発展の犠牲

 どうして女神像を犬小屋に放り込むんだ?


 純粋な気持ちでそう尋ねたところ、こう返された。


『魔力の揺らぎがすぐ側で発生するとびっくりするんですよ!』


 俺が女神像を介した転移をする際、なにやら魔力の揺らぎというものが生まれるらしい。エルフ連中はその現象で俺の来訪を察する。ただ、それがなんの前触れもなく近くで発生するのはあまり好ましくないのだとか。


 詳しい感覚は分からんが、のんびりしてるところに大声で喚き散らす馬鹿が召喚されるようなもんなのだろう。

 まぁーそりゃ不快だわな。俺ならキレる。その気持ちには一定の理解を示す所存だ。


 でも集落から離れたところに犬小屋を設置してそこに女神像をぶち込むってのはどうなんよ。

 転移用の空き家を新調するとか方法はあるだろ……せめて東屋あずまやみたいな建造物を造ってくれないもんかね。


 別に俺をたてまつれって言いたい訳じゃなくてよー、雨風さえ凌げればそれでいいよねっていう雑な扱いはやめてくんねぇかなって思うワケ。

 お前らどうせ暇してるんだろ? その怪力を使えば掘っ立て小屋の一つや二つはその日のうちに作れるだろうが。ちっとばかしの労力を俺のために割いてくれてもバチはあたんねぇぞ。


 見ろよこの服。いちいち這って出なきゃならんから腹部と肘周りが土で汚れるんだわ。どうしてくれんのこれ。

 言っとくが俺はエンデで一番服に気を遣っている自信があるぞ。【偽面フェイクライフ】の使用中は衣服を変える必要があるからな。使い回しもできねぇ。

 必然、衣服にかける金も嵩むってもんよ。そこらの凡人にはないこだわりってもんがあるわけ。


 だってのに……俺は現在進行系でイカれエルフに引きずられていた。

 どうしてくれんだよ全く。この上下セットはもう使えねぇな。泥遊びが好きなガキでもこうは汚さねぇぞ。


 生成りのローブをすっぽり被ればそれでよしっていうお前らと違って、俺らにゃ体裁ってモンがあるんよ。服装規定っつーの? それなりの格好を示さなきゃならん機会がやたら多いワケ。


 だから犬小屋放置と、あとは腕引っ掴んで引きずるのヤメてくんねーかな。俺はそんな内容のことを丁寧に優しく伝えた。イカれエルフどもは何が面白かったのかキャッキャとはしゃいでおられる。

 こりゃ待遇の改善は絶望的だな。外界から隔離された蛮人はこれだから……。


 今度からここに来る時は粗末な服を着てからにしよう。俺は密かに誓った。


 そして引っ立てられたのは族長の家である。

 皮肉なほどに優雅な所作で何事かを書き留めていた族長は俺の姿を見て筆を置いた。胸の前でパチと手を合わせ、ニコリと笑みを浮かべ、鈴を転がしたような声で言う。


「まぁ! ちょうど新鮮なサンプルが欲しかったところですー。助かりましたぁ!」


 ほんとブレないよなこいつら。姿を見せたら空腹時につまみを差し出された時みたいな反応をされるんだぜ。どうなってやがる。得難い経験で片付けられる範疇を超えてるぞ。狂ったやつらめ。


「……族長、さん。人のことをサンプル扱いはやめて頂けないっすかね」


 俺にも意地はある。身体は売り渡しはしたが、心まで売り渡した気はない。

 そういう意図を込めてささやかな抗議をしたところ、族長は何か不思議な生き物を見たと言いたげに目をパチパチと瞬かせた。あざとく首を傾げて一言。


「新鮮なサンプルが欲しいならいつでもくれると仰ったのは勇者さまですよ?」


 えっ……そんなこと言ったか?

 ……言ったな。言ったわ。初めてクローンを受け取った時にそんなこと言ってたわ。マジかよ、身も心も売却済みだったとは恐れ入る。その場のテンションって怖えな。


 俺はコホンと咳払いをして話題をそらした。


「そのことで話がある」


 俺はそのこととは全く関係ない話を進めた。俺がここに来た本旨を告げる。


「クローンを作るのは……一時中断してほしい。再度研究し直してもらう必要が出てきた。勝手なことを言ってるのは承知の上だ。それでも頼む」


 俺は机に両手をついて頭を下げた。

 好奇心の化け物たるエルフの探究活動を押し止めるのは容易ではない。あらゆる手段を講じる必要がある。頭を下げる程度では止まらないだろうが、これは交渉の切り口みたいなもんだ。


 もしも首を縦に振らないようなら……ほんの少し、手荒な真似をしなければならないかもしれない。


 そんな懸念は、拍子抜けするほどあっさりと裏切られた。


「はぁ。そう言われても……私たちは今、クローンを作っていませんよ?」


「えっ、そうなの?」


「ええ。勇者さまのレポートを聞いてから改良を施そうと考えていましたので」


 ……なるほど。これは嬉しい誤算だったな。

 最悪、勇者ガルドのクローン軍団とエルフ連中相手に事を構えなければならなくなると思っていたが……杞憂に終わりそうで何よりだ。


「えっと……クローンに何か問題でもありましたか?」


 そう尋ねる族長の面持ちは酷く純粋なものであった。作ったオリジナル料理の感想を聞くような気軽さ。そこに是非善悪を気にした様子は微塵も感じられなかった。


鎮静レスト】。

 こいつらにその矛先を向けるべきじゃない。俺もつい最近までそっち側だったんだからな。フラットにいこう。俺は努めて平静を心掛けて話した。


「族長さんよ、端的に言うぞ。クローンは……ありゃ人間だ。身体の組成の話じゃない。あいつには……自分の意思がある」


 そこまで言って俺は言葉を切った。反応を伺う。

 ……返答いかんでは、俺とエルフの関係はここで終わりを迎えることになる。分かり合えるか否か。

 文明から切り離され、長大な時を一個の集落で過ごし続けたエルフたちの生活様式は俺達のそれとはまるで違う。埋め難い溝が横たわっている。価値観も同様だ。


 傲慢を承知の上で、俺は秤にかけなければならない。エルフをこのまま隔離しておくのか、それとも隣人として迎え入れる下地を整える必要があるのか。


「うーん、それはちょっとおかしな話ですね」


「何がおかしい」


「前に説明しましたけど、クローンにはそもそもそういう機能を持たせてないんですよ」


 説明……されたか? 覚えてねぇ。仮に覚えていたとしてもこいつらの理屈はさっぱり分からん。エルフたちが有している遥か昔の技術は俺らの文明では絶えて久しいものだ。


「悪い、馬鹿にでも分かるよう説明してくれ」


「んん……難しい注文ですね……」


 へにゃりと眉を曲げた族長が腕を組んでむむむと唸る。そして一枚の紙に丸とバツを書き込んで俺に見せつけた。

 族長が丸を指さして言う。


「これが才能です」


「ほう」


 次にバツを指さして言う。


「これが意思です」


「ほう」


 族長は紙をビリっと破いた。バツが書かれた切れ端を捨て、丸の書かれた紙を自分の額に押し当てる。


「これがクローンです。お分かり頂けました?」


「なるほどね、馬鹿でも分かる説明だったよ」


 要するにクローンを作る前に意思を切り離しているってわけだ。だから意思を持っているのはおかしな話だと。


「だったら、その切り離しが不完全だったってわけだな。あいつは確かに意思を持って動いてる。俺の命令を無視して死地へと飛び込むくらいにはやんちゃしてるぜ」


「……本当ですか? うーん……にわかには信じ難い話ですね。羽が生えて飛んでいったと言われる方がまだ信じられますよ。勇者さまは一体どんな教育を施したんですか?」


 教育ねぇ。俺はそこまで大したことはしてないが……そうだな。


「まず色々と問い掛けてみたんだが、なんつーか、反応が薄かったわけよ」


「ええ」


「だからまずは俺の記憶をそっくりそのまま移したんだ」


「……??」


「その後は補助魔法の教育を兼ねた実践形式の稽古を」

「ちょーっといいですか? えっ、なんです? その記憶を移したっていうのは?」


 族長が手をピッと挙げて問うてくる。

 さすがのエルフでも魔法の全てを網羅してるわけじゃないか。俺は【共鏡インテグレート】を発動した。俺の情報を吸い上げる。


「俺はこんな魔法も使えるんだよ。これで記憶を移して余計な教育の手間を省いたんだ」


「いやどう見てもこれのせいでしょう! 何やっちゃってるんですか勇者さまはー!」


「うおっ!」


 机をバンと平手で打った族長が珍しく吠えた。すっと目を細めて淡い光を放つ俺の手を凝視する。


「……ほら、この波形! これが切り離したやつですよ! こんな恐ろしい真似して……クローンが暴走したらどうする気だったんですかっ!」


「えっ……す、すみません……」


 なんか俺のせいだったらしい。まじかよ。俺はてっきりエルフ連中の不手際かと……。


 その後、めちゃくちゃ怒られた。

 なんで事前に相談しなかったのか。危険だと分かっている魔法を安易に使用したのか。すぐに報告を寄越さなかったのか。


 俺は親に叱られるガキのように背を丸めて平謝りするしかできなかった。今回の件は開き直るつもりにはなれなかったのである。

 約十分に及ぶ説教の締めは至極真っ当な一言であった。


「もうクローンに【共鏡インテグレート】を使うのは禁止ですっ! 分かりましたねっ!」


 族長が迫力皆無の顔でぷんすかと怒りながら告げた。

 真っ当な一言だ。俺はこいつらをイカれエルフだなんだと呼んできたが、俺なんかよりも立派な倫理観を持ってやがる。ただ、今はその方向性を見失っているだけで。


 エルフから見たら俺はイカれ勇者なのかもしれねぇな?


 取り留めもないことを頭の隅で思い浮かべながら反抗の意を示す。


「いや。そのことなんだがな」


 俺の腹のうちを誰かに面と向かって話すのは初めてになる。

 元より俺一人では達成不可能な計画だったんだ。クローンという存在の有用性が証明された今、その産みの親であるエルフたちには共有しておかねばなるまい。


 俺がクローンを見て歓喜した本当の理由を。"俺"の夢を。


 ▷


「…………正気、ですか?」


「おう。至って正気だ」


 案の定というべきか、族長は俺の話にいい顔をしなかった。その目は人を見るものから得体の知れない何かを見るものへと変わっている。まー、トチ狂ってると言われても否定できんよ。


「世間との関わりを持たなくなって久しいお前らからすりゃ対岸の火事かもしれんがな、俺らからすりゃそろそろ片をつけなきゃならん問題なわけよ」


「んー……正直、ピンときませんが……」


 族長は姿勢を正し、至って真剣な表情を作った。


「勇者さまの計画が成就すれば……私たちが隠れて暮らす必要がなくなるというのは、本当ですか?」


「おう。全部うまく行けばの話だがな」


 エルフってのは兵器となることを期待して作られた人間だ。その必要も、能力すらも無くなっちまえば追われる身とはおさらばよ。迫害も羨望も等しく塵になる。そうなりゃ隠れ潜んで暮らさなくて済む。


 族長は僅かに顔を上げ、茫洋とした視線を宙に溶かした。静かな呼気だけが場を支配する。

 優に百年以上を生きるエルフと俺たちとでは流れる時間が違うのだろう。歩んできた過去を想起するのに費やした五分という時間が長いのか、それとも短いのか、推し量るすべはない。


「すぐに答えを出すのは、難しいですね」


「そうかい。間違ってねぇと思うぜ」


 時々ボケたばあさんみたいになるから心配になるが、それでもやはり族長として担がれるだけはある。即決しないってのはそれだけ真剣に考えてるってことだからな。


 俺はゆっくりと席を立った。焦点が俺へと向いたことを確認してから言う。


「ま、一考宜しくってことで。今日はそれを伝えに来たんだ。あとは前に頼んだアレも頼むよ。身体のごく一部でクローンを作れるようにする研究な」


 とりあえずの話は終わりだ。今日のところはお暇するかね。

 身を翻し、手を振って族長の家を去ろうとしたところ、背に声が浴びせられた。


「ああそうだ! そのことでお話があります!」


 先程と打って変わって弾んだ声。

 虎の尾を踏んじまったかな……。さり気なく扉を開けて逃げ道を確保しようとしたのだが、ぐんと接近してきた族長に腕をグイと絡め取られた。疾い。そして力強い。服の繊維がミチミチと悲鳴を上げているのをまるで気にした様子もなく族長が言う。


「ほら、さっきも言ったじゃないですかぁ! 新鮮なサンプルが欲しい、って。身体のごく一部から魔力の波形を解析する研究のために……どうしても新鮮なのが必要なんですよ」


 華奢な指先が手の甲をなぞるように這い回り、手の産毛を擽るように蠕動し、そして俺の爪に狙いを定めた。遠慮がちに、しかし物欲しそうにカリカリと爪で爪を引っ掻く。それは、これから起きる全てを度外視した場合に限り、酷く蠱惑的で情熱的なお誘いに映った。


「…………一回だけだぞ?」


「三回」


「…………せめて二回にしてください」


「三回ぃ」


 平身低頭の命乞いは甘ったるい声で棄却された。頑として譲らない気配と圧を感じる。こいつめ……俺が断れない立場だと知って強気に出てやがるな? 全く、悪いエルフだよほんと。


 ズルズルと引きずられていつもの解剖所に連行される。周りにはニコニコ顔のエルフたちも付いてきていた。弾けるような笑顔だ、久々のお遊びに浮かれているのかもしれない。


 こいつら、世に解き放って大丈夫かなぁ……?


 今更な感想を抱くも時すでに遅し。ぎぎっと開いた分厚い扉が、化け物のアギトのように俺を飲み込み、そしてガチャリとその口を閉ざした。

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