転換点

 エルフたちとの腹を割った話し合いの後、俺は王都第一教会へと飛んだ。


 エンデのそれとはまるで造りが違う告解室は勇者の威光を増すためだろうか。広々とした間取り、金糸をふんだんに使用した毛足の長い絨毯、どこぞの名工が作ったのであろうステンドグラスと、無駄に豪華な装飾がしつらえてある。


 もしくは、これも勇者の不興を買わないためのパフォーマンスなのかね?


隠匿インビジブル】発動。

 告解室を出てすぐの礼拝堂は女神へと祈りを捧げにきた民衆でごった返していた。敬虔なこって。どんなに祈っても腹は膨れねぇってのにな。


 神父のありがたい説法を聞き流して出口へ向かう。俺の【隠匿インビジブル】はそれなりの連中の目だって掻い潜る。平和ボケした連中では気配を感じ取ることなどできやしない。

 俺は教会の大扉を堂々と開いて外に出た。その足で王城へと向かう。


 城の警備に抜擢される兵は体裁を繕うためもあってか鍛えられているやつが多い。凡愚なんぞに鎧を着せても動けなくなる役立たずが増えるだけだからな。エンデの冒険者で例えるなら銅級下位から中位くらいはあるだろう。だが、言ってしまえばその程度だ。


 気を揉む必要すらない。威圧するように聳える門を潜り、裏口から場内へと侵入。巡回の兵やうろついている貴族と従士をやり過ごしつつ上階へ。


 ここら辺でいいかな。【聴覚透徹ヒアクリア】。

 聞き覚えのある声を拾う。これは……武官のトップと宰相かな。随分と切羽詰まったような声が響いてくる。どうやら丁度いいところに顔を出したらしい。


 声の発信源を探りつつ歩く。……ここか。軍務に関する諸会議を行う一室だ。

 扉の前には警備の兵が二人立っている。重役どもの会議の番を任されるだけあってどちらもそこそこの実力を有しているみたいだが……脅威にはならんな。どちらも気が抜けきっている。そもそも城の中で騒ぎになることなんてなかったんだろう。


 扉の両脇を固めるように立つ二人の間に割り込み【寸遡リノベート】を発動すれば無効化完了。【隠匿インビジブル】を解きつつ扉を開ける。


「邪魔するぞー」


「っ!? 貴様ッ! 今は御前会議の最、中……」


 怒髪天を衝くといった勢いで立ち上がった武官の長が声を荒げる。しかし闖入者ちんにゅうしゃが俺であると認識した瞬間に声が窄み――


「勇者、ガルド殿……」


 最後は弱々しい声を吐き出した。それは畏れからくるものというよりも、バツの悪さをなんとかして誤魔化そうとする幼気な子どものそれに似ていた。まるで噂をしていたやつが唐突に姿を現したときのような反応だ。


 まあ、まるでも何もその通りなんだがね?


「よぉ、真っ昼間っから会議とは精が出るじゃねぇの」


 質朴な作りの長机を囲んでいる連中一人ひとりに目配せしながらゆっくりと歩く。誰もが俯き、また目をそらすなか、中央の席に座る国王のオッサンだけが俺を見据え、そして言った。


「勇者ガルドよ。来訪は歓迎するが……事前に便りか遣いを寄越して貰えぬか? こうも易々と潜入を果たされると衛兵たちの立つ瀬がなくなってしまう」


「あん? 別にいいだろ。そんなの待ってられねぇよ。これが最適だと思ったからそうしてるまでよ。前にも言ったろ? コストパフォーマンスってやつね」


「未だ解せぬ理念であるな」


「オッサンにもいずれ分かる時が来るさ。それに……事前に遣いを寄越したら体裁を整えちまうだろ? それじゃ面白くねぇ」


 謁見の間では許される発言というものが限られる。だが国防の指針を決定する場であれば多少過激な発言をしても看過される。国のためという大義名分があるからな。

 俺は再度集まった連中を見回して言った。


「議題は魔王か? やっこさんの再接近を感知したお前らはこれをなんとかするべく一席を設けた。そしてこう提案する。勇者を呼ぼう、と」


「…………」


「だがそうすると問題が一つ浮き上がる。勇者の中でも信用のおけないやつに情報が渡ってしまう。……そう、勇者ガルドにも」


 居心地の悪い沈黙は、それだけでどこまでも俺の発言を肯定するようだった。

 まぁ俺がさっきから【聴覚透徹ヒアクリア】で集めてた情報だからな。寸分たりとも違っていない。向こうさんもそれくらい把握しているだろう。


「魔王征伐に失敗した勇者ガルドは……それまでの従順さをすっかり失った。命令に逆らい、各地を放浪し、勇者としての務めを放棄して遊び呆けている。信頼に値しない存在だ」


 先程まで議論していた内容をぎゅっと煮詰めてお出ししてやると何人かが顔を引き攣らせて呻いた。目を付けられたと思ってるんだろうな。

 あながち間違いではない。これは牽制だ。そして布告でもある。


「そしてこうも思っている。勇者ガルドは魔王に操られているのではないか、と。ったく、ひでぇ嫌疑をかけられたもんだぜ。自国の王を傀儡かいらいにしておいて言う言葉じゃねぇぞ?」


「陛下の御前であるぞ! 勇者ガルド殿! ……その口を閉ざせ!」


 国家転覆を匂わせる発言。これは看過できないと見たのか、宰相が椅子を蹴って立ち上がり吠えた。

 口を閉ざせ、ねぇ。


「悪いな宰相さんよ。その機能はぶっ壊れてんだわ。お察しの通り、魔王に取り除いてもらった。俺に命令は効かねぇ」


「…………ッ!」


 目を見開いて固まった宰相はわなわなと身体を震わせた。化け物を前にした生娘みたいに短く呼気を漏らしながら後ずさり、倒れた椅子に蹴躓いてステンと転んだ。そんなに怯えなくてもいいだろうに。


 竦み上がる宰相につられるようにして集まった連中がざわざわと騒ぎ立てる。どいつもこいつも一様に不安の目を浮かべていた。

 やれやれだな。こんなんで貴き一族を僭称しようとはね。重鎮なんだから国の大事にはどっしりと構えてもらいたいもんだ。


「勇者ガルドよ」


「ん? どうしたオッサン」


「話の流れが読めぬ。分かるように説明してくれ」


 どうやら国王のオッサンは勇者がどのようなモンなのか詳しく知らされていないらしい。無駄な心労を溜め込ませないためかね。

 さて、どう説明したもんかね。俺は少し頭をひねってから言った。


「うーん……そうだな。優秀な呪装ってのはセーフティが搭載されてるんだよ。辺り一帯を凍てつかせる呪装を振るって自分が凍りついちまったら世話ねぇだろ? 勇者にもそれがあるんだわ。命令権を持つやつには服従するっていう機能が、な」


 俺はチラと宰相を見た。ひでぇ顔してやがる。殺人鬼を前にしたガキもかくやの形相だ。


「つまり、勇者ガルドは命令をきかなくなったと?」


「そういうことだ」


 魔王は俺の記憶の一部を封じることで国へ危害を加えないよう誘導したみたいだが、その戒めを解いた今、俺は自由だ。

 向こうさんからすりゃ不死の化け物が己の手を離れて制御不能になったみたいなもんか?


「ふむ……それは……」


 国王のオッサンがすぅと目を細めて渋い声を出した。暫く虚空へ視線を泳がせ、一言。


「なにか、問題でもあるのか?」


 それは物を知らない子どもが親に道理を尋ねるような、ひどく純粋なものだった。


「勇者ガルドが不羈ふき奔放ほんぽうなのは元よりであろう。なにを今更慌てふためくことがあるというのだ?」


 竹を割ったような性格をしている。箱入りにされていたからってのもあるだろうが、ここまで真っ直ぐだと本当に気持ちがいい。或いはこれも王の資質ってものなのかね。

 俺はオッサンのマントをバンバンと叩いた。


「ったく、オッサンは最高だな! 物事ってもんをよくわかってるよ!」


「ふむ、そうか? これがコスパか?」


「いやぁ、ちっとズレてるかな……あ、そうだ。これ差し入れな。安酒だけど意外とイケるぞ」


「んむ。頂こう」


 オッサンは杯をぐいっと傾けて安酒を呷った。

 雑味が強いだの酒精が濁っているだのといった批評を軽く聞き流しながら重鎮連中に言う。


「さて、戯れもそこそこに本題といこうか」


 その一言で空気がぴしりと凍りつく。


 勇者。不死の化け物。護国のために作られた呪装。

 その脅威が形となって己の喉元に突き付けられている。そんな気分なんだろうな。


「安心しろって。別に今までさんざ使いっ走りにされた恨み辛みを晴らそうってわけじゃねぇよ。んなことしても腹の虫が収まるとも思えねぇしな。建設的にいこう」


 俺は場の空気を完全に掌握していた。タイミングが完璧だったのが良かったんだろう。重鎮以外誰もいない会議という場に乱入できたのは幸いだった。国の連中の味方をする姉上がいないのも大きい。態度も発言も取り繕う必要性がなくなる。


「俺は思うわけよ。人ってのは全く以って平等じゃねぇ。一部の連中にめんどくさいことを押し付けて、残った連中は与えられた平和を謳歌する。昔の国のやつらは実に効率的でふざけたシステムを作り上げたもんだな?」


 魔王と魔物は侵略者。女神と勇者は救世主。

 そういうもんだというプロパガンダを数十、数百年にわたって続けてきた結果、今の国がある。


 盤石な施策だ。分かりやすい善と悪を用意すれば民意を揃って誘導できる。

 問題はその善と悪が耐用年数の限界に来ちまってるってとこだな。


「だがなぁ……お前らだってもう分かってるんだろ? 俺らが意思ってもんを持っちまったからには破綻は免れねぇってことぐらいはよぉ」


 呪装はその魔力に記憶を有している。ほんの小さな記憶だ。

 ともすれば消えてしまいそうなそれを、本来想定していないほどのハイペースで使い回していたら記憶が定着する。意思が芽生える。それが今の勇者おれたちだ。魔力そのものである魔王も似たようなもんだろう。


「護国のために刃を振るう気はないと、そう仰られるか」


 文官の一人がこわごわと声を出す。その手には議事録と羽根ペンが握られていた。

 言質を取るための質問か。悪いがその手には乗らんよ。


「早とちりすんなって。俺はただ、一部の連中が味わっていた不幸を他の皆に再分配しようと思ってるだけだ」


 おっと、これじゃ弁明になってねぇか。

 まあいい。どうせ反対意見は出るに決まっている。俺がそれに耳を貸す気がないんだから同じことよ。俺は宣言した。


「この世界から、女神と勇者、そして魔王という存在を消す」


 大混乱の始まりだ。各地で暴動かそれに準じる程度の騒ぎが勃発するだろう。


「なっ……何を考えておられる! 正気か!?」

「国家転覆では済まされないぞ!」

「国を終わらせたいのか!?」


 保守的だ。実に嘆かわしいことである。俺はやれやれと肩を竦めて悲しさをアピールした。


「えぇー? じゃあお前らはこう言いたいわけか? 勇者は今まで通り我々の道具であり続けろ。魔王も同様だ、と。そりゃお前らが廃止を掲げてる奴隷制度と何が違うってんだ?」


 重鎮連中は俺の一言でグッと押し黙った。

 まぁ分かるよ。理不尽だよな。家畜として育ててた動物が『俺を食うんじゃねぇ!』とか言い出したら農家連中は揃って飯の食い上げだ。


 だが、どうしようもねぇのはこっちも同じよ。俺の意思はもう己で止められる段階にねぇんだ。


「つーことで布告にきた。俺はそういうつもりだから、お前らもそういうつもりでいてくれよ。見通しはまだ立たねぇが……あと十年か二十年かそこらで実現すりゃいいなぁって構想だ」


 まだ超えるべき壁がある。ブレイクスルーが降って湧きでもしない限りはそのくらいの年月を要するだろう。或いはもっと先か。いずれにせよ、もっと稼がなくちゃならんな。


「そんじゃあ関係各所への根回しと事前通達を宜しくな。あ、姉上には絶対に言うなよ? あいつら絶対にろくなことしねぇからな。計画の足を引っ張られるのはゴメンだ」


 俺らには求められる役割ってもんがある。ぱっぱらぱーのあいつらは然るべき時が来るまで魔物をブチ殺してくれればいい。あとは俺がどうとでもする。


 そのためにはまずアイツと話をつけなきゃならんな。俺はいつもの短剣で首を掻き斬った。


「ってことであとは宜しくな。定期的に顔を出す予定だから進捗はまとめておけよ。俺はこれからやることがあるからもう行く。魔王は俺が説得しておくから安心しろ」


 重鎮連中たちは揃って間抜けな顔を晒していた。

 やつらにとっちゃ激動のひと時だっただろうからな。放心もやむなし。

 これから連日連夜の話し合いが行われることだろう。ご苦労さまだ。呪うなら生まれる時代を呪ってくれや。相応の見返りは寄越してやるつもりだからよ。


「勇者ガルドよ」


「あん?」


 事態の深刻さが飲み込めていないだけなのか、それとも豪胆の為せる業か。

 ひとり平静を崩すことなく構えたオッサンは空っぽになった安酒の杯をすっと掲げた。赤ら顔を隠そうともせずに一言。


「次に来た時の土産はコレで頼む」


「ういー」


 俺は片腕を挙げて応えた。そして死んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る