならざる熱気が肌を焼いた。


「頼むぅ……この通りだ……そろそろ例の乙女の所在を教えてくれえッッ!」


 アウグスト。あいつ……何してやがるんだ……。

 エンデを支える冒険者、その中でも取り分け秀でた功績を上げた者には金級の位が与えられる。数多の魔物を屠る急先鋒として名を馳せ、同胞の、ひいては街の民の支えとなり続けた男には決して倒れぬ様を評して『柱石』の二つ名が授けられた。


 その『柱石』様は娼館の待合室で無様に膝を折り床に頭を擦り付けてみっともなく叫んでいた。


後生ごしょうである! あれから……もう手がかりが途絶えて……久しいのだ」


「従業員の詮索は控えて頂けると……そもそも私たちも詳しいことは知らなくて……」


「なんでもいい! 些細なことでも構わんッ! 頼む……ッ! 俺様はァ……もうあの乙女でないと満足できないんだ……」


 きめぇ……。


「あの人、アウグストさんっていうんですけど……少し前からずっとあの調子で……」


「ちょっと色々あったらしくてね……それ以降、他の女の子を指名しない徹底ぶりなの」


 きめぇ……。


「金なら払う……だから……頼むよ……」


 なんて惨めな……俺は辟易した。これが金級とか嘘だろおい。お前はもう少し地位に即した立ち居振る舞いってのができねぇのかよ。


「どうしようか……」


「まぁ、あと三十分もすれば諦めてくれると思うけど……」


 ヤツがしているのは本来であれば頭をひっぱたいて叩き出すような所業なのだが、腐っても金級ということで畏敬の念を集めている。そこらの凡愚と同じような扱いで放り出すのは躊躇われるらしい。

 だが……あと三十分もこのままだと? ふざけた話だ。あのクソのせいで他の客が寄り付かないじゃないか。店の門を潜った時点で客は等しく客である。実績など関係ない。迷惑客にはお帰り頂こうじゃないか。王都の色街直伝、酔わせて路地裏へポイ作戦だ。


「あの客を強めの酒で黙らせな。それから治安維持担当を呼ぶんだ。さっさと追い出すよ」


「ウェンディ姐さん……でも」


「でもじゃない。あの筋肉ダルマが誰か知らないが、尊敬するのと甘やかすのは違うだろう。そうやって遠慮するから相手が付け上がるんだ。分かったらやっちまいな!」


「…………! 分かりました!」


 一人が治安維持担当を呼びに行き、一人が酒蔵へと向かう。これでそのうち騒ぎも収まるだろう。

 それにしてもあいつまだ諦めてなかったのか……本当に厄介な野郎だよ。金級の冒険者はいつだって俺の邪魔をする……。


 ま、今回ばっかりは無縁の話だ。俺はこのまま退散すれば何の問題もない。お前は存在しない女の影をいつまでも追いかけているといいさ。


「あの……アウグストさん? これでも飲んで落ち着いて下さい……」


「ん? おォ……屠龍酒ドラグ・スレイかァ」


 何だと!? 俺は振り返った。アウグストの手に握られているのは俺が細工を施した瓶だ。つまり中身は夢魔の口吻メア・ブリンガということ……まずいッ!


「竜すら殺すこの酒に俺様の未練を絶ってもらうのも……悪かねェ、か」


 しみじみと呟いたアウグストが瓶のフタを取った。クソがッ! 間に合わねぇ!


「馬鹿っ! やめろォーッ!!」


 アウグストは瓶に直接口を付けて中身を豪快に飲み干した。終わった。


「……ぐッ……ウゥ……ウオオオオオォォォォッッ!!」


 空間に穴を空けるような咆哮が轟く。およそ人の口から出た声とは思えないそれが娼館そのものを震わせる。

 杯が割れ、額縁が崩れ、書類の束が吹き飛んでいく。……危なかった。咄嗟に【無響サイレンス】を範囲展開していなかったら耳が潰れていたかもしれん。


「シュウウウゥゥ…………」


 獣のような唸り声を漏らしたアウグストの瞳は焦点を失っていた。指先が暖を求めるかのように微振動している。

 ……理性の喪失と幻覚作用、そして性的興奮の増強。まずい。あの巨体が本能のままに暴れたら……死人が出る。


「あ、え……アウグストさん……?」


「おい何してる! さっさとそいつから離れろッ!」


「あ……い、今ので腰が……」


 酒を届けた娼婦はアウグストにビビってしまったのか腰砕けになって後ずさった。どうする……思った以上にまずいぞ。

 ……仕方ねぇ。俺は【隔離庫インベントリ】から革の水筒を取り出した。なんとかして中に入っている屠竜酒ドラグ・スレイを飲ませて昏倒させるしかない。


「ウ……グ……アァ…………!」


 もはや魔物だ。

 暴力的な熱を振りまく筋繊維の怪物が地に伏している娼婦へと手を伸ばす。


「ひッ……!」


 気が逸れている今なら……いける。【敏捷透徹アジルクリア】。俺は右手に持つ水筒をアウグストの眼前に突き出そうとして――


「グアァッ!」


 獣のような超反応を見せたアウグストに防がれた。手首をギリと握り締められる。クソが……こいつ、戦闘勘は微塵も鈍っちゃいねぇ……化け物が!


「ウェンディさん!」


「姐さんっ!」


 どうする。頭の中を逡巡が走る。

 三折エクスを使うか。いや、さすがに目撃者が多く、そして近すぎる。それにこんな頻度で使うのはまずい。さすがに魔王が不審がって行動を起こしかねない。だが……そんなことを気にしている場合なのか。


 答えを出すのが遅れた。致命的な判断ミスだった。取り返しのつかない悪手を打ったのだと今更気付いたが――時すでに遅し。


 俺の手首を握り締める指が何かを確かめるように蠕動した。込められた力が、どこか優しいものへと変わる。

 牙を剥くように開かれていたアウグストの口がすぅと閉じられた。焦点を失った瞳が確りと像を結ぶ。スンと大人しくなったアウグストが俺を見て一言。


「――見つけた」


 見つかった。こいつ……俺の手首の感触だけで……?

 瞬間、あの日の怖気が舐めるように全身を襲った。まずい。この状況は、まずい。


「あぁ……こんなに近くにいたのか……運命の乙女よ」


 きめぇ!

 俺は半ば反射的に【膂力透徹パワークリア】を発動し、左の拳をアウグストの腹に叩き込んだ。


「ンぅッ!! この熱烈な歓迎ッ! あの日のそれと寸分すら違わぬッ!! 待ち詫びた……待ち侘びたぞッ!!」


 きめぇ……。お前さっきまで理性失ってたじゃん。なんで急にイキイキしてんだよ。どういう生態してやがる。


「ッ! 離せッ! 触んじゃねぇよっ!」


「そう邪険にしてくれるな……少し興奮する……まずは久闊を叙するのが礼儀というものだろう……」


 てめぇが礼儀を語るんじゃねぇ。そう言いかけて、俺はこいつを喜ばせるだけにしかならないと判断してやめた。無敵かよ。


 グイと腕が引かれる。両の脚が地を離れてつんのめる。そのままずるずると引き摺られて……まさかこいつ、個室へ俺を連れ込もうと……? クソがッ! 冗談じゃねぇ!


「やめろッ! おいお前らッ! 見てないで助けろぉーっ!」


「あのアウグストさんを一瞬で籠絡した……?」


「あれが王都で鍛えた悩殺術……!」


「だ、大丈夫です姐さん! アウグストさんは、その、変に紳士なので……」


「大丈夫じゃねェんだよッ! クソがーッ!!」


 どんなに暴れてもアウグストは俺の腕を離そうとしない。ま、まずい……このままでは本当に……やめろ……だ、誰か……誰でもいいから助けてくれ……!


「……呼ばれたので駆け付けてみれば……これは一体どういう状況なんですか?」


 そ、その声は……! 俺は腹の底から叫んだ。


「助けてくれーっ! ミラさんッ!」


 虐げられる者の味方、『遍在』のミラさんのお出ましだ!


「……アウグスト、さん。嫌がる女性を無理やりとは……少々見過ごせないですね」


「ミラァ……小娘風情が知ったふうな口を利くんじゃない。これはそういう……プレイだ」


 ざけんなクソが! 俺はアウグストの顎を殴りつけた。


「ンッ! 所構わずとは……はしたないぞ! だがその大胆さは誉れ高い」


 どこでどう拗れたらこんなイカれたパーソナリティを獲得できるのだろう。

 娼婦って大変なんだな。純粋にそう思った。


「……随分と悪酔いしているようですね。事情は後で聞きます。とりあえずその方を離しなさい」


「随分と殺気立つじゃァないか……。俺様を相手に……やる気か?」


「……酒に酔った人間は力で寝かしつけなければならないと経験で学んでいるもので。そっちこそ、片手が塞がっている状態でやれるとでも?」


「人の恋路を邪魔するなァッッ!!」


「私の仕事を邪魔するなッ!!」


 金級同士が娼館の一室で激突した。恐らく、二人とも本気だったのだろう。俺はアウグストに腕を拘束され、ひたすら振り回されていたのでその全貌は知れなかった。

 幾度となく身体同士が衝突する音と衝撃だけが響く。俺はひたすらミラさんを応援していた。その度に生ぬるい鼻息を漏らすアウグストがただただ不愉快だったことだけを覚えている。


「くッ……強くなったじゃァないか! ミラァ!」


「いいから早くその人を解放しなさいッ!」


 金級決戦。色街の一角で勃発したその戦いは戦場を屋内から屋外へ移し、そして大通りへと飛び火した。

 時間帯が夜だったのは幸いと言っていい。この争いで負傷した者はいなかった。


 気付けば俺は解放されていた。通りへと投げ出された身体を起こした時、遠くから物凄い形相をしたアウグストが駆け寄ってきていて、その顔面に飛び蹴りをかましてふっ飛ばしたミラさんがとても頼もしく思えた。


 俺は恐怖に震える足を叱咤して路地裏へと駆け込んだ。そして安らかな眠りを求める赤子のように首を掻き斬った。死がこうまで救いになるのだと身を以って実感したのは初めてのことだった。


 もう二度と色街へ関わらないようにしよう。そんな強い決意を抱きながら俺は死んだ。

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