娼婦ウェンディの甘言
王都でちょっとした買い物を済ませた俺は首を斬ってエンデまで舞い戻った。いつも通りがらんどうの教会で魔法を発動する。
【
「んー……ま、こんなもんでいいか」
手鏡に映る自分の姿をまじまじと眺めて成果を確かめる。うむ、まぁ、いいだろう。荒事慣れしてる女というふうに見えなくもない。
顔と声を誤魔化せても体型が変えられないため女として活動したことはなかったが、この街なら多少の違和感程度なら誤魔化せる。身体を鍛え上げてそこらの男顔負けの肉体を持ってる女も多いからな。ボロを出さなきゃ溶け込めるはずだ。
あとは身体のラインが出ないゆったりとした服を着込めば新人格の完成だ。
王都のスラム出身、色街経営アドバイザーのウェンディ。これで行こう。
娼館の従業員は基本的に女しか採用されない。故に潜り込むには相応の準備を整えた上で臨まねばならん。実に手間だが……その分当たりを引けばデカいはずだ。
色街全体が沈んでいる中で俺の指導に従った一つの店だけが傑出する。それ即ち総取りの図式に他ならない。手数料としてどれだけ引き出せるか……結果が楽しみだ。
▷
「ええと……すみませんねぇ。私たちはそういうの受け付けてなくて……他をあたって頂けるかしら?」
経営に困ってるようだな。手を貸そうか?
定宿の女将が在籍している娼館のオーナーにそう持ち掛けたところ、案の定というべきかすげなく門前払いされてしまった。
「へぇ? 助けはいらないと。アンタらはこんなしょぼくれた状況を良しとするってワケかい?」
「そう言われましてもね……たまにいらっしゃるのよ、貴女みたいに良い方法があるって言ってお店に取り入ろうとする方が。そういう方は例外なく詐欺だから相手にしないよう冒険者ギルドから釘を差されてるの」
軽い挑発を織り交ぜて翻意を促そうとしたが、けんもほろろに断られる。ギルドの名前を出すあたり徹底してるな。この街でギルドを盾にするってことは『あんまりしつこいようなら衛兵を呼ぶぞ』と言ってるようなもんだ。
大きな壁を作られた。しかし……その程度で怯んでたら商売なんて成り立たねぇよ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。リスクを承知で距離を詰められるのが一流ってやつだ。
それにこっちから歩み寄らなきゃならんなんてルールはないしな? 俺は大きくため息を吐き、これ見よがしにやれやれと首を振った。
「はぁ……そうかい。アタイはちっと期待しすぎたのかねえ? エンデの色街は質がいい、なんて噂を王都で耳にしたけど……こりゃとんだ肩透かしだ。権力者に首輪を嵌められてキャンキャン鳴くだけの子犬しかいないとはね……」
「…………」
王都と比較して劣っている。そう直截的な物言いをしてやるとオーナーの顔色がにわかに変化した。
厄介者を追い払うために作った艶麗な笑みにヒビが入り、垂れた目尻がヒクと震える。円熟した色香は冷たい戦意へ。たおやかに細められた目は魅了から威圧へと役割を変えていた。
この街の連中には分かりやすい挑発が分かりやすいほど効く。娼婦たちも例外ではない。経営者という面での挑発は効き目薄だったが、ならば女という面から切り込めばいいだけのこと。
「アタイはゴメンだけどねぇ。権力者のケツの臭いを嗅いで媚びるだけの犬に成り下がるなんてのは」
「……随分と品のない考えの狂犬だこと。そんなだから華の王都には相応しくないっていうんで捨てられたのではなくて?」
乗ってきたな。それでこそだ。
エンデの娼婦たちには自負がある。命懸けで街を守っている連中の支えになっているという強い自負。それは王都でのうのうと過ごしてきたやつには寸分も理解できないものだ。
物見遊山がてらに立ち寄ったとしか思えないやつにプライドを馬鹿にされる。さぞ気に障ることだろう。冷静じゃいられないはずだ。そこに付け入る隙がある。
「アタイが捨てられた? はっ! 面白い冗談じゃないか! 娼婦よりも芸人のほうが向いてるんじゃないのかい?」
「それは貴女にも言えるのではなくて? ……もう娼婦として働けなくなったからわざわざこの街に流れてきたのでしょうし」
皮肉げに言い捨てたオーナーはチラと俺の顔を見た。顔に走る裂傷痕はどうあっても目を引く。突き離すような物言いをしたオーナーであったが、そこには隠し切れない憐憫の情があった。同じ女として同情心も持っているのだろう。
もっとも俺は男であり、顔の傷はこの展開を見越してつけたものなんだがな。騙して悪いが……なあに、悪い思いはさせねえよ。
「あぁ、この傷のことを言ってるのかい?」
親指で額を小突く。同時に【
「これは……アタイが自分で付けた傷さ」
「…………!?」
オーナーが驚愕に目を見開いた。理解できない生き物を見たような視線を寄越す。それが狙いだ。
なぜ、どうして、って感情を抱かせることは交渉の前提条件である。傾聴の姿勢を引き出せるからな。後はでっち上げた過去を大仰に披露するまでよ。
「客を
「お偉いさんから……」
「それも二人同時にさ」
「えっ……!」
オーナーが身を乗り出す。【
「そ、それで……?」
俺はしみじみと息を漏らした。回顧するように目を細め視線を宙に投げる。焦らすように間を作ってから言葉を紡ぐ。
「あわや権力のぶつかり合い、って事態になりかけたよ。恋の鞘当てと言えば聞こえはいいが……規模が大きくなりすぎた。このままでは相応の血が流れる。アタイがそんな惨事の契機になるってのはゴメンだったから――」
俺は架空のナイフを握ってみせた。不可視の切っ先を額に当て、そのまま鼻頭を通し、額へ滑らせる。
「…………っ!」
「事を取り捌くにはこの方法しかなかった。ケジメってやつさね。一か八かの賭けだったが……なんとか奏功したよ。アタイに惚れた二人は盲目だったけど、凡愚じゃなかった。頭を冷やした二人は権力の矛を収めて、それで終いさ」
「貴女は……! それで良かったの!? そんな……そんなのって……」
「今となっては誉れの一つさ。傷が勲章なのは男の専売特許じゃないってね」
俺は『でも……』とか『そんな……』とか呟くオーナーの肩に手を置いた。陰気を吹き飛ばすように笑う。
「アタイはこの仕事を誇りに思ってる。だけど王都からは身を引いちまった。だからこの街に来たのさ。身を売ることは叶わなくなっても……できることがある。そう思ってね」
「そう、だったの……」
「今のエンデが落ち込んでる状況だってのは薄々察してるよ。遣る方無い思いを抱えてるのも分かる。だけど、だからこそ気合いの入れ時じゃないか。娼婦はね、嬌声を上げる以外の理由で口を干上がらせるモンじゃない。アタイはそう思うね」
「ウェンディさん……!」
オーナーはハッとして俺を見上げた。俺はゆっくりと頷いて返した。
「この街で最も評判が良かった店がこんな体たらくで少し毒づいちまったけど……馬鹿にするつもりはなかったんだ。ただ、やれることを試さずに燻ってるのは違うと思う。それは偽らざる本音だよ」
肩に置いた手を下ろし、そのまま握手の形を整える。
「アタイの手を取りな。不景気なんざ吹き飛ばしてやるよ。代わりと言っちゃなんだが、増えた分の売上の幾ばくかは貰うがね。それでも……悪い話じゃないだろう?」
オーナーは俺の差し出した右手を力強く握り返した。くくっ、そうこなくっちゃな?
さて、王都の色街直伝の商法を展開させていただきますかね……!
▷
バックヤードに集められた総勢三十人の娼婦を見回す。その中には俺の定宿の女将もいた。誰も彼も困惑の表情を貼り付けて仲間と顔を見合わせている。外部の人間を雇ったことがないゆえの不安が見て取れた。
オーナーが説得してくれたおかげでかろうじて受け入れられてはいるが、下手を打てば早々にお役御免になるであろうことは想像に難くない。
「あのー……私たちは何をすればいいんですか?」
「何かしたところでどうにかなる状況じゃないと思うんだけどなぁ」
連日の不況続きで士気も低いようだ。どうせ一過性の現象だろうという認識も手伝っているらしい。俺の口から出任せ物語を聞いていないやつらは俺のことを招かれざる客としか思ってなさそうだ。
ま、いいさ。そんな考えはすぐに塗り替えてやる。
「こん中に料理の得意なやつはいるかい?」
端的に問う。すると十人の娼婦がおずおずと手を挙げた。ふむ……これなら回せるか。
「よーし。いま手を挙げたやつは飯作りだ。野郎が好みそうなガツンとしたのを頼むよ」
「……えーと、私たちは料理人じゃないんだけど?」
「んなこた知ってるよ。アタイは別に此処を料亭にしようだなんて思っちゃいないさ。そりゃ言わば撒き餌ってもんよ」
訝しがる娼婦たちに向けて俺は計画を語った。
野郎どもが色街に足を運ばないのは節約のためだ。だが、中には懐に余裕があるくせして引きこもってるやつも多い。上澄みの冒険者や豪商連中だな。
やつらは後輩や同業の顔色を伺ってるフシがある。こういう時に散財してはしゃいでるやつは悪目立ちするからな。保身に走ってるんだろう。そういうやつらを釣り出す。
そこらの飯屋よりも少しだけ割高な値段でメシを売り出すんだ。コンセプトとしては娼婦と軽く雑談しながら腹を満たせる店ってとこだな。そうすることで口実を作れる。周りの顔色をうかがって我慢してたやつらが色街へと赴く口実さ。
もちろん話題につられてメシを食べに来ただけの客も来ることだろう。そいつらの財布の紐を緩められるかは娼婦の腕の見せ所ってわけよ。
――これは俺が王都の色街の手口から学んだやり方だ。初めに安価で釣ってから本命を繰り出す。明朗会計を厳守するため入口に別のサービスを用意してやるわけだ。これならギルドの連中も文句を言うまい。
「そんな簡単にいくかな……」
いくさ。いかせる。俺を誰だと思ってるんだ?
ネタがネタだけに新聞社の力を借りることはできないが……そんなのは誤差の範疇よ。色々と貯め込んだ連中が飲んだくれているスポットは把握してるし、金を余らせている商人の耳に入るよう噂を広げることなんて造作もない。【
エンデって街に冷え込みは似合わねぇからな。今は欲や鬱憤を晴らしたくて気が済まない連中で溢れている。平時では見向きもされないであろうスライレースとかいうクソ娯楽で盛り上がってたのは単に時期が良かっただけだ。
その流れをちょいと捻ってこちらに向ければ不景気は一転してビジネスチャンスになる。要は誰よりも早く機転を利かせたもの勝ちってわけだ。
店の新たな試みを周知させるのに一日。遍く宣伝を終えるのに二日。三日もすれば全盛期と変わらない……いや、それを超える売り上げを叩き出せるだろう。
そして実際そうなった。
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