引き際と勝負の際は紙一重
定宿の食堂でクロードと共に燻製肉をつまみつつワインを転がしている。
ジャーキーを噛み締める度に溢れる旨味を存分に堪能してから芳醇なワインで口を潤す。そしてまた肉をひとつまみ。口内がしつこさを帯びてきたら瑞々しい葉野菜を齧る。これでまた肉が旨くなる。
うーん、優雅だ。実に優雅な朝である。
「おはよぉ。エイトちゃん、クロちゃん」
「うーす」
「おはようございます」
これぞ上流の朝、という過ごし方をしていたところ女将が自室から出てきた。既に支度は済ませているらしく、このまま娼館へと直行するようだ。
「ここ数日忙しそうですね」
「そうなの! 王都で店を盛り上げたっていう凄い腕利きの人がアドバイスしてくれてねー。助かっちゃった」
「……なるほど。それは、良かったですね」
「本当にね! …………ん?」
クロードとの世間話に花を咲かせていた女将が小さく唸った。眉をひそめてテーブルに寄ってくる。
「どうかしましたか?」
「このワイン……ちょっと、朝からなんてもの飲んでるの……?」
俺たちが飲んでいるのは一本で金貨三枚もする高級品だ。最高級品とまではいかないが、庶民の一年の収入が吹き飛ぶ額である。安いワインではない。
これはもちろんウェンディとして儲けた金で購入したものである。……怪しまれないように濁しておくか。
「ちょいと伝手があってね。格安で購入できたんだよ」
「そう……詳しくは聞かないけど……クロちゃん! こんなお高い酒に慣れちゃ駄目だからね! 舌が馬鹿になっちゃうから!」
「あはは……気を付けます」
いやぁ、クロードは高い酒をジャブジャブ飲んだ俺の記憶を受け継いでるから既に手遅れだぞ? このワインを飲んだ時も『あ、口当たりが良くて美味しいですね』くらいの感想でサラッと流したしな。
まあ言っても詮無きことよ。俺は優雅にグラスを傾けた。
「エイトちゃんも石級の子に変な贅沢を教え込んじゃダメ!」
「へいへい。俺らのことはいいからはよ仕事行って来い」
「ホントにもう……あ、出掛けるなら鍵掛けておいてね!」
「分かりました」
「だから客に店番を任せるなっつの」
どこまでもマイペースを崩さない女将は呆れつつもどこか上機嫌な様子で玄関から出ていった。数日前の覇気のなさはどこかへ吹き飛んだらしい。
楽な仕事ではないはずなのだが、働き甲斐ってやつなのかね。
「……ありがとうございます」
「あん? 急にどうしたよ」
「自分のわがままを聞いて貰ったので」
「相変わらず律儀なやつだな……気にすんなっての!」
俺も貰うもんは貰ってるからな。お互い様ってやつよ。
クロードは俺お得意の首切り転移ができない。必然やれることの幅が狭くなる。そのフォローをしてやるのは俺の仕事だからな。おかげで稼がせてもらってるし。
「あの……それで、ですね」
静かに目礼したクロードは、何やら言いづらそうに話を切り出した。目は下を見るように泳ぎ、言い淀みながら口をもごもごと動かしている。煮えきらない態度だ。
「なんだなんだ? まだなんかあるのか?」
「まあ、その……」
「おいおいこの前言ったばかりだろ。そういう優柔不断な態度は相手をつけあがらせるだけだっつの! 言いたいことがあるならパッと言えや」
うじうじとした態度で眉を読むクロードに活を入れる。ごくりとツバを飲み下したクロードはフッと一息ついて瞑目した。一拍置いて目を開き、意を決したような表情で言う。
「業績は好調に転じたし、女将さんも元気を取り戻したので……もう大丈夫だと思います。ありがとうございました」
…………? 俺は首を傾げた。
もう大丈夫。もう大丈夫とは?
「いや、ここがいい引き際なのではないかと。そう思う次第でして」
引き際。ははぁ……。それはそれは。
俺は優雅な所作でワインを飲んでから答えた。
「クロード。なぁクロードよ。お前は……商売ってものが分かっていないぞ」
「…………」
「俺がやったことは小手先の入れ知恵に過ぎない。どういうことか分かるか? 後追いが生まれるってことだよ」
娼館は俺が接触した店以外にも沢山ある。そいつらがこのまま指を咥えて見ているだけってのは有り得ない。策を練ることで利益を出せるという好例を目の前で披露されて黙っているほど愚かではないはずだ。
しかも俺がやっていることは至極簡単な客寄せの工夫である。二匹目三匹目のドジョウを狙う輩が現れるのは必定。この街は噂が広まる速度が早いからな。客寄せに提供するメシの質や値段で有利を取ろうとする店が現れるだろう。
するとどうなる。業績はたちまち横並びだ。それじゃ面白くねぇだろ? そこで俺の出番よ。
なんとかして追い縋ろうと策を弄するやつらを突き放す手段は既に講じてある。分かるか? 引き際だなんてとんでもねぇ。むしろ勝負の際だぜ。勝って兜の緒を締めよ。慢心の味を知った者から転げ落ちていくのが商売の世界だ。分かったか、クロードよ。
「……やり過ぎないように、とだけ」
「要らん心配だな」
俺が今回してることは他所で仕入れた成功例の流用だ。簡単な入れ知恵の横流しである。何を失敗することがあるというのか。
……やはりこの街は素晴らしい。少し焚きつけるだけで思い通りに事が進んでくれる。だが……まだまだ搾り取れるはずだ。こんなもんじゃないだろう。乗りこなしてみせるさ。不景気の荒波ですら、な。
「……ヒリついてるんですか?」
ヒリついてないさ。俺はふるふると首を横に振った。
▷
顕在化してきた問題は概ね予想していたものだった。
「昨日よりも客足が減ってるね」
「他の店も私たちと同じことをし始めて……」
思った通りだ。あまりにも想定通りすぎて怖いくらいである。
俺はバックヤードに集ったオーナー並びに娼婦たちへ笑みを投げかけた。すべては俺の手のひらの上であることを示すために。
「そうかい。そろそろだと思ってたんだ。なら今日からは常連にこれを配りな」
ゆったりとした上衣のポケットから半券の束を取り出す。俺が【
「三枚集めたら……一回無料!?」
「えっ……お金出ないのはちょっと……」
娼婦たちから戸惑いの声が上がる。それも予想済みだ。安心させるよう笑みを浮かべて優しい声で諭す。
「なあに、そりゃ一時的な施策だよ。他に客を取られないためのね。それによく見なよ。利用期限が書いてあるだろ?」
俺は用意したタダ券に『発行から十日経過時点で効力を失う』と明記しておいた。期間を極端に短く設定したのは二つの意味がある。
一つはそう簡単にタダで利用させないようにするため。
二つは上客の確保だ。このスパンで店に訪れることができる太客を他店に流すわけにはいかん。それくらい理解できるだろう。
損得勘定ってやつさ。例え一回タダで店を利用されたとしても儲けがゼロになるよりはずっとマシだろう。いやむしろ……上客たちは今まで以上のペースで足繁く通うことになる。これはチャンスなのさ。不景気が去った後も末永く愛顧していただくための下地作りという意味で。もちろん上手くいくかは個人の頑張りによるところが大きいけどね?
商売の基礎を説きつつプライドを刺激して発破をかける。盛況を呼び込んだ俺の実績を認めて素直に頷く者がほとんどだったが、中には懐疑的な者もいるようで。
「そんなにうまくいくのかなぁ……」
「おいおい、まだアタイのことを信じられないってのかい?」
俺は半券を不安そうに見つめる娼婦の肩に腕を回して背中を叩き、憂いを吹き飛ばすようにカラカラと笑った。王都の闇をその身一つで抱き留めてきた歴戦の娼婦ウェンディであるが故に。
「もし失敗したらそんときゃ店の損失を全部補填してやるよ。それでも気が済まなけりゃ好きなだけ口汚く罵るといいさ。おっと、それじゃ褒美になっちまうかねぇ?」
「……ふふっ、そんな拗らせた客みたいなこと言わないでくださいよー。分かりました! ウェンディさんを信じてみます!」
これでよし。くくっ……リップサービスってのは本当に使い勝手がいい。元手がゼロなのも素晴らしい点だ。
「…………」
「…………ん? なんだい?」
すぐ隣りにいた女将が何故か俺の顔を覗き込んでいる。普段あまり見ないぼうっとした顔だ。中途半端に開いた口がなんとも間抜けている。
「ん……いや、少し。多分勘違いなので……お気になさらず」
「そうかい?」
一瞬バレたかと思ったが、顔も変えてあるし厚い服を着て体格も誤魔化しているのだ。勘付かれるはずがない。いち娼婦に見抜かれるほどぬるい変装はしちゃいねぇ。
「さぁ、そんじゃ今日も張り切んな! アタイは陰から応援してるよっ! なんか困ったことがあったらすぐに言うといいさ!」
「はーい!」
▷
タダ券制度は一部の常連に向けて秘密裏に配布した。大っぴらに配ったら真似をされるし、店の外でタダ券の売買をされたらこちらが損を被るからだ。
この一部の上澄み連中の自尊心を撫で付ける戦略は思いのほか高い効力を発揮した。やはり客には格差を設けるべきだと改めて実感したね。
有象無象とは違う格別の待遇でもてなされて喜ばない客はいない。自分は選ばれた側なのだという優越感は財布と下衣の紐を面白いほど緩くした。全くもって狙い通りである。
他の店が見様見真似の策を弄して互いに潰し合う中、俺がテコ入れした店だけが相も変わらず盛況をキープしていた。ざっとこんなもんよ。
「凄いです、ウェンディ姐さん!」
ほんの少し前まで疑念を隠そうとしていなかった娼婦もすっかりこの調子である。現金なやつとは言うまい。人が実力者になびくのは世の摂理であるからして。
「ふっふ……アタイの偉大さってもんが分かったかい?」
「はい姐さん! 私が間違ってました! ……その、姐さんのお力を見込んで少し相談したいんですけど……いいですか?」
「言ったろ? 困ったら言えってさ。自分の親だと思ってなんでも聞きな!」
「ありがとうございます! 実は少し困ったお客さんがいて……」
その娼婦の話は相談というよりはとある客についての愚痴に近いものだった。
件の客は食事を提供し始めた日から毎日のように店に足を運んで娼婦を指名するのだが、飯を食って雑談し終わったら誘いに乗ることなくそのまま直帰するのだという。要は綺麗所とくっちゃべりながら飯を食うだけなのだとか。
おいおい……そりゃ許せんなぁ。単価が落ちるどころの話じゃねぇぞ。
「他にもそんな客がいるのかい?」
「はい……他のコも似たようなことを愚痴ってました」
なるほど。なるほどね。懐に余裕のないやつらはここを少しばかり割高な酒場みたいに扱ってやがるわけだ。口実として用意した上っ面のサービスだけを享受して娼婦を拘束する連中……それは、邪魔だなぁ。
「だからウェンディ姐さんに、こう、悩殺術みたいなのを教えていただけないかと思いましてっ!」
無茶言うなや。何が悲しくて野郎を落とすテクなんぞを伝授せにゃならんのか。さすがにそれは契約の範疇外だっつの。
だが放置してはならない問題であることもまた事実。……そうだな。使うか。俺はニッと笑った。
「悪いがアタイのテクは教えらんないよ。門外不出だからね。代わりといっちゃなんだが……少しばかり手伝ってやるよ。そういう時は酒の力を借りるのが一番だ」
▷
貴重な毒が必要なことに加え、製法が広く知られていない酒造りの知識を必要とするため数が出回らない一品。一説によると、無知な輩が高級酒を密造しようとして失敗した結果生まれた副産物なのだとか。
ほんの少し口にするだけで理性を溶かす堕落の酒。俺は故買商のオヤジから購入したそれを一滴だけ酒に混ぜて迷惑客に提供した。
効果の程は言わずもがな。辛抱堪らなくなったケチ客は気持ちよく追加料金を支払い、娼婦を急かすようにして個室へと消えていった。ちょろいもんよ。
飯だけで粘ろうとする客は他にもいたので、もれなく俺特製の酒を振る舞ってやる。これにより店の回転率と単価はみるみるうちに跳ね上がっていった。
そして店の売上が増えれば当然俺への報酬も増える。いいね。いい商売だ。
やはり俺は間違っていなかった。ここが勝負の際。不景気の波がなにするものぞ。荒れ狂う波を乗りこなしてこそ生きる甲斐があるってもんよ!
俺も、俺の店も、苦境に喘ぐことはない。それを高笑いで以って知らしめようじゃないか。
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