メモリー・ロンダリング

魔王ってのは魔力そのものだ。本人の自己申告によると、という注釈つきではあるが。


遥か昔の人間は魔力ってもんを弄くり回してドンパチやらかしていたらしい。周辺諸国を巻き込んだ、そりゃもう盛大なモンだったそうな。

そういう規模が膨れ上がった争いってのは良くも悪くも技術の発展を促す。負けたら終わりの生存競争を国という単位で展開することで刺激される集合知があるんだろうな。


初めは生活を豊かにする程度に費やされていたそれは、超常の現象を任意に引き起こす触媒として見出され、侵略戦争の火種として用いられ、果ては人工の生命体を生成するにまで至った。


兵器としては勿論、単純な人足としても機能した人工生命体は世界各地で幅広く運用されることになる。物言わぬ労働力は、生産性をより確かなものとするために規格を整えられ、人の生活圏に馴染める形へと変貌を遂げた。


そうして人の生活圏で暮らしていくうちに色々と蓄積されていったものがあったんだろう。記憶や、或いは意思といったものが。


呪装と同じだ。呪装は消滅する寸前に己の持つ情報を保存する機能みたいなものがある。だから時を経ることでポロッと現世に顕現するわけだな。

鞘がダサいなんて理由で元とは別の鞘に入れられていた剣が、再び結実した時に変更後の鞘に収まっているなんてこともある。魔力ってやつは学習能力に似た何かを持ってるんじゃないか。それとも、生きてるのか。


世界各地で人として過ごしてきた魔力が、死後もその記憶を片隅に有していて、少しずつ少しずつ堆積していった結果、自我を獲得したのが魔王っていう存在なんじゃないか。


「まあこんなのはあくまで推測でしかないわけだがな。お前はそこんトコどう思うよ」


「……どうかな。よく覚えてない」


俺は魔王をフィアフルの街の外れに呼び出した。ついこの間こいつと話し込んだ場所である。


俺が再び三折エクスを使ったことを察知した魔王はこの国に向けてちょっとずつ進行を開始した。国の連中が持つ魔力感知の呪装に反応を促すためだ。

大規模な破壊をもたらす式を感知するその呪装は、国家間戦争が絶えて久しくなった今の御時世では物言わぬガラクタであるが、魔力の塊のような存在である魔王が近付いてくるとにわかに反応を示す。


そして国の連中は慌てふためくわけだ。昔の人間のツケを自分たちが払わされることになるんじゃないかと。


まったく、滑稽極まるとはこのことだ。俺が姉上らと組めば半日で国を滅ぼせるだろうが、こいつがその気になりゃ瞬きの間に世界を終わらせられる。慈悲を授かってる相手に対して無礼だとは思わんのかね。


「ガルド、急にそんな話をして……どうしたの?」


「別にどうもしねぇよ。ただちょいと確かめておこうと思っただけだ。俺とお前が同類……同質? まぁ、言い方はどうでもいいか……要は似たような存在なのかどうかってのを知っておきたかった」


「…………」


荒涼の地に一陣の風が吹いて薪が爆ぜる。増した火勢に炙られた肉がじゅうと音を立てて汁を滴らせた。耐熱の魔法をかけてから鉄串を抜いて肉に齧り付く。んむ、美味い。


「何してんだ? お前も食えよ」


「……ん」


魔王は魔法を使う素振りもなく鉄串を掴んだ。十分に熱された脂が滴る肉を食っても熱さを示さない。……やはり純粋な肉体とは違うか。天然物と人工物の違いかね。


俺が探るような視線を送っていることに気付いたのか、それとも会話の切り口を用意するのが下手くそなだけなのか。吹く風に溶かすように小さく息を吐き出した魔王が言う。


「記憶、もう戻ったんだ」


「おう」


「……早くない?」


「聞くも涙、語るも涙の死闘があったんだ。察してくれや」


嘘だ。多分な。今の俺はそん時の詳細な情報を持ち合わせていない。


俺が軽口を叩いてやると魔王は妙な湿り気を帯びた半目を向けてきたが、それもほんの数秒。腹のうちを綺麗さっぱり水に流すように息を吐き出した魔王がほんの少し俯いて言う。


「私は、ガルドに生きてほしかった。自由に、誰にも縛られることなく」


純黒の髪が揺れる。焚火が放つ仄かな光が目元に濃い陰影を落とした。紡がれる言葉は懺悔のように訥々としたもので。


「できる限り破綻しないように……記憶を書き換えて、囚われてた使命感からも解放した」


魔王に洗脳される前の俺は愚直という言葉がピッタリと合うやつだった。だから全部抱え込んで勝手に潰れやがった。魔王は、要はその重荷を取っ払ったのである。


「でも、それは間違いだったのかな」


「どうしてそう思う?」


「……だって、ガルドはまた使命を背負い込んでる。前と……あの時と同じような顔をしてる」


あの時、ね。恐らくは三年程前かな。世界も姉上も守ると息巻いていた時期だ。


「……随分と懐かしく感じるな」


俺が……勇者ガルドが初めに抱いた感情は劣等感だ。何代前の話だったかは、もはや定かではない。

姉上二人が戦い、傷付き、死んでいくのを後方で眺める日々に嫌気が差し、どうにか強くなりたいと提案するも周囲から窘められ、鬱々とした思いだけが積み重なっていった。

そして、世界の悲劇の元凶をどうにかすればいいと思い至り狂気の魔道開発に熱を上げたのが今代の俺である。


「あん時は馬鹿正直な顔して色々と話しあったっけか」


魔王を殺したら世界は終わる。魔力でできたやつらが一斉にいなくなるからな。残ったやつらは野菜の育て方も家畜の捌き方も知らない。晴れて人類は絶滅である。本末転倒もいいところだ。


「魔物の影響が及ばない新天地を開拓しようって提案は、食料問題がクリアできないってんで諦めたよな」


肉食の獣は水と草だけでは生きていけない。人間だってそうだ。食の環境が今より劣悪になったら大半の人間は飢えて死ぬ。

選ばれた民だけ生かすならばやりようはあっただろうが、そんな傲慢は認められなかった。俺も、恐らくは姉上も。


「他には何を話したっけか」


「……魔物をどうにかできないかって」


「あーそうそう。全滅か、もしくは無害化できないかって研究したよな」


結果は空振りに終わったがね。

俺もこいつも、魔物畜生がどういう原理で発生してどういう式を施されて人間を襲ってるのかさっぱり解析できなかった。


遥か昔の人間たちは、認めるのは非常に業腹だが、紛うことなき天才だ。魔力というものの扱いにかけては他の追随を許さなかったと言っていい。

呪装の製造に魔力を用いた人体改造、魔物という侵略兵器の開発といった技術は現代では再現不可能なものだ。詳細もとっくに失伝している。どれだけ頭を捻っても無駄な時間にしかならなかった。


「そういえば……あの時ガルドに『魔王なんだから魔力由来の技術くらい解析してみせろ』って八つ当たりされた」


おっとこいつめそんなことを覚えてやがったのか。俺は話を逸らした。


「他には……そうだな、ちっとは自分たちで生きる努力をすりゃいいのによーみたいな愚痴をこぼしたっけか」


魔王を倒せば全てが丸く収まる。そんな思い込みを裏切られたせいで当時の俺は感情の捌け口を失っていた。ちっとばかしの八つ当たりくらいは水に流してほしいもんだね。


「ん……そうだったね。それで、解決策が何も思い浮かばなくなって……ガルドは……」


潰れた、と。

まあショックがデカかったんだろうな。俺の辿り着いた最善の結論は、国の連中が決め込んだ政策と一致を果たした。


消極的な現状維持。勇者という存在で民衆の目を眩ませ、魔王という分かりやすい悪を用意する構図はこと生存戦略において非常に優秀だった。


国は思考停止して勇者を祀り上げているわけじゃない。過去の為政者たちはきっと苦肉の策として勇者に頼ることを決めたのだろう。

周回遅れの気付きを得た勇者ガルドは、これまた厄介な結論を導き出した。自分が自我を獲得しなければこんな思いをせずに済んだのに、と。


「今の俺はそん時と同じ顔をしてるってか?」


「……そう、見える」


なるほどね。こいつはまた俺が挫けてなよなよしだすんじゃないかと思ってるわけだな。変に気を揉みやがって難儀なやつよ。


「俺に洗脳をかけて生かしたのは間違いだったかって話だったな。そうだな……んー、間違いだったんじゃねぇの?」


「…………」


魔王がぴくりと肩を跳ねさせた。叱られる子どもみたいな反応をしやがる。


「自由に生きろ、なんて言ってるがよぉ、勇者としての記憶も能力も残したままにしてたら綻びが生まれて当然だろ。そりゃ色々と思い出すに決まってる。いっそ人の命を顧みないクソみてぇな極悪人に仕立て上げてたら記憶は戻らず好き放題生きてたと思うぜ?」


「……それは、いやだな」


「そうかい」


魔王は俺に洗脳を施した。一部の記憶の封印と、そして性格の改変の二つだ。後者は解けていないし、解くつもりもない。本懐を全うするにはこれくらいでちょうどいい。


「使命やらしがらみなんぞ知ったこっちゃねぇ。そういうふうに洗脳しておきながら身内への情は消さなかった。そんな状態で記憶が戻るとな……こう思うわけよ。こいつらがクソみたいな境遇に甘んじてるうちは、俺ぁ心底から楽しめねぇよなって」


俺だけやりたい放題やるからあとは宜しく、とはいかねぇよな。

関わりのない有象無象はどうだっていい。ただ、似たような境遇で育ったやつらのことを見て見ぬふりすることはできんね。


姉上に国王のオッサン、エルフや孤児のガキどもなんかも似たようなもんかもな。自分一人の力じゃどうにもならん境遇に産み落とされた者。運命の犠牲者。


「お前もその身内の一人なんだぜ?」


「…………っ!」


魔王が唇を強く引き結ぶ。その胸中に走る感情を推し量ってやることはできない。

云百、云千の年を魔力の浄化という作業に費やし続ける日々はどれほど孤独なんだろうな。感情を殺して昔の人間のケツを拭き続ける作業だぜ。考えただけで発狂もんだ。今の俺なら一時間で音を上げるぞ。


これを無視して自由に楽しく過ごすなんてのは嘘だろ。俺はそう思うね。


「ガルド……」


「まー、信用ねぇのは分かる。なんせ一度逃げ出した身だからな。またぞろ勝手に絶望して消えてなくなろうとするんじゃないかって思ってるんだろ?」


「…………うん」


素直に肯定されるのも微妙なモンだな……。まぁいい。俺は提案した。


「ならもっとしっかり記憶を封印したらどうなんだ? 最近ガバガバじゃねぇか」


「……この前は、全力でやった。おかしいのはガルドの方」


「どうだかな。本当は手ぇ抜いてるんじゃねぇのか? 期待させるな、なんて言ってたけどよぉ……実は内心ウッキウキで早く救って欲しくて洗脳をおざなりに済ませただけなんじゃねぇの?」


「そんなことない」


ほんの少し、心なしかむすっとした表情をした魔王がすっくと立ち上がってこちらに歩いてきた。俺の頭に手をかざして言う。


「なら、もう、今度こそ完全に……書き換えてみせる」


おーおー、意地になってやがるぜ。この自己犠牲の化身め。助けての一言くらい素直に吐き出せば可愛げってもんがあるのによ。

ま、狙い通りなわけだがね。


「どうせまたくだらない理由で記憶を取り戻したに決まってる。……探るよ。【追憶スキャン】」


俺の直近の記憶を探った魔王は顔を強張らせた。くくっ……いい反応をする。


「なに、これ……記憶が……何も、ない……? ガルド、あなた、何をしたの?」


「さあな。たった今ご存知になった通り、今の俺は直近の記憶がねぇんだ。どうやって過去の記憶を取り戻したのかも、今まで裏で何をやってたのかも、まるで記憶にねぇ」


だというのに何かの糸口を掴んだ確信だけはあるから不思議なもんだ。今の俺は確実に何かやってんぞ。だがそれが何なのか、俺自身が把握していない。妙な感覚だ。


「なにこれ……こんなの、どうすれば……」


「さあ、完全な書き換えとやらをしてみせろよ。できるもんならな。少しでも綻びが生まれたらまた元通りだぜ?」


魔王が俺に洗脳をかけるのは俺を守るためだ。だったら俺はお前に借りを返すために洗脳を破ろう。何度でもな。これはそういう表明だ。

泣き笑いを堪えるような、言い表し難い表情を走らせた魔王がポツリと呟く。


「…………っ。【洗脳リライト】」


そこで俺の意識は途絶えた。



自室に戻った俺はクロードに【共鏡インテグレート】で吸われた記憶をそのまま植え付けられた。洗脳が弾け飛ぶ。


記憶ロンダリングだよォー! 俺にはもう洗脳は効かねぇぜ! はっハァー!

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